2026年10月9日
母親とのつながり、そしてエロスのゆくえ
著者: 河合俊雄
村上春樹さんの3年ぶり16作目となる最新長編小説『夏帆 The Tale of KAHO』。7月に発売され、早くも30万部突破のベストセラーになっています。
これまで村上作品をユング心理学の視点から分析し、『謎とき村上春樹 「夢分析」から見える物語の世界』、『村上春樹で出会うこころ』を上梓した臨床心理学者の河合俊雄さんに、あらためて『夏帆』を心理学の視点から読み解いてもらいました。
夏帆は本当に「主人公」なのか?
村上春樹の新作『夏帆』には、これまでのモチーフを受けつつも、新しい興味深い展開が見られる。村上春樹についてこれまで2冊の著書を世に問うてきたのと同じように、ここでの関心はいわゆる文学評論ではなくて、作品がどのようなリアリティ、特に心理的リアリティを描き出しているかに焦点を当てたい。
『夏帆』は村上春樹に珍しく名前をタイトルにした小説で、「夏帆」という若い独身女性の絵本作家が主人公であるように見える。話は夏帆が謎の男性とブラインドデートをするところからはじまる。様々な不思議なことが夏帆の身に降り掛かってくるが、「これはあなた自身の世界の物語である」と言われている。つまりいくら自分に関係ないような不思議なことが生じていても、「中心人物であるあなたが引き受けなくてはならない責務なのです」というように、夏帆は自分の物語の主人公なのである。
しかし夏帆が本当にいわゆる主人公であるかは疑問である。多くの村上春樹の作品において、「僕」というのが語り手であって、アクティヴな主人公とは言えないのと同じように、この夏帆も作品のなかでそのような位置を占めている。後でも述べるように、むしろ問題になるのは夏帆の母親であり、それに取り憑いたシロアリの女王との関係なのである。もちろんそれには夏帆の親子関係が大きなテーマになるが。
語り手と物語の関係とは?
夏帆はいろいろな出来事に巻き込まれていき、その中で判断を迫られて行動するが、その際にはあくまで相手が中心である。たとえばブラジルから渡ってきて床下に住みついたありくいの夫婦がブラジルのシロアリの瓶詰めを必要としていて、それを手に入れるために夏帆は夫婦を助ける。しかしそれはあくまでありくいの夫婦のためであって、夏帆は補助的な立場にある。またありくいの夫婦はブラジルからジャガーに追われて日本に逃げてきたが、そのジャガーが近くに迫ってくる。とぎやの主人に取り憑いていたジャガーを刺し殺したのは夏帆であるが、それはありくいの夫の指示に従ってで、しかも最後は自らの意志というよりはありくいの夫に押されてジャガーを刺すことになる。
語り手の位置というのは主人公というより作者と作品の関係にも似ているかもしれない。夏帆は、ありくいの夫婦やジャガーと体験したことを元に絵本を作っていく。しかし絵本の物語は自律性を持っていて、作者の思い通りには進まない。後に夏帆の苦境に重なる形で、一人の小さな女の子が隠された秘密の出口を探し求めるストーリーを描いた絵本では、もっと自分の思うようにならない。夏帆は物語の中心であると同時に主人公ではないような、微妙な位置を占めているのである。
しかし考えてみると、これがわれわれの現実ではなかろうか。われわれは必ずしも世界の中心にいるのではなくて、様々なことに参与し、そこで補助的な役割を果たしている。われわれの夢もそうで、われわれはそのなかで決して主人公ではなくて、中心となるのは夢の物語であって、夢のなかのわれわれはそれを見まもり、参与しているだけである。むしろ全てが自分を中心として物語ができていると思ったとしたら、それは妄想になるであろう。すると関係のないはずの人も自分を見張っている、追跡している、連絡を取りあっているというように妄想的に思うようになる。精神病理的には、これはむしろ自分の弱さを自分を中心とする物語を妄想的に作り出して補っているに過ぎない。
憑依・解離・前近代の世界
夏帆には夢のような夢ではないようなリアルな状況で、ヴィジョンのようにありくいの奥さんが登場してくる。とぎやの主人にはジャガーが取り憑いてしまう。さらには夏帆の母親にはシロアリの女王が取り憑いているようで、行動や人格が全く変わってしまったようである。また守護天使としての猫のスカーレット・ヨハンソンも登場してくる。
現代の心理学は、夏帆の母親の状態を解離性障害とみなすであろう。つまりこれまでの開業医の慎ましやかな妻が、服装も下着も派手になり、ありくいの奥さんによれば不倫もしているようで、人格が解離しているのである。有名なイヴ・ホワイトとブラックの二重人格の事例が思い起こされるかもしれない。しかしこれは近代の個人で閉じられた人格という考え方によっているからで、前近代の世界ではこころは個人で閉じられておらず、世界に広がり、様々な霊と交流が可能であった。だから何かの霊が憑くことは極めて普通である。エレンベルガーが現代の深層心理学の祖先を探っていった大著『無意識の発見』には、日本の狐憑きの事例が紹介されている。
さらにはトーテミズムの世界では、ある家族や部族はある動物と同一化して生きており、この作品のなかで様々な動物が重要なのもそのような世界観に近いと考えられる。村上春樹の作品における、ありえないように思えることも、前近代の世界観からすると理解できることが多いのである。
