第29回 愛と屈折のコロッケ
著者: マキタスポーツ
書を捨てよ、メシを食おう――。有名店を食べ歩くのでもなく、かといって大衆酒場ばかりを飲み歩くのでもなく、たとえ他人に「悪食」と言われようとも、あくまで自分の舌に正直に。大事なのは私が「うまい」と思うかどうか。情報や流行に背を向けて、己の「食道」を追究する――これ即ち、土俗のグルメである。自称「食にスケベ」な芸人が、「美味しい能書き」を存分に垂れるメシ論。
コロッケの屈折
「コロッケ」という食べものは複雑だ。いつも美味しいのだが、食べるたびに少しだけ気まずくなる。
コロッケほど誤解されている食べものもないだろう。そのことを知ってか知らずか、コロッケ自体は、そんな誤解もどこ吹く風なのがなんともいじましい。うっかり大きく出ると「たかがコロッケが!」と反感を買いそうな気配を察知して、はしゃがぬようにしているようでもある。たしかに「コロッケで御座い!」と大きく出たとしても、あの味わいだ。見た目とのギャップもなく、質感も“芋以上”でも“芋以下”でもない。そんな自分の立ち位置がわかっているからこその奥ゆかしさでもあるのだろう。
「おまえは自分の本性を隠している」
「イヤ、そんなことないですよ、自分に自信がないタイプなんで、僕はみなさんに親しまれているだけで嬉しいというか……」
「格好つけんな!」
「イヤ、格好なんかつけてませんって!」
「おまえは本当はスゲェ奴なんだよ。今のその地位に甘んじていて良いのかって俺は言ってんだよ!」
「イヤ、わかります。でも僕は今でも十分なんですよ」
「おまえ、なんか話す前に『イヤ』って言うのやめろよ! そういうところにおまえの本来のプライドの高さが現れてんだよ!」
「イヤ、たしかにそれはそうかもしれませんね」
「いや、だからその『イヤ』をやめろって言ってんだよ!!」
このように私は、コロッケと言い争いをしながらいただいている。でも、わかっていただけるだろうか? コロッケのややこしさを。私はそのコロッケ独特の“屈折”を毎回食べているような気がするのである。
コロッケと勝俣州和
コロッケが人懐っこい「お惣菜」や「おやつ」の地位を確保したのは、いつからだろう。もっと言うと、いつから「効率的」な食べものになったのだろうか。
ちなみに本稿で「コロッケ」とは、日本風のポテトコロッケに限定したい。西洋由来の「croquette(クロケット)」のことではない。その起源や普及のプロセスについては、詳しく書かれたものがあるので、ここではほんのさわりしか触れるつもりはない。ただ、コロッケは時代によってさまざまな価値観を付与されてきたと言える。
日本に紹介されたのは明治時代、当初はまかない料理だったこともあるようだし、大正時代の一時期まで洋食の中では比較的高価なものでもあったらしい。ところが昭和の初期、ある精肉店の廃棄食材のリサイクルを兼ねて大量に作られたことをきっかけに、大衆的な料理として普及、食卓の定番メニューになっていったようだ。
そんなコロッケのややこしさを考える時に、私が思い浮かべるのが「勝俣州和ファン0人説」。この説は、あるテレビ番組の企画として放送され、有名になったものだ。多くの日本人に認知されているタレントの勝俣州和氏だが、その一方で「コアなファンはいないのではないか?」という残酷な「仮説」を検証したものである。
認知はされているが人気はない、というこの視点は面白い。彼がタレントとして万能かつ優秀であるがゆえ、コアなファンがいないというジレンマでもあるのだろう。
ただ、何もそうした角度で勝俣氏を面白がらなくても、そもそも彼はタレントとして、コアな人気があろうがなかろうが、放っておいてもテレビを中心に存在感を示している。また、私は勝俣氏のヴィジュアルを含めた「ずっと変わらぬ一定のクオリティ」に若干だが背筋が凍る。でも、ポップを絵に描いたようなああいう手合いの芸能人にも、実は「くぐもったナルシシズム」はあって、そこに触れた時にこちらはゾクっとするのである。
先述したコロッケと私の架空問答を、勝俣氏に置き換えてみてほしい。ほとんど当てはまる気がする。同時に、「おまえは本当はスゲェ奴なんだよ」と思わず叫んでしまう私の焦燥も伝わるはずだ。両者ともその認知度を誇るわけではなく、「イヤ、僕なんて」と謙遜する。その屈折は、むしろ自信のあらわれなのかもしれない。とにかくコロッケと勝俣州和はナルシシズムという点においては似ている。
「親しみやすくない」製作工程
最初は有り合わせのものから作られた。やがて大量生産されるようになり、大衆化する。ただし、その起源は由緒正しい西洋料理である。そのことにいつまでも拘泥するのではなく、さっさとそのプライドを捨てて、誰からも愛される人懐っこい料理となる――。
それが、コロッケが普及するまでの壮大なストーリーだ。しかし、コロッケを一度でも手作りしたことがある人ならばわかるだろう。それを作るのにどれだけ手間がかかることかを。「親しみやすさ」の欠片もない面倒くさいその製作工程は、今日のコロッケが得ているポジションとまったく辻褄が合わないのである。
ジャガイモを茹でる→皮を剥き、マッシュする→玉ねぎとひき肉を炒める→マッシュしたジャガイモとひき肉などを混ぜ、下味をつける→成形する→爆発を避けるために一度冷やして固める→小麦粉をまぶす→溶き卵と絡める→パン粉をつける→揚げる
これでもその工程のかなりを省いている。他にもさらに美味しくするための仕掛けがある。しかも驚くことなかれ、揚げるのには大量の油――できることならばラードであることが望ましい――が必要で、その温度管理と後処理までが含まれているのである。
おまけに、作る工程でさまざまな容器が必要となる。ということは、その分だけ洗いものが増えるということだ。
私も何度かコロッケ作りにトライしたことがあるが、正直出来上がりを食べたときの感慨よりも、完成に漕ぎ着けることができた安堵の方が大きかった。後片付けのことを考えてしまって、オチオチと楽しむ余裕はなかった。何千キロにも及ぶバックパック旅の最終目的地が、シンガポールのマーライオンや札幌の時計台だったときのような感覚とでも言おうか。
コロッケは「おかず」になるのか?
