20代の頃の自分を思い返すと、よく頑張ったと労わりたい気持ちが大きくある。思い出そうとしても記憶がないほど、いつも何かに追われていて、いつも急いでいて、落ち着く間がなかった。シングルマザーで仕事も家事も育児もひとりでやっていたのだから当然なのだが、時間のやりくりも、体力の配分も、心を保つことも、いったいどうやっていたのか。どうしてできたのか自分でもよくわからない。
当時の頑張りは避けては通れないもので、我ながらよくやったと思う。「頑張らなくてもいいよ」という声があったとしても、わたしが頑張らなければ生活のすべてが即ストップする状況で、「ここで頑張らずにどうしろっていうんじゃい」と、耳に届かなかっただろう。
そして、周りの人から見ても、ほっといてくれと言わんばかりのなり振り構わぬわたしの態度に、声をかけにくかっただろう。わたしが誰かに助けを求めることがなかったのは、他人を信用するしないの前に、そういった選択肢が入る隙間がないほど余裕がなかったからだと思う。無我夢中で周りのことなど見えていなかったし、見えてしまうと比較して落ち込むので、見ないようにしていたという面もあるかもしれない。
よく頑張ったと思うし、あのとき頑張れてよかったとも思う。しかし、その頑張り方が成功体験として「自分のやり方」になってしまい、それがどうもいいやり方ではないようだと気がついたのは、30代の後半だった。
頑張り方がズレてくる
わたしが20代で頑張らなければいけなかったことは、周りのみんなとは違う困難な状況を乗り越え、不足を受け入れて我慢し、他人と比べず欲しがらずに、自分にできることだけを最大限にやることだった。自分を犠牲にして身を削っている感覚もないほど、そうするのが当たり前だったし、今でもそうするしかなかったと思っている。
その経験から、わたしにとって「頑張る」とは、「困難を乗り越えること、不足を受け入れて我慢すること」になってしまった。その頑張りを経てようやく人並みの生活が送れるようになったのだから、間違いではない。しかし、その後状況が変わってもなおその「頑張り方」をしていると、頑張りの先にいいことが待っていることが少なくなった。
「こんなに頑張っているのにいいことがない」と感じることが増え、周囲が努力を認めてくれないことに不満を持つようになった。当時の自分にとってはそれが事実で、どうしたらいいかわからなかった。
しかし、今思えば、それは「頑張り方」が間違っていたのだとわかる。以前の方法ではうまくいかなくなったのは、やり方がズレてきたからだ。
「頑張り方」の定着
「困難を乗り越えること」を「頑張る」としていると、頑張るために困難ばかり目に留まる。自ら探し出すことすらある。そして、見つけた困難を乗り越えようとする。それは、大袈裟に言えば、広場でピクニックをしていたはずが、ひとりで崖を見つけて登り出すようなものだ。それを「こんなに頑張っているのに誰も認めてくれない」と嘆いても、周囲の人は「崖を登りたいのかな」と放っておくのも当然だろう。
「不足を受け入れて我慢すること」を「頑張る」としていると、自分の欲求が出てこなくなってしまう。欲しいものが出てきたときに「ないものはしょうがないのだから、あるものでやるべきだ」と我慢することが癖になっているので、「欲しい」や「したい」を出てくる前に抑えてしまうのだ。
癖のせいなのに、「わたしは欲が薄い」「したいことがない」などと自分の性質かのように捉えていたため、ちゃんと欲しがらないと手に入ることはないのだと気がつくのにとても時間がかかってしまった。
こうして書いてみると、それは「頑張る」ではないね、とよくわかるが、一度大きな成功体験があると、それが自分のやり方だと定着してしまうことがある。
「頑張る」は時期によってやり方が変わるし、目的が変われば努力の方向性も変わる。だから、「今、頑張るのはどこか」をその都度把握して、何を頑張るかを決めるべきなのだと思う。
努力の目的と方向性
いろんな人と雑談をしていても、この「頑張り方」の話はよく出てくる。
そのときに、わたしは身をもってわかったことを(自分のことを棚に上げて、とも言えるが)伝えることがある。
「いくら頑張ってもぜんぜんダメなんです。もっと頑張らないと……」
「あなたはめちゃくちゃ頑張っていると思うよ。それは絶対にそう。だけど、何を頑張るのか自分でわかっていないと、無意識のうちに“我慢すること”や“無理すること”が『頑張っている』『努力している』にすり替わってしまうことがあるのよ」
「単に努力が足りないんだと思っていました」
「努力の量ではなくて、方向性が違うのかもしれないよ」
「努力の方向性って、どうやってわかるんですか?」
「今の状態から、どうなったらOKかを決めて、目的設定をするのはどうかな」
「どうなったらOKか、ですか。とにかく今がダメだからなんでもすべてやらないとって思っていました」
「なんでもすべてなんて誰にだってできないから、どうなったらOKかを決めて、そこに向かうための行動を決めて、それを実行することを『頑張る』とするのはどうかな」
「たしかに。わたしは『頑張っている』という既成事実を作ろうとしていただけかもしれません。その裏には『今のままではダメだ』って自分を責めたり否定したりする考えがあって、とにかく頑張ることで『これで許してください』と打ち消そうとしていた気がします」
「頑張る目的がそこにあったんだね。でもそれはきっと闇雲に頑張っても消えないから、目的を変えようか」
「どうなったらOKかって考えると、そもそも自分に厳しすぎてOKを出すイメージができていないので、ゆっくり考えてみます」
「いいね、考えてみよう」
我慢では目的地に辿り着けない
今の自分にとって「頑張る」とは何をすることか。何がどうなったらOKとするか。行動と目的のふたつがちゃんと繋がっていないと、どんなに無理をしても我慢をしても、どこにも行けない。「こんなに我慢したんだから」と、我慢が目的地に連れて行ってくれることは、残念ながらないのだ。
