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ロビンソン酒場漂流記

2024年8月9日 ロビンソン酒場漂流記

第12夜 お大師さまの街の手練酒場

京浜急行大師線川崎大師駅 徒歩14分「多ツ美」

著者: 加藤ジャンプ

イラスト+写真:加藤ジャンプ(特記した写真を除く)

 今回目指したのは川崎大師の近くにある、にぎやかな居酒屋である。ただ、行ってみたらなんだか違和感がある。なぜだろう

 その日は川崎駅で待ち合わせた。

 川崎駅といっても二路線あってJRの川崎駅と京浜急行の京急川崎駅がある。待ち合わせたのは京急川崎駅のほうだ。

 私の家からいちばん近い京急線の駅は仲木戸駅…ではなく、数年前に名前が変わって京急東神奈川駅である。名前が変わってから、下車するのを間違えそうになったことが何度もある。刷りこみは鳥でなくても拭い難いし、これからも私は仲木戸駅と呼び続けるつもりだ。地名だとか駅名なんて、早々簡単に変えてはいけない。

 今回Mさんと待ち合わせしたのは、京急川崎駅のなかでも、とりわけこぢんまりとして昭和の雰囲気が色濃く残る京急大師線のホームだった。大師線は京急川崎駅から小島新田という駅までを結んでいる。明治32年に開業したが、これは関東では初めての電気鉄道である。全線が川崎市川崎区内を通るという、ピンポイントローカルラインで路線距離は4・5キロしかないから、全線歩いて制覇することだってできる。しないけれど。

 下車するのは川崎大師の門前町にある、川崎大師駅である。

   川崎大師とは弘法大師の大師のことである。ご本尊が弘法大師だから川崎大師と呼ばれているが、ほんとうは平間寺という。読み方は「へいけんじ」で、私は子どもの頃から、川崎大師と聞くとなんとなくエルビス・プレスリーを思いおこしてしまう。エルビスの主演映画『燃える平原児』のせいである。駄洒落みたいなコレも刷りこみである。

 年末になると「関東の三大師』なるフレーズとともに、北関東のお寺が初詣を促すコマーシャルを放送する。といっても、これは関東ローカルなことである。いつものようにロビンソン酒場行に同行してくれる編集者のMさんは関西人なので大学に入学して上京したとき、はじめて(くだん)のCM内の「関東の三大師」というセリフを耳にしたそうだ。ちなみに、その「三大師」の大師は川崎大師とはちがって、元三大師(がんざんだいし)という天台宗のお坊さんがご本尊なのだという。私は「大師」と聞くと弘法大師と伝教大師くらいしか思い浮かばないが、日本には20人以上大師がいる。全員揃ったら何でもできそうである。ウィー・アー・ザ・大師。

 いつものようにサングラスをかけたMさんは、会った瞬間から珍しく興奮していた。これはなんなんだ、と、言って指差した先にあったのは「おこわ」だらけの自動販売機だった。大正2年創業の川崎のお菓子屋さんが出している自販機で、売られているのも実に旨そうな茶飯だとか赤飯といった真面目なものばかりだった。しばし二人で眺めての後、暗号のように妙な言葉を交わした。

 「やっぱり、モノが出てくるときは、大きな音がするんですかね」

 「するんでしょうねえ」

 私とMさんの間で、これといった符牒も使わずに、なにか含みをもたせた言葉のやりとりが成立したのには理由があった。大型の特殊な自販機を目の前にして二人が語ったのはアレのことである。かつて町外れに必ず立っていた、今でいう有害図書を売るマジックミラー仕様の自販機のことだ。昭和の後期に学生時代を過ごした中年男性にとって、変わった自販機といえば、まずさいしょにこんなキナ臭い自販機を思い出してしまいがちだ。だが、そういう胡乱(うろん)な自販機の記憶の刷りこみを、こんな素敵な自販機が上書きしてくれる。長く生きる意味は、こんなところにもある。

 京急は赤い電車である。そして線路幅が一般的な関東の鉄道の線路の幅よりも広い、標準軌である。どういうわけか京急に乗車したときは、このことを吹聴したくてたまらなくなる。それで、その日も「京急は新幹線と同じ標準軌ですよ」などとMさんに話してみたところ、

