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ドミニク・チェン×全卓樹「共同体をつくる科学の言葉」

2021年1月22日

ドミニク・チェン×全卓樹「共同体をつくる科学の言葉」

共同体をつくる科学の言葉 (後篇)

八重洲本大賞同時受賞記念対談

著者: ドミニク・チェン , 全卓樹

第3回八重洲本大賞を、それぞれ『未来をつくる言葉』『銀河の片隅で科学夜話』で受賞したふたり。話は、徐々にSNS時代の倫理的な問題やIT世界の未来へ、そして、表現の新しい形を模索する言葉に転じていく――。

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左から全卓樹氏、ドミニク・チェン氏(以下すべて撮影・菅野健児〔新潮社写真部〕)

「Twitterはインテリのパチンコである」

 いまのSNSは、コンシューマリズム(消費主義)が徹底してしまって快適から程遠いですね。いまからでも、ちょうどモンゴルのゲルみたいに、パブリックとプライベートが逆転したような面白いSNSを設計すれば人が集まる気がします。データを集めて宣伝企業に売る、というあり方がダメですよね。

 FacebookやAppleといった大企業は、人々を中毒化させる技術を、認知心理学や行動経済学の知識を幅広く集めてつくろうとしていて、それに対して大きなうねりが起こりつつあります。

 世の中の賢い人たちを集めて…。

 はい。その「賢さ」とは、非倫理的に、人の行動を強化学習やオペラント学習(編注【以下同】:報酬や罰を与えつつ、自発的に特定の行動をさせる学習)でいくらでも制御できるようにすることです。つまり、パチンコと同じなんです。その意味で、スマホはパチンコとまったく同じ原理で設計されていて、それをほかでもない内部のインサイダーたちがここ1、2年で暴露し始めているんです。ちょうどネットフリックスでドキュメンタリー映画『監視資本主義 デジタル社会がもたらす光と影』(2020年、アメリカ)も出ましたが、そういうSNSや動画共有サイトを実際に開発したエンジニアや経営者たちが「ひどいものを作ってしまった」と反省する姿が印象的です。

 それはいいですね。私は10年近く前に「Twitterはインテリのパチンコである」とTwitterで言ってものすごくバズったことがあります。

 そうだったんですね(笑)。

 電子創業者たちには、この世をひっくり返してやろうという、アナキズム精神があったと思います。それが良い意味でもう一度出てこないといけませんね。うまくプライベートを出せて、心を解放できるような場です。商業的には成立しないかもしれませんが。

 コマーシャルで成立する、これまでのシリコンバレーのやり方というのは、無限にスケールが拡大する株式会社方式です。時価総額10億ドルのユニコーン企業になるといった結果が目標とされてきましたが、そこまでお金を儲けなくとも、サスティナブルなプラットフォームはつくれるのではないか、そんなに市場を独占する必要があるのか、というのが私の世代のエンジニアには増えているんです。

 すでに財をなした人が私財を投じてやればいいんですよね。

 はい。その上で何十億人が使う巨大なプラットフォームを目指すのではなく、1万人、10万人といった単位の、小さな共同体のためのプラットフォームが数多くできて、それこそジャングルのような多様な生態系になったらいいと思います。

 20億人が使うプラットフォームをつくると、全体主義に陥りかねないのは危険ですね。

 だからこそ、科学的な思考が大切ですよね。Facebookのアルゴリズムの挙動を知るには科学的な視点での理解が大事ですし、倫理的な議論も感情的にならずに、まさに全先生が本に書かれているように、科学的な視点で冷静に語ることが求められるはず。そうなると、いまのTwitterやFacebookが科学的と言えるかどうか。

 歴史を見ると残酷で、そういう状況で何が起こるかっていうと、悪が勝つんですよ。
 でも、悪の統一の後にこそ、何かが生まれ出す。ルネサンスも、最後はスペイン軍とフランス軍が入ってきて、人文主義を押さえて当時の活気のあるものをすべて潰した後にサイエンスが登場しました。ザッカーバーグが勝つ、勝って、彼が年老いて統制が緩んだときに、何かが生まれる。あるいは、ネットアナーキズムが再燃してザッカーバーグ帝国が崩れることがあったら、それはそれでもっと面白いと思います。

世界は中国化していく!?

