5月23日(水)
こないだ卒業生女子と飲んでて、めっっちゃおもんない彼氏と付き合ってた話を聞いてた。なんとか楽しいことを一緒にしようと思ってふたりでグアムに行ったんだけど、そいつのせいでぜんぜん面白くなかったらしい。悪いやつじゃなくて、むしろいい人なんだけど、とにかく話が面白くないんだって。
それ以来、「グアムは面白くない場所」になってしまい、友だちがグアムに行くと聞いて、あんなおもんないとこないでって全力で止めたりしている。なんか間違ってる。
その彼氏と別れるときにプチストーカーみたいなことされて大変だった。なんでああいう人って、別れようって言われたときに、とにかく会って話そうって言うんですかね。
何かあったときにとにかく会いたがるひと、いるよね。
ひとの話って、ひとつで終わらなくて、いつもだいたい何かしら続きがあるところが面白い。なんとなく、だいたいの話はいつも、もうひと押し続きがある。
5月24日(木)
タクシーに乗ったら、前の助手席の背もたれが開く仕様になっている。
ちょっと言葉で説明しづらいんだけど、なんか助手席の背もたれの真ん中に、四角い猫ドアみたいなものがついていて、取っ手もある。
勝手に取っ手を持って引っ張ってみると、助手席の背もたれの真ん中に四角い窓が開いた。びっくりして、これ何?って聞いたら、運転手のおっちゃんは、知らんねん。何や知らんのか。知らん、初めて見た、へえ、そないなってるんや。いやこれおっちゃんの車やろ。
これ1ヶ月前に買った新車ですねん。
もう50年もタクシーやってて、いままで体が元気で、どこか痛いとか思ったことない。いちども休んだことない。いま70。
あと10年仕事しよ思って。ほで新車買うたんですわ。
嫁は西陣のええとこの子で、美人やった。女中さんが二人もおるとこやった。ほんまのええとこの子。
娘は30やけど、祇園におったけどいま江坂に住んで北新地で働いてますねん。京都とは比べもんにならんほど大阪は景気ええらしですな。お客さんに100万もろたとか、そんな話ばっか。北新地で働いてるからいうて、娘がきれいかどうかは、見慣れてしもてわからん(笑)。
タクシー、バブルのときもそれほど大したことなかった。ぼくら万博のころ知ってるからね。あのときは儲かった。よう儲かったよ。
初乗り190円とか。タクシー自体がすごい贅沢品やったけど、それでも白タクがそこらじゅうにおったぐらい、需要があった。ちょっと飲んだらみなすぐタクシー乗ってた。
京都で50年タクシーやってる。18から。だからカーナビより詳しいで。もう何も考えんでも、どこにでも行けるよ。どないしましょか、平野神社から左へ入りますか?
うん、そうして。
5月25日(金)
ほかの領域と「学問」とを分けるのは、対象ではなく方法だ。貧困や差別や暴力など、社会学が扱いがちなテーマは、ジャーナリズムや文学でも扱われているのだが、それらと社会学を区別するのは、社会学的な方法である。
だから、テーマや対象というのは、学問的研究としての社会学にとっては二次的なことで、そこでどのような方法が用いられているかがもっとも問われる。
どんなにしょうもないように見えるテーマや対象でも、社会学的方法の切れ味がそこで発揮されていれば、それは立派な社会学である。社会学はそうして、自らのテーマや対象を、どんどん拡張してきた。
まあ、しかし、それはわかるんだけど、しょうもないテーマや対象っていうのは、普通にあるよな。
おまえそれやって何かの役に立つの? っていう問いは、ひとには言わないようにしてる。俺の研究も、何の役にも立たないからである。
しかし、おまえほんとにそれがやりたくてやってるんか? と問いたくなるやつは、おる。
って書くと「俺のこと言われた」って騒ぐやつが絶対おる。
お前のことは言うてへん。
昨日は河出書房新社のSの上さんがわざわざ研究室まで来られて打ち合わせというか雑談というか、とてもお話が面白い方で、気がつけば2時間半ぐらいしゃべってた。そのあと遅くまで博論を読み込む。
5月31日(木)
何してたっけな。別にもう、毎日書いてるわけじゃないし、日記でなくてもいいんだな。にがにが日記っていう名前だけど。何をやってもいいのだ。
