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マイ・フェア・ダディ! 介護未満の父に娘ができること

 父と同年代の著名人が鬼籍に入ったニュースが続く。父の年齢を意識するあまり、私の目に留まりやすいだけなのかもしれないけれど。

 なんにせよ、もっと長生きすると思っていた方たちばかりだ。闘病中ではない方もいらっしゃったので、80代半ばで人生を終えるのは自然な寿命と言えるのだろう。

 お金持ちも、名声がある人も、善人も悪人も、みな等しく死を迎えるものだなと、至極当たり前のことを今までで最も現実味を持って感じた。どうやったって、最後にはこの世からいなくなるのだ。

「晩年」という言葉がある。その時期をどう安心して過ごすかにばかり、人の意識が集まり過ぎているような気がする。そこに集中し過ぎて、漠然とした不安が社会に漂っているのを感じずにはいられない。具体的には、老後の資金がいくら必要なのかとか、健康寿命を延ばすにはどうしたらいいのかとか、まさに私がとり付かれていること。たまにテレビをつけると、シニア向け健康食品のCMばかりで驚く。あれは不安の裏返しだ。

 先日、学生時代からお世話になっている先輩がイギリスから緊急帰国した。お父さまが急に亡くなられたのだ。先輩のお父さまは、父とほとんど同じ歳だ。

 それまでずっと健康体で、大きな病気もしていなかったらしい。読書家のお父さまは、お昼ご飯を召し上がったあと、「読みたい本があるから、2時頃起こしてくれ」と妻(先輩のお母さま)に頼んで昼寝をした。2時になって起こしにいくと、すでに息を引き取っていたという。残された家族のことを思うと胸が痛むが、これ以上幸せな去り方はないとも思った。

 私は娘として後悔のないように、父の介護未満ライフに携わってはいるが(そこには自らの保身という考えもある)、患わずに天寿を全うした老人の訃報を聞くたび、健康体から要支援、要介護と、段階を踏んで死を迎える人ばかりではないことを思い出す。私はそれをすっかり忘れていたようにも思う。突然パタリといなくなることだってあるのだ。

 約25年前、母が64歳で亡くなった。不当に命を奪われたような気持ちになり、憤りと悲しみをどこにぶつけてよいかわからなかった。父がいま永眠しても、同じ気持ちにはならないだろう。だが、悲しみ以外にどんな気持ちが湧き上がってくるのかはまったく想像がつかない。

 父のパソコンを買い替える話になってから、2か月が過ぎた。すぐに買いに行く予定だったが、一度は大雨が降って、もう一度は父の体調が優れず中止になった。急ぎではないとはいえ、父の体調不良が原因で外出予定がキャンセルになることは稀だ。

 体調不良の主な要因は、相変わらずのめまいと蕁麻疹。最初は「たまに」だったそれらの、どちらかに必ず悩まされる日が増えてきた。

 先月までは気楽に聞けた話が、頻度が上がると途端にシリアスに聞こえてくる。大きな病気と違って命に別状はない代わりに、どちらも日常生活にちりちりとした不快感を生むので、健全な精神が削り取られるのがよろしくない。

 以前アレルギー検査を受けた結果から、蕁麻疹は食べ物由来ではないことがわかっている。つまり、なにかを食べるのをやめれば治まるものでもない。生活をガラリと変えるわけにもいかないので、薬を飲んだり塗り薬を塗ったりの対症療法でやっていくしかない。

 めまいに関しては、かかりつけの病院でもう一度全身くまなく調べると父自身が決めた。一方、友人の父親は深刻な体調不良にもかかわらず病院に行くことを拒んでおり、それでも娘のケアは必要なので苦労していた。

 この連載で何度か書いているとおり、我が父が病院嫌いでないことは、つつがなく介護未満ライフを送る上で大いに助かっている。寛解したC型肝炎と父が気にしている前立腺についても、率先して定期的に検査を受けているので心配はない。

 と同時に、父が私にスラスラと検査内容の説明をするのは難しい。「ちゃんと説明して」は、80歳以上の老人には厳しい要求だ。お互いの「良かれと思って」を諍いの種にしないために、検査票を写真に撮って送ってもらうことにした。これなら父にもできる。

 先日の検査票には「脳血流IMPレスト」と書いてあった。調べてみると、脳血管に障害がないか、認知症の症状が出ていないかの検査のようだ。インターネットのおかげで、調べれば概要くらいはわかる。

 食事もそうだが、「写真を撮って送る」を習慣化したおかげで、回避できたトラブルは少なくない。高齢親子の喧嘩など、たいていは「良かれと思って」起因なのだから、とにかく全力で回避する。