 「沿線の景色、なんか関西テイストあるわあ。この街ジャンプさん好きでしょ?」

 「ええ」

 と、線路の幅についてあっさりと受け流されてしまった。標準軌は関西私鉄では珍しいものではなく、大阪出身のMさんにはどうでもいいことなのであった。

 京急川崎駅から3駅目に目的地の最寄駅である川崎大師駅はある。わずか5分ばかりの京急線の旅を終え改札を出た私たちは、まず、その平らな光景に圧倒された。海と川がせまっていて、目の前に国道409号線、通称大師道がつっきっている。大師道沿いから伸びる何筋かの通りには看板が掲げられ『表参道』や『ごりやく通り』といった文字が、いかにも門前町であることを感じさせた。そして、にわかに、ただのロビンソン酒場訪問ではなく、ちょっとした巡礼の旅の心もちになった。

 「参拝しますか」

 「いや、まず呑みにいきましょう」

 ピルグリムな気持ちは瞬く間に消え、私たちは『ごりやく通り』を突き進むことにした。ちなみに『ごりやく通り』はまっすぐそれを進んでも川崎大師には到着せずに神明神社という神社にたどり着く。お大師さまには途中で曲がらないといけない。

 平坦な通りには両側にお店が立ち並んでいる。平日の午後、まだ世の中は就業中の時間だったから、通りには参拝の客も見当たらず、がらんとしているものの、魅力的な店がすくなくない。

 不思議なのはタバコを売っている店が多いことだ。その日、昔から見かける独特の書体の「たばこ」という看板を何枚も見かけた。なかに理髪店とタバコ、八百屋とタバコの兼業の店もあった。そういえば、先日急逝した漫画家・鳥山明さんの残された『Dr.スランプ』に「たばこと産婆」という看板の店が登場していた。今でも「たばこ」の看板を見かけると、産婆と兼業なのではないかと思ってしまう。

 いつものことだが、これから間もなく呑むというのに、道沿いの店の旨そうなものの誘惑にいともあっさり負けてしまうのが、私だ。その日は、まずは肉屋にすいすいと吸い込まれた。肉の品揃えはもちろん、毎日でも買いたいような惣菜がショーケースのなかにひしめきあっている。コロッケやポテトサラダを買い込んだ私は、

 「これ、ツマミに、途中で給油しときますか」

 と、Mさんに聞いてみた。給油とは酒を呑むという意味の、飲兵衛ならたいがいわかる符牒である。二つ返事を期待していると、

 「だめです」

 断固としたMさんのこたえは、再び、私に巡礼者の心得をもたらした。

 コロッケをぶら下げながら私たちは再び歩き始めた。全然辿りつかないけれど、起伏のない道はロビンソン酒場行脚にしては楽なもの。私たちはいつもよりずっと元気なまま歩を進めることができた。まったく坂のない道は見通しがいい。見通しがいい道ながら目的のロビンソン酒場はなかなか見えない。   

 再び、自動車が行き交う大通りを横断する。片側二車線の道路との交差点には、なぜか弁当を売る店が三軒もあって(しのぎ)を削っている。交差点の名前は川中島というから、弁当屋同士、塩が足りなくなったら送ったりするのだろうか、と、Mさんとオジさん丸出しの冗談を言い合う。長い道のりで些か疲れていたのだ。そこからしばらく、また平たい道を行くと、今回のロビンソン酒場『多ツ美』がある。だいぶ歩いた。地図のアプリケーションをスマホで見てみると、1キロ、14分の道のりという。写真を見たら、なんだか印象が違う。実際にそこにある店と地図アプリケーション上の写真とはまったく違わないのに、なんだか違う…。

 春の夕暮れはのんびりしていて、開店時間の五時になってもまだ明るい。明るい時間に呑み始めるのは、世の中に明るく背を向けているようで大好きだが、その日は、まっすぐ店に入らず一旦通り越した。その先に『大和屋鶏卵』という看板が見えて、それに釣られてしまったのである。おじさんは、卵が好きだから。

 件の鶏卵の店は、どうやら卵の卸しが専門で、片手間に小売りもしているようだった。薄暗い土間はほとんどを荷捌き用のスペースにしていて、隅のほうに小売り用の卵があった。ぼんやり眺めていると、奥から、