数年まえ、新潮社のtbtさんに前ぶれもなくいきなり小説書いてくださいと言われて頭を抱え、小説ってどうやって書いたらいいんですかと聞いたら、なんでも自由に書けばいいんですと言われて、ますます頭を抱えた。
ある日、おさい先生からギターを教えてくれと言われ、まず左手のポジションを丁寧に教えたあと、右手はリズムに合わせて適当にやるねんって言ったら、めっちゃ怒られたことがある。その「リズムに合わせて適当に」がわからへんから聞いてんねん! こっちもむかついて、だって俺だってリズムに合わせて適当にやってるだけやもん! どうやってやってるか自分でもわからんもん! 人に教えられへんよそんなこと! ってなって、なぜか泣いて喧嘩になった。
自由は難しい。
えーっと、この週末も忙しかった。土曜日は花田菜々子さんとスタンダードブックストア心斎橋でトーク。『であすす』大好評で、これほんとに良い本だと思う。花田さんは何ていうか、ご自身のテンポやリズムをしっかりと持った方で、落ち着きのない自分が恥ずかしくなった。大阪のイベントにはお客さんが来ない、ってよく言われるけど、そんなことはなくて、100名近く来られて満席になりました。
軽くビール飲んで、おさい先生とちょっとだけ歩いて、そのあと前任校時代の卒業生たちと女子会をした。なんかいろいろ壮絶な話を聞いた……。「空気を読んで結婚する」というパワーのあるお言葉をいただきました。幸せって人それぞれだから、自分なりに幸せになったらええ。
そしてまた飲み会のネタを提供してください。
次の日は昼ごろに家を出て新幹線に飛び乗って、青山ブックセンターで温又柔さんとトークイベント。新著『はじめての沖縄』刊行記念イベントがいくつかあって、その第1弾として、以前からどうしてもお会いしたかった温さんにお願いした。こちらも数日前に予約で満席になっていた。ほんとにたくさん来ていただきました、みなさまありがとうございます。
温さん、純粋でまっすぐで情熱的な方で、押されっぱなしでした。トークはなんか、全力で喋ったので覚えてない。そのうちどこかで続きをやることになると思う。
サイン会では若いひとが多くてびっくりした。沖縄出身の方もたくさん来られていて、うれしかった……。
Twitterで「あしたの着替えを持ってくるのを忘れた……」とつぶやいたら、友だちが靴下を差し入れしてくれました。いや、靴下は普通に持ってんねん。ポロシャツがなかってん。でもありがとう。
で、次の日、朝イチで東京駅の大丸でポールスミスのポロシャツ買うた。完全にバカだ。しかもなんか若作りしてしもた。ポールスミスやて。
関係ないけど大学でポール・ウィリス(社会学者)の話をしてると、レポートで必ず「ポール・スミス」って書いてくるやつが一定数おる。
取材が一件、そのあとポートレートの撮影。撮影はなんと、宇壽山貴久子さんである。ガチガチに緊張してた。後日、できあがりを見たけど、なんかこう、ガチガチに怖い顔をした汚いおっさんが立ってた
写真撮られるの苦手やわ……………
だから、モデルさんとかすごいなと思う。「写真を撮るプロ」がいるだけではなく、「写真を撮られるプロ」っていうのもいるんだなと思った。撮られる側にも、才能や技術や努力が必要なんだよね。
今日は猛烈な偏頭痛で1日何もできず。夕方ちょっとだけ散歩したら、だいぶ体が緩んだ。
確実に歳をとっていく。確実に死が近づいている。それまでに何ができるだろうか。何が書けるだろう。
この間に、近刊『社会学はどこから来てどこへ行くのか』(有斐閣)の原稿を仕上げて編集さんに送る。そしてその次の本『マンゴーと手榴弾──生活史の理論』(勁草書房)の準備に取り掛かる。『街の人生』のような生活史を入れたかったけど、論文と論考だけで20万字になっていることに気づく。いつのまにこんなに書いたんだろう俺。
今年は他に『沖縄の階層と共同体』『生活史論集』をナカニシヤ出版から出さないといけない。
いや、別にわざわざここに書かんでもええねんけども、こうやって書いとくことで、自分を追い込んでます。
がんばれ、俺。
