4月30日(月)
生きづらさを乗り越えるための哲学、居場所をつくるための思想、みたいなキャッチフレーズが流行ってる。私の本もそういうもののひとつに入れられているのかもしれない。
もちろんそれはそれで大切なことだが、もともと哲学とか思想って、むしろできるだけ生きていくのに邪魔な、生きづらくさせるような、居場所をなくさせるようなものだったのではないかと思う。
どちらがいいかはわからない。生きづらくさせる哲学、みたいな言い方をするとかっこいいけど、単に自意識をこじらせて他人を傷つけてるだけのときもあるだろう。
『読めば読むほど社会に居場所がなくなる社会学』でも書いてみようか。
仕事のやる気がまったく出ない。のんびりしている場合ではないのだが、それにしても「書く」という作業は、スイッチが入らないとどうしようもない。とか言うとまるで大作家先生みたいだが、何を書くかというと、学内の研究予算の申請書類です。あと、次の本。
本を書かないといけない。本を書くぞ。
いい本って何だろう、って考える。売れる本じゃなくて、いい本。
まず、普通に、タイトル大事だ。いろいろ実名をあげて「ダサいタイトル」の例をここで書きたいが、やめとく。なんしかタイトル大事だ。それから、表紙のデザインも、ものすごく大事だと思う。これはおしゃれにすればいいってもんじゃなくて、それ自体が中身を反映してることが大事。しかしまあ、最低限の美しさは必要だろう。いろいろ実名をあげて「ダサい表紙デザイン」の例をここで書きたいが、やめとく。
あと中身についていえば、やっぱり全体を統一するコンセプトとか、あるいはわかりやすいキャッチフレーズも大事だ。この本がどういう本で、なにを主張しているのかが一発で伝わらないといけない。
特に後の方の、中身に関することは、一般向けの人文書でも、せまい業界向けの学術書でも変わらない。というか、ちゃんとコンセプトや「ストーリー」がはっきりしていれば、学術書でも一般の方がたに読んでもらえる。
じゃあそれをどう作ったらいいかといろいろ考えていくと、結局書き手の「熱量」「気合」「魂」みたいな話になってきて、結論としては、「どうやって作ったらいいのか僕にもわかりません」ということになる。
ただ、まあ、ほんと一般論だけど、読んで面白いなあ、ああこの本いい本だなあと思う本は、やっぱり書き手がこだわって、ちゃんと考えて、一所懸命汗かいて書いてるなあと思う。
自分のことは棚に上げておきますね。
5月1日(火)
先端研に中国から欧陽さんという留学生の方が入ってこられて、ゼミで自己紹介をしているときに「やっぱりつぐなうんですね」と言ったのだが反応がなく、家に帰っておさい先生に言ったら「それは欧陽菲菲ではなくテレサ・テンだし、そもそもいまの若い子は両方とも知らない」と指摘された。
ちなみにこの話をここに書くことは、本人さんから許可を得ています。ありがとう。
友だちのメキシコ人タトゥー・アーティストがもうすぐ大阪に来るらしい。また会うのが楽しみである。日本語勉強中らしく、こないだFBで「#おめでとう」「#わがまま」「#ときめき」というタグをつけていた。
GWということで、海に行って、フィルムカメラで写真を撮ってきた。カメラはKyocera tproof。とても良いカメラで、きれいに撮れた。
フィルムで撮ると誰が何を撮っても必ずノスタルジックになるのだが、それは昭和の時代の記憶があるからだろう。フィルムの写真しかない時代の記憶がどこかに残っていて、それが蘇るのだ。
ある表現の意味や印象は、その表現の社会的・歴史的な「用法」が決定する。フィルムの写真の化学的・視覚的な「本質」によって決まるのではない。
こう書くといかにも社会学っぽい文章になります。
5月2日(水)
八つ墓村と犬神家を間違えているひとを見つけて淡々とRTするアカウントを発見して、ずっと見ている。ずっと見ているうちに八つ墓村と犬神家が見たくなってきた。
