いとう 古川さんはどうやって書き始めますか。
古川 僕は起筆日を大分先まで決めています。その日が来るまでずっと考えている。要するに、何かが浮かんだから書くというより、その日までに浮かぶのではないかと思って、ずっと考えつづけているんです。『ミライミライ』であれば、2016年の3月11日に書き始めると決まっていた。それで1行目が浮かんだのが10日前で、他にも色々なことが浮かんでいましたが、どうなるかは分からない。そもそも手書きでの執筆なのか、それともコンピューターで書くのかすらもギリギリまで分からない。
いとう それは頭の中で覚えているんですか。それともメモですか。
古川 メモを取ります。
いとう アイデアというのはどこかへ飛んでいってしまいますよね。それでその日になって、これがベストだというものを書き始めると。
古川 マラソンの準備のように、出走までに体を作っておく感覚。あと1日準備できればカーボローディングが成功していたというのではダメで、しっかりその日に合わせなければならない。合わせることだけを、とにかく考えています。
いとう そのときに書く手法も決まるんですか。
古川 決まります。でも、もし最初に間違えていたらもうアウトです。だから僕の場合、未完になったものも結構あります。もうやり直しが効かないからやめるしかないケースはありますね。出発時点のポジション、角度が違うと、そのまま続けてもダメ。少し角度を間違えただけでも、全く逆回りのルートで、別の家にたどり着いてしまう。
いとう 作家全員に聞いて回っているわけではないですが、それはあまり聞いたことがない書き始め方ですね。
古川 小説家というのは皆ある程度、書き方の傾向があるものなんでしょうか。僕は角田光代さんに、「こんな変な方法で書いている人は他にいない」って人前で断言されたことがあるんですが。
いとう ほらね、やっぱりそうですよ(笑)。
古川 そうですか(笑)。
いとう 僕の場合はずっと書けない時期が十何年間あって、また書き始めた。最初はノートに手書きでメモを取るんですが、それが万年筆の方がいいときと、シャーペンがいいときとがあります。なるべく頭の中でコリコリ刺激を与えたいときはこの万年筆を使う、というルールがある。
古川 それは書いているときに返って来る感触がまさに「コリコリ」ということですか。マッサージ器みたいですね。
いとう そうです。それに、コンピューターで先に書いてしまうと、やはり編集者気質が強いから削るのが優先になってしまう。自己否定の方が先にくる。
古川 だから削るのではなくて、むしろ次々に繁殖していくように書くと。
いとう 細かく沢山ぐじゅぐじゅと書いていって、それがある程度溜まってそろそろ離陸しようというところで、初めてコンピューターに吸い込んでみる。そのときに自分の中の編集者が出てくる。どこをどう削るかアレンジするかはその編集者に任せて、一回プリントアウトして読んでみる。そのときは一旦読者になってみる。それから今度はそこにシャーペンで書き足していくという風になった。昔は、絶対に家の中でしか書けなかった。人に見られるのも嫌だったし、途中で邪魔されるのも困るし。けれどもようやくまた書けるようになったときに、初めて外でノートを取れるようになった。2時間くらいでアラームがピピッと鳴るようにしておいて。
古川 アラームを鳴らさないと気がつかないくらい、いとうさんが没入しているということですか。
いとう 没入しています。そのときのことは良く覚えているんですが、浜松町のカフェで、いつものような集中力が来てブワーと書いて、アラームが鳴ったから止めて、ペンをしまって立つことができた。そのことに自分でも驚いたけれど、頭は完全にラリってぐにゃーんとなっている。苦しいけれど、ここから現実に戻らないといけないと。これに慣れないとダメだと。それが一回できたという成功体験が自分にとって大きい。なぜかというと、今は少しでも暇があれば小説のことを考えられるようになったからです。僕は違う仕事もしてしまうので、小説の世界に没入した状態でいきなりスタジオに行くことはできない。多分エンドルフィンが出ているのだと思いますが、段々それに慣れてきたら投与される薬が弱くなってきた。だからその没入するセッションまでは頭の中で考えている。高橋源一郎さんが昔言っていたのは、いつも寝る前に考えるそうなんです。明日の展開はこうなるだろ、ああなるよねって。寝てしまって忘れたりしないのか聞いたら、忘れることもあるそうですが。
古川 僕も寝る前に、今後の展開ではないですが、いま構成やシーンの描写の何を悩んでいるのだろうと考えながら寝るときがあります。そうすると、起きると1行目ができている。僕の場合は、ずっと小説モードなんです。だから眠りながらでも考えられるのかもしれない。
いとう このあいだ亡くなった金子兜太という俳人が教えてくれたのですが、彼は俳句の句想が浮かぶと、朝5時ごろ目が覚めてから何時間も口の中で転がしていたんだそうです。このロケーションでいいか、このイメージでいいかって。それで何時間かすると、できた! となる。やはり反芻、反省が重要ということですよね。
古川 寝る前や起きた直後は、邪念があまりない。完全に覚醒しているときは、理性や経験値が変なアドバイスをする。だから、それがない状態が理想的なんだと思います。
いとう やはり技術者ですよね。小説家はイメージと散文を両方考えなければいけないわけですから。そこを行ったり来たりしながら、朝になったら完成しているというのは、すごい技術ですよ。人の手法はやはり面白い。自分もそういう風にやってみたいなと思います。