偏頭痛に負けるな、俺。
野菜食え、俺。
炭水化物を控えろ、俺。
そしてそろそろ風呂入って寝ろ。寝る前におはぎに夜食あげるのを忘れるな。
6月4日(月)
土曜日は博論の口頭試問のために甲南大学へ行った。森が深くてきれいな大学だった。同じ日に松山では関西社会学会だったらしいね。
わしらかわいそうなスメアゴルは、原稿が間にあいそうにないので、日、月と研究室にこもって、夜は西院のホテルで缶詰。妙に広い部屋でびびった。缶詰の日の食事は、松屋→なか卯→吉野家。
6月5日(火)
わしらかわいそうなスメアゴルは、缶詰三日めでさすがに息切れ。
昼過ぎに1時間半だけ散歩。買い物して帰ってきたらちょうど雨が降り出した。洗濯物を取り込んでコーヒー飲んでチョコレート食べてちょっと休んでたらチカチカと閃輝暗点が走る。そして偏頭痛。
今日はもう店じまいか。
散歩中、小さい子どもを自転車に乗せたお母さんが何人か、だらだらと立ち話をしていた。
もしうちも30ぐらいで子どもが生まれていたら、もうハタチである。
子どもがいると、「暦」が生活のなかにあるんだろうな、という話を、おさい先生としながら散歩してた。入学式、GW、梅雨、夏休み、運動会、クリスマス会、正月、春休み、卒業式。保育園、小学校、中学校、高校。
子どもがいないと、そういうライフイベントというか、「節目」みたいなものがまったくない。40歳のときと50歳のときで、生活スタイルにまったく変化がない。おかげさまでここ3年ぐらい、劇的に忙しくなったが、それも「量的」な話で、やってることの中身は、研究や執筆や散歩や飲酒など、基本的には同じパターンを20年も30年もずっと繰り返しているだけだ。散歩して、猫をなでて、本を読んで書く。何も変わらない。
なにかこう、上も下もわからない、ふわふわとした白い雲のなかにぼんやりと浮かんで、目の前の作業を必死でこなしているうちに、結婚して20年経って、気がつくと50歳になっていた。そんな感じだ。少なくともあと20年ぐらいは同じ生活をこのまま続けていって、たくさんの本を書いて、やがて体が衰えて仕事ができなくなって、どこかの病室でひとりで死ぬんだろうと思う。
いつかどこかで、男性不妊の当事者としての話を書きたい。
10年ぐらい先かな。
6月7日(木)
ひょっとして俺忙しいんじゃない?
日月火の缶詰でカタをつけるはずだった『マンゴーと手榴弾』、序文にちょこちょこっと書き足したら出来上がりやーと思って書き出したら、なぜか独立した一本の論文になってしまって、ほんとにいろいろとすみません。いろいろと間にあいません。わしらかわいそうなスメアゴルは。
昨日と今日は先端研での授業と学部での授業。あいかわらずモグりの方々もたくさん来て盛り上がっている。
7月15日(日)
なんということでしょう。一ヶ月以上も間が空いてしまった。まあ別に仕方ない。4月に出るはずだった『マンゴーと手榴弾』、なかなか書く時間が確保できなくて、今月末に原稿仕上げて、9月末に出るとか、そういうスケジュールになりそう。
で、なぜ書けないかというと、書きすぎてしまうからだ。前の日記でも書いたけど、普通に序文を書いていたら独立した2万字の論文になってしまったりしてて、そしてそれももう完成させてる時間も気力もないので、そのうちどこかから出るはずの次の方法論の本か、あるいは行為論の本に入れるとして、じゃあこれはもうええわ、普通に普通の序文書こう、と思って1万2000字書いてる。しかもまだ予定の半分ぐらい。さすがに長いやろと思ってばっさり削除してもっかい書き直して、気がついたら1万4000字になってて、前より長くなっとるやん。
そうこうしてる間に、この1ヶ月のまとめ。『はじめての沖縄』刊行記念のトークイベント月間だった。そうそう、それで疲れ切ってもいて、最低限の原稿以外は書く気力が出なかったのだ。せめてにがにが日記ぐらいは楽しく書きたい。
