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土俗のグルメ

2023年4月14日 土俗のグルメ

第7回 人の“食欲”をのぞく

著者: マキタスポーツ

“メザシ”の食欲

 人の食欲を見るのが好きだ。

 “メザシの土光”を知っているだろうか?

 土光敏夫。戦後の高度経済成長期に、東芝や石川島播磨重工業の社長と辣腕をふるい、1974年には第四代経団連会長に就任。1981年の第二次臨時行政調査会から臨時行政改革推進審議会までを通して、国鉄・専売公社・電電公社の三公社の民営化など、行政改革の先頭に立つ。また、成り上がりにありがちな派手さを好まず、謹厳実直、質素倹約的な生活ぶりで、政治家や大企業人にありがちな絢爛豪華な会食を嫌い、家でメザシを食いながら天下国家の再建を推し進めた。そんなことから“メザシの土光”との異名を持つに至った傑物である。

 しかし、私はここでそんな偉人を紹介したいわけではない。それより、その「メザシ」に用がある。そして実際に土光がメザシを食べている映像があるのだ。

 世の中には様々な映像マニアがいるが、私がその紳士に会ったのは今から20年ほど前。紳士は私に自身の映像アーカイブをこっそり見せてくれた。インデックスには「“食” Vol.2」と書かれていた。ドキドキしていた…。

 「まるで歴史的ブルーフィルムの上映会じゃないか!」

 その映像の予想以上の面白さに驚嘆した。

 1982年にNHKで放送されたドキュメンタリー「85歳の執念 行革の顔・土光敏夫」がそれである。ちなみに今は動画サイトなどで見られるので、ぜひご確認いただきたい。そこで土光がメザシを食すシーンがある。

 「メザシ、まだある?」

 土光は妻にメザシのおかわりを要求する。このシーンが最高なのだ。何に感動するのか? その 「食欲」にである。更に言えば、“おじいちゃんがお腹を空かせている”という身も蓋もない事実に興奮するのだ。

 一応断っておくが、このシーンは土光の倹約ぶりを象徴するシーケンスとして撮られたものであり、決して「一老人の食欲」をフィーチャリングしたものではない。私にその映像を見せた紳士は、あくまで人の食事シーンを収集しているのであり、それ以外の“角度”はこちらが勝手に付けたもの。安いメザシと菜葉の煮物、柔らかく炊いた玄米と味噌汁だけで、あの経団連の会長が暮らしている、というのが本来的な見るべきポイントだ。

 こちらは初期ヒップホップの手法よろしく、映像素材を勝手にカットアップして、気持ちの良いところだけを繋いでいるにすぎない。土光と、それを支えた妻の心温まるシーンを汚すつもりは毛頭なく、それはそれで素晴らしかったと、改めて付け加えておく。

“ピープショー”としての「食欲」

 このように、私は人の食欲を見るのが好きなのである。そこから生きる希望のようなものを感じ、「明日も頑張ろう」という活力を得ている。

 先に書いた土光は、妻にメザシのおかわりを「もうありません」ときっぱり断られている。そして「菜葉だったらありますけどね」と言われるや、すぐさま「いらない」と言うのだ。

 「そこまでメザシだったのか!!」

 菜葉じゃなく、その時はとにかくメザシでいきたかったのである。そして断られて少しだけしょんぼりする可愛いさよ。私は何度もこのシーンを、それこそテープが擦り切れるほど見たものである。同じ時期にやたらと人を励まそうとする歌詞のJ-POPが流行っていたが、そんなものを10000回聴くより、私はこのシーンに勇気をもらった。

 その後、その紳士に倣い、私は様々な“食欲”をとらえたシーンをテレビで録画するようになった。ある時は「女子刑務所の食事風景」、またある時は「ブイヤベースにパンをヒタヒタに浸して食べるフランス人漁師」などなど、特にカメラを意識した演出を施さないものを中心にそれらを撮り溜めた。

 肝心なのは、必ずしも食事をメインに撮影したものではないことである。もちろん「食事」という行いそれ自体をメインにしているものもターゲットとしてはいるが、何でもいいわけではない。それは例えば地上波のゴールデンタイムで放送しているような「動物ショー」のようなものではなく、ナショナルジオグラフィック監修の「アニマルプラネット」的なものが好ましい。できるだけ“作為”を感じずに、その行いを観察したいのである。

 だから「グルメリポート」と冠されたようなものは除外している。リポーターがカメラ目線で「いただきまーす!」とか言うようなものは以ての外。こちらの存在を意識した食レポほど薄汚いものはない。