古川 特に最初に小説家を志すときは、国内でも国外でも尊敬する作家の書き方を真似したいと思いますよね。
いとう そうですね。こんな1行目があるのか、あんな風に書いてみたいというストックがいくつもあります。いまだに書けてないものがいくつかありますが、どこを真似たいと思っているかは、人にはなかなか伝わりづらい。とにかくカッコ良いのだとしか言いようがないし、少し音楽に似ているかも。
古川 何をいいと思って享受しているかは、実は千人いると千様だったりしますよね。
いとう でも古川さんの書き方はすごい。毎回タッチが違うし、過去の作品をなぞらないから。そこには今の話のような厳しい一人作戦会議があるわけですよね。
古川 「一人作戦会議」と命名してもらったので、今後は少し楽しくなるかもしれない(笑)。
いとう それはなによりです(笑)。
古川 ところで、最後に伺いたいことがあるんですが、いとうさんには愛国心ってありますか。僕にはないんですが。
いとう 僕も愛国心はないですね。愛郷心はありますが。国家に自分を明け渡すというのはおかしなことで、それはもちろんヒップホップ的な態度でもない。
古川 でも、国家がなくとも、皆が互いに支え合って何かを与え、貰い、演奏して、それを聞いてもらい、書いて、読んでもらうということは出来る気がしているんです。自分は日本語を使う人間なので、基本的には日本語が理解される範囲での話ですが、ありがたいことにそれを翻訳してくれる人や、別のメディアにアダプテーションしてくれる人だっている。「愛国」という言葉が消えれば良いという思いが、おそらく『小説禁止令に賛同する』にも『ミライミライ』にも現われているんじゃないでしょうか。
いとう どちらの作品も、この世界をどこまで自分たちの言語で支配できるか、改竄できるのかを試しています。それぞれ最終的に、改竄なら俺たちに任せろと言っていい小説になりましたよね。元から改竄をする圧力のようなものを国家に感じていて、そのやり方に違和感があったから、僕らはこういうものを書いている。でも観客を喜ばせるという意味では、ヒップホップで踊れることと同じだと。そういうことです。
古川 僕は、小説家というのはインテリというよりもアーティストなのだという点に立ち帰って、なおかつ芸能を志している流浪の芸能民なのだと自覚したい。時空を流浪するのだと。そういう地点に行きたいなと思っています。
(構成・吉田雅史/2018年4月12日、神楽坂la kaguにて)
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いとうせいこう
1984年早稲田大学法学部卒業後、講談社に入社。86年に退社後は作家、クリエーターとして、活字/映像/舞台/音楽/ウェブなど、あらゆるジャンルに渡る幅広い表現活動を行っている。
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古川日出男
1966年福島県郡山市生れ。1998年に『13』で小説家デビュー。2001年、『アラビアの夜の種族』で日本推理作家協会賞、日本SF大賞をダブル受賞。2006年『LOVE』で三島由紀夫賞を受賞する。2008年にはメガノベル『聖家族』を刊行。2015年『女たち三百人の裏切りの書』で野間文芸新人賞、2016年には読売文学賞を受賞した。文学の音声化にも取り組み、朗読劇「銀河鉄道の夜」で脚本・演出を務める。著作はアメリカ、フランスなど各国で翻訳され、現代日本を担う書き手として、世界が熱い視線を注いでいる。他の作品に『ベルカ、吠えないのか?』『馬たちよ、それでも光は無垢で』『MUSIC』『ドッグマザー』『南無ロックンロール二十一部経』など。特設サイト「古川日出男のむかしとミライ」http://furukawahideo.com/
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- いとうせいこう
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1984年早稲田大学法学部卒業後、講談社に入社。86年に退社後は作家、クリエーターとして、活字/映像/舞台/音楽/ウェブなど、あらゆるジャンルに渡る幅広い表現活動を行っている。
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- 古川日出男
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1966年福島県郡山市生れ。1998年に『13』で小説家デビュー。2001年、『アラビアの夜の種族』で日本推理作家協会賞、日本SF大賞をダブル受賞。2006年『LOVE』で三島由紀夫賞を受賞する。2008年にはメガノベル『聖家族』を刊行。2015年『女たち三百人の裏切りの書』で野間文芸新人賞、2016年には読売文学賞を受賞した。文学の音声化にも取り組み、朗読劇「銀河鉄道の夜」で脚本・演出を務める。著作はアメリカ、フランスなど各国で翻訳され、現代日本を担う書き手として、世界が熱い視線を注いでいる。他の作品に『ベルカ、吠えないのか?』『馬たちよ、それでも光は無垢で』『MUSIC』『ドッグマザー』『南無ロックンロール二十一部経』など。特設サイト「古川日出男のむかしとミライ」http://furukawahideo.com/
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