 ただ、ドミニク先生が本に書かれたような、ある種東洋的な共有主義を現実に適用したら今の日本は中国になりかねない気もしますが、どうですか? 我々が考える中国はディストピアですが、実はそれこそが人間の将来なのではと想像しなくもないんです。日本でも、政府の審議会で「データ共有の権利」と言い出すから何かと思えば、個々人の情報を共有にするのが人権だという。非常に雑に言えば、中国と同じにしようということでしょう。
 フランスを車で旅行していたら、高速のA8のサービスエリアで、車を壊されて中のカバンを抜かれたことがあるんです。でも最近はそういった犯罪は少ない。理由は監視カメラがベタベタと設置されていて変なことができないから、現実的にそれで安全が保証されている。どっちがいいかと言ったら今のほうがいいように思えます。
 その流れでは、世界的に、自由主義陣営でもデータによる監視が実際当たり前になります。おかげで自由に行動できるわけです。でも、その価値観は、我々が教わった西洋近代の倫理的基準とは違うものですよね。むしろ東洋の昔からの考え方と何か親和性がある。ドミニク先生の本を読んでいたら、思考はもちろん違うのですが、結果は同じところに収束するのではという気がしないでもないんです。

 うーん、それは嫌ですけれどね。

 限られてはいますが、中国人の知り合いに聞いてみると、特に若い人は意に介していないんですよね。おれたち自由だよ、監視カメラ? いや関係ないよ、おれたちの核心には触れないよ、と。彼らは彼らなりに違う自由、それこそ、なにか反転した自由をもっていて、そこはそういうものでは侵されない気もします。
 例えばゲルの中、家の中に入られても、別のところに本当のプライバシーがあったらそんなのは気にならない。要するにみんな体制を支持しているんですよね。

 中国では「芝麻(ジーマ)信用」という会社が信用スコアリングというのをやっていますよね。いいことをするとスコアが上がって電車の運賃が少し安くなったり、予約が取りやすくなったりしますが、駐車違反や借金滞納をするとスコアが下がって、移動もできなくなる。行いが完全に数値化されるんです。しかも共産党の監視下となる点は、それをやっている企業の構造上自明になっている。最近、AIの倫理を考える会議などでも、それを欧米系のリベラルな人たちは問題視するけれど、当事者である中国市民は意外と幸せなのではないか、という研究者もいて議論になりました。
 それは、成功している中国人はそうなんですよ。でもその裏で、何億人とひどい目に遭っている人たちがいて、その人たちの声は水面上に出て来ないんです。新疆ウイグル自治区でやっている民族浄化まがいの政策を知ったうえで中国的な全体主義が情報技術によって普遍化するというのは、心情としては到底受け入れられないですね。セキュリティというレベルで、物理的な安全とトレードオフということと、いま中国で起こっている完全なる情報統制、行動をすべて監視下に置かれる状況の間には、イコールではなくてグラデーションがある。それならどこまでならOKなのかは、私もまだ整理しきれていませんが、これからはもっと深く考えざるを得なくなるでしょう。
 たとえば、身近な友人関係にも多大な影響が出ます。友人が何か悪いことをすると、信用スコアが下がるんですが、そうするとその人の友人である自分のスコアも連動して下がるんです。そうすると、もうあなたとは縁切るわ、となる(笑)。お互いの信用スコアを見て人付き合いをするようになる。それってなんでしょうね、人間の商品化であり、監視の内面化、究極のパノプティコン(全展望監視システムのこと)ですよね。

 そうは言っても、中国が今後弱くなる可能性はなさそうですね…。今の状況を延長すると単に中国がもっとパワフルになるだけで、おそらく他の国も、日本やヨーロッパでも中国の成功の要素を取り入れて、より監視が進んでいく。

 コロナ禍で、市民の行動を監視することが大義名分を得てしまったので、これから監視社会化は急速に進むと思います。大局的な趨勢としても、確率予測的にはそうなると思うのですが、より重要なのはどういう社会にしたいか、です。だから、私は負け組でもいいと思うんです。勝つか負けるかは時の運だけど、発言するにも議論するにも「何をしていたいか」を大切にしたい。それをやめた瞬間にすべて終わりですから。