別次元と夢のようで夢でない状態
ありくいが突然現れるように、夢のようで夢でないという次元がこの小説ではたびたび生じてくる。現代の心理学によれば、夢はあくまで象徴的なものである。つまり夢にたとえば父親が出てきても、それは実際の父親ではなくて、夢見手個人にとっての象徴的な意味を示している。だから夢で父親と言い争っていても、それは必ずしも現実の父親と何かの葛藤があるとか、争いが起こる予兆であるとかいうのではない。夢見手にとって父親との対決の必要が生まれてきていたり、それどころか父親ではなくて、父親的な権威とぶつかる必要性が生まれてきたりしているというように象徴的な意味が示されている。
しかしこの作品でもしばしば見られる「夢のようで夢でない」という次元は、象徴的なものではなくて、むしろ現実そのものである。拙著『夢とこころの古層』で明らかにしたように、夢には象徴性を超える直接性の次元があり、村上春樹の作品では、そのような現実に直結するようなものが扱われていることが多い。たとえば『謎とき村上春樹』で取り上げた『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』において、つくるが寝ていると隣室で寝ているはずの哲学青年の灰田が夢のような夢でないような状況で現れ、性的な関係をつくると持つシーンがある。
これも前近代の世界においては、夢がそのような次元を持つことは自明であって、特に古代においては王や天皇の見る夢が決定的なリアリティを持っていた。コロナ禍で有名になった、疫病が流行したときに崇神天皇がそれを解決する夢を見たのはその典型的な例である。
このようなことは啓蒙主義を経て、自然科学の世界観が支配する現代においては消滅したと思われるかもしれない。しかし心理療法を行っていると、身体疾患から回復するとき、死に瀕したときなどの極限状態において、夢が象徴性を超えて、直接性の次元に達して、いわばわれわれのこころの古層が姿を現すことがある。この作品をはじめとする村上春樹における「夢のようで夢でない」次元とは、そのようなこころの古層での現実が姿を現しているときなのである。あるいはそのような「夢のようで夢でない」次元とは、いわゆる現実とも、象徴としての夢とも異なるその中間のようなリアリティなのである。
母親との希薄な関係
夏帆の母親との関係は希薄である。それもこれまでの村上春樹の作品に共通するところで、家族関係で生きていない、一人になってしまった現代的な人物を描いているのが特徴的であった。だから家族については、処女作の『風の歌を聴け』から『スプートニクの恋人』に至るまで、「ふつうの親子関係」として特にふれられることがない。それが生育史から人を理解しようとするいわゆる心理学的な解釈では及ばないところである。
しかしこの作品では親子関係について説明がなされている。なぜ母親との関係が希薄だったのかは、母親は娘である夏帆の思わぬ妊娠によって自分の可能性を諦めたところと関係がある。そして母親は自分のできなかった夢を娘に託したものの、夏帆は全くそのようにならなかった。
派手な服装をして活発に外に出かけている母親は、生きることのできなかった部分を生きようとしているとも言えるし、それは夏帆の女性としての生き方と真逆である。二年余り交際していた同年齢の恋人との関係を絶ったばかりで、冒頭のブラインドデートした男性に、あまり根拠のない挑発とはいえ「君みたいな醜い相手は初めてだよ」と言われた夏帆は、女性的なものからは距離を取っている。
刺すことで、つながりなおす
もっともこの小説のなかでは、これまでと違う姿の母親はシロアリの女王に取り憑かれていることになっている。それに対して夏帆は、なんとかしてシロアリの女王から母親を取り戻し、母親と和解したいと思っているのである。
実家に乗り込んだ夏帆は、やはり夢のような夢でないような状態で、自分の母親の姿をしたシロアリの女王に殺されそうになった後で、とぎやにといでもらった特別な刃物で、母親を刺し、シロアリの女王を殺さないといけない。これは前近代の世界からすると、取り憑いた悪い霊を取り除くことであり、現代的に言えば母親の超個人的な部分を排除して人間的な母親とつながることとも言えるし、また母親を一度切ることによってつながりなおすこととも考えられる。紙面の都合上詳しく扱えないが、その時の夏帆の葛藤は非常に興味深い。
夏帆が鋭い刃物を母親の胸に突き刺し、シロアリの女王を抹消した夢のような出来事の翌日に、体調の悪かった母親は回復していて、何ごともなかったようである。「またこちらにも遊びに来てちょうだいね」と母親から親密なことばをかけられたのははじめてだったというのは、二人の間につながりが生まれたことの証拠かもしれない。
二人の関係は、全く実際の対決を経ずに変わったところが興味深く、あたかも心理療法を受けて、母親のイメージが変化すると実際の母親との関係が変化したり、夢での母親のイメージが変化したら、実際の関係も変化したりすることもあるのに似ている。しかしここでは、夢のようで夢でない次元でシロアリの女王が殺されたからこそ変化が生じたのである。また二人の関係が変わり、つながったことは示唆されるが、なんとなく感じられるだけで、二人の間で意識的に確認されないのも特徴的で、興味深い。
