高橋 今日は、僕の小説『日本文学盛衰史』を原作にした青年団の新作公演がもうすぐ始まるということで、平田さんと対談をすることになりました。2年半くらい前に平田さんから「『日本文学盛衰史』を演劇化していいですか」と言われて、もちろん二つ返事で「はい」とお答えしたんですが、そのときには平田さんがなぜ演劇化しようと思ったのかということについてのお話はありませんでした。まず、そもそも何であのちょっと変わった小説を演劇化しようという大胆なことを考えたのかというのをお聞きしたいです。

平田 4~5年前に必要があって読み返したんです。そのときに「これは舞台にできるな、したいな」と思いました。僕は学生時代に高村光太郎を題材にした『暗愚小傳』という作品を書いていて、それは何度も再演をしているんですけど、それ以前の時代を書きたいという気持ちもありました。もともと文学「史」が好きで、それで一本書きたいと思っていたんですけど、謝辞として「高橋源一郎さんの『日本文学盛衰史』から多大なる影響を受けました」と中途半端に言及するだけではちょっと済まないぐらいの引用になるなと。現代が入ってくるところとか構造的なところを、とにかく大枠のアイディアからいただきたかったんです。できた戯曲は僕は原作通りだと考えているんですけど、それを言わなければわからないかもしれないし、かといって言わないでやると「え、これ、ぜんぶ高橋源一郎のパクリじゃん」と言われるような演劇になっているのではないかと思います。高橋さんの全小説の中で、初めての舞台化なんですよね。

高橋 できないでしょ、普通に考えて(笑)。過去に一度だけ映画化されたことがあって、山川直人監督が撮った『ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け』という作品は僕が原作者ということになっています。これはそもそも『さようなら、ギャングたち』を映画にしたいという話があって、最初に「シナリオ書いて」と言われたときには、簡単だと思ったんです。高校時代は演劇部で脚本を書いてたし、小説より得意だと思ってましたから。でも、映画と演劇は違うんですよね。映画の脚本を書こうと思って気がついたのは、僕にとって映画は映像それ自体が大切だったということなんです。ストーリーでもなくセリフでもなく鮮烈なシーンが重要になってくる。映画はどちらかというと写真に近いもので、それは言葉じゃない。僕はゴダールが好きだから引用ばかりしてるけど、でもゴダールの作品では同時に鮮烈なシーンが映っている。当時、書こうと思ったとき、自分の脳裏に脚本として書けるようなシーンがなかったんです。結局締め切りになっても一行も書けず、しょうがないから共同脚本ってことにして、話は僕がなんとなく作ったんですけど、実際の脚本は山川さんが全部書きました。だから、ある意味では今回が初体験ですね。公演前ですが、内容についてはどこまで言っていいんですか?

平田 全部大丈夫です。

高橋 演劇版は全四場で、四場とも葬式の場面なんですね。北村透谷、正岡子規、二葉亭四迷、夏目漱石と。『日本文学盛衰史』は文庫本で600ページ以上ある作品ですが、舞台化するとなると、本質的にどんな話なのかということを考えなきゃいけない。言われてみれば、あの小説は確かに人が死ぬ話、葬式の話が多いんですよね。明治の文学者のことを調べるとやたらと葬式が多いんです。当時は誰かキーとなる人が死ぬと、たくさんの作家たちが集まっていましたから。

平田 今よりも活躍する作家の数がずっと少なかったですからね。せいぜい30~40人とか。

高橋 小共同体というか、世間が狭いところも含めてちょっと今では想像しにくいですね。

平田 みんなすぐ近くに住んでいて、だから集まりやすかったというのもあります。演劇は必ずどこかで登場人物を出会わせて喋らせないといけないので、そのことは最初から考えていました。北村透谷の葬式で始まって夏目漱石の葬式で終わるということは決めていて、正岡子規と二葉亭四迷と石川琢木の中で誰の葬式にしようか迷ったんです。

高橋 透谷は、ある意味で、最初に文学的な死に方をした人物で、漱石は総括するような位置付けになります。真ん中が二葉亭四迷と石川啄木と正岡子規の三択のうちから二つ。僕なら啄木と二葉亭四迷にすると思うので、正岡子規を持ってきたのはちょっと意外な選択でした。