 韓国では、防疫のため個人を監視していますよね。ただその一方で、今は左翼政権ですし、個人の自由は最大限尊重する。

 台湾もそうですね。

 他国の試行もうまく取り入れながら上手にやれば、自由と人権の伝統が長い日本で、そしてそれこそ中国でも、個人の自由を何かしら保証するシステムを作れるかもしれませんね。

香港のプロテスト運動

 今年(2020年)、香港のプロテスト運動の活動をまとめている友人のエリック・シウが、メディアアートの世界的な賞を受賞しました。香港のプロテスト運動は、700万人の香港市民人口のうち、200万人が参加していると言われていて、主流が若い人たちで20代前半なんです。特徴的なのは、コンピュータやスマホなどネットツールを駆使して、警察当局と正面衝突せずに抵抗の回路を生み出そうとすることです。ブルース・リーは「Be water, my friend 」という言葉を残していて、これは「水になれ」となりますが、もともとは中国の有名なことわざ「上善如水」、つまり力に逆らわず流れろという意味です。そこからこの分散型のプロテスト運動は「Be Water」と名付けられました。正面衝突は回避すると言いながらも、メンバーたちはやはり命がけなんです。21、22歳くらいの若い人たちが、遺言を書きしたため、バックパックにいれてストリートに行く姿を見ると胸が締め付けられます。

 現場の実際の声を聞けるのはすごくいいですね。

 例えば「光復香港・時代革命」というスローガンが国家安全法で禁止になった。するとその漢字をピクトグラムに変換して、遠目で見ると光復香港と見える旗をつくって、それを支持している人にはわかるけど、それでは逮捕できないという伝達手段を編み出した。他にもたくさんの試行錯誤を日々行いながらそういう戦いをずっと続けていて、しかもリーダーがいない。昔だったらリーダーを捕まえれば運動がなくなるんですけど、香港の若い人たちはスマートフォンをつかって、あの手この手で勝手に自律分散型でプロテストが続くよう、命がけでやっている。
 その友人と東京で活動を紹介してくれというトークイベントをやったんです。
 香港がすごいのは、運動する若者だけではなく、彼ら彼女たちを裏で支えている年長者がたくさんいることなんです。おじさんおばさんたちが若者を応援している。これが日本にはないですね。日本は世代格差や世代間同士の分断があるのか、香港のような連帯感は感じません。
 香港の世代を超えた連帯感はいったいどこから生まれているのかと友人に聞いたら、それはいまのおじさんおばさんたちが、自分たちが自由を享受してきた世代で、その自由を若い人たちに継承させることができなかったという負い目があるから応援に回っているというんです。ある意味日本にいる若者たちより凄惨な現実を生きているけれど、香港の若い人たちのほうがずっと連帯社会で生きることができている。どっちが幸せかは一概に言えませんよね。

 香港は自由化運動も押さえ付けられて、どうなるんでしょうね。

 エリートが権力を握ると中国だろうとアメリカだろうと日本だろうと、同じ貧しさに陥るように思います。それに名前を与えて、つまらない歴史が反復することに、どうやってあらがっていけるか。自分一人でできるとは思っていませんが、やっていくしかない。

 とりあえず言語化して表せると繰り返さずにすみますよね。シュテファン・ツヴァイクの『昨日の世界』(ナチズムから逃れて亡命したアメリカで書いた自伝)を読んでいるから同じことはしないものの、あれがなかったら、東アジア諸国もだんだん力を持ってきたら同じことをやりますよ。あれをみんな読んでいるしその話を聞いているからこそ、同じことは起こらない。

 それでもトランプみたいな新人類が現れます(笑)。

 あの人は昔の族長のような存在で興味深いですね。古代世界にあったような、何にも拘束されないフルな自由へのあこがれが、彼に結実したんではないでしょうか。今の世の中にあるのは、限定的な自由ですから。トランプは自分が昨日言ったことにさえ拘束されない完全な主権者のように振る舞います。
 昔は家父長制で、他の人をめちゃくちゃ抑圧しながら、家の中では自分だけにはそういう自由があった。それがなくなり、みんな一律に、少しだけ自由で我慢も多く肩がこるようになった中で、トランプが出てくると思うんです。

