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お客さん物語

2023年1月17日 お客さん物語

27.忘年会ノスタルジー

著者: 稲田俊輔

 僕が会社勤めをしていたのは1990年代。その頃は毎年12月になると忘年会ラッシュが始まりました。チームの忘年会、課の忘年会、部の忘年会、そして支店全体の大忘年会、その他にもなんだかんだと理由をかこつけて、それは何度も開催されました。

 ただでさえ仕事が年末進行で忙しい最中に、誰もが死に物狂いでスケジュールを調整し、律儀に参加していました。場合によっては、それが11月に繰り上げられることすらありました。それすらかなわない時は、仕方なく年明けに新年会として繰り越されました。なぜ「仕方なく」かと言うと、忘年会と同じメンバーによって、改めて新年会が催されることも決して少なくなかったからです。忘年会から新年会への単なる繰越は、2回あったかもしれないチャンスが1回にまとめられてしまうという「機会損失」でもあったのです。

 なぜこのような狂乱が繰り広げられていたのか。そこには先ず、「そうしなければいけないものなのだ」という強烈な刷り込みがあったのは確かです。バレンタインデーにはチョコを買い、クリスマスにはケーキを食べるのと同じです。

 いちいち参加するのは面倒だし、会社負担でなければ少なからぬ出費が伴うし、上司や先輩に気を遣いながら飲むのは面白くない、そういうネガティブな気持ちが無かったわけでもありません。しかし少なくとも僕自身は、楽しむ気分の方が常に勝っていた記憶もあります。ただしそこには、当時勤めていた会社ならではのラッキーな事情もありました。

 その会社は酒造メーカーでした。普段から9時10時、下手をすれば深夜帯まで及ぶ残業は当たり前でしたから、皆が定時で一斉に仕事を終える口実ともなる忘年会の日は、却って羽根を伸ばせる機会でもありました。

 店選びは、様々な飲食店を知り尽くした営業マンたちの役割でした。彼らは、この機会に恩を売っておきたい担当の人気店や実力店からさらに、参加者たちが「いい店だった」と大満足しそうな店を、プライドをかけてチョイスしてくれました。

 そんな営業マンたちを中心に、社員の多くは「飲みの席で周りの人々を楽しませる」ことにかけてはエキスパートと言ってもよく、またそれを自らが楽しんでもいました。そこにもまたプライドがあったと思います。だから僕は「上司や先輩に酒を注ぎ回る」という、ペーペーの若手社員に課せられた面倒な使命すらも、それなりに楽しめていました。

 そもそもお店は得意先ですから、傍若無人な振る舞いなど許されるはずもありませんでした。全員がマナーを守って綺麗に飲むことは、至上命題でもあったのです。

 その後僕は、忘年会に参加する側から飲食店側の人間として彼らを迎え入れる側に回ります。そうなると、世の中は必ずしも、僕が経験してきたような皆が幸せな忘年会ばかりではない、ということにも気がつきました。

 参加者の皆さんが「いい店だった」と満足してくれるような内容にするためには、迎える側として、それこそプライドをかけて(・・・・・・・・)心を砕きました。しかし、こと忘年会において、少なからぬ人々にとっては、料理なんて案外どうでもいいのです。飲んで騒げればそれでいい。そして大人数を相手にしつつ精一杯のサービスに努めようとしても、そこには傍若無人なお客さんはどうしても現れてきます。

 グダグダな会が果てしなく続く中、早くお開きにならないかな、と白けきった表情の人々も否応なく目に入ってきます。

 それでも、店が連日満席になっていつにない活気に溢れる12月は、肉体的にはしんどかったけど、テンション上がりっぱなしの充実した時期でもありました。

 少々羽目を外すお客さんがいても、年末気分で浮かれている空気に包まれるのは悪い気分ではありません。早く帰りたげなお客さんが増えてくると、制限時間を理由にお会計に進んだり幹事さんをうまく味方に付けたりして、スマートにお開きを促すのも腕の見せ所でした。

 プライドをかけた料理が大量に残されても、彼らにはもっと大事なコミュニケーションがあったのだ、と無理矢理自分を納得させました。料理はともかく店全体でそれに貢献できたのなら、それは使命を果たしたということではないか、と。