個人的に調査をしたことがある。
――コロッケはご飯のおかずたり得るか?
というものだ。日本各地をライブで旅する中で、それぞれの会場でアンケートを取ってみたのだ。
「コロッケはご飯のおかずたり得るか?」という問いに対して、関西では9割が「たり得る」という回答だったのに対して、関東では大体において会場が真っ二つに割れる結果となった。
面白かったのは関西、特に大阪で「ソースがかかっていれば大体それはおかず」という声があったことだ。「ソース文化」の西高東低といったところか。とにかく、相手が「コロッケ」だろうがなんだろうが、ソースをかければおかずになるというのだろう。「野球が好きというより阪神が好き」、あるいは「思想や政治がどうとかよりホンコンさんが好き」というような、その潔い考えに脱帽した。
しかしそれより気になったのが、主に地方から「コロッケはおばあちゃんの手料理」という声が挙がったことだ。ゆえに「おかずたり得る」と。聞けば、そう答えた人は、二世帯住宅(あるいは二世帯同居)だったり、近所に祖父母の家があったり、祖母(または祖父)が作るスペシャルな手料理がコロッケで、それは贅沢なものであったという。私は「なるほど」と深く納得した。
「コロッケ」が非常に手間のかかる料理であることは、すでに記した通りである。家庭料理として作るには、キッチンの広さや料理に掛ける時間、そしておもてなしの精神が相当に必要なのである。
これを超訳すれば、すなわち「愛」にならないだろうか。つまりコロッケは、「“愛”というコストを多く払う」必要がある食べものなのだ。
都会では共働きも多いだろう。住宅環境も狭く小さい。油の掃除も、後片付けも大変だ。食事を終えたら、すぐに寝る時間だ。近くにパートナーの両親は住んでいるが、家事を頼む気にはなれない。気を遣うし、冷蔵庫の中身も見られたくない……。それならば「帰りに惣菜のコロッケでも買って帰ろう」となるのが必定だ。ついでに「子どもの明日のお弁当にもなるし」である。
断っておくが、手作りしようとスーパーの惣菜を買って帰ろうと、「愛というコスト」を払っている。どこに手間をかけ、どこに犠牲を払うかは、それぞれなのだ。
コロッケが今の「コロッケ」となるまでには、さまざまな創意工夫があった。「高級洋食から庶民的な惣菜へ」という文化的なシフトチェンジもあった。しかし、コロッケには、そうした世間の変化には振り回されまいとする、一見すると見えづらい気位の高さがあったのである。
そして私は、そこにあるコロッケをただひと齧りする。
「おまえはやっぱり屈折している」
するとコロッケは言うのだ。
「イヤ、別に普通ですよ」と。
その瞬間私は、マヨネーズとソースをドバドバとかけ、ご飯の上にそいつを転ばせ、一気にカッ食らうのだ。「うるせぇ、コロッケのくせに」という具合にだ。
*次回は、8月9日金曜日更新の予定です。
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マキタスポーツ
1970年生まれ。山梨県出身。芸人、ミュージシャン、俳優、文筆家など、他に類型のないエンターテインメントを追求し、芸人の枠を超えた活動を行う。俳優として、映画『苦役列車』で第55回ブルーリボン賞新人賞、第22回東スポ映画大賞新人賞をダブル受賞。著書に『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)、『すべてのJ-POPはパクリである』(扶桑社文庫)、『越境芸人』(東京ニュース通信社)など。近刊に自伝的小説『雌伏三十年』(文藝春秋)がある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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