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マイ・フェア・ダディ! 介護未満の父に娘ができること

2023年9月18日 マイ・フェア・ダディ! 介護未満の父に娘ができること

特別篇 父の「大丈夫」を引き伸ばす

著者: ジェーン・スー

 思わぬ理由で、突然の独り暮らしとなった82歳の父(当時)。幸い心身ともに健康だが、家事全般に疎く、その生活に黄色信号が灯る。離れて暮らす娘は多忙の身だが一念発起。父の生活再建を計画する――。

 約1年のごぶさたとなりましたが、ジェーン・スーさんによる「介護未満の父を娘が支えるドキュメント」特別篇をお送りいたします!

少し細くなったように見えた父

 暑い。暑すぎる。建物から一歩外に出ただけで汗が噴き出しびしょびしょになるし、日傘をささずに5分も歩いたら、太陽に頭を叩かれているような気分になる。夏によるいじめだ。2023年8月の東京は、真夏日、つまり最高気温が30度を下回る日が一日もなかった。観測史上初のことだそうだ。天気予報は「命の危険を感じる暑さ」なんて言い回しをする。

 そのせいで、父とは8月には会えずじまいだった。つまり、墓参りに行けていない。7月も暑すぎて行けなかった。7月と8月のお盆どちらも墓参りができないなんて、母親が亡くなってから初めてのこと。しかし、日除けのない墓地で父が倒れでもしたら元も子もない。母には申し訳ないが、今回は生きているほうを優先させてもらった。

 7月、父に会うには会った。一度は私が父の居室の清掃に。数年前に比べたらかなり綺麗に住めるようになったが、床の拭き掃除はできない。確かに85歳には難しいだろうと、しっかりピカピカにしてあげた。

 二度目は私の仕事場の近くで。母の親族が残した小さな小さな土地の登記がどうとかで、親子そろって行政書士さんと面談する必要があったからだ。その日も35度を超える猛暑日で、日中の待ち合わせ自体が危険行為だった。屋外で親に会うだけで肝を冷やすことになるなんて、数年前は思いもよらなかった。夏がこれほど暴力的になることも、父がこれほどかよわい存在になることもそうだけれど。

 炎天下に現れた父は、黒のスニーカー、濃紺のコットンパンツに紺色のギンガムチェックシャツを合わせ、クリーム色のストローハットと跳ね上げ式のティアドロップサングラスという出で立ちだった。陽射しの眩しさと暑さにやられたのか、眉間から鼻までまんべんなく皺が寄っている。見出しをつけるなら「おしゃれで不機嫌な老人」だろう。

 元気かそうでないかで言えば「元気そう」ではあるが、外で会うと、腰回りが一回り細くなったように見える。ギンガムチェックのシャツは一昨年あたりにプレゼントしたもので、当時より肩回りがブカブカしている。今度は私が不機嫌になった。

 なかなか体重が増えない父親にイライラしたって仕方がない。わかってはいるのだ。それでも、最近では自分の体重が減らないことよりイライラする。

 「あんたまた痩せたね」と、ぶっきらぼうに言うと、「あんたはまた太ったね」と、一秒で憎まれ口が返ってきた。頭の回転は鈍っていないようだ。

父と妖精さん

 父とは相変わらず、一日二度か三度ほど、LINEの交換をしている。食事の写真を送ってもらうのも続いている。一日三食食べるのは難しいようで、二食が基本になった。ひとりで準備をする時は十中八九がレトルトカレー。最初の頃は何度か頼んでいた出前は、ほとんどやめてしまった。

 父の家に誰かがいる時は、麻婆豆腐とローストビーフとか、ちらし寿司と金目鯛の煮つけとか、私よりずっと豪勢な食事をしている。とは言え、写真に写ったものをすべて平らげているわけではなさそうで、次の食事の写真に前の食事と同じものが写っていることもままある。娘の目は欺けない。倫理と科学の進歩が許すなら、毎食後に父の胃を開いて食べたものの量を確認したいくらいだ。こういうことを言うから、監獄にいるようだと言われるのだけれど。

 行政書士さんに渡す書類の準備では、何度か小さな言い争いをした。印鑑証明書は1通じゃなくて2通必要だとか、それを取りに行くのにどんな手順が必要でどこへ行けばいいとか、同じことを幾度か説明した。単独でやらせるのは酷な作業かもしれないが、父の周りには複数の妖精がいて、いつもフワッと飛んできては手助けをしてくれるのを私は知っている。豪勢な食事も妖精さんの手作りだ。