6月9日(土)は信田さよ子さんとの対談@八重洲ブックセンター。とてもチャーミングで、辛辣で、リーダーシップがあり、そして頭の切れる方だった。院生のころからときどき読んできたので、お会いできてほんとうに光栄だった。飲み会でもだいぶ飲んだ……上野千鶴子さんのあんな話やこんな話を聞きました(笑)。そのあと入試説明会があったり、会議があったり、授業が普通にあったり、してるうちにまた沖縄へ。新城和博さんとのトークイベント@ジュンク堂書店那覇店。スタッフの方から「異例」と言われたほどの方がたに来ていただいた。100名弱ぐらい。遠くは名護やコザからもいらっしゃった方がいて、ほんとうにうれしかった。そして那覇のホテルで缶詰に。とほほ。
その他、ブラウニー@関目で平野達也トリオのライブ。お客さんたくさん。ありがとうございます。そのほか、いろいろ弱気になってる院生さんと酒飲んではげましたり(がんばれよー)、会議忘れててすっぽかしそうになったり(すみません…)しながら、30日は同僚の立岩真也さんとトークイベント@スタンダードブックストア心斎橋。こちらも90名弱のお客様。先端研の院生もたくさん来てたけど、なんか珍しいよね、院生が自分とこの教員のイベントにわざわざ来るのって。サイン会にも並んでて、いやキミたちは授業中にサインしたるで(笑)とか。そのあと翻訳の自主ゼミ、会議会議会議、授業、そして土日はまたまた沖縄へ。
7月7日(土)は、沖縄社会学会。30年ぶりに復活した。この2年ぐらい、事務局としていろいろ動いてて、やっと第1回大会までこぎつけました。新聞社からの取材もあり、80名弱ほどの方が狭い教室でぎゅうぎゅうになって、もちろん県外からもたくさんの方が来た。有名な先生も来てたけどばたばたしててちゃんと挨拶できなかった……。懇親会もちゃんと段取りして、なぜか泊の船員会館(笑)。地元感あふれる大座敷とそのお値段に、みなさまご満足いただきました。30人も来た。多めの人数で予約しといてよかった。そのあと2次会、3次会で、気づけば朝4時。ヨレヨレになって帰る。そしてそのあと二日ほど那覇のホテルで缶詰……。
そのあと会議、授業、研究会を経て、今日。この連休は京都の祇園祭なので、研究室にもいかず自宅で缶詰。なかなか進まない。書くのめっちゃ速いほうだと思うんだけど、珍しく進まない。
こんな感じの一ヶ月で、とにかくトークイベント多いな。まだ続く。今週は柴崎友香さん@梅田蔦屋書店、8月3日は川上未映子さん@紀伊國屋新宿本店ホール。
自分の人生がどっちに向かってるかぜんぜん見当もつかん。もう何ヶ月もちゃんと土日に休んでない。とにかく目の前にある原稿を、一文字一文字書いていくだけだ。延々と、一文字一文字、キーボードを叩く。それだけ。
河原で小石を積む。
なんか意味あるんかなこの人生。人生はもともと意味なんてないけど。





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岸政彦
1967年生まれ。社会学者。著書に『同化と他者化─戦後沖縄の本土就職者たち』『街の人生』『断片的なものの社会学』(紀伊國屋じんぶん大賞2016受賞)『愛と欲望の雑談』(雨宮まみとの共著)『質的社会調査の方法─他者の合理性の理解社会学』(石岡丈昇、丸山里美との共著)『ビニール傘』(第156回芥川賞候補作)『図書室』など。最新刊は『リリアン』(2/25発売)。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
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- 岸政彦
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1967年生まれ。社会学者。著書に『同化と他者化─戦後沖縄の本土就職者たち』『街の人生』『断片的なものの社会学』(紀伊國屋じんぶん大賞2016受賞)『愛と欲望の雑談』(雨宮まみとの共著)『質的社会調査の方法─他者の合理性の理解社会学』(石岡丈昇、丸山里美との共著)『ビニール傘』(第156回芥川賞候補作)『図書室』など。最新刊は『リリアン』(2/25発売)。
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