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ロビンソン酒場漂流記

2025年8月27日 ロビンソン酒場漂流記

第17夜 鯛を愛で、ジャバを喰らう

東急田園都市線宮崎台駅 徒歩20分「なごみ」

著者: 加藤ジャンプ

イラスト+写真:加藤ジャンプ(特記した写真を除く)

 その日は編集Mさんがいなかったのである。ちなみに、オオデマリが丸っこく咲きはじめた季節だった。

 昨夏に大怪我をしたMさんの足にはボルトが入っていて、これを取り出す手術をするという。そんなに予後が長いというわけではないものの、すぐに長距離を歩いてはいけない。無理してロビンソン・ウォークを強行して八甲田山になってもいけないので、今回はやむなくMさんは自宅待機とあいなった。

 そこで今回は私の大切な飲兵衛仲間であり、Mさんとも旧来の知人である、もう一人のMさんとロビンソン酒場を目指すことにした。ややこしくなるので、今回ご一緒いただいたMさんは、M夫さんと呼ぶことにする。M夫さんはマリオ曼荼羅こと、田内万里夫さんといって、アーティストにして翻訳家である。実はM夫さんには、これまでに何度もロビンソン酒場詣につきあってもらっている。M夫さんは埼玉のサバービアの出身で、自身が飲兵衛で郊外が好きだからロビンソン酒場も大好きなのである。要するにM夫さんは酔狂なのである。

 その日、M夫さんと東急田園都市線の宮崎台駅で待ち合わせをした私は約束の時間ぴったりに改札を通過した。すると、ただならぬオーラの人物が立っている。M夫さんである。サングラスではなく色のついていない眼鏡をかけていた。レンズに色こそついていないが、形がLAレイカーズの往年の名選手、アブドゥル=ジャバーのメガネに似ているから、メガネ人口密度の高い日本の駅前でも埋もれることがない。

 近ごろ、こういう、身につける物の個性についてよく考える。

 就職活動のスーツなんて端的な例だけれど、昔から日本の人の服装の「型」はつねに絨毯爆撃のように、例外を認めない勢いでいきわたる。そういう文化のなかで、M夫さんはおそらく、これと言って意識することなく自然に横並びソサエティには加わってこなかったタイプである。それは彼のメガネを見ればよくわかる。服に限らず、なんでも横並びが大好きで誰かに命令されて無邪気に従うことを是とする人がかなり大勢いる日本には、たぶん、M夫さんみたいに群れない人があと1万人くらい必要な気がする。

 かれこれ知り合って10年近くになるが、二人で呑んだ酒の量は大げさではなく100升ではきかない気がする。      

 「お久しぶりです」

 「ご無沙汰です」

 文字にすると通り一遍に過ぎない挨拶だけれど、古いつきあいの呑み仲間というのは、この一瞬で、ここ最近のお互いの状況をさっと感知しているような気がする。そして、この日M夫さんから感じ取れたのは、

 「変わらず、よく呑んでいる」

 という彼の日常であった。

 宮崎台駅は田園都市線の各駅停車しか停まらない駅のなかでは、いちばん乗降客が多いらしい。

 正式には、宮崎台駅ではなくもう一つ名前があって「宮崎台 電車とバスの博物館」という。「電車とバスの博物館」と聞くと、反射的に「たばこと塩の博物館」を思い出す。あれは渋谷にある… と思い込んでいたら、とっくの昔に、墨田区に移転したのだそうだ。

 さて宮崎台。副駅名の由来になった「電車とバスの博物館」は駅を出たらすぐに現れる。この博物館はかつて私が小学生の頃に開館したのだが、その時は同じ路線の高津駅が最寄駅だった。それが2002年に宮崎台駅の高架下に移転してきた。デハ200形なんて可愛い車両も展示されている。昔はラッピーちゃんという駅員さんの制服を着たウサギのキャラクターがいて、黒目と白目が反転したような目をしていて怖かった。現在は『のるるん』というのと『ノッテちゃん』という、全方位的に安心感のあるキャラクターがマスコットとして活躍している。ただ、まともな大人は安心感のある見た目に対して警戒心が強い。したがって、まだ私はノッテちゃんに心を開いていない。

 目的のロビンソン酒場までの道のりは、坂である。駅を出てずっと坂。調べると、駅から現地は高低差が80メートル以上あるらしい。映画『パシフィック・リム』に登場したイェーガー(ロボット)『ジプシーデンジャー』の背の高さくらい登るわけだ。そうとう高い。

 私は坂を見上げて言った

 「これは低山登山というやつですよね」

 「師匠、(M夫さんは私のことを師匠と呼ぶ。)ハイキングですよ」

 「婉曲表現ですか」

 「心もち軽やかになるじゃないですか」

 「ビートルズとずうとるびほど軽重の差はないですね」

 誰が相手でもロビンソン酒場への道行きにかわす会話は益体無い。

 この緩やかな坂道というのが案外曲者である。しかもここは住宅地なので景色はそう変化しない。やがて坂道に精気を奪われ、『人の一生は重荷を背負いて遠き道を行くが如し…』という徳川家康の遺訓を思い出したりする。『遠き道』ならまだ良い。『遠き坂道』はなお厳しい。

 「いまの状況にBGMをつけるとしたらなんですかね」

 M夫さんが聞いた。

 「私ならロビンソン・クルーソーですね」

 「スピッツじゃないですよね、それは」

 「はい」

 「じゃあ、アート・オブ・ノイズの」

 「もちろん」

 もしもロビンソン酒場漂流記がドラマ映画化なんてされることになったら、サウンドトラックにはこの曲を入れたい。オープニングで主人公がこの曲を聴きながらかき氷を食べているシーンから始まって…そんな話をしているうちに、斜面にそって建つ集合住宅がいくつもある通りに出た。建築を専門にしているのは、いつものMさんである。さりとて、私たちも建築物は大好きである。このあたりには内井昭蔵さんという建築家の建てた集合住宅もあるんです、なんて話をしながら歩く。高価なものの話を飲兵衛同士ですると、

 「もう少し呑まなかったら、あの家とか買えてましたかねえ」

 「買えたかもしれませんねえ」

 などと、すこし後悔しているフリをしてまったく後悔の欠片も感じていない会話を交わすことが少なくない。そして、バカ会話イズ・プレリュード・トゥ・ザ旨い酒。すなわち、こういう会話もまた、その後、楽しく呑むための前奏曲みたいなものである。

 そうこうしていると突然大通りに出る。コンビニエンスストアがあったので、ここで現金を調達する。ついでに水分補給のためにミネラルウォーターも買ってグイッと飲む。ロビンソン酒場での最初の一杯を旨くするために水を補給しない、なんてことはしない。健康に留意するのがアップデートされたインテレクチュアルなモダン飲兵衛である。

 ここからはあとすこし。大通り沿いを歩く。口開け前後の時間は、多くの会社の終業時間間際、車もなんだか急いでいるような感じでビュンビュン走っていく。私たちもほぼ無言で目的地を目指す。ただ、ビュンビュンではなくトボトボと歩く。

 さすがにくたびれて私もM夫さんも口数が減りただただニヤニヤしはじめた頃、幹線道路沿いに茶色くて丸いものが浮かんでいるのが見えた。疲労の挙句、幻覚が見えてきたのではなく軒先に吊り下げられた杉玉で、その上に看板が見える。

 「なごみ」

 その日のお目当ての店なのであった。建物は比較的新しく見えるが、この場所で10年以上愛されている。大きなガラスの嵌った引き戸を開けて店に入ると、奥に長い鈍角のL字型カウンターが現れる。その長い辺に沿って小上がりもある。

 「いらっしゃいませ…あっ!」

 店主の野村幸也さんがカウンターの奥から笑顔で迎えてくれた。これほど粋に作務衣を着こなす四十代を私はほかに知らない。口開けから少し時間を過ぎていたものの、てっきり一番乗りだと思い込んでいたら、すでにお客さんが三人もいた。しかも、もうすでにいいメートル加減である。追いつかねばならない。

 M夫さんと二人して並んで、手術明けで欠席のMさんに「ごめんなさい」と深謝しながら生ビールで乾杯する。先客の皆さんとも目があい、会釈してきわめて小さな動作で乾杯の仕草。御常連の居場所にお邪魔している身、最初の挨拶は、爽やか、おだやか、つつましやか、の三拍子が大切である。

 まずはお刺身。鮪に鯵、イカに鯛に雲丹…盛り合わせをおねがいしたら、美味しいお魚大図鑑みたいな一皿が現れた。それぞれきちっと仕事がしてあって、一見して「やるわね」と唸らせる刺身の盛り合わせである。これを見て、私の脳は反射的に

 「日本酒ください」

 と発声する指令を出していた。もちろんまだジョッキに3分の1ほど残っているビールはチェイサーとしてしっかりと働いてもらう。

 好きなもの、たとえばお子様ランチのエビフライなどは後に取っておきがちなタイプだけれど、刺身盛り合わせの雲丹となれば話は別である。温まれば温まるほど雲丹は形を失いドロンとしてしまう。だから、池波正太郎が天ぷらを食べるときは親の仇に会ったくらいの勢いで食いつけと残したように、雲丹を食すときもまた親の仇に似た人に出会ったときくらいに慌てるべきである。

 ちょろっと醤油をつけて、パクリといくと、磯の美味しいクリームが舌のうえで、じわりと旨みを残しながら消えていった。そこへ、冷酒が折よく供される。雲丹の風味の消えぬ間に、並々注がれたグラスに口でもって酒を迎えにいく。雲丹が舌の上に残した、ちょっとナッツのような甘みをすっきりした酒がさあっと流していく。甘露な清流。

 つづいて鯵、イカ。いずれも生姜でキリッとさせていただく。小脂の鯵、むっちり歯触りのイカ。なんて旨いのか。鮪はほどよい脂がいい甘みを感じさせる。ここは青森ですか?

 二口ほど冷酒を口に含んでから、大好きな鯛をいただく。『細雪』の次女の幸子なみに私は大の鯛好きである。だからこれを最後にとっておいたわけだ。皮目に包丁をいれたそれは、すっきりとした味わいの身の繊維の間から良い加減の脂が感じられる。口中で噛むと、そのまま旨い椀ものになりそうな出汁感が素晴らしい、おさまりの良い旨い鯛。ああメデタイ。

 ホタルイカは酢味噌でいただき、M夫さんと、

 「ホタルには似てなくてよかったですよね」

 「似てたら昆虫食ですよね」

  などと世界一他愛もない会話をしてさらに酒は旨くなる。もちろんホタルイカも新鮮そのもの。身の旨みとワタの微かな苦味を酢味噌がきゅっと一つにまとめていて最高。銃弾みたいな形のイカに私のハートは撃ち抜かれた。

 そして気づく。ここは魚が旨い。魚とのつきあいが巧い。そういう店はだいたいなんでも旨い。

 まだ春だったから筍の天ぷらを注文。さらに焼きそら豆、蕗おひたしと続けざまにお願いした。中年飲兵衛たるもの、飲み始めに野菜の肴を集中して頼むことで、血糖値の急上昇対策や健康に留意した雰囲気をまとい、そこから先の暴飲暴食の免罪符とすることを野菜のライセンスと呼んでいるが、この三品で野菜のライセンスとしては充分だろう。

 すぐに出てきた筍の天ぷらは、サクサクの衣のなかから、エグ味ゼロで爽快な香りとかすかな甘みをたたえた筍が顔を出す瞬間、M夫さんと顔を見合わせ、黙ってうなずく。サイレント・スプリング(レイチェル・カーソンの書名だけれど、そういう意味ではないことは承知しております)。つづく焼きそら豆は、食べる前から香りに心を奪われ、熱いのをアチアチとおじさん二人で言い合いながら一粒ずつ大事にいただいた。そら豆の、そら豆にしか感じられないあの甘みが、ふわっと口中で広がる。たまらない。時折、蕗のおひたしをアクセントみたいにつまむ。シャキシャキの蕗を噛むといいだし汁がほんのり苦味をともなった蕗の汁とまざって、これまた酒が進む。

 日替わりのメニューが書き込まれた白板のなかに気になるものがあった。

 「オオカミウオ唐あげ」

  深海魚。天ぷらで時々お目にかかるギンポの仲間である。顔つきがオオカミみたいに恐ろしいからこの名がついた、らしいが、どこから見てもオオカミには似ていない。どちらかというと深海のジャバ・ザ・ハットといった面差しである。ジャバ・ザ・ハットだと思ったら、これは喰らわずにはいられない。デロンデロンの体の質感は、ちょっと共食いという感じもするが、そこは敢えて関知しないことにして、

 「オオカミウオください。あと、穴子の天ぷら」

 「はーい」

  穴子を一緒に頼んだのは、万が一、ジャバ・ザ・ハットの唐あげが好みでない場合に備えて抜群の安定感を誇る一品も注文した、というわけだ。

  野菜を食べ尽くし、一旦落ち着いたカウンターの上から視線を小上がりへと移す。いつの間にか、子連れの女性や、男性の一人客などが楽しそうに呑みはじめている。カウンターも盛り上がってきていて、店全体に、心地よい人声の風が吹いている。地域の止まり木。多くの人がここをサードプレイスとしているのがよくわかる。盛り上がっているけれど、変に大きな声の人がいない。落ち着いて、ゆったりと楽しんでいる。

 「はい、どうぞ」

 すでに店は満席に近い状況ながら、大将は手際よく皆の注文をさばいている。オオカミウオも注文していくらもたたないうちに供してくれた。仕事ぶり、キリッとしている。

 さて件の深海のジャバ・ザ・ハットだけれど、これが、予想どおりフワフワと軽い身質で思った以上に小脂もあり、驚くほど旨い。ナマズの歯触りに似てなくもないが、ナマズよりもはるかに、身に甘みがある。深海魚だから妙に水っぽいかもしれないとかまえていたが、それも扱いがいいのだろう。サクサクのフワフワに仕上がっていて、すっきりと旨い。M夫さんと思わず「うまい」と唸り合う。ジャバを喰らって二人ともジェダイ気分である。

 万が一、ジャバの唐あげに困惑した際のリリーフ役にお願いした穴子はというと、これはもう、間違いの無い味わいであった。ただ、大将の揚げものの腕の良さは、こういう普段食べ慣れた素材でこそ、グワっと明確になる。カラッとしているのはもちろん、衣と穴子の身の一体感たるや、傑作であった。はたして、ここまでですでに三合ほど吸い込んでいる。そして、あろうことか、さらに揚げもの、めひかりの磯辺揚げをこっそりとアルバイトの女性に頼んでしまったのである。

 カウンターに座った皆さんはやはり近所に暮らしているそうで、かなりの頻度で通っているという。そこへまた常連の、近所にアトリエをかまえるアーティストの方がM夫さんの隣りに座り、しばしアート談義。私はというと、小上がりへと徳利を持って出張。実は子連れの女性、女将さんなのであった。そして一緒にいて旨そうに肴をつまんでいた小学生のお嬢さんは看板娘なのであった。束の間歓談、大将と女将、二人の馴れ初めから聞いているうちに徳利が空になる。そこへちょうどめひかりが出来上がったと声がかかる。カウンターに戻り、熱々をいただく。アオサをまぶした衣をまとっためひかり、アオサ・アロマと揚げた衣のいいにおいが混ざり合って最高に食欲をそそる。大胆に頭からガブリといく。じわっと汁気があふれる。小脂と品のいい身の甘みが衣との相性は抜群で、この先、めひかりはこの食べ方に限りたい、とすら思わせた。

 ちょうどめひかりを食べ終えた頃、客の注文も一段落つき、大将がカウンターの空いている席に腰をおろした。学生時代はバスケットボールに熱中していた。社会に出てからアルバイトをしているうちに、どっぷりとこの世界にはまっていった。地元でこの店を開いたのは2014年のことだった。

 「なごみ、って誰かの名前が由来だったりするんですか」

 「男三人で、この店を始めたんですよ。けっこうイカつい三人で」

   ふと大将が三人いる光景を思い浮かべた。たしかにど迫力かもしれない。

 「だから、名前くらいは、とっつきやすい優しい感じにしようっていって、なごみって店名にしました」

 そうして早10年以上の歳月をかさねた。女将さんは元はお客さんだったそうだ。大将はいつの間にか坊主頭になり、男三人の店が、大将の家族経営の店になった。自然に、時が過ぎるにつれ、ほんとうに「なごみ」という名前が馴染んできた。

 しばらくしみじみと呑んでいるうちに、自家製のカラスミがあると聞き、頂戴した。ボラの卵巣がどうしてこんなに旨い珍味に仕上がるのか。出されたそれは、塩加減は「よかったら飲んでください」というぐらいに絶妙に控えめで、むっちりコク深く、仄かな磯の香りの奥から、どこか果物のようなさわやかな甘みを感じさせた。

 「このカラスミ、仕込みのお手伝いしたいくらい、旨いっす」「まさに(ボラ)ンティア」

 カラスミがボラの卵巣ゆえの、中年丸出しのダジャレを思わず口走ったら、

 「あ、うまい」

  と、ちゃんと優しく対応してくれた。なごむ、なごむ、なごむ。これは常連さん、毎日くるわけだ、と納得しつつ、M夫さんと二人、また二合注文するのであった。そして二人して「Mさん、こんなに飲んでごめんなさい」と頭を垂れた。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
 「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
 どうして自分が「考える人」なんだろう―。
 手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
 それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

加藤ジャンプ

かとう・じゃんぷ 文筆家、イラストレーター。コの字酒場探検家、ポテトサラダ探求家、南蛮漬け愛好家。割烹着研究家。1971年東京生まれ、横浜と東南アジア育ち。一橋大学法学部卒業。出版社勤務をへて独立。酒や食はじめ、スポーツ、社会問題まで幅広くエッセーやルポを執筆している。またイラストレーションは、企業のイメージキャラクターなどになっている。著書に『コの字酒場はワンダーランド』(六耀社)など。テレビ東京系『二軒目どうする?』にも出演中。また、原作を書いた漫画『今夜はコの字で』(集英社インターナショナル)はドラマ化された。

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