 妖精さんたちのおかげで書類は整い、行政書士さんとの面談はあっという間に終わった。帰りに明治屋へ寄って、父が欲しいものを買ってあげる。フルーツや、甘いもの。スーパーの紙袋は少し重く感じたが、難なく持ち歩けていたのでほっとした。

 通りに出たところで、1台の外車が目の前を通りすぎた。父は目ざとくそれを見つけ、「あれはいい車だ。あんな車が欲しいよ。でも、うんと高いだろうな。それにあれに乗ったら、ほかの車には乗れなくなっちゃうな」なんて、まるで昭和の若者のようなことを言った。

 運転免許を返納し、つつましい生活をするようになってから10年以上経つというのに、父にはまだ、消費行動から得られる快楽やステイタスのようなものへの発情がある。高級スーパーで買い物をする行為もそうだが、とにかく「高級」と接点を持つとテンションがあがる。傍から見ていると、高度成長期の日本を味わってきた人の消費への飽くなき欲望は、令和となった今では哀愁である。

 面白いもので、「伝統」や「格式」に対し父は反応しない。権威主義的ではない証だと好意的に理解するようにしている。しかし、好意的には解釈できないことだって、父にはたくさんある。

文鳥をめぐる「大事件」

 この1年の間に、父には大事件があった。父が我が子以上にかわいがっていた文鳥のピーコが逃げてしまったのだ。「逃げてしまった」と表現するのは飼い主として無責任。「不注意で逃がしてしまった」と言ったほうがいい。ただし、「不注意で逃がした」の主語は父ではない。妖精さんのひとりである。父が不在の時にそれは起こった。父はすぐに警察へ届けを出した。

 父は、これ以上ないほど落ち込み、体重も減ってしまった。毎日不安定で、電話をかけてきては、ピーコはどこへ行ったんだ、どうしたら帰ってくるんだと嘆く。まるで「ピーコ」という名の妻に逃げられた夫のようだった。父が下戸で本当によかった。酒飲みなら、管を巻いたまま路上でこと切れかねなかった。

 あまりに不憫なので、私はすぐさま文鳥探しのチラシを作ってあげた。ピーコに父ほどの思い入れはなかったが、スマホのフォルダから写真を探して切り抜き、特徴などを記したチラシを作っていたら、だんだん悲しい気持ちになってくるので参る。簡単に見つかるわけがないと思いながら、見つかるといいなと祈りもした。

 問題は、そこからだ。父にはチラシを100枚程度コピーして送ったが、数日後、それでは足りないと連絡がきた。いや、足りるだろ。どこに撒いているんだ。

 聞けば、巨大な団地のポストに片っ端から入れているようで、しかも地元の共産党員にそれを頼んでいるという。嗚呼、出た。父の悪い癖が。私は頭を抱えた。

 地域の共産党の人との付き合いが今まであった話は聞いたことがない。しかし、困った市民の手助けを、誰がやってくれるか父はわかっているのだ。手に入れたいもの、この場合は手助けになる、が明確な時、父に一切の躊躇はなくなる。

 父が藁をもすがる思いだったことは否めないし、手助けしてくれた方には感謝しかない。しかし、父の困りごとが一般的な「市民の困りごと」なのかは微妙なラインだと思う。しゅんとした見知らぬ老人に頼られたら断れなかったのかもしれないと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 さらに困ったことに、父のテンションは嘆きのフェイズから怒りのフェイズに移行してしまった。

 ある日、父が近所の人に文鳥が逃げたことをこぼしたら、「同じような話をつい先日聞いたけれど、しばらくして戻ってきたと言っていたよ」と励まされたらしいのだ。本当にあったことかもしれないし、やさしい嘘かもしれない。どちらにせよ、近所の人は父の心を軽くしてあげようと思ったに違いない。

 しかし、平常心を失った父は、だんだんと「その家の文鳥が帰ってきたのではなく、うちのピーコがその家に行った」と思い始めた。完全にやばい人である。父は改めて近所の人を訪ね、その家の文鳥がピーコではないか確かめさせてほしいと懇願したらしい。しかし、相手は鋭く父の危うさを察知したのか、「そんなことを言った覚えはない」とはぐらかしてきた。その反応に、父は怒髪天を衝いてしまったのである。

 その後がすさまじかった。父のなかで、いつの間にかピーコは「盗まれた」ことになってしまったのだ。そして、権威主義的ではないくせに、権威を使って「父にとっての真相」を暴こうとした。まず、商売をやっていた時代に世話になっていた弁護士に相談し、どこかの誰かに陳情にも行ったらしい(親戚から連絡が来て震えあがった)。警察には、何度も足を運んだ。いつもはソファで一日中寝ているだけなのに、火の玉ボーイならぬ火の玉老人になって行動しまくった。コロナは収まってないというのに!

