世の中の飲食店は大まかに2種類あります。
ひとつは、複数注文やコース料理が前提の店。居酒屋やバル、フレンチやイタリアンのレストランなどです。焼肉屋さんもそうですね。こういったお店での滞在時間は、おおむね1時間を超えます。
もうひとつが、定食屋さんやラーメン屋さんなど、1オーダーで食事が完結するお店。上記にあたる店も、ランチタイムだけはこちらだったりすることもありますね。滞在時間は30分程度でしょうか。
この前者に分類される店を舞台に、時折「居酒屋の水問題」とでも言うべき議論が勃発することがあります。つまり、お酒ないしはそれに代わるウーロン茶などの注文が暗黙の了解になっている居酒屋などの業態において、それらを頼まず「水」で通すのは是か否か、という議論。これに似た議論で「レストランの水問題」というものもあります。構図はほぼ同じですが、こちらには、お酒もソフトドリンクも飲みたくない時に、有料の水が出されることに対する非難も加わります。
これはなかなか複雑な問題であり、是か否かに結論を出すのはなかなか難しいのですが、この場合無料の水で押し通す人が、お店の人々を「ざわつかせ」ているのは確かだと思います。
この「ざわつかせ」は、少し強めに言い換えると「警報」です。
「警戒レベル・イエロー! 当業態に不慣れである可能性のあるお客様がご来店されました。お客様に恥をかかせず、トラブルは未然に防げるよう、警戒を怠らないでください」
というアラートは、接客担当の心の中だけで鳴り響くこともありますし、場合によっては店内で共有されることもあります。
「店長、カウンターのご新規さんドリンクいらないって言ってるんですけどぉ」
「わかった、後で揉めたら困るから、お通しもカットするかを念のために確認してから、後は普通にオーダーを取れ」
「シェフ、3卓のお客様、ワインもソフトドリンクもいらないから水を、とおっしゃってまして」
「ミネラルウォーターは?」
「おすすめしたんですけど普通の水でいいとのことで」
「わかった、無理はしなくていい」
「ただお連れ様の女性が少々決まり悪そうで……」
「それはマズいな、悪いけど一度チーフに対応代わってもらってくれ」
ここで、
「誰がざわつこうと関係ない。ルールが明文化されていない限り、俺は俺が頼みたいものを頼み、振る舞いたいように振る舞うのだ」
というストロングスタイルを否定するつもりはありません。しかし、アラートは鳴らないに越したこともありません。それはお互いのためでもあるのです。
だから『孤独のグルメ』における井之頭五郎氏は、そういう店ではウーロン茶を頼みます。あまつさえそれをおかわりもします。
レストランでもし、後からワインも少しは飲んでもいいかな、と思っていたら、
「後でメインとデザートに合わせて赤ワインを少し飲みたいので、何か見繕っておいてください」
なんてのもなかなかスマートです。
そんなことを言いながら、実は僕自身も、お客さんの側として度々お店をざわつかせていることを自覚しています。
例えば僕は、イタリア料理のお店で、がっつりした肉や魚のメインディッシュをあまり食べたくなりません。それならばむしろ、パスタを2品頼みたい。しかし実はこれは少々警戒レベル高めのざわつかせとなる可能性があります。なぜなら、イタリア料理店というものは、「スパゲッティ屋さんだと勘違いして訪れるお客さん」を常に警戒しているからです。
なので僕はそういう時、前菜を多めに頼みます。ワインももちろん。そしてダメ押しに、パスタを選ぶときは、
「手長海老のリングイネも猪のラグーも捨て難いなあ。そうだ、メインを諦めて両方にしよう。どっちもメイン級な感じするし!」
と、わざわざ小芝居を打って、勘違いしてるわけではない感をアピールします。
イタリアンはこれでいい。しかし未だにアラートを止める術がわからない店があります。それが小籠包専門店、特にそのランチタイム。
日本の小籠包屋さんのランチメニューはだいたい、小籠包3、4個と、麺飯類のセットになっています。しかし僕が食べたいのはあくまで小籠包なのです。なので、ひとりで行っても頼むものは「小籠包8個の蒸籠を2段」ということになります。
これは経験上、お店の人を100パーセントざわつかせます。本当にそれで間違っていないのかを、念入りに確認されるのです。それだけではありません。たいていの場合「ちょっと中に確認してきます」と踵を返され、戻って来た後にようやくオーダーが確定されます。ちなみに断られたことは今までありません。ただし、他に同じようなオーダーをしているお客さんを見たこともありませんが。
ささやかなアラート対策として、一緒に何かしらちょっとした前菜は追加します。頼みたくなる前菜が無かったとしても「ピリ辛きゅうり」みたいな、あってもなくてもどっちでもいいような物を頼みます。これは実は、小籠包の本場のひとつである台湾の流儀でもあります。つまりこれも小芝居なのです。台湾で小籠包の魅力に目覚めた人間が、帰国後それが忘れられずにお店に駆け込み、当たり前のように現地の流儀を通しました、というのがそのストーリー。