男女の性的なつながり
この作品は、ブラインドデートの失敗からはじまる。母子関係だけでなくて、この作品の裏にあるテーマは男女のつながりである。夏帆は男性とつながっていない人である。ちょうどそれとは対照的に、夏帆の母親は、シロアリの女王に取り憑かれるという形で、男女のロマンチックで性的なつながりを生きはじめようとしている。
過去の村上春樹の作品を見ると、多くの女性は直接的な性的つながりを生きていた。たとえば『1Q84』における青豆である。しかしこの作品では、シロアリに取り憑かれた夏帆の母親が、実際に不倫をしていたり、たとえば夏帆がブラインドデートをしたBMWのモーターサイクルに乗る男性と関係を持っていたりしたかどうかはわからない。ましてや性的なシーンの描写もない。それはロマンチックな愛や、性的な関係が、もっと心理学的な意味で重要になっていることを示唆しているように思われる。暴力についても同じことが言えよう。
心理療法を営み、また同僚たちから多くの事例を聞いていると、夏帆の母親のような50代、いやそれどころか60代、70代の女性のパッションは大きなテーマであろう。それに対して男性は夏帆の父親のように、仕事と社会ですり減ってしまっていることが多い。夏帆と母親の関係として見ると、この作品はすばらしい結末を提供してくれた。しかし心理療法、特にユング心理学からすると、シロアリの女王の具現しているエロスのような側面は重要なものである。何も西洋の心理学が主張するようにそれが統合されねばならないとは思わないが、それは排除されてしまったのであろうか。守護天使を名のるモーターサイクルの男性の位置づけが、少し曖昧なままにとどまるのと同じように。
この小説の最後に、「本当に長いあいだ夏帆は縁側に座って、身を振り絞るように泣き続けた」とある。これは男女の次元がすれ違いに終わったことと関係しているのであろうか。それどころか、様々な不思議な存在は、昔飼っていた猫がいなくなったことに対して母親が「ねえ、みんなそうやっていつかはいなくなってしまうのよ」と言ったように、いなくなってしまったのであろうか。それはこの結末のように、物語を書くことにしか残っていないのであろうか。しかし物語は逆説的に、夢のようで夢でない次元をリアルに示してくれ、また失われたかのようなものを甦らせてくれるのである。
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河合俊雄
1957年、奈良県生まれ。臨床心理学者、ユング派分析家。京都大学大学院教育学研究科博士課程中退。チューリヒ大学で博士号取得。京都大学こころの未来研究センター教授・センター長を経て、京都こころ研究所代表理事。国際分析心理学会会長などを歴任。『ユング派心理療法』、『心理療法家がみた日本のこころ』、『ユング――魂の現実性(リアリティー)』、『心理臨床の理論』、『夢とこころの古層』、『謎とき村上春樹 「夢分析」から見える物語の世界』、『村上春樹で出会うこころ』、ユング『赤の書』など著書訳書多数。
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はじめまして。2026年7月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、松本太郎と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
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目次には当代随一の執筆陣がずらりと並び、B5判240ページの誌面の隅々から知の香りが立ちのぼってくるかのようでした。
当時、入社3か月の営業部員だった私は、見上げるような思いで手に取り、発売日には編集長の松家仁之さんと創刊のご挨拶のために書店にうかがいました。
まだ書店訪問にも慣れておらず、編集長ともほぼ初対面の中、次のお店の約束の時間に間に合うだろうかと時計ばかりが気になって、終始、そわそわしていました。そんな私に松家さんがやわらかな笑顔で接してくれたこと、そして、新雑誌の門出を祝うようなすっきりと晴れた一日だったことを覚えています。
あれから四半世紀が過ぎ、ウェブマガジンとして衣替えした今でも、創刊時に掲げられた「Plain living, high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という言葉は古びていません。AIに尋ねれば瞬時に答えが返ってくる時代だからこそ、それらしい言葉に飛びつくのではなく、自分の頭で考え、心の声に耳を澄ませることの大切さは増しているように感じます。
創刊号には、養老孟司さんのロングインタビューが掲載されています。養老さんはその中で、恩師である中井準之助先生の口癖だった「人の心がわかる心を教養という」という言葉を紹介しています。
読んだ瞬間に立ち止まり、さまざまな思いが湧き上がってくるような文章に、楽しみながら出会える場であり続けたいと思っています。
「考える人」編集長
松本太郎

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