 サム・ハリスという、アメリカの有名な哲学者がポッドキャストで言っていたんです。自分はアメリカ人としてなぜアメリカの半分がトランプを支持するのかこの4年間ずっと謎だったけれど、11月4日の選挙の朝になってようやくわかった気がする、と。民主党のリベラルとトランプ―共和党でさえなくてトランプ―を比較したときに、ようやくトランプ支持者の心がわかる。いまのリベラルの支持する、LGBTQの権利や黒人の復権を考えると、白人たちが急に罪悪感とともに生きなくてはいけなくなった。民主党の立場に立つと、キリスト教の原罪みたいに、白人であることが罪だとジャッジされてしまう。
 トランプが一部の黒人にさえもリーチできる理由は、トランプはうそつきだし詐欺師だしひどい人間なんだけど、自分がひどい人間であることを一切隠さないし、他者にそれを求めない。お前がなにをしてもおれは構わない、おれが好きならおれもお前が好きだし、おれを嫌いならおれもお前が嫌いだという、このわかりやすさ。だからみんな自分を投影するんですね。この人はおれたちを認めてくれるんだ、と。
 つまり、世界中のリベラルの人たちが―私もその一人だと自認しているんですが―自由の価値を、罪の意識を芽生えさせることで広めようとしてきたのではないかということです。その指摘は真摯に受け止めなくてはいけないですよね。罪悪感で社会を束ねることはできないし、社会正義や公正性をそのまま打ち出すことによって深く傷ついてしまう人たちがこれだけいると明らかになった。

 なるほど。

八重洲ブックセンター本店前の二宮金次郎像

未来世代のプラットフォーム実験

 プラス、先ほど話題になったネットの設計にも問題があって、他人に罵詈雑言を吐いても良心が痛まない設計になってしまっています。お互いを知らないから、いくら相手をののしっても傷つかない。だけど、そういう人たちを物理的に引き合わせたら一言も言えないはずですよ。生身を相手にするのは怖いはずです。相手を傷つけたら自分も傷つけられる。自分の発した言葉で傷ついた人を見て傷つくかもしれない。物理世界ではだれでも本能的に知っていることですが、ネットではそれが遮断されてしまうがゆえに、トランプ支持者が反トランプ支持者を罵倒するし、逆もしかりで。

 たしかに違うプラットフォームをつくることができれば…ただね、実際につくったら人が来ない気もしますね、あまりにリアルに似ているから。ネットは非現実に感情を消化できる便利さがありますよね。

 政治以外の世界では非現実を楽しむ仕様でも構わないと思いますが、それでさえ数値主義的な評価軸に振り回されているのが現状です。社会設計に関する議論については、そういう設計に偏りすぎてネット世論が生まれてしまったのが問題だと思うんです。最近、スペインのDecidimという自由政治討論の場の設計の動きがあるんです。実際の会合で人々が意見を戦わせつつ、ネット上のプラットフォームと連動していき、そこで出てきたアイデアを集約して、罵り合わずに異なる意見を戦わせていくんです。それがスペインの一部の地域で成功したと言われていて、知人が日本版Decidimというのを始めています。

 短い言葉でやり取りするのではなく、意見を長文で書くんですか? 大勢が集まっても設計できるものですか。

 GitHubのような、一般に開かれたプロジェクト管理サービスのインタフェースで、公共の議論が交わせるように作られています。ある議題に対する賛成と反対の両方の意見を可視化したり、サブ議題が紐付けられていたりするので、議論が空中分解せずに、一緒に作っている感覚を持てる。そのうえで、人やモノが集まりすぎるとほころびが出てしまうのも事実ですね。TwitterもFacebookも初期は人が少ない、楽園のような場所だった(笑)。ネットワークの規模の問題はありますね。

 一定数以上の人が集まると、フォーマルな規制でもないとケンカになりますね。

 確かに、ダンバー数(ひとりの人間が認知的に安定した関係を築ける上限とされる数。150人とよく言われる)のような定数がありそうですよね。人間の認知限界を超えてしまう情報が可視化されることによって、集団がバグっていく。

 逆に言うと中間にインタフェースを入れればいいんですよね。

 他にも、自分の投票権を人に委託する液状民主主義という方式など、まだまだコミュニティのガバナンスには本格的に実験できていないものが数多くあります。

 ベータテストできるぐらいの規模で、小さい自治体で試してみればいいんですよね。
 高知工科大には、ミネソタ大学から招聘した高名な経済学者、西條辰義教授がおられるのですが、彼によると、アメリカインディアンの昔の寄り合いは、4人いたら5人目を入れるんだそうです。その5人目は、3世代後か7世代後かの代表として、そこに参加する。物事を決めるときに子孫である立場になりきって参加する。

