2025年3月14日
民は歴史の王
著者: 平松洋子
一人一人の輪郭に手を触れるようにして、ソウルという「都」に刻まれた150年を辿る小説『この星のソウル』。李朝終末期の国王高宗と閔妃、日本植民地下の作家や詩人たち、そして「在日」の女子留学生まで、さまざまな人々の姿が描かれています。
小説の主人公「中村直人」と同様に、1980年代初頭に初めてソウルを訪れ、以後長年にわたって繰り返し韓国の各地を訪ねてきたエッセイストの平松洋子さんに、本書を読み解いていただきます。
あれは一九八三年だったと思う。初めて旅をしたソウルは全斗煥による軍事政権下にあり、町は殺伐としていた。八〇年五月十八日に起こった民主化要求の蜂起、光州事件では一般市民に対する激しい弾圧が行われて多くの死傷者を出し、以降も政党の活動や言論は厳しい取り締まりを受け続けていた。私が「今度ソウルへ行く」と話すと、事情通の知人に「おおっぴらにカメラで撮影するな。見つかると即座にフィルムを抜かれたり連行されて危険だぞ」と忠告された。
ソウルの町の空気は刺々しく、もちろんカメラはバッグの底に隠して歩いた。路地裏の薄暗い雑貨店に入ったのは、ガムか飴など買おうとしたのだったか。奥の帳場に進んで支払いをすませようと財布を取り出し、おぼつかない手つきで小銭を探って渡すと、算盤を握った老女が鋭い言葉をぶつけてきた。驚いて後ずさりすると、老女は私に向かって釣り銭を投げつけ、嫌悪のまなざしを浴びせる。「チョッパル」という言葉が何度も聞こえた。チョッパルは豚足の意味だが、足袋を履く日本人に対する蔑称でもある。怒声のなかで埃っぽい床に這いつくばって散乱した小銭を掻き集め、ようやく思いいたった。老女は、自分の国を植民地支配した日本を、日本人を責めている、憎んでいる。
歴史と個人は直結している。歴史とは、こうして血と感情を通わせ、生身の身体を動かす「現在」なのだ――四十二年前のソウルで、羞恥と後ろめたさに苛まれて小銭を拾いながら、とっさに理解したことだった。
『この星のソウル』は、朝鮮と日本が織りなしてきた百五十年をつぶさに描く。朝鮮「開国」(一八七六年)以来、約百五十年の歴史のなかには「韓国併合」(一九一〇年)から三五年におよぶ日本による植民地統治、「解放」(一九四五年)、そののち戦乱や軍事的独裁を経て現在まで、複雑な歳月が横たわる。いっぽう、著者がまなざしを注ぐのは、近現代史を生きた人間たちの多様なありさまである。
朝鮮王朝末期、激動の人生を送った国王、高宗。日本国公使の手引きによって惨殺された王妃閔妃。軍事独裁政権に対して抵抗し続けたキリスト者、咸錫憲。植民地時代の作家や詩人たち。日本人の作家、中島敦や湯浅克衛。日本軍によって信者を虐殺され、焼き払いを受けた教会を再興した牧師。高宗と閔妃に対面を重ねたイギリス人の女性旅行家、イザベラ・バード。「韓国併合」を押し進め、韓国人義兵、安重根の銃弾に倒れた伊藤博文……とかく「歴史上の人物」として時間軸の上にマッピングされがちな彼ら彼女らが、おのおのの輪郭を立ち上がらせ、喜怒哀楽を抱えた生身の人間として現れるさまは、まさに小説の力によるものだ。文中に登場するトルストイの言葉「王は、歴史の奴隷である」。なんびとも、ときと場所を選ぶことなしに生まれ、自身の運命を背負う平等と残酷を抱えている――。
歴史を掘り起こしてゆく主人公、中村直人もまた、ひょんなことから百五十年の歴史のなかに足を踏み入れた人物だ。大学で日本史を専攻していたが、たまたま在日韓国人の政治犯の救援活動に関わり、かつて歴史の舞台となったソウルの土地や人物と出会ってゆく。三十代になると、自分が企画したムック本『モダン都市・ソウル=京城の文学地図』の取材のためにソウルを再訪、現地の案内役として、東京からの留学生、崔美加と縁をもつ。
中村直人と在日韓国人二世、崔美加のあいだで交わされる会話には、しばしば歴史と個人が正面切って向き合い、拮抗する場面がある。娘の人生や結婚にまで口を出す両親について、彼女はつぶやく。
「力仕事で働きつづけて、指の骨まで変形した父の手を見ると、この人たちが経験した歴史をなかったことにはできないと感じてしまう」
愚痴や打ち明け話ではない。これもまた歴史の声なのだ。トルストイ「王は、歴史の奴隷である」に倣えば、民は歴史の王でもあるというべきか。
小説がしきりに語りかけてくる。歴史を解きほぐすとは、歴史認識や解釈を持ち込む以前、まず一個人としての人間の現実を直視すること。たとえば、暗殺に怯えながら惨殺された閔妃は、後ろ盾のない境遇で育ち、義兄や生母を殺され、自身も凄惨な運命を辿るのだが、近代化の激動のなかで無数の命を奪った疑いも否定できないという。それにしても、日韓の関係史に関わる者たちの苦渋に満ちた人間臭さ、無骨さ、泥臭さには、いまさらながらに圧倒されてしまう。
ところで。
中村直人とはいったい誰なのだろう。小説の締めくくり、年を重ね、転居した京都で息子と語り合う様子は、若者を未来へと送りだす姿にも見えるし、かつて日本と朝鮮の歴史を紡いだひとびとの分身にも見える。自分の足で歩いてはきたけれど、目に見えない何かに背中を押されて歩を進めてきたかもしれない。しかし、いずれにしても人間はそのようにして生き、歴史は紡がれるのだろう。
黒川創にしか描き得ない方法で描かれる、この地球の東で瞬く星々の物語。すれ違いや別離を繰り返しても、どんなかたちにせよソウルはかならず響き合う。だから、「あなたがたが行くべき道を」。護符を手渡された心地にいざなう特別な小説だ。
私にとっての「この星のソウル」の断片について、もうひとつだけ挙げてみたい。
私が東京女子大学に入学したのは一九七六年だったが、教授陣のなかに「池明観」の名前があった。池教授の政治学や歴史学の講義を受ける機会は得られなかったが、卒業後ずいぶん経ってから日韓の関係史を調べているとき、池教授が軍事政権での抵抗運動の支援者のひとりであり、「T・K生」のペンネームで雑誌「世界」に「韓国からの通信」を執筆するなど、日韓の架け橋として活動した人物であることを初めて知った。若かった自分の無知を恥じたけれど、それでもなぜか大学時代から今日まで「チ・ミョングヮン」の名前の響きを忘れたことはなかった。
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平松洋子
1958年生まれ。東京女子大学文理学部社会学科卒業。2006年『買えない味』でBunkamuraドゥマゴ文学賞、12年『野蛮な読書』で講談社エッセイ賞、21年『父のビスコ』で読売文学賞を受賞。『韓国むかしの味』『食べる私』『肉とすっぽん 日本ソウルミート紀行』『ルポ 筋肉と脂肪 アスリートに訊け』など著書多数。(撮影:牧田健太郎)
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥

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