 「おいしいよ」

 と、声をかけてくれた。イチゲン客にも卵は売ってくれるらしい。

 「近くじゃないんですよ」

 「どこ?」

 「横浜です。これから呑みにいっちゃうから、卵、悪くなっちゃうといけないんで、今日は買えないです」

 「またいつでもおいでー」

 何気ないやりとりだったけれど、完璧な接客だった。そして私たちは『多ツ美』にもどった。暖簾には、

 「旬の鮮魚と創作鮨酒処 多ツ美」

 と、ある。印象通りといえば印象通りなのだが、なにかが違う。暖簾をくぐってもまだわからなかった。だが、引き戸を開けてのぞいた店内は、ほとんど記憶のまま、という気がした。左手にガラスケースのついた長い一文字のカウンター。右手は小上がりで、畳敷に椅子とテーブルがある。

 「昔は椅子じゃなかったですよね」

 カウンターのなかの男性はにこにことしながら、

 「ええ」

 と、うなずいた。突然やって来た胡乱な客にたいしても簡潔にして爽やかな対応が、ロビンソン疲れの心に、さきほどの卵屋さん同様、しみじみとありがたい。こちらにどうぞ、と、女性のスタッフのかたに案内されMさんと二人、カウンターの奥のほうの席に腰をおろした。傍を見たら、可愛い犬がいる。大人しく座布団に寝ていて、この犬を見ているだけで二合は軽いだろう。

 男性とか女性のスタッフとか言ったのには理由があった。雰囲気の似た、きりっとした女性が二人いて、どちらが女将さんなのか、あるいはお二人とも女将さんというツープラトンなのか、はたまた二人とも女将さんではないのか、迷ったからである。そういうわけで男性も大将なのかどうかわからなかった。みな「多ツ美」とロゴの入った黒い服を着ていて、凛々しい。

 カウンターの中央部分にガラスケースが据えられている。この中身に圧倒されてしまった。ぎゅうぎゅうに旨そうな素材がつまっている。素人目にも新しくて質のいいものばかりなのがわかる。マグロ、鯖、ウニ、たぶん松葉ガニ、そして青魚も目の綺麗なのがみっちりと並んでいる。ただごとではない。

 カウンターの上には、油性ペンの勢いのある筆跡で書かれたメニュー表が、これまたぎちぎちに貼られている。書は人なり、という、誰が言ったのかよくわからない格言を巷間耳にする。それにしたがえば、この店は筆勢もじゅうぶん、自信に満ちあふれている。

 筆跡ももちろん、見事なのは、その中身である。牛もつ煮込みみたいな居酒屋らしさ一杯の料理は当然。それらにくわえて、あま鯛松笠揚げだとかメヒカリにぎり、きんき焼、セイコガニがになんてものまであって、割烹のような料理が並ぶ。その数五十は下らないだろう。  

 「どうぞ」

 と言って出されたのはお通しで、三つに仕切られていて、黄身酢で和えた白身魚に、生のシラスと大根おろしを添えた鮭。いいではないか。

  書が人なり、なら、お通しは店なり。お通しから店全体がわかるとまでは言わないが、お通しは店からの挨拶状のようなものだ。お通しはいらない、という人もいるらしいが、私はお通しは、その店の味付けから、店全体のポリシー(盛り付けが適当なら、一定の部分は気を使いませんよ、というメッセージだったりする)、たとえばフードロスについての姿勢(残った素材はうまく転用していたりすると、うむ、と頷けるのである)みたいなことまで、多くのお知らせ要素があると思うので、初めて行く店などどんなお通しにお目にかかれるのか固唾を飲んで待っているようなところがある。そして、その夜の多ツ美からの挨拶(お通し)は、「気楽だけれど妥協しませんよ」と読み取った。いずれもレギュラーメニューとして出せるクオリティである料理を一口よりも少し多めに、盛り付けも綺麗に出してくれた。いずれもクセがなく、どんな酒とも相性がいい。黄身酢もコク深いけれど甘みは控えめ、さっぱりとした後味がよかったし、生シラスはねっちりとして出汁があふれる良い品だった。頼みもしないのに、こういう良いものが出てくる店は間違いないのである。