 罪悪感に耐え切れなかったのだろうか。愚行を悔んだり、喪失を悼んだりするやり方としては乱暴すぎる。加えて、自分が欲しいものを手に入れるために選ぶ手段が、悪い意味で的確すぎる。合意を重視はするが、ライトなマキャベリストと言えよう。

 ここまで読んで、「娘ならどこかで止めろよ」と思うかもしれない。私だってそうしたかった。しかし、すべての行動は事後報告なのである。電話をもらうたび、私はギャーと叫ぶしかなかった。

 私は父の被害妄想をなだめ、冷静さを取り戻すよう諭し、しばらく追加のチラシ作成を断った。どこまで撒くのか見当もつかなかったからだ。結果的に私の行動はひとつも功を奏さず、父は街の印刷所にチラシを発注した。後日私もそれを目にすることになったのだが、いつの間にか懸賞金が掛けられており、ピーコの写真には「はやく帰りたいよ」なんて吹き出しがつけられていた。動物にしゃべらせる人間に碌なのはいないんだよ、父よ。

 とにかく、早くピーコが見つかってくれ、もしくはこれ以上誰かに迷惑を掛けないでくれと胃が痛くなる毎日だった。暴走しながら悲しんでいることも理解していたし、行動を制限すれば暴走が加速するだけなので、別の話題を提供したりして収まるのを待つしかなかった。この手の暴走は生前に母親から何度か聞いたことがあったので、まだその気質が健在なことに私は驚き、そして離婚を選ばなかった母にも呆れた。

 いつまで経っても、ピーコは戻ってこなかった。本当に可哀相なことをしたと思う。父に飼い主としての自覚が…と喉元まで出たところで、逃がしたのは父ではないことを思い出す。

「騙し騙し」を続けるだけ

 なにか新しいことを始めたら気がまぎれると思い、近所にできたパーソナルトレーニングのジムへ通ってみたらどうかと勧めると、意外にも乗ってきた。90歳になっても筋トレを欠かさない、大村崑さんのエピソードを伝えたのが良かったのかもしれない。

 父が通うことになったジムはストレッチとトレーニングの専門店で、体力がない日はストレッチだけでもやってもらえる。それならプレッシャーにならないだろうと、安くはない回数券を私が買った。いまは、そこからまた数か月経過している。猛暑日に予約をキャンセルしたことも何度かあった。トレーニングはあと1回で終了となるが、残念ながら続ける気はないらしい。

 これまで、父が精神的・肉体的に健やかな独り暮らしを一日でも長く続けるために必要な快適な居住空間の維持と、健康的な食事と、体力づくりのみっつをさまざま試したが、結果的にはほとんど頓挫した。ハウスキーピングは担当者と折り合いが悪くやめてしまったし、足の裏に電流を流してふくらはぎの筋肉を鍛える器具はもう使っていないだろう。ジムは続かなかったし、父に生きる気力を与えていたピーコはもういない。

 それでも、10のうちふたつかみっつは続けられているのだ。最近はロイヤルホストの冷凍食品がお気に入りで、折に触れ注文している。「アイソカル」や「メイバランス」といった栄養機能食品のコンスタントな摂取も続いている。緩やかに減り続けていた体重は、「ガッツギア」というゼリー飲料を一日ひとつ飲むことでかろうじて止まった。いまのところはだが、それでいいではないか。

 結局、最期までトライアル&エラーの繰り返しなのだろう。しかも、父に課しているさまざまなチャレンジから得られるのは体力の回復や成長ではない。「まだ大丈夫」を騙し騙し引き伸ばししているだけと言ったほうが正確だ。

 そのことに、気持ちがくじけそうになることもある。まだ歩けはするが、足元が覚束なくなっているのは否めない。来年はどうなっているのか、誰にもわからない。つまり、いま考えても仕方ない。父も私も、目の前のことを粛々とやるしかない。

 もう少し涼しくなったら、また床を磨きに行こう。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

ジェーン・スー

1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など。

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