Amazonプライムに入ってたので、さっそく八つ墓村を見た。
めっちゃおもろいやん。
しかしこれもう40年も前の映画で、八つ墓村の舞台になったあの村のあの感じは、もういまでは撮影できないだろう。あの、江戸時代よりもっと前からそのまま続いているような村の感じは。この映画に登場する八つ墓村は、前近代のままの姿で撮影された、最後の日本なのかもしれない。知らんけど。
40年前の人びとは、この映画をどう観ていたのだろうか。「田舎怖ぇええ」と思って観ていたのだろうか。
八つ墓村の世界は、いまの若いひとたちからすると、まるで別の国の話みたいに思えるだろう。40年前は、農村を捨てて都会に集まった人口が定着していく時代で、だからすでに日本は近代的な国家になっていたのだが、前近代的な農村の記憶がまだまだリアルに残っていたのだろう。たぶん、当時の人びとにとって、この映画はとてもリアルな、怖い映画だったのではないだろうか。
知らんけど。
ちなみに八つ墓村は、「足がさかさまになってないほう」である。
というこの文章を、夜中、小さなラジオを小さい小さい音で鳴らしながら書いている。何を言っているかわからないぐらいの小さな音で。
ぎりぎり「言葉である」ことはわかるけど、その意味まではわからない、それぐらいの音量で、小さな音質の悪いスピーカーから、アナログの音声を流していると、とても落ち着く。意外なほど仕事に集中できる。この日記が「仕事」なのか何なのかわからないけど……。
眠れない夜にホワイトノイズを流すアプリなんかはあるけど、アナログのラジオもおすすめである。言葉の内容や意味がわからないぐらいの音量にするのがコツだ。
こういうのって、人工的に合成できないのかな。言葉である、ということはわかるけど、その意味や内容はわからないような、擬似言語的なノイズ。
外国語放送を聴けばいいのか。
いや、そういうのとちゃうねん。
5月3日(木)
今日もまた、ある本の表紙に使うためという理由で小さなフィルムカメラを持ってちょっと遠出して、淀川で散歩。とても、とても良い天気で、日の光が輝いて、広い河川敷公園に強い風が吹いていて、新緑の草の穂先やタンポポの花が、音楽のように風に揺らいでいた。
この季節がほんとうに好きだ。ゴールデンだよ。
こういう日が一年のうちに何日かあれば、それで生きていけると思う。そんな日。
ぜんぜん仕事進んでないけど。
しかしフィルムの写真撮って、アナログのラジオを聴いて、よく考えたらアナログレコードもさいきん聴いてないけどたくさんあるし、あと趣味でウッドベースとか弾いてて、自分でもけっこういろいろヤバいのではないかと思う。なんていうか、ダメなんじゃないか。俺の生き方。いろいろと。
まだ「金はまったくかけてない」分、マシか。カメラは貰いものだし、ラジオは2000円ぐらいのやつだし、ウッドベースは大学1回生のときに買ったやつだ。
それでもやっぱりなんかダメなんじゃないか俺。蕎麦の手打ちとかやりだしたら、俺を止めてください。「俺がゾンビになりそうになったら、俺を撃ち殺してくれ……」

5月4日(金)
「すべての批判はやっかみ」は偽だが、「批判のうちのあるものはやっかみ」は真。
仕事ぜんぜん進まず。撮りだめしていたフィルムを現像に出す。驚くほどきれいに撮れている。Kyocera Tproof ほんとに良いカメラやなあ。みんなもフィルムで写真撮ったらいいと思う。
もうGWも残りわずか……。やっぱりずっと缶詰っていうわけにはいかんかった。といっても、近所を散歩して写真を撮っただけなんだけど。
有斐閣の私の担当編集さんが、GWに彼女と一泊旅行しててうらやましいので、ここでバラしておく。あいつGWに彼女と一泊旅行してますよ! 有斐閣の社長さん見てますか!