 生き物が何かをいただく時は、大体において、鋭く淡々と、静かに集中しているものだ。その時の目は爛々としてはおらず、むしろ洞穴のような真っ黒さをたたえている。それが欲しいのである。手はあちこちにせわしなく、口はもぐもぐと動く。吸ったり、匂ったり、舐めたり、食いちぎったり、飲み込んだり―動作は多いけれど、目は笑っていない。それこそが生き物が“物を摂る”ということなのだ。

 ブルーフィルムの例に倣って言えば、熟年のマニアのそれは、恐ろしく無駄がなく、淡々としていて、それだけに情熱的に見えるもの。それと同様である。その業が活写されているものを私は見たいのである。

 重要なのは「覗き感」だと思うのだ。

生きる意欲

 BSのある番組を見ていた時のこと。あれは確か移動販売カーで商売をしている夫婦のドキュメンタリーだった。その夫婦は地元にスーパーやコンビニが無い山村を専門に回り、足腰の悪い年寄りの役に立っているという内容だったと思う。私は咄嗟に匂いを察知して録画ボタンを押した。良いシーンがひとつだけ獲れた。

 「これをね、おやつでいただくの…」

 その女性の老人は嬉しそうに、週に一度しかやってこない移動販売で購入した物をカメラに向けて見せびらかした。生活必需品に混じって、餅や饅頭、チョコクッキーなどの菓子類、缶コーヒーもあった。やがて女性は、独居老人専門のホームへと戻ると、数人の入居者たちと何かを食べ出す。カメラはロングで撮っているので、何を食べているのかはわからない。でも、女性は「おやつ」と言っていたから、おそらく饅頭かなんかだろう。時に笑いながら、時には無表情で、黙々と何かを剥いたり、口に運んだりしている。私は感動して、涙が止まらなくなった。だってそうだろう、おばあちゃんが“余計な物を食っている”のだ。

 「おやつ」という余剰の食欲は、当然年寄りにもある。食事と食事の中間にある、余分な欲望は死ぬまで続く、イヤ、続いて欲しいと願う。

 こんなものもある。

 アマゾン流域に暮らす現地人の生活を追ったドキュメンタリー。男たちは狩りに出て、女たちは農作業をしていた。そこでの女たちの様子も興味深かった。豆を摘みながら、おしゃべりをしている。合間に、おやつ替りに蟻を食べていたのだ。蟻が興味深いのではない、それよりも「おしゃべりとおやつ」だ。先の老女と同じじゃないか。

 同じ頃、男たちはジャングルの中で雨宿り、座り込みながらニヤニヤしていた。おそらく、猥談に違いない。特に何かを食べてはいなかった。

 男たちは集落に戻ると、獲物の猿をぶっきらぼうに火にくべ、みんなでそれをいただいていた。時折、何かを喋っているが、狩りの自慢か、仲間の失敗イジリだろう。あとは淡々と、また洞穴のような目で肉を食いちぎっていた。

 人の食欲と食事は、私に活力をもたらす。

 電車の向かいにいた老夫婦。妻が無言で飴玉を取り出し、手際よく包装紙を剥がす。夫はそれを無言で受け取り、これまた無言でそれを口に入れた。そんなシーンを覗かせてもらえたことに感謝したい。

 初めての我が子が、離乳食を食べた時の顔も忘れられない。ミルク以外の物が口に入ってきた時のあの驚きの表情、やがて彼女はこの得体の知れない体験を、さらにもっともっとと、その先に何があるかもわからないまま口を開けて望むのだ。涙が溢れた。大きく開いた口の先には、くだらないダイエットや、あくどい企業家の企む“牛丼の餌付け”が待っていようと、である。こうして彼女の“食欲”は始まったのだ。

 私が死ぬ前に見る映像は、これらの映像を繋いだものにしたいと思っている。同時に流すBGMは映画「ニュー・シネマ・パラダイス」のサウンドトラックだ。それを見ながら、私は「明日何食べようか?」と考える。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

マキタスポーツ

1970年生まれ。山梨県出身。芸人、ミュージシャン、俳優、文筆家など、他に類型のないエンターテインメントを追求し、芸人の枠を超えた活動を行う。俳優として、映画『苦役列車』で第55回ブルーリボン賞新人賞、第22回東スポ映画大賞新人賞をダブル受賞。著書に『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)、『すべてのJ-POPはパクリである』(扶桑社文庫)、『越境芸人』(東京ニュース通信社)など。近刊に自伝的小説『雌伏三十年』(文藝春秋)がある。

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