前篇から読む

膨大な名前と〈名のない物〉

中島     ガルヴェイアスの犬』には、ものすごくたくさんの名前が出てきますよね。そして、一つだけ名前がついてないものがあって、それはあの空から落ちてきた〈名のない物〉ですよね。おそらくペイショットさんは名前というものにこだわりがおありなんだなと思うんですが、どういう意図で、このようにたくさんの名前を出されたんでしょう。

ペイショット これは私の5つめの長篇なんですが、最初の長篇ととても重要な関わりを持っているんです。最初の長篇は、基本的に何も、誰も名前を持っていません。舞台となる場所にも名前がなく、いつの時代かもわかりません。実は名前が出てくる人たちも少しいるんですが、それらはどれも聖書からとった象徴的な名前ばかりです。実はその本もガルヴェイアスについて書いたものなんです。大きな違いは、『ガルヴェイアスの犬』ではとにかくすべてに名前がついたということです。『ロミオとジュリエット』でも言われているとおり、名前はとても大事です。私たちの身のまわりの人が、もし違う名前だったら?――ちょっと考えにくいですが、でもやっぱり、きっと違う人になっていたと思うんです。名前によって、名づけることによって、人物が大きく変わるということがある。私は、とにかく出てくる人々全員に名前をつけました。何人出てきたか、数えたことはないんですが。書評をしてくださった日本の方が数えてくれたそうで、99と聞きました。とても良い数ですね。

中島     たしかに良い数ですね。期せずしてその数字。

ペイショット はじめにタイトルをガルヴェイアスにしたという時点で、そのことが小説に影響を与えるわけです。いわば母の名前をタイトルにつけたようなもので、それはある程度の制約になります。その名前のもとで書いてはいけないもの、書けないフレーズというものがある。本当に現実にそこにあるガルヴェイアスに対して、何というか、責任が生じるんですね。

中島     実際にここに住んでいる方がいることや、そういう方が読んだりすることを考えると、ちょっと怖いような気もしますが、そういうことはなかったですか。この作品を読んだガルヴェイアスの方々の反応はどうでしたか。

ペイショット 小説の冒頭で空から落ちてきた謎の物体は、もしかしたらこの本だったのかもしれない。というのも、ガルヴェイアスの人たちは本を書いてくれと頼んでたわけではなくて、彼らにとってこの本は、思いがけず、頼んでもいないのに自分たちの上に落ちてきたものなんです。そして、本によって何かが変わってしまった。本を読んだ人たちが実際にガルヴェイアスにやってきて、どれどれって見て回ったりするわけですから。でも実際のところ、本は村の人たちにもとても好意的に受けとめられています。まあ村の人たちはみんな、僕のことを知っていますので。みんな、僕がちっちゃいころに一緒に遊んだ人たちですから。
 ポルトガル内陸部の田舎がだいたいそうであるように、ガルヴェイアスも過疎化と高齢化に苦しむ小さな村です。自分たちの村の名前をテレビやラジオで聞く機会なんてまずありません。なので村の人たちは、僕がテレビに出て村の話をしたり、あるいは本の表紙に村の名前が出ているとか、そういうことをすごく喜ぶんです。

実話とフィクション

ペイショット ガルヴェイアスはパラダイスではありません。本を読んでいただくとわかるとおり、ひどいこともたくさんあります。それでも村の人たちは、この本は村へのオマージュだということ、村に住む人々へのオマージュだということをちゃんとわかってくれています。村であった話をすべてポジティブに書くことは私にはできないし、村の人たちみんなをヒーローのように描くこともできませんでした。そんなことをしたら、みんなを非人間的なものにしてしまうことになります。あそこにいる彼らではなくなってしまう。「これはあなたたちだよ」と言っておきながら、実際はぜんぜん違うものを書く、そういうことはできません。
 ガルヴェイアスの住民たちが大半の読者に比べて有利なのは、出てくるエピソードのどれが実話で、どれがフィクションであるかを知っているということです。そして、大半の読者が「これは嘘だろう」と思うものは本当で、「これは本当にあったのかな」と思うものはだいたい嘘です。