今朝、洗い物をしながらコーヒーを淹れていたら、キッチンの窓から、このへん全員の母親である三毛猫(通称「みけやん」)がすごい勢いで走っていくのが見えたら、そのすぐあとから、最近この近辺で我が物顔に暴れまわっている茶トラ(通称「茶トラ」)が追っかけてきた。
窓からずっと見てたんだけど、ふたりとも私から見られているのに気づかず、猫社会における追いかけっこに没頭していた。
見られていることに気づいてない猫は、かわいい。そういう猫を、隠れたところからじっと見ることは楽しい。
そしたら茶トラが私の気配に気づいて、ぱっとこちらを見た。目があった。
見られていたことに気づいた猫もかわいかった。
しかしこのGW、1日だけ雨が降ったけど、そのほかはずっと、とてもとても良い天気で、草木も新緑で、花もたくさん咲いていて、世界がほんとうに美しい。
いまぐらいの気候が大好きだ。できればこのまま一生暮らしたい。
できれば海辺で、そのへんになってる果物かなにかをもいで食べて、一日中、ヤシの木の木陰に座って、海を見て暮らす。日向は暑いけど、日陰は涼しい。
夜になったらそのへんの木の根っことかに葉っぱを敷き詰めて寝る。
でも虫が嫌いなので、虫とか蛇とかは存在しないものとする。病気もない。飢えたりすることもない。日照りも寒さもない。かわいい猫とか犬とかと一緒に、ずっと青い海を見て暮らす。
それ「死後」か。
本読みたいなあ。書いてばっかりでぜんぜん読めてない。ここ数年、生活史、ライフヒストリー、ライフストーリー、オーラルヒストリー、エスノグラフィーで検索してひっかかる本を片っぱしから買っている。どんな対象、どんなテーマでも買っている。買ってるだけでぜんぜん消化できてない。
そのうち、このなかから、地味だけど面白いものを紹介する仕事をしたい。広く知られていないけど面白いもの、このなかにたくさんある。
5月8日(火)
ぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼり。
ゼミ中、何の音かと思ったら、立岩真也が物凄い音を立てて柿ピーを食べていた。
自由か。
そんな先端研です。合同でゼミやってるんだけど、他の教員と一緒にやるのがすごい楽しい。こないだ買った小さいラジオとおなじやつをもういっこ買って、研究室にも置いてみた。とても良い。なに言ってるかわかんないぐらいのボリュームのひとの声が聞こえてると、逆に仕事に集中できます。同じことばっかり言ってるな俺。
先日、東京の上野で北田暁大と待ち合わせをしたら2時間遅刻されたのですが(Aさんと2時間サシで火鍋食って待ってた)、きのうは大阪の梅田で待ち合わせしたら、4時間早く来られた。
おさい先生「差し引き2時間の勝ちやな」。
阪神百貨店の黄老で中華食ったあとマルビルの上のバーで飲んで、まだ飲むというのでそのあとお初天神の知らんバーへ。雨のGW最終日の日曜日でどこも空いてるかと思ったらどこもけっこうお客さんいた。大阪も景気がよくなりますように。
17時から2時半まで飲んだ。9時間半か。
そして昨日は激しい二日酔いのなか、朱喜哲さん、矢田部俊介さん、Takuya Kuratsuさんと天満で飲む。楽しかった……しかし推論主義難しい……。
難しいんだけど、勉強します。
というわけで、関西で分析哲学と量的と質的で研究会をやろうということに。いま主催してる研究会(大阪社会調査研究会)も開店休業中なので、そちらに統合して一本化しようかなあ。
「バンドやろうぜ!」のノリで研究会を立ち上げるのは悪くないけど、ひとつ立ち上げたらひとつ減らすのも大事。
5月10日(木)
昨日も飲んでしまったので4日連続飲んだことになる。昨日は先端研でピンでやってる授業に、モグリもたくさん来てるんだけど、延長して20時半ぐらいまでやってて、そのあと今日もみんな来たしせっかくやし1杯だけ飲んでくか、いうて21時に大学近くの居酒屋に飛び込んで22時まできっかり1時間だけ飲んでさくっと帰った。
今日は学部生むけにやってる授業。なぜか事務の方が見学に来られていた。
モグリが多くて教室が手狭だったので、もっと広いところに替えてもらって、新しい教室で。
前の教室は地下の、真っ暗な、じめじめした教室で、狭くて、おまけにチョークが一本もなかった。
新しい教室は、広くて、設備も新しくて、壁も真っ白で、大きな窓から明るい日が差し込んでいて、チョークが一本もなかった。
事務の方に取ってきてもらうが、事務室にも3本しかなかったらしい。その3本でなんとか授業をした。
だれか立命館大学にチョークを買ってあげてください。
延長して学生や院生からの質問や相談に対応して、さすがに今日は研究室でおとなしく事務仕事をしておとなしく帰った。
そしてナタリア・ラフォルカデを帰りの電車で聴いた。何度も何度も聴いているのだが、今日もまた鳥肌が立った。
電車でうっかりきなこの写真を見てしまう。
5月15日(火)
当たり前のことだし何度も書いてますが、忙しいと日記を書く暇がない。日記を書く暇があると書くことがない。なんか「人生の本質」みたいだけど別に普通のことを言ってるだけだ。
まあしかしでもやっぱりなんかそれ人生の本質やな。
5月19日(土)
こないだゼミで「ナラティブってどう思いますか」って聞かれたので、とりあえず「奈良っぽいよね」って答えた。