 ロールプレイですね。

 例えば、この土地をどうしようか決めようぜ、という議論になったら、その人は7世代後の仮想将来世代として「それはいいけど、私たちからするとこうなんだけど」といった調子で発言する。それを実際に自治体にもっていって実装実験をやっているんです。うまくいったら面白いですよね。

 そうですね。加えて、さきほどの香港の話のように、若者たちがすでに社会で力を持っている中年や高齢者たちのサポートを得られることが大事だと思うんです。ある有名な社会学者の方が、とある省庁の委員会で面白いことをおっしゃっていました。投票の重みを世代で変えれば、少子高齢化社会でも若者が自己有能感を損なわずに社会設計に参加できると。つまり、20代の投票は重くして、それ以降は年代が上がるにつれて重みをどんどん下げるというアイデアです。ちなみに、その社会学者の方は還暦を過ぎています。極端に聞こえるかもしれませんが、自分たちが未来を担っているという当事者意識を若者に持ってもらえます。少子高齢化で、若者は自分たちの存在が軽い、軽視されていると思っているので、その社会バイアスを制度を用いて是正していけばいい。考え方としては、それはありだなと思いました。

 いろいろ試してみればいいんですよね。若い人が草食化して馴致されているようにも見えるのは、単に何やったってダメだという無力感からでしょう。システムが堅牢すぎて、何かしてもどうにもならないから、とりあえずシステム内でいい位置どりを占めて、その中で最大限の自由を実現しよう、という行動になる。その行動も合理的ではありますが、何かをしたら実際に変わるとわかったら、変わりますよね。

 共有できるなら、成功体験は小さくていいんですよね。それには大人が構造的に身を引くことで若者が育っていく社会システムにならないといけませんね。

(了)

未来をつくる言葉 わかりあえなさをつなぐために

ドミニク・チェン

2020/1/22

公式HPはこちら

『銀河の片隅で科学夜話』

全卓樹

2020/2/19

公式HPはこちら

ドミニク・チェン

1981年生まれ。博士(学際情報学)。NPO法人クリエイティブ・コモンズ・ジャパン(現コモンスフィア)理事、株式会社ディヴィデュアル共同創業者を経て、2021年1月現在は早稲田大学文化構想学部准教授。一貫してテクノロジーと人間の関係性を研究している。著書に『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック』(フィルムアート社)、『謎床』(晶文社、松岡正剛氏との共著)、監訳書に『ウェルビーイングの設計論』(ビー・エヌ・エヌ新社)など多数。(写真 望月孝)

全卓樹

ぜん・たくじゅ 理論物理学者。京都生まれの東京育ち、米国ワシントンが第三の故郷。東京大学理学部物理学科卒業。同大学理学系大学院物理学専攻博士課程修了。博士論文は原子核反応の微視的理論についての研究。専攻は量子力学、数理物理学、社会物理学。ジョージア大学、メリランド大学、法政大学などを経て、現在、高知工科大学教授。著書に『銀河の片隅で科学夜話』(朝日出版社)、『エキゾティックな量子』(東京大学出版会)などがある。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

ドミニク・チェン

1981年生まれ。博士(学際情報学)。NPO法人クリエイティブ・コモンズ・ジャパン(現コモンスフィア)理事、株式会社ディヴィデュアル共同創業者を経て、2021年1月現在は早稲田大学文化構想学部准教授。一貫してテクノロジーと人間の関係性を研究している。著書に『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック』(フィルムアート社)、『謎床』(晶文社、松岡正剛氏との共著)、監訳書に『ウェルビーイングの設計論』(ビー・エヌ・エヌ新社)など多数。(写真 望月孝)

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全卓樹

ぜん・たくじゅ 理論物理学者。京都生まれの東京育ち、米国ワシントンが第三の故郷。東京大学理学部物理学科卒業。同大学理学系大学院物理学専攻博士課程修了。博士論文は原子核反応の微視的理論についての研究。専攻は量子力学、数理物理学、社会物理学。ジョージア大学、メリランド大学、法政大学などを経て、現在、高知工科大学教授。著書に『銀河の片隅で科学夜話』(朝日出版社)、『エキゾティックな量子』(東京大学出版会)などがある。


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