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お客さん物語

2022年10月18日 お客さん物語

23.ひとり客のすゝめ(3)――もっと世界におひとり様を!

著者: 稲田俊輔

 何かと出張の多い僕は、ある時気付きました。

 『キャリーバッグはおひとり様の免罪符である』

 キャリーバッグをゴロゴロ引いてひとりで店に入ってくる、ということは出張ないしは一人旅であることを意味します。そしてそれは、

 「別に性格に問題があるから友達がいないとかじゃないんですよ! 旅先だからたまたまひとりなだけなんですよ!」

 というわかりやすいアピールにもなるのです。

 ネットでも高評価なグルメ系の店の店主なら、

 「そうか、ウチの評判は県外にも届いていて、出張の機会を利用してわざわざ来てくれたのか」

 と、決して悪い気はしません。

 ご近所の顔見知りしか来ないような(カウンターが濃い)、渋い店の頑固な店主でも、

 「あまりに土地勘が無さすぎてうっかり迷い込んで来ちまったか。ちったあ親切にしてやんねえと気の毒だな」

 と、優しい気持ちになります。

 おひとり様デビューにどうしても抵抗のある人、ないし、ハードルの高そうな店にも思い切ってチャレンジしたい人には、近場であっても、あえてキャリーバッグを転がして行くことを提案します。

 キャリーバッグはともかく、居酒屋にひとりで行きたいと思っている人は多いと思います。しかし居酒屋というのは、おひとり様にとって居心地が良い店とそうでない店のばらつきが極めて大きいという難しさもあります。

 そこで浮上してくるのが蕎麦屋です。蕎麦屋もまた色々ですが、比較的単価の高い、いわゆる「趣味蕎麦」が狙い目。「料理が上品な落ち着いた居酒屋」として楽しめます。単価が高いと言っても、結局、支払額は居酒屋とそう変わりません。そういう店は「量が少ない」「蕎麦も3口で食べ終わってしまう」と文句を言う人も少なくありませんが、そのことは、むしろおひとり様には好都合。是非候補に入れておきたい業態です。

 外国人によって運営されている店も、実はおひとり様デビューに最適です。お店の人だけでなくお客さんもほぼその国の人々、というお店は特にそう。

 そういう店では、日本人は日本人というだけで予期せぬマレビト(稀人)です。ひとりだろうがふたりだろうが関係はありません。いや、むしろひとりの方がその「神性」は増すことでしょう。

 そしてそういうお店にとって日本人のひとり客は、

 「ああまた『マニア』が来た」

 と、実は既に慣れっこだったりもすることがあります。エスニック系のマニアはだいたいソロ活動が基本なのです。あなたも今日からその一員です。

 こういったエスニック店では、そもそも日本語があまり通じないことも多いのですが、それがまた、おひとり様にとって快適な「距離感」を担保してくれるという面もあります。周りの異国の人々と同じものをガツガツと食べていて、ふと顔を上げると、厨房のコックさんがギョロリとした目で興味深そうに(若干心配そうに)こちらを凝視しています。目が合うと、真っ白な歯を覗かせてニヤッと笑います。こちらもニヤッと笑い、親指を立てて「うまいぜ!」のサインを送ります。コックさんはさらに相好を崩し、黙って深く頷きます。ちょうど良いコミュニケーションが、そこにあります。

 ガチのエスニック系がおひとり様デビュー向きというのは、何となくこれでお分かりいただけたと思います。ただし、キャリーバッグ作戦との合わせ技はお勧めできません。「なんだ単なる一時帰国か」と思われて、いきなり現地の言葉で話しかけられます(実話)。

 エスニック系にはもうひとつ大きな利点があります。それは、必ずしもお酒が前提にならないこと。しかし逆に言うと、日本の外食文化においては、お店が高級寄りになればなるほど、お酒を注文するのが当然になるということでもあります。実際、エスニック系のマニアの中には、食べ歩きを楽しみたいけどお酒が飲めない、飲みたくないのでそっちに行き着いた、という人も少なくありません。