 ここから、一気にあれこれ注文した。刺身の盛り合わせは、注文前にあれこれ話してその日良さそうなものを盛り込んでもらう手筈にした。ハマグリとブロッコリーを炊いたのは、カウンターの上にあった大皿にあったのを「これください」とお願い。さらには牛もつの煮込みにエビフライ。こんなにいきなり注文したのはロビンソンウォークで腹がへっていたせいもあるが、すいっと懐に入ってきた粋なお通しの力によるところが大きい。

 Mさんがサングラスから普通の透明なレンズのメガネにかけかえていると、中ジョッキの生ビールがあらわれた。キンキンに冷えたジョッキのビール。これを一気に半分ほど流しこむ。もちろん、一口目の後には、

 「あーーーー」

 と、声が出る。Mさんも私も、ほとんど同時に「あーーーー」と発した。一杯目のビールの後の「あーーーー」は、酒場で聞ける最高のユニゾンである。

 ただ、最近、この「あーーーー」のトーンが変わってきた気がする。加齢とともに、それまでよりも濁った音になってきている気がするのだ。普段、カラカラに乾いていて細い声しか出せない人でも、一杯目のビールを呑んだ後に出す声だけは、美しいリバーブのかかった倍音である。ところが、この倍音が曲者で、最近は、ふたつ同時に出る声のうち一つが、なんとなくガラガラと枯れ気味な気がするのだ。私一人ではなく、周囲の中年最前線にいる仲間たちの、ほとんど皆が感じているのではないだろうか。このことをMさんに話そうと思ったら、

 「はい、どうぞ」

 と、ショートカットの女性が、刺身の盛り合わせを持ってきてくれた。赤身に中トロにイカ…。菊の花びらを散らした一皿に、Mさんと私はほぼ同時に言っていた。

 「お酒ください」

 気づかないうちに、もう一人女性が増えていて、今度は彼女がオーダーをとってくれた。日本酒の品揃えもしっかりしている。Mさんと私は濁り酒を頼み、

 「ちょっと甘いところが、いいよねー」

 などと言いつつあおり、それから中トロの口どけの爽やかさとコク深さにうなったのであった。

 小上がりは団体の予約が入っていて、いつの間にかたいそう盛り上がっている。最寄駅から、黙々と歩いても14分かかるが、そんな不便さはどこ吹く風という客たちがいっぱいいる。聞けば、皆、そこまで近所に暮らしているようでもない。ただ、酒と魚のクオリティの高さと、きりっとしているのに、どこか、ほっこりするような接客を考えたら駅からの距離なんてどうでもいいのだろう。くわえて、店の様子というか、居住まいのようなものが大変すっきりしているのが良い。きっちりと清潔でありつつ、整理され過ぎていない居心地の良さは、たいていの人がいっぺんで気にいってしまうだろう。

 ハマグリとブロッコリーの炊いたのとエビフライが来る。その頃には、もう濁り酒などとうになくなり、つぎの一杯に移っている。こんどは透明になった。

  ハマグリは柔らかくそれでいて歯応えはしっかりあるように上手に炊かれ、その出汁がブロッコリーに染みている。幸せなコンビである。エビフライは立派なのが3本。昔よく見かけた野球のサインボールを置くバットを三本組みあわせて作った台のような形で盛りつけられている。こういう3本の構造を見ると、ついつい、

 「アトスとアラミスと…」

 と、デュマの三銃士の名前を言いたくなるのだが、いつもポルトスだけが思い出せず、彼には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 とまれ、このエビフライにはウスターソースと添えられたタルタルソースを混ぜてくっつけてバクリといく。しっかりと身がつまっていて、ふわりと揚がっている。衣と身のすきまのあたりから、旨みがあふれでてきて、しばしモグモグと楽しむ。そんなとき、ふと視線を上げると、カウンターのなかでは男性が魚をさばきつつ、女性が焼き鳥を焼き、あと二人の女性が酒をつくったり配膳したり。無駄がなくて、群舞のような動きが美しい。よく見ると、なんとなく四人が似ている。

 「ご家族ですか」

 と聞けば、

 「ちがいます。ママと大将と隣のスナックのママとその従業員です」

 なのだそうだ。お店で働く人の息が驚くほどに合っていると、どこかに血縁があるのではないかと思いがちなのは、これまた刷りこみの一種だろう。 

 それからよく話を聞いてみたら、オーナーは、草間智恵さんといってショートカットがお似合いの方だった。まったく別の業種の会社を営んでいた場所に定食屋をやった後、酒場に業態を変更するにあたって、ちょうど近所の寿司屋を辞めるタイミングだった大将が、

 「うん、だったら手伝うよって言ってね」

 と、合流して板長になった。そして隣で営んでいるスナックのママさんやそのスタッフも一緒に手伝っている、ということなのだそうだ。結果、働いている人、みんな、それぞれプロ。ここは、ロビンソン酒場界のハニードリッパーズ(元レッド・ツェッペリンのロバート・プラントにジミー・ペイジにくわえジェフ・ベックとナイル・ロジャースが結成したスーパーグループ)みたいなものだ。

 店の成り立ちを聞いた私は、煮込みを食べながら、どうして、店前で地図アプリケーションを見たとき、違和感があったのだろうか、と、また考えていた。ちなみに煮込みはさっぱりした仕上がりで臭みゼロ。ごぼうもいい具合にホロホロに煮込まれていて、実に旨い。野菜スープを飲むような感覚で平らげてしまい、ますます食欲が出てきてしまった。気づけば、

 「セイコガニと馬刺しと甘だいの松笠揚げとメヒカリのにぎりをください」

 と、溌剌とオーダーしていた。

 セイコガニは、甲羅にほぐした身と卵をつめたスタイルで、これを子どもでも食べられるくらいのお手頃さで出してくれる。舌の上でかにの繊維がほぐれ、じわじわと微かに甘いかにの出汁がにじんでくる。これを相手に、もう何合目かわからない日本酒で流しこむ。目をつぶれば割烹、目を開ければ愉快な居酒屋。なんという幸せだろうか。甘鯛も一噛みで身質のいいのがよくわかる。出汁のかたまりのようだ。皮目が松笠のように逆立つように処理して揚げた松笠揚げは、腕前の良さが際立っていて、皮目のパリパリ加減と香ばしさが至妙で、実に旨い。

 しめのつもりでお願いしたメヒカリのにぎりは、飯と種の間に紫蘇の葉をはさんでいて、むっちりしたメヒカリと爽やかな鮨飯にすっとする紫蘇の葉の香りがぴったりと合って、大将は、やっぱり寿司屋だったのだなあ、などと思ったりする。これ、何貫でもいける。

 手練の集団が切り盛りするこの店。されど、そこに、いわゆるプロの押し付けがましさみたいなものは全然ない。あくまで空気感は気楽でいてしっとりとしつつ、適度に活気がある。これは愛されるわけだ。

 で、なぜ、このロビンソン酒場に辿りついたとき、何かが違うと思ったのか…四貫来たメヒカリが一貫残っていて、Mさん食べないのかな、だったら即頂くのだけれど、と浅ましいことを考えていたら急に思い出した。ずいぶん前になるが、このあたりを歩き回っていたとき寄ったのだ。歩き回っていたのは、いつもの酔狂というか、ただの徘徊である(店の近くにあるローカルなスーパーマーケットを見てみたかった)。ただその時は「たつみ」というかな文字の看板だった。今は「多ツ美」である。刷りこみが、記憶にもやをかけていた。別の店に来てしまったような気がしたのは、あの平仮名の看板の記憶のせいだ。

 大将は、私が原作を書いたドラマのファンだったそうで、去り際にこんな私だというのに色紙にサインを頼まれた。一瞬、「加藤じゃんぷ」と平仮名で書いてみたいような心持ちになったが、もちろん普通に「ジャンプ」と書いた。

 

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

加藤ジャンプ

かとう・じゃんぷ 文筆家、イラストレーター。コの字酒場探検家、ポテトサラダ探求家、南蛮漬け愛好家。割烹着研究家。1971年東京生まれ、横浜と東南アジア育ち。一橋大学法学部卒業。出版社勤務をへて独立。酒や食はじめ、スポーツ、社会問題まで幅広くエッセーやルポを執筆している。またイラストレーションは、企業のイメージキャラクターなどになっている。著書に『コの字酒場はワンダーランド』(六耀社)など。テレビ東京系『二軒目どうする?』にも出演中。また、原作を書いた漫画『今夜はコの字で』(集英社インターナショナル)はドラマ化された。

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