 しかし何より嬉しかったのは、身も蓋もありませんが、そんな忘年会シーズンは「かき入れ時」だったということです。たくさんのお客さんがまとまったお金を落としてくれる12月は、どうかすると普段の月の倍くらいの売上がありました。

 当時の帳簿を思い出してみると、一年の中のほとんどの月は、多かれ少なかれ赤字でした。それを一気に取り返すのが忘年会シーズンだったのです。当時は既に新年会という習慣はだいぶ薄れていたこともあって、12月は年に一回だけのチャンスでした。自分たちの店は普段から、周りの店に比べて決して繁盛していなかったわけでもなかったので、おそらくそんな財政事情は多くの店に共通していたのではないかと思います。

 忘年会に限らず、大口の宴会はお店を助けます。先ほど「プライドをかけて料理を提供していた」と書きましたが、それは忘年会という特需に乗っかって少々やっつけな料理を提供する多くの店よりは、多少なりとも頑張っていたということに過ぎないかもしれません。どうせ残されるから、と量を減らして調整することも、むしろ親切な必要悪でした。

 忘年会ほどの頻度ではありませんが、普段開かれる宴会料理も基本的には同じことです。普段は個人客相手にひとつひとつ作られる料理も、大量調理に適したアレンジが施されて一気に効率が上がります。

 なので正直なところ当時の僕には、大口の宴会で得た利益を普段のお客さんに還元している、という感覚もありました。多少手間がかかり過ぎても原価がかさんでも、常連さんを始めとする能動的にこの店を選んでくれるお客さんたちに、少しでも喜んでもらうためには多少の無理をしても構わない、という感覚です。

 その感覚がビジネスとして正しかったのか間違っていたのかはわかりませんが、今はそれが通用しないことだけは確かです。ご存じの通りコロナ以降、それまで誰もが当たり前だと思っていた忘年会の習慣は、めっきり失われてしまいました。もちろん平月の宴会も激減です。

 しかしそれはコロナばかりが理由ではありません。飲酒人口の減少であったり、ひとりひとりの価値観やライフスタイルを尊重する世の中の流れの中で、多くの人々が「こんな風習いっそ無くなればいいのに」と、潜在的に思っていたわけです。賑やかな宴会の片隅でつまらなそうにしていた人々は、いつの間にか少数派ではなくなってしまったということなのかもしれません。

 「風呂に入る前は億劫だけど、入って後悔する人はいない」

 という名言(?)があります。僕が参加する側だった時の宴会は、まさにそんな感じでした。宴会だけではありません。先輩が時折半ば強引に連れ回して奢ってくれる店には、自分ひとりや同年代の仲間たちだけではとても辿り着けない、宝石のような店がたくさんありました。今となっては大きな財産です。

 確かにそれは、たまさか自分が身を置いた環境ゆえの僥倖だったのかもしれません。世の中では少なからぬ人々が、つまらない料理を前につまらない話を延々と聞かされる宴会を疎ましく思っていたことでしょう。先輩に強引に付き合わされる飲み屋で辟易した挙句、割り勘を言い渡されてゲンナリした人々もいるでしょう。

 だから、宴会廃止、少なくとも参加不参加は自由、先輩の誘いは断っても何の問題もない、そういう風潮が定着しつつある現代は、多くの人々に救済をもたらしているはずです。しかし僕はどうしても、そこで失われる様々なものにも思いを馳せてしまいます。

 そしてそれは半ば、飲食店側の責任でもあります。本当はもっとやれることがあったのではないか、そんなことも考えますが、時計の針は決して巻き戻すことはできないのです。

*次回は、2月7日火曜日更新の予定です。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
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「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

稲田俊輔

料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に尽力する。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。現在は全店のメニュー監修やレシピ開発を中心に、業態開発や店舗プロデュースを手掛けている。近年は、食についての文章も多く発表しており、最新刊『おいしいものでできている』(リトルモア)が話題に。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(いずれも柴田書店)がある。Twitter: @inadashunsuke

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