 飲み物は飲みたくなければ注文しなくてもいい、というのは、それはそれで正論です。正論ではありますが、しかし、仮にそういうお客さんばかりになってしまうとほとんどのお店は潰れてしまうのも、如何ともし難い事実。

 「お酒は頼まないけど、その分、料理をたくさん頼めば大丈夫ですよね」

 と考える心優しき健啖家も居りましょう。しかし残念ながらそれもまた違うのです。お酒と料理では、お店にとっての収益が違いすぎるからです。もちろん業態やお店によっても様々ではありますが、基本的に料理はあまり儲かりません。

 これは誰も悪くない悲劇です。少なくとも個々のお店が悪いのではない。欧米で生まれた「レストラン」というシステムそのものが、お酒で利益を出すビジネスモデルなのです。日本も基本的にそれを踏襲したと言えますし、宴席としての日本料理も「酒を酌み交わす場」として同時発生的に発展してきました。

 現代は飲酒人口も消費量も激減しつつあり、この構造が通用しなくなりつつある、いわば過渡期です。そんな中、例えばミネラルウォーターで1000円取ったりするのは、極めて合理的なやり方だったりするのですが、現実的には、謂れのない非難を浴びたりもします。料理に合うノンアルコールドリンクを工夫する店は少しずつ増えてきましたが、全体から見たらまだまだ少数。当面の間は『孤独のグルメ』の主人公井之頭五郎氏よろしく、ウーロン茶を躊躇いなくお代わりするのが現実的かもしれません。

 少々理不尽には感じられるかもしれませんが、おひとり様はこういう部分にも気を遣う必要はあるでしょう。

 結局のところ、「おひとり様」という素晴らしい楽しみを阻害する要因は、「ある程度以上のランクの飲食店は『社交』が主目的である」という古臭い価値観、これに尽きます。だから、安価な定食が中心の「ひとり焼肉」の店はヒットしても、高級なひとり焼肉の店はなかなか出来ない。ひとりでファミレスに行くのは簡単でも、個人経営のレストランだと事前リサーチが必要になるし、何かと気も遣う。

 僕は昔からずっと主張しているのですが、フレンチやイタリアン、あるいは懐石料理、そういうジャンルこそ、おひとり様をメインターゲットに据えたお店をやるべきだと思います。ラーメン屋さんの「一蘭」をご存じでしょうか。ひとりずつ完全に区切られた「味集中カウンター」でラーメンを食べる店です。あそこまで徹底するかどうかはともかく、高級なコース料理こそ、むしろあのように一人一人が「味に集中」するにふさわしいものだと思うのです。全てから自由になって、2時間みっちりおいしいものと向き合うひととき。

 確かに、特別なおいしい料理ほど、同じものを食べた人同士の会話や共感もまた重要かもしれません。しかしそれはSNSなどを利用して、ネットでいくらでも補完可能です。

 そういうお店がいろんな場所に出来たら、僕のエンゲル係数はますます上がってしまうでしょうが、もちろん、それは望むところです。同じように考える人も既に一定数以上はいると思います。しかし、残念ながらまだ世間のトレンドを動かすほどの勢力では無さそうです。

 なので僕はこういった機会に、せっせと布教活動(・・・・)を行なっているのです。いやほんと、おひとり様という楽しみには無限の可能性があるんです。その入り口で躊躇っている多くの人々の背中を押して、そのまま沼に沈めたい。それが僕の野望です。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

稲田俊輔

料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に尽力する。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。現在は全店のメニュー監修やレシピ開発を中心に、業態開発や店舗プロデュースを手掛けている。近年は、食についての文章も多く発表しており、最新刊『おいしいものでできている』(リトルモア)が話題に。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(いずれも柴田書店)がある。Twitter: @inadashunsuke

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