中島     それはすごく面白いですね。ガルヴェイアス生まれじゃないのがなんかちょっと残念です(笑)。本の冒頭、何かが降ってきて、そうしたら、何かがすっかり変わったという話に普通なると思うんですよ。で、たしかに硫黄が水の味を変えてパンの味を変えてしまうんですが、でも「名のない物」は最後まで謎を抱えたままだし、「ガルヴェイアスは死ぬわけにはいかない」っていって終わる。つまり、何かが降ってきたことで、何かが変わってしまうというよりは、ある意味そこが守られるというか、そこにあるもののことが、ちょっと理解されるというか。そういう不思議な終わり方なんですよね。それがとても私には印象的でした。

犬たちの見る世界

中島     そろそろ最後の質問になると思うんですが、みなさん聞きたいことだと思うのでお訊ねします。この小説には、とにかくたくさん犬が出てきますね。ガルヴェイアスにはこんなに犬がいっぱいいるんですか。

ペイショット ガルヴェイアスの犬たちも、いまは80年代ほど自由には歩きまわってはいません。昔は犬はみな好きなように、自分で面倒を見て生きているような感じでした。私も犬を飼ってたんですが、勝手に自分でドアを開ける犬でした。開けるけど閉めない。開けてどこかに行ってしまう。それでも誰も心配しなかったんです。というのは、別に犬が出ていってしまったところで迷うことはない。小さいころ私には犬の友達がたくさんいました。自分の犬もいたし、近所の飼い犬もみんな知っていました。学校に行く途中で会う犬もみんな知ってましたし、どの犬がどのへんを歩いているかも知ってました。というのは、子どもも犬と同じぐらい自由でしたので。

中島     どんな種類の犬ですか。

ペイショット みんな雑種ですね。

中島     みんな自由に暮らしてるから(笑)。

ペイショット 実はポルトガル語の原題は、「犬」なしの『ガルヴェイアス』なんですが、邦題に「犬」がついたのは、すごく良いと思いました。冒頭から、もうありとあらゆる膨大な数の犬が出てきます。その犬たちが大きな声で吠えたてるんですが、車が通らないので、それが夜に唯一聞こえる音なんです。村の端っこのほうで一匹犬が吠えると、反対側のどこかで犬がそれに応えて吠える。聞いてると、あれはちっちゃい犬だなとか、あれは大きい犬が吠えてるなあとかわかる。それが、これから物語がどんなふうに進んでいくかを示している。読者はそれと同じやり方でガルヴェイアスの住民たちを知っていくことになる。

中島     読者は、いろんな犬が吠えるのを聞くのと同じように、いろんな人々の人生を知っていくんですね。

ペイショット そうです。犬たちは作品の中でとても重要な役割を持っています。というのは、人間たちが知りえないもの、人間たちにとっての謎について、犬たちは完全に理解しています。ただ、それを人間に伝えることはできない。犬たちはその謎を瞳に湛えている。なんとか目で私たちに訴えようとするけれども、それがどうしても伝えられない。
 そういうのは、よくあることだと思うんです。作家にとってもそういうことはあるんです。私たちはたくさんのページを埋め尽くすほどの言葉を書きますが、でも本当に本当に核となるいちばん大事なところは、読む人の側でわかってもらうしかない。それを期待するしかないんです。そして、本を読んだ人たちの目を見て私は「あ、通じてるかな? どうか通じてますように」と思うしかない。すごくすごく深いところにあるものを見つけたとき、それを表現する方法にはどうしても限界があるんです。その限界の先にあるものを伝えきることは、どうしてもできない。でも次はもうちょっとその境界を広げて、もうちょっと伝えられるかもしれない、もうちょっとできるかもしれない、それを求めて書き続けています。

中島     本当にそうですね。今日はありがとうございました。

 
 

通訳:木下眞穂、清水ユミ
協力:ポルトガル大使館、紀伊國屋書店新宿本店

ガルヴェイアスの犬 (新潮クレスト・ブックス)
Jos´e Lu´is Peixoto /原著
ジョゼ・ルイス ペイショット/著
木下 眞穂/翻訳

小さいおうち (文春文庫)
中島 京子/著