今朝早く、郵便局に行くために玄関のドアをあけたら、最近このへんででかい面してる白茶のぶち猫がそこにいて、10秒ぐらいお互い目を合わせたまま固まって、お互いに「お前なんでこんなとこおるねん」ってなった。そしてお互いが「いや、ここ俺んとこやで」ってなって、「お前こそなんでこんなとこおるねん」ってなった。
そのあとすごい勢いで走って逃げてったけど、そっちもウチの敷地なんだけど。むこうも「ウチの敷地なんだけど」って思ってるだろう。
しかしあいつほんま、さいきんこのへんの子全員の母親である三毛(「みけやん」)をいじめたりしてて、ちょっと調子乗ってるわ絶対。いっかい腹割って話せなあかん。
というわけであいかわらずちょこちょこ忙しい。本を読む暇がなくて困っているが、それでもなんとかちょこちょこページをめくっている。おもしろかった本はまとめて自分のブログで紹介したい。
えーと、先週は東京へ行った。たしか、行ったと思う。ある私立の女子中学校で講演会だった。都会の街中に、立派な芝生のキャンパス。大正時代に建てられたという洋館が現役で使われていた。こんなところで俺みたいなおっさんが喋っていいのかな、と思いながら、600人の中学生のまえで喋った。なんとか笑いを取れたようでよかったです。夜は新橋で飲み会。ビール、ビール、ビール、最後はテキーラ。よう飲んだ。帰りはひとりで新橋から浜松町まで歩いた。東京タワーがきれいだった。
いつも泊まる宿が浜松町にあって、ここ3年ぐらい月イチぐらいの勢いで通っているので、だんだん浜松町に愛着がわいてきた。雑居ビルとチェーン店しかない街だけど。
次の日は東京プリンスホテルのカフェで写真家の宇壽山貴久子さんと初めてお会いして、ポートレートの打ち合わせをしていただく。たいへん光栄です。
私がFacebookで「カメラの絞りとシャッタースピードがぜんぜんわからん」とぼやいていたので、いろいろと教えてもらった。雨のなか浜松町まで送ってもらったりとか、なんかいろいろすみません……。
今週は会議、院生の相談、教授会、授業、授業、授業、書類、授業、院生の相談。昨日は大阪のブラウニーでライブ。ボーカルの方がゲストで、お客さまもたくさん。
帰りに、私のライブをひさしぶりに見にきてたおさい先生から「音程が悪い」とダメ出しをされてガチで凹んだ。夜中の牛丼屋でビール飲んで帰って寝る。
今日は大掃除、買い出し。夜に甥っ子と姪っ子が泊りにくる予定。
しかし土日に東京とか沖縄の出張を入れると、結局2週間以上連続で休みがないことになって、けっこう体がしんどいな。途中で酒を飲んだりライブが入ったりしてるんですが、それでもやっぱりしんどい。
なんかさー(とつぜん喋り口調)、この歳になるとさー、ほんと自分のメンタルを保つのがいちばん大変やんな。とつぜんわーっと思い出して怒ったり落ち込んだり恥ずかしくなったり俺はもうダメなんじゃないかと思ったりする。そういうときは一瞬で気持ちを切り替えて、ああいま血糖値が下がってるんかな、とか、二日酔いで胃がもたれてるのかな、とか、カフェイン摂りすぎたんかな、とか、そういう方面で考えると、だいたいそんな感じのことだったりする。自分のなかに問題があるように感じたら、それをできるだけ早く外に出すこと。行為ではなく血糖値。
『はじめての沖縄』おかげさまで好調のようで、そんなにバーッとベストセラーになるような本じゃないけど(私の本はぜんぶそうだけど)、長く読まれたらいいな、と思う。そしてできたら、沖縄の方がたに読んでもらえたらいいなあ。
とか書いてたらいつのまにか甥っ子と姪っ子がウチに来て、「手作りいちごパフェ大会」が始まってます。
そういえば「八つ墓家の一族」っていうネタを思いついてtweetしたんだけどほとんど反応がなかった。
俺はおもしろいと思ったからそれでいい。
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岸政彦
1967年生まれ。社会学者。著書に『同化と他者化─戦後沖縄の本土就職者たち』『街の人生』『断片的なものの社会学』(紀伊國屋じんぶん大賞2016受賞)『愛と欲望の雑談』(雨宮まみとの共著)『質的社会調査の方法─他者の合理性の理解社会学』(石岡丈昇、丸山里美との共著)『ビニール傘』(第156回芥川賞候補作)『図書室』など。最新刊は『リリアン』(2/25発売)。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
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- 岸政彦
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1967年生まれ。社会学者。著書に『同化と他者化─戦後沖縄の本土就職者たち』『街の人生』『断片的なものの社会学』(紀伊國屋じんぶん大賞2016受賞)『愛と欲望の雑談』(雨宮まみとの共著)『質的社会調査の方法─他者の合理性の理解社会学』(石岡丈昇、丸山里美との共著)『ビニール傘』(第156回芥川賞候補作)『図書室』など。最新刊は『リリアン』(2/25発売)。
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