平田 啄木と二葉亭四迷は亡くなった時期が近くてバランスが悪いんです。今回の舞台は、各場のあいだの時間がちょうど8年ぐらいずつになる。原作通りと言いましたけど、一番違うのはたぶん正岡子規の存在でしょう。原作では正岡子規はあまり出てこないですね。

高橋 正岡子規は俳人、要するに俳句を作る人ですね。透谷も作家・詩人で啄木も歌人で評論家、漱石は小説家ですから、小説と詩と評論はあったけど、俳句はちょっと自分のフィールドじゃないかなと思って少し脇に置いていたんです。

平田オリザ氏
高橋源一郎氏

平田 今回、『日本文学盛衰史』を何十回と読みました。無意識の部分と意識的な部分があったんでしょうが、正岡子規は病気なんだけど能天気に明るいんですよね。それで多分、高橋さんは全体のトーンに合わないとお感じになったのではないかと思ったんです。二葉亭四迷と透谷、啄木はウジウジしてるじゃないですか。実際、葬式の場面はあるけど正岡子規自体は今度の舞台でもほんの少ししか出てこない。高浜虚子とか河東碧梧桐は出てくるんですけど。

他には、僕は大学の卒論で中江兆民を扱ったので、中江兆民から幸徳秋水、のラインが個人的にとても重要だった。そこも舞台化にあたって付け加えた部分ですかね。中江兆民もめちゃくちゃ明るい人なんですよ。中江兆民、幸徳秋水、大杉栄というのは、ざっくり言うと「明るい左翼」なんです。源流はたぶん坂本龍馬にあると思うんですけど、おおらかな共和主義者なんですよね。それがいろいろな要因があって、特に大杉栄以降になると転向という問題が出てくる。弾圧が強くなったから転向せざるを得なくなるという事情があるんだけれども、転向者とか裏切り者が出てくると、途端に組織が暗くなってくる。でも、まだそこまでは行かないおおらかな時代があって、僕はそちらの方が好きなので、今回入れさせていただきました。

高橋 平田さんの戯曲にあって僕の小説にはない部分って、基本は明るさですよね。

平田 演劇だから、ずっと暗いと辛くなっちゃう。

高橋 僕も『日本文学盛衰史』の中で、苦悩する作家が偉いというような文学観はよくないよと言っているんだけど、その割にみんな苦悩していますよね(笑)。主人公が啄木と二葉亭四迷と漱石ですから、なかなか笑いがない。戯曲化する上で、平田さんはそれをだいぶ変えられたんだなと思いました。

平田 それから演劇なので、メタの演劇ネタも少し入れさせていただきました。二葉亭四迷の弔辞を島村抱月が読むでしょ。有名な話なんですけど、あれはどうしてなのかなとずっと思っていて。当然、本来なら坪内逍遙が読むべきなんですよ、師匠ですから。当時、坪内逍遙と島村抱月が「文芸協会」という、今でいう劇団をやっていたんですけど、それはもうほとんど坪内逍遙のお金で作ったんです。自宅に稽古場も用意して。そもそも島村抱月は坪内逍遙のおかげで洋行して帰ってくる。坪内逍遙はヨーロッパの劇を見ていないんですよ。島村抱月だけが見ている。だから彼には圧倒的な知識があって、最先端のものに触れていた。

一方で逍遙は頭の中の妄想だけで生きている、変な人なんです。島村抱月は自然主義の人だから、イプセンとかをやりたかった。ところが坪内逍遙はやはりシェイクスピアをやりたい。それで旗揚げ公演でシェイクスピアをやって失敗する。俳優はみんな素人だから、たぶんすごくダサい芝居になったんだと思うんですね。そのうちに島村抱月が松井須磨子と付き合い始める。僕はこれを小劇場の出発点と呼んでいるんですけど、金と女の問題で劇団がどんどんひどいことになっていった。その最中に二葉亭の葬式がある。坪内逍遙が「俺はやらない」と拗ねて、それで島村抱月が弔辞を読んだのではないかというのが僕の新解釈です。

第2回につづく

 

日本文学盛衰史

高橋 源一郎/著
2004/6/15発売