しかし、小芝居はまず通用しません。なぜならば小籠包屋さんのパートのおねえさん方は、本場の流儀なんて知ったことではないからです。なので僕は単なる変なおじさんです。
お店にとっては、「こういうものを、こういう組み合わせで、こういうふうに注文して欲しい」という、言わば理想のスタイルのようなものがあります。そしてそこには大きく3つの理由があります。
ひとつは、身も蓋もないですが「利益」です。例えば居酒屋ではお酒が売れないと利益が出ませんし、フレンチレストランもワインで利益を確保しています。その金額で料理を多く頼んでも同じ利益にはなりません。
ふたつ目はオペレーションです。変則的な注文は、時にお店のオペレーションを乱します。小籠包の大量注文を「中に確認」させてしまうのは、おそらくこれでしょう。
ここまでは言わば経営的な数字の話でもありますが、最後のひとつはどちらかと言うと理念の問題です。世界観と言い換えてもいいかもしれません。お店にとっての「このお店はこうでありたい」という願い、理想を完成させるための、最後のピースはお客さんです。
イタリアンのリストランテでカップルがそれぞれパスタ一皿ずつだけを食べている光景は、シェフに小さなため息を吐かせるでしょう。そこで一緒にシーザーサラダをシェアし、傍にカシオレが置かれ、食後にまたそれぞれデザートとケーキを食べてくれれば、想定に近い「利益」は確保できるかもしれませんし、オペレーションも特に乱しません。しかしそれもやっぱり、シェフの心を少しだけざわつかせます。
お店の勝手な自己実現欲求に、お客さんの側がいちいち気を遣って合わせてあげなければいけない道理は、確かに無いのかもしれません。しかし、(これはあくまで個人的な意見ですが)お店が作り出そうとしている世界観を理解し、それに身を委ねることは、そのお店を最大限に楽しむための最も確実な方法だと思います。変則的な使い方をするにしても、世界観を理解してそれを尊重する気持ちはやっぱりあった方がいいし、そう思っていることを伝えないよりは伝えたほうがいい。そんなふうに思います。
あと付け加えるならば、お店の理想や世界観なんて実のところ知ったことではなく、日々つつがなく決まったパターンで課せられた使命を全うするために尽力している、パートのおねえさん方のことも、本当はざわつかせたくはない。
そのために僕は小籠包屋さんではどう振る舞えば良いのでしょうか。誰か正解を教えてください。
*次回は、3月7日火曜日に更新の予定です。
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稲田俊輔
料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に尽力する。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。現在は全店のメニュー監修やレシピ開発を中心に、業態開発や店舗プロデュースを手掛けている。近年は、食についての文章も多く発表しており、最新刊『おいしいものでできている』(リトルモア)が話題に。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(いずれも柴田書店)がある。Twitter: @inadashunsuke
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
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- 稲田俊輔
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料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に尽力する。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。現在は全店のメニュー監修やレシピ開発を中心に、業態開発や店舗プロデュースを手掛けている。近年は、食についての文章も多く発表しており、最新刊『おいしいものでできている』(リトルモア)が話題に。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(いずれも柴田書店)がある。Twitter: @inadashunsuke
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