どうなったらOKかの目的があって、そこに行くために我慢することや多少の無理が必要になることもあるだろう(目標体重に減量するためにお菓子を我慢するとか)。そのことと、すべての我慢や無理を混同させてはいけない。
目的がないまま「頑張る」と、どこに向かっているのか方向性が定まらないのは当然で、そこに使うパワーは空回りして疲弊してしまう。
先ほどの雑談の相手のように、頑張ること(無理や我慢も含めて)自体が目的になってしまうということも、よくある現象だと思う。しかし、同じようにパワーと時間を使うのであれば、ただ疲弊することに使うよりも、少しずつでも何かを積み上げていくことに使わないともったいない。
頑張る目的に大小はない
先日、バスケットボールの河村勇輝選手がNBAに挑戦する際に、インタビュアーに「NBAで対等に戦うのは無理ではないかと言われていますが、どうですか」という趣旨の質問に対し、「今の自分の力では現実味がなくても、努力の方向性を間違えなければ、必ず同等に戦えるようになると信じている」と答えていた。
本当にその通りだなと感心した。彼の目的はとても大きくてはっきりしている。どんなに大きくても道のりが長くても、目的に向かってできることを継続し積み上げるだけだ。ただ、目的が大きいから頑張れるというわけではない。目的がどんなに小さく些細なことでも、やり方は同じだと思うのだ。
彼のように大きな挑戦をすることだけが「頑張る」ではないし、他人の努力と比べて「自分は頑張れていない」と落ち込むのも馬鹿げている。「頑張れる人はいいな」と、そこに能力の有無があるかのようにしてしまうと、「自分はなにも頑張れない」と固定してしまう恐れもある。
たとえば、体調を崩して家や病院で療養している人が、健康な人と比較して「自分は何も頑張れない」とするのではなく、今の自分がまず目指すのは、ゆっくり休んで回復することであれば、それを「頑張る」とした方がいい。頑張って、ちゃんと休むのだ。そういうときに焦って先走り、無理をしてしまうと、当然体にも無理がくる。それを「頑張ったけどダメだった」としてしまうのは間違いだ。頑張る部分を間違えただけだ。
結局「自分の欲を知ること」に尽きる
雑談の中でよく行われているのは、こうした「いつもの癖」を改めて見直し、疑い、分解することだ。「頑張る」とか「努力していない」とか、なんとなしに使っている言葉を、細かく要素分解して、一緒に観察してみる。
そうすることで、自分の現状は何も変わらなくても、捉え方が変わり、考え方や行動が変わってくるといいと思っている。
それは、かつての自分自身に対して行なっていたことでもある。「なぜかいつもこうしてしまう」という悪しきパターンを、目を逸らさずに観察する。「わたしってこういう人だから」と、自分の性質や人格に紐づけていたものを、「自分についてしまった癖」だとして、一旦自分から剥がす。そして、よくない癖をやめるために、新しいよい癖をつける。
「こんなに頑張っているのに報われない」という思い込みを、一度客観視して、「頑張るってなんだろう?」「どうなったら報われたと思えるのだろう?」と考え始めた。
すると、わたしが頑張っていると思っていたことのほとんどが「我慢」だったという驚愕の事実に辿り着いた。そして、それはまずいと思い、「我慢をやめるってどうやるんだろう?」と考えた。我慢そのものをやめるというのは何をすればいいかわからないが、我慢が欲に蓋をしているのだと気がついて、我慢をやめるということは、自分の欲を知り、出すということなのだとわかった。
一見、頑張ることと自分の欲を知ることは関係ないように見えるが、自分の「こうなりたい」「こうしたい」を知らないと、行き先を決められないので、努力の方向性を間違えてしまうのだ。
自分がどうしたいかを知らないと、「頑張る」とか「努力」などのよく見聞きする言葉に簡単に縛られてしまう。それがつよい思い込みとなってしまうと、どんどん気持ちと行動が離れていってしまうのだと思う。
このように、雑談の中でどんな話をし始めても、結局いつも「自分の欲を知ること」に行き着いてしまう。
雑談をしながら、出てきた言葉を「欲や感情」「行動」「事実」「思い込み」のように分解し、一緒に観察する。それは、自分の欲を知るために、いつでも、どんな話でも有効だ。
*次回は、3月19日水曜日更新の予定です。
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桜林直子
1978年、東京都生まれ。洋菓子業界で12年の会社員を経て、2011年に独立。クッキーショップ「SAC about cookies」を開店。noteで発表したエッセイが注目を集め、テレビ番組「セブンルール」に出演。20年には著書『世界は夢組と叶え組でできている』(ダイヤモンド社)を出版。現在は「雑談の人」という看板を掲げ、マンツーマン雑談サービス「サクちゃん聞いて」を主宰。コラムニストのジェーン・スーさんとのポッドキャスト番組「となりの雑談」( @zatsudan954)も配信中。X:@sac_ring
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
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- 桜林直子
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1978年、東京都生まれ。洋菓子業界で12年の会社員を経て、2011年に独立。クッキーショップ「SAC about cookies」を開店。noteで発表したエッセイが注目を集め、テレビ番組「セブンルール」に出演。20年には著書『世界は夢組と叶え組でできている』(ダイヤモンド社)を出版。現在は「雑談の人」という看板を掲げ、マンツーマン雑談サービス「サクちゃん聞いて」を主宰。コラムニストのジェーン・スーさんとのポッドキャスト番組「となりの雑談」( @zatsudan954)も配信中。X:@sac_ring
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