 後日、すべての検査予約が記された用紙の写真も送られてきた。今年10月に肝臓の検査が1回、11月に脳と耳鼻科と神経内科がそれぞれ1回で合計3回、来年1月に泌尿器科が1回、4月にMRIと消化器内科が1回ずつで合計2回。

 さすが、検査に抵抗のない男。想像以上に多岐にわたる予約をしていたことに驚く。私だったら、こんな先まで検査の予定が入っていることに気が滅入ってしまう。

 急ぎの検査がないところをみると、速やかに対処するに値する病気の心配はなさそう。ホッと胸をなでおろす。あとは、めまいがひどい時に家の中で転倒し、大腿骨骨折なんてことにならないように策を練らなければ。夜中にトイレに起きるあたりがいちばん危険だろう。

 寝室は絨毯だが、トイレにたどり着くまでに通るダイニングはフローリングだ。賃貸なので手すりの設置は難しいから、動線にはめ込み式のクッションフロアを置くことも考えた方が良いかもしれない。

 当面の懸案は、蕁麻疹による睡眠不足と不必要な食材忌避、めまいの原因究明と治療および転倒対策。ついこの間まで体重を減らさないことが主なテーマだったが、具体的な不調のせいで次のフェイズ(それが要介護なのかどうかはまだわからないが)がジリジリと近づいているようで、正直に言えば怖い。

 体調不良による外出キャンセルの2週間後、父と墓参りに行くことになった。そのあと体調が良ければ、パソコンも買いに行く予定だった。

 父は珍しく待ち合わせに遅れてきた。なんだか少し痩せたように見える。送られてくる食事の写真を見る限り、バランスもカロリーも十分だったはずなのに。

 聞けば、ちゃんと食べているつもりだが、体重が少し減ってしまったのだという。本人もそれを気にしているようだった。その日はめまいも蕁麻疹もなかったが、日々のそれらが体力と精神力を削り始めているのではないかという不安が的中してしまった。筋肉量も減ったように見えた。

 私は途端に心配になり、焦った挙句に失敗をした。ひとりよがりな「良かれと思って」をやってしまったのだ。

 墓前で父に生活のあれこれを矢継ぎ早に質問し、その流れで、私は父に「いまここで、ちょっと一緒に運動をしようよ」と提案した。腕を左右に広げてグルグル回してみたり、軽くスクワットをしたりしてみせた。いまどの程度、父が動けるのかも、見ておきたかった。

 父はまったく乗り気ではなく、目の前にいる私のことをうっすら無視し始めた。腹立たしい。

「ほら、お父さんも!」と私が威勢の良い声を出した途端、父が声を荒らげた。

「わかってる! わかってるよ! そういうの嫌なんだよ! うるさいなあ! ×△※◇〇□※~!!」

 眉間に皺をよせ、私に向かって手で払うような仕草。後半はなにを言っているのか、よく聞き取れなかった。

 悪かったなという気持ちと、うんざりだという気持ちが両方同時に立ち昇る。応戦しないよう、自分の気を鎮めるため墓掃除に集中した。硬化した私の態度を見て父がなにか話し掛けてきたが、今度は私がそれを無視した。

 うまくやれていると思っていても、ちょっとした不安ひとつでこうも簡単に均衡が崩れてしまうとは。我ながらびっくりだが、介護生活を送る人々とケアをする家族にとっては、なんの驚きもない「よくあること」に違いない。

 改めて、老人は子どもと違い、生きているだけでできることが増えるわけではないのだと痛感する。後退するスピードを、どこまで遅らせられるかでしかない。その中で、介護される側もする側も、どれだけ機嫌よく過ごせるかが鍵なのだろう。繰り返し繰り返し、自分に言い聞かせる。

 結局、この日もパソコンを買いには行かなかった。

 父の体調はその後、快調とそうでもない日を行ったり来たりで、なかなか安定しない。電話で話す限り声に力はあり、友人と外食に出掛ける日もあるようなので、引き続き様子をみるしか私にできることはない。

 先月は石材店のおかみさん逝去の知らせ、今月は父と同世代の著名人たちの訃報と、先輩のお父さまのおだやかな終焉。それらが私の不安を一層駆り立てている自覚はある。そこに父の不調が重なったものだから、不安をそのまま父にぶつけてしまった。

 冷静に考えれば、私がいま抱えている不安は、父にはあまり関係のないことだ。父には当事者としての不安があるに違いない。そこを汲み取る技量は私にはないが、今後は「良かれと思って」で私の不安を父に共鳴させるようなことはしないようにせねばならない。

(つづく)

(「波」2021年12月号より転載)

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
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「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

ジェーン・スー

1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など。

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