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カレー物語

2026年5月1日 カレー物語

1.カレーしか好きじゃなかった

著者: 稲田俊輔

人気の南インド料理専門店「エリックサウス」総料理長にして、レシピ本から食文化にまつわるエッセイまで文筆家としても活躍中の稲田俊輔さんが、その原点である料理=「カレー」について考える連載です。おうちカレーから南インド料理の衝撃まで、私的な経験をベースにその進化や変遷を語っていきます。「もはやカレーは文化である」を合言葉に、国民的料理の真髄に迫る「活字カレー」の決定版!

「カレーとサラダのお店をやりたい」

 食いしん坊の権化のような今の自分からは考えられないことですが、幼い頃は食事そのものが苦痛でした。野菜も魚も嫌いで、肉も挽肉以外気が進まず、何より致命的だったのは白ご飯が苦手なことでした。

 しかしそんな僕でも、なぜかカレーライスだけは大好物。ニンジンや肉も、カレーに入っていれば普通に食べられたし、何よりご飯がおいしく食べられました。普段は小さな茶碗のご飯一膳にも四苦八苦していたのに、カレーの時だけはおかわりまでしてモリモリ食べていたものです。

 子どもの好きな料理ランキングにおいて、カレーライスは1960年代以降ずっとトップランクをキープしています。永遠のライバルはハンバーグ。1980年代以降はそこにから揚げも食い込んできていますが、子ども時代に僕が好きだった(嫌いではなかった)食べ物も、まさにその辺りでした。

 ちなみにそれ以外で僕が好きだった食べ物はサラダでした。サラダと言っても、生野菜サラダなどではありません。ポテトサラダやマカロニサラダといった、本当にサラダと呼んでいいのかどうかのボーダーラインにある面々です。その中で唯一コールスローだけは、サラダの要件を十分に満たす好物だったとは言えるでしょう。

 僕が生まれて初めて(大人に手伝ってもらいながらですが)作った料理は、このポテサラ・マカサラ・コールスローを全部混ぜたトリプルミックスサラダでした。僕としては、おいしいものが3つ合わさったのだから3倍おいしいに違いない、と我がアイデアに得意満面でしたが、果たして完成したそれは、あんまりおいしくありませんでした。1+1+1は、3どころか1ですらなく、せいぜい0.6程度に成り下がっていたのです。

 祖父はそれを「鳥の餌みたいだなあ」と酷評しました。さすがに腹が立ちましたが、そう言われても仕方ないと、あっさり諦めがつくような代物ではありました。

 子どもは「大人になったら何になりたい?」という質問をしばしば受けるものです。それは特に、親戚が集まるような場での定番です。子どもの肩には、一族の期待が背負わされているのです。そんな場で僕は「カレーとサラダのお店をやりたい」と答えて、一族の失望と苦笑を招きました。後年僕はその夢を概ね叶えたとも言えますが、それが一族の期待に沿ったものではなかったことは当然です。しかし僕自身は、そこに一片の悔いもありません。

カレーにおける最大の難敵

 母が作る我が家のカレーは、定石通り、牛肉と玉ねぎとニンジンとジャガイモを油で炒めるところから始まりました。この匂いが台所から漂ってくると、すぐにそれとわかります。僕のテンションはいやが上にも高まるばかり。しかしここでぬか喜びしてはいけないことも熟知していました。なぜならそれは、そのまま肉じゃがになることもあったからです。カレーも肉じゃがも材料はほぼ同じなのに、僕は肉じゃがが大嫌いでした。

 この後順当にカレーの匂いが漂ってくるか、はたまた醤油のしみったれた匂いが充満するか、運命の分かれ道の行く末は天国と地獄。ちなみにどちらでもない場合はクリームシチューで、これは「引き分け」といったところです。

 今思い返すと不思議なのは、カレーにおける「辛さ」を意識したことはなかったということです。食べることが得意でない子どもであれば、辛さもまた苦痛であってもおかしくないはずです。確かに(唯一苦痛なく食べられる魚料理だった)お寿司は全て「サビ抜き」にしてもらっていた記憶がありますし、たまにワサビが抜かれていないものを食べてしまった時は、果てしない苦しみと絶望を味わうことになりました。

 当時1980年前後は、バーモントカレーを始めとする、子どもの好みを意識した甘口カレールーが主力になりつつあった時代です。しかし我が家のカレールーはジャワカレーでした。しかも、僕の記憶が確かならば、それは中辛でした。両親は子どもの好みにはあまり忖度しないストロングな食スタイルを貫くタイプでしたので、カレールーの選択にもそれが現れていたのでしょう。このカレーにおける辛さというファクターの不思議さに関しては、今後この連載でも、改めて掘り下げてみることになるでしょう。

 辛さは問題ではなかったのですが、僕にとって最大の難敵は、実はジャガイモでした。普段であれば(たとえば「酢豚」の時など)ニンジンに対して最大級の憎悪を抱いていた僕ですが、カレーの時だけは一時的な和解が成立していました。肉も嫌いだったはずですが、カレーに入る牛コマは、なぜかむしろ好ましいものに変貌していました。特に脂身の部分は、僕をむしろ恍惚とさせました。そしてとろりと煮溶けた玉ねぎは、いつでも僕の味方でした。

 しかしジャガイモだけは、はっきりと敵でした。邪魔以外の何物でもなかったのです。しかしポテサラやコロッケなら大好きだった僕は、ある時一計を案じました。カレーのジャガイモを、最初にスプーンの背で全て潰してしまうという工夫を編み出したのです。カレーにおいては「とろみ」も需要ですが、潰したジャガイモはとろみの増強にも貢献してくれて、僕はこの奸計にますます満足しました。母親は嫌な顔をしましたが、さすがに子どもがそこまで気を遣う必要もありますまい。

 この「ジャガイモ潰し」は、後に出会うことになるインドカレーの世界においても重要な要素となります。その話もいずれ改めてするとして、当時の僕はなかなか先見の明があったのではないかと自惚れつつ、我がカレー人生の話はこの後も延々と続きます。

 

*次回は、5月15日金曜日更新の予定です。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
 「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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 手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
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「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

稲田俊輔

料理人・文筆家。南インド料理専門店「エリックサウス」総料理長。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、酒類メーカーを経て飲食業界へ。南インド料理ブームの火付け役 であり、近年はレシピ本やエッセイなど、旺盛な執筆活動で知られている。著書に『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』(柴田書店)『おいしいものでできている』(リトルモア)、『お客さん物語』(新潮新書)、『ミニマル料理』(柴田書店)、『異国の味』、『東西の味』(ともに集英社)、『稲田俊輔のおそうざい十二カ月 旬を味わう一汁三菜』(暮しの手帖社)など。

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