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お客さん物語

2023年3月7日 お客さん物語

29.コース料理受難の時代

著者: 稲田俊輔

 コース料理が好きです。財力と時間に余裕があれば、今後の生涯で全ての食事をコース料理にしたいくらいです。割烹とフレンチを中心に、イタリアンもエスニックも中華も、その他あらゆる料理を毎日コースで楽しみ続けたい。

 料理は作るのも好きなので、家では自分で仕込みまでは行い、後はお抱えコックさんに細かく指示を出しておき、夕食の時間になったら一品ずつ仕上げて出してもらうのも楽しそうです。

 石油王にでもなったら、すぐにでもそういう生活に移行したいところです。しかし残念なことに、今後の人生で油田を掘り当てる可能性は、限りなくゼロに近い。なので仕方なく、普段はもっとお気軽な日常食を勝手にコース料理化して楽しんでもいます。

 幕の内弁当だって、僕にとってはコース料理です。崎陽軒のシウマイ弁当は、カマボコを口取りとし、前菜としてから揚げとアンズを楽しみ、シウマイの2個だけをまずお凌ぎと位置付け、その他のものも順番を決めてビールと共に食べ進め、おかずが7割がた無くなったところでようやくご飯に手を付けて、そのコース料理は完成します。計画性無く、箸の向くまま気の向くままにおかずとご飯を交互に食べ進めるなんて、もったいなくてできません。

 お気軽コースと言えばサイゼリヤもそうです。むしろあの店は、自由にコース料理を組んで楽しむためのレストランです。かつてそんな当たり前のことをブログに書いた僕は、世間から一斉に珍獣扱いされ、それがきっかけでモノカキのようなことを始めるに至りました。人生何が起こるかわかりませんね。

 そんな僕は、言うなれば「コース料理至上主義者」なのかもしれません。確かに極端なところはあります。しかし、そこまで極端でなくとも、世の中の人々はコース料理をあらゆる食事の最上位概念として認識しているはずだ、とは思っています。いや、少し違うな。最上位概念であって欲しいと願っている、という方が適切かもしれません。なぜならば世の中には、コース料理が嫌い、という人が少なからず存在するからです。

 それはどちらかと言うと男性に多い、という印象を持っています。女性の方からは「自分はレストランでコース料理を楽しみたいけど男性パートナーがそれを嫌がる」という愚痴を頻繁に聞くのですが、その逆はまず無いからです。それは一部には、コース料理はお金がかかりすぎる、という面もあるでしょう。でもそれだけではないのも確かです。

 実際に「コース料理が嫌い」と断言する方に、嫌いな理由を聞いたことが何度かあるのですが、だいたいこんな答えが返ってきます。

 「間がもてなくてじれったい」

 「好きなものを自由に食べたい」

 「好きなタイミングで好きなように食べたい」

 「堅苦しいイメージがあってくつろげない」

 なるほど、ひとつひとつはなんとなくわかります。特にお酒を飲まない方には「間がもてない」問題は一際切実なようです。堅苦しい、というイメージは、場数をこなせば簡単に払拭されるはずですが、そもそも場数を踏みたくなるような魅力も感じないということなのでしょう。

 コース料理至上主義者たる僕に言わせるならば、コース料理の圧倒的なワクワク感の前にそんな些細な欠点は取るに足らないものである、ということになるのですが、そこはまあ、純粋に価値観の問題ですね。

 これまで、いろいろなジャンルのお店をやってきました。和食に始まり、フレンチや各種エスニック、どの店にもコース料理はありましたし、アラカルトで頼まれても、基本的には順番を考えてタイミングよくそれを仕上げて出すことは使命でした。しかしお客さんの中には常に一定数、それを嫌がる方もいました。そういう方は「出来たものからどんどん持ってきてよ」とおっしゃいます。テーブルがたくさんの皿で埋まると、むしろ嬉しそうです。

 年配男性にそういう方が多かったこともあって、彼らは「昭和の宴会」みたいなムードを再現したいのかな、と思っていました。しかしそんな時代を知る人々が少なくなった現在でも、確実にそういうニーズはあるようです。

 それでもかつては、誰もがちょっと無理してでもコース料理に大枚をはたいていた気もします。接待や会食でそれは欠くべからざるものでしたし、若者たち、特に男性は、異性の心を射止めるために少し背伸びをしてコース料理を予約しました。そんな風潮は次第に廃れつつあり、コロナ禍はそれに更なる追い討ちをかけました。

 もちろんそういう文化は今でも生き残っており、飲食店はやっぱりそれで命脈を保ってもいます。しかし今後ますます、コース料理というものは、限られた好事家のための密かな楽しみとなっていくのかもしれません。

 かつての少年少女たちにとってコース料理とは、憧れの対象だったとも思います。オトナの嗜みであり、高嶺の花。いつか自分も食べてみたい。でもそんな憧れもまた、確実に薄まりつつあるように思います。経済的な事情ゆえに高嶺の花が咲く標高が更に高くなりすぎてしまった、という切実な面もあるでしょうね。

 若い世代でコース料理の価値の凋落を引き起こした要因のひとつが、SNSによる「映え」の概念だったのではないかと密かに思っています。映えを極めるには、カフェのワンプレートで充分、というかむしろその方が適しています。一皿にありとあらゆるものがのっかったスパイスカレーのブームも同じ原理でしょう。

 少し個人的な話に脱線しますが、僕は「インド料理にも(単なるカレー+αではなく)コースの概念を定着させたい」と、ずっと企んできました。それが結局、一皿完結型のスパイスカレーにごっそりいいとこ持ってかれて、若干ほぞを噛んでいます。

 先日、あるイタリアンレストランのランチタイムでの出来事です。

 隣の席に、はたちそこそこくらいの若い女性が座りました。その店のランチはパスタが中心ですが、ランチにしては結構いい値段であるかわりに、どのメニューにもなかなか立派な前菜盛り合わせが付きます。その後にはデザートとコーヒーも付く、いわばプチコースです。

 僕がワインをちびちび飲みつつその前菜を食べ進めていると、隣の席にも同じ前菜がサーブされました。しかし女性はそれに手を付けようとしません。その後、アイスティも運ばれてきました。ランチセットに付いてくる飲み物を、食後ではなく先に持ってくるように指示したのでしょう。しかし女性はそれにも手を付ける気配は無く、時折水だけを啜っています。

 ははーん、と僕は察しました。この女性は、メインであるパスタが来たら、それらをまとめて一枚の写真に収める算段なのでしょう。コース料理至上主義者にはとても共感不可能な行動ですが、そういう価値観が存在することは、ようく知っています。もちろんお店の人も知らないはずはないでしょう。しかし、コトは彼女の計画通りには進みませんでした。

 前菜を食べ終えた僕の前には、熱々のパスタがサーブされました。うさぎ肉のラグーを使ったショートパスタです。そして彼女より後から来たお客さんたちにも、前菜の皿が下がった順番で、次々とパスタが提供されました。

 どうも静かな戦いが始まったようです。食事のしきたりは最低限守って欲しいと願うお店と、あくまで「一枚絵」にこだわりたい女性の冷戦です。[格式vs.映え]の我慢くらべ。この戦いの行方は何処に、と隣でヒヤヒヤしながら、ペコリーノ・ロマーノがねっとり絡まるパスタを頬張る僕。

 幸い、戦いはその後すぐに終結しました。女性は、前菜を片付けない限り、待っているだけではパスタは永遠に出てこないことをさすがに察したようです。店員さんを呼び止め毅然とした態度でこう言いました。

 「パスタ、早く出してもらえますか?」

 店員さんはうつろにも見える表情で「かしこまりました」とだけ答え、数分後に、蟹トマトクリームソースのリングイネがそこに到着しました。僕は彼女がデザートもすぐ出すよう要求したらどうしよう、と勝手にはらはらしていましたが、幸いそこまでは無かったようです。彼女は2つの皿とグラスとカトラリーを良い塩梅に配置すると、そのまま中腰に立ち上がり、テーブルの真上から写真を撮り始めました。

 いろいろあったけど幸せそうなので良し、と僕も安心しました。

 

*次回は、4月4日火曜日配信の予定です。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

稲田俊輔

料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に尽力する。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。現在は全店のメニュー監修やレシピ開発を中心に、業態開発や店舗プロデュースを手掛けている。近年は、食についての文章も多く発表しており、最新刊『おいしいものでできている』(リトルモア)が話題に。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(いずれも柴田書店)がある。Twitter: @inadashunsuke

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