
いざ鎌倉、なのである。
長いこと神奈川県民をやってきたので鎌倉は馴染み深い街である。はじめて行ったのはいつだろうか。いちばん古い記憶は小学校にあがるすこし前のことだと思う。我が家はどこに出かけるのも遅くて、その日も午後2時くらいに、突然、鎌倉に行くと言い出した親の運転する車にのせられたのだった。わが家の車は、前列の席が運転席と助手席にわかれていない、いわゆるベンチシートで私はたぶん前列の真ん中に座って行ったような気がする。こう書くとアメリカ車みたいだけれど、普通の日産車だったから、むしろタクシーを想像してもらったほうがいいような気がする。どうして、ベンチシートにこだわっていたのかは、今になってはわからない。
父も鈍足で私もノロマだから、車は意外と飛ばしがちである。昔は今ほど渋滞もしなかったし、そんな時間に横浜の家を出ても1時間もすれば鎌倉に到着した。
そこで出会ったのが土牢なのであった。なぜ、その日、土牢というか、鎌倉宮へ行ったのかも思い出せない。ただ、私はいきなり、この土牢の虜になってしまった。以来、鎌倉へ行くとまず土牢に行くのが習慣になってしまった。
土牢というのは鎌倉幕府討幕の立役者だった後醍醐天皇の皇子、大塔宮護良親王が閉じ込められていた場所である。今も横穴が残っている。足利尊氏に疎んじられ、この土牢に幽閉された後、中先代の乱の最中に殺害された。二十代で亡くなった彼を祭神としているのが鎌倉宮だ。
つまり、大塔宮護良親王は悲劇の人である。で、こういう話に私は子どもの頃から滅法弱い。12歳くらいから、義経LOVE、忠臣蔵LOVE、なかでも小山田庄左衛門と矢藤右衛門七LOVEである(いろんな映画やテレビでこの庄左衛門と右衛門七を見てきたけれど、私は96年のフジテレビ版『忠臣蔵』の萩原流行さんの庄左衛門と山本耕史さんの右衛門七が大好きである。時代劇について語り始めると止まらないのでこのへんで自重する)
「ハンガン贔屓なんだよ」
子どもの頃得意になってそんなことを吹聴していたが、長じてから父に
「あれは本当はホウガン贔屓らしいぜ。ほら、判官はハンガンって読むけど、ほら義経のときはホウガンじゃん」
と言われた。その声には冨田勲の『展覧会の絵』みたいなリバーブがかかって今も鳴り響いている。
ともあれ、私にとって鎌倉というと賑やかな小町通りやら材木座とかよりも、どういうわけか一等先に思い浮かぶのは鎌倉宮なのであった。最寄り駅である鎌倉駅からは息切れしないくらいのペースで歩いておおよそ30分ほどの道のりである。けっこう遠い。
その近くに一軒のロビンソン酒場があるのだ。世の中は夏休みだし、いつもより旅情を感じられる土地のロビンソン酒場へ行きたいと考えたら、まずこの店を思い出したのであった。ちなみに、この店は基本的に昼営業なので、ロビンソン酒場史上初の午前中にMさんと待ち合わせをした。
朝からロビンソン酒場行。ちょっと、世間に申し訳ない気がした。ごめんなさい。
待ち合わせ時間よりだいぶ早く着いてしまったので鎌倉駅の駅ビル(といっても一階だけだが)にある〝まめや″という店の支店で豆菓子を買いながらMさんを待った。Mさんは担当している作家の原稿取りによく鎌倉には来ていたのだが、鎌倉の、この豆のことは知らないらしい。Mさんには、塩豆と辛いやつを買った。
青木茂(『海の幸』の画家・青木繁ではない)の『三太物語』のなかの『三太とタヌキのしっぽ』という一編が小学五年生の国語の教科書にのっていた。戦後すぐを舞台にした物語は、当時の小学生たちにとっても十分遠い昔の物語の感じがしたはずだ。だが、私の父は大正生まれで母も昭和3年出生という、同世代のなかでは飛び抜けたビンテージ夫婦の元に生まれ、学校への提出物に旧漢字や「ゐ」なんて仮名遣いで書かれて困惑したりしつつ(今どきの右翼とかと違って、完全に思わず書いてしまったものである)、三太よりも古い時代の話を毎日のようにライブで聞かされていたせいで、私にとって三太の物語は、そんなに昔の話には思えず、あまつさえ妙に親近感がわくのであった。
そのなかで主人公の三太に親が塩豆を出してくれる場面がある。骨董夫婦に育てられたとはいえ、昭和50年代の新興住宅地に暮らす子どもだった私にとって、「塩豆」は未知の食べ物であった。すでに世の中はスナック菓子で一杯だったし、新興住宅地にはイカした豆屋なんて無かった。しかし、昭和57年、小5の私は、教科書で三太がぽりぽりつまんでいた塩豆のことを知ってからというもの、どうしても食べたくなってしまい、親に頭を下げて買ってきてもらったのであった。
で、待ちに待った塩豆を目の前にした小学生の私だったが、いきなり貪り食うなどということはなかった。その見た目の地味さというか、鳩の灰色の羽のような質感に瞠目し、腰が引けてしまったのだった(私は鳩が苦手である)。塩豆、鳩っぽい。
さりとてねだって手に入れたものをムゲにはできない。塩豆を手の平に置いてしばし観察した私は、鳩の羽の質感を必死に脳からふりはらいつつ、おそるおそる一粒口に入れて(ような気がする)再び驚いたのであった。なんだ、この旨い物体は。それからは夢中で、それこそ鳩のように啄ばみまくって一袋をたちまち空にしてしまった。本当のことを言うとそれまで、枝豆以外の豆はそんなに得意ではなかったが、三太の塩豆のおかげで、今では自分で花豆を煮て悦に入るくらいの豆好きである。
豆の話ではなかった。いそいそと豆を買っているうちに待ち合わせの時間になり、駅ビルの改札近くのドアのほうを見たら、サングラスをかけ、遠目にも上等なのがわかるパナマを被っているおじさんがいる。Mさんである。パナマとサングラスで、海ぞいの街で土地転がしをしているマフィアっぽい雰囲気である。私の頭のなかに『マイアミ・バイス』のテーマが流れた(このドラマでフランク・ザッパがギャング役で登場する回がある。ザッパが、おそらく台本どおりに演技をしているのに驚いた)。
お互いに手をふって挨拶をして、さあ、駅ビルを出たら、あまりの暑さにクラッとした。Mさんが、
「いちおう聞きますけど、歩きますよね」
といささか弱気ともとれる発言をしたので、私は
「はい、はりきって」
と、こたえた。もちろん無理はしない。熱中症なんてまっぴらである。
さっそく豆をあげると、Mさんは「おおお!」と声をあげた。私は、ここで鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をするのを目撃するのを楽しみにしていたがサングラスで何も見えなかった。痛恨。
小町通りは予想どおり観光客がいっぱいだった。あの通りには子どもの頃からよく行ったトンカツ屋や喫茶店がある。いつの頃からか、ワゴンにアクセサリーを積んでタイムセールですなどと呼びかける店が出てきてから、ぐわっと鎌倉が変わっていったような気がする(と、よそ者のくせに、行くたびに感慨にふける)。
早々に小町通りは抜けて若宮大路に出る。鶴岡八幡宮の参道である若宮大路は真ん中に一段上って植え込みがあってそれに沿って歩道がある。段葛という。
段葛は土のままで舗装されていないから照り返しがないし並木が茂っているので他の道よりもずっと心地よい。といっても、十分暑い。そこらじゅうで最高気温を更新しているのだから鎌倉ももちろん暑い。ただ、この先に旨いツマミと酒があると思うと足取りはそこそこ軽くなる。左右に昔から知っている店と新しい店があって、子どもの頃よく行った店に、どうしようもない政党のポスターが貼ってあるのを見つけてゲンナリしたりもしつつ段葛の端まで歩くと鶴岡八幡宮の大きな鳥居がどーんと現れる。鶴岡八幡宮に来ると、いつも鎌倉の三代将軍・源実朝が甥の公暁に殺されるシーンを思い浮かべる(実朝暗殺は雪のなかだったから、真夏の鎌倉にいても頭のなかでは雪景色である)。子どもの頃から、いつもそうである。思い浮かべるたびに公暁の配役は変わる。最近ではもっぱら池松壮亮さんである(ファンなのである)。
ほんとうはここで八幡宮のなかから裏通りを行ったほうが涼しいはずなのだが、なんとなく、はじめてのMさんはバス通りで行くのは正規ルートのような気がして、八幡宮を前にして右に曲がり金沢街道を行く。午前中とはいえ、太陽はほぼ真上から照りつける。時々、お店の軒先の日陰で休む。Mさんが汗をふきふきぼやく。
「日傘持ってくればよかったですね」
「要するに日傘というのは日の傘ということですね」
お隣りの横須賀や三浦が地元のコイズミシンジローさんのポスターが目に入って思わず、そんなことを口走る。
「コンビニありますね」
「日照りの時の雨みたいにありがたいですね」
ふだんどおり益体ない会話ながらもいつになく殊勝な態度になりつつあった。暑さは人格をも変える。
私たちは黙ってコンビニに入店した。涼しい。
「地上の楽園ですね」
そこでMさんが、
「ビール……」
と呟いたのを私は聞き逃さなかった。
「ダメですよ。今飲んだら、この先歩くのがしんどくなります、体が暑くなって汗ももっとかくし、脱水します」
Mさんはサングラスをかけていたけれど、その時、彼の目が捨て犬みたいに悲しげだったのははっきりとわかった。ただ、Mさんは立ち直るのもコンコルド級に早い。エレガントにぶっちぎりで元気になり、
「じゃ、アイスなんてどうでしょうか」
これに異を唱える者なんているはずもなかった。Mさんはガリガリくん、私はファミリーマート限定南国白くまバー、イートインコーナーの無いそのコンビニをでた中年二人、歩道で念仏を唱えるようにモゴモゴ口を動かし大切にアイスバーを齧った。炎暑。太陽は容赦なく私たちのアイスを溶かし、私たちはゆっくりと食べたい気持ちとは裏腹に呑み込むように甘い氷を平げた。

焼け石に水とはよく言ったもので、アイスを食べていた間は暑さを少々忘れられたものの、食べ終わるやいなや襲いかかる暑さから逃げるように、岐れ路という信号で左手のすこし細い道に入った。細いけれど、ここもバス通りである。急に民家が増え、いわゆるマンションもぽつぽつと建っている。神奈川県の受験生を見守り続けてきた荏柄天神の脇を過ぎるとき、中年二人は同時に「老いやすく学なり難し」とつぶやく。休み休み歩いているからすでに出発してから30分以上の時間がたっている。
水分補給しながらとぼとぼと歩きつづけること、さらに数分、道は突然開けた場所にぶつかり、そこが鎌倉宮である。お参りしたいところだが、今日はすでにへろへろ、このまま即身仏になりそうだったので、一礼して道を進む。鎌倉宮の入り口のところで左へ曲がり、細い道をずんずん進む。細い道沿いに落ち着いた家並みがつづく。すこしあおぎ見れば山。サングラスとキャスケット姿の、再結成したお笑いコンビみたいな二人が黙って、こんなに風情のある道を歩く。そして脇道を一本入ったところに、その店はある。

「タベルノム時時」
である。一見して昭和のそれも40年代以前に建てられたとわかる平家。
小さなお庭もあって、このまま投宿したいような佇まいである。引き戸をガラガラと開けると、素敵な女性に迎えられた。池内かおりさん、有高ひとみさん。
「ほんとうに歩いてきたんですか?」
お二人が一様に驚きの表情を見せた。
「それがロビンソンです」
なんだか大そうなことを宣うかのような返事だが、疲れ切っていて10文字発するのが限界なのであった。よくエアコンのきいた室内にあがると庭の緑がよく見えて避暑地の別荘にやって きたかのようだ。ロビンソン酒場史上最も瀟洒な景色のなか、私たち二人はテーブル席でむきあって座った。
「あの、まずはお水をいただけますか」
着席して最初に発した言葉は、まぎれもなく砂漠の旅人の台詞であった。ナイアガラの滝みたいに汗をかいてしまった体にいきなりビールはいけません。そして冷たいお水を流し込む。人間は水でできている。中年は再確認するのであった。
潤った体は急に空腹を訴えはじめる。ああ、ぼくたちお腹がすいていたんだね、とメニューを見る。明らかに飲兵衛のための一品料理がずらりと並んでいる。さらに定食も4種類あって、これまた飲めるラインナップなのである。
実はこの店、鎌倉駅の御成通り側に出て少し歩いたところにある「タベルノム日日」という店の姉妹店なのである。かおりさんは、鎌倉のお隣りの横浜市金沢区でお店をやっていた。2年ほど前に鎌倉駅からほど近い立ち飲みの「日日」を盟友のひとみさんと一緒に開業、それに続いて座ってゆっくり飲める「時時」を開いた。まだ歴史は浅いけれど、あっという間に人気が出た。
水を飲んですこし落ち着くと、今度は急激に身体中が黄金色の液体をもとめはじめる。瓶ビールを注文し、メニューを一瞥したらポテトサラダがある。ポテトサラダ探求家を名乗っている以上、注文しないわけにはいかない。同時にトマトのおひたしとメロンとゴーヤの白和えを注文した。野菜のツマミ三役揃い踏み。血糖値をいきなり上昇させない野菜のライセンスを取得してここからはのろのろと酒を飲もうという企みである。

そしてコップにビールを注ぎぐいっとあおる。グイグイと喉を鳴らして一気に空にしてしまった。黄金色の液体が体中にいきわたる。疲れきってしまってどうにもならないとき、点滴をしていきなり元気になることがある。この一杯のビールはまさにそれだった。


ほどなくして現れたのが例の三品。ここのポテトサラダは日替わりといっていいほど姿を変える。その日のは、ジャガイモはシャキシャキッの歯触りをほんの少し残したいいホクホク茹で加減。パプリカの爽やかな汁気と店で芯から削いだコーンの甘さと心地よい歯応えがいいバランスで、ビールとの相性は、獅子てんやわんやくらいピッタリである。
トマトのおひたしは、丸ごとをそのまま出汁に浸してあって、湯剥きされたトマトの表面までほどよい塩気の出汁がしっかり馴染んでいる。薬味の香り高いシソと一緒に食べると、トマトの酸味と甘味が一層際立つ。
このあたりで我慢の限界に達し日本酒をお願いする。

白和えは間引きした小さいメロンをつかっていて、こいつが恐ろしい酒泥棒であった。白和えはあくまでなめらか、塩加減も絶妙、こっそりと、いい具合にお砂糖をつかっているから、きりっとした後味になる。これは洗面器一杯分くらいいける。酒がぐんぐん進んでたちまち徳利が空っぽ。

ツマミはだんだんに重みのあるものにしていく主義なので、ここで大好物の雁もどきをお願いする。自家製のそれは、表面をカリカリに仕上げていて、まず一嚙み目から、そのサクサクとした歯触りにしびれる。具もたっぷりで豆腐界の福袋みたいな逸品であった。おのあたりですでにお銚子3本がエンプティ。

つづいて自家製の水餃子。かおりさんもひとみさんも四国と関東の出、餃子発祥の地、中国出身ではない。ところが、この餃子の滋味あふれる味わいは、料理人が故郷の料理を作る時しか達成できないのではないか、という仕上がり。押したらゆっくりと反発しそうなむっちりした皮のなか、肉の汁気をしっかりたくわえたアンがさえる。一人20個はいけそうである。

中華な流れになったので、さらに自家製のチャーシューを頼んだら、これがまた傑作でホロホロの肉に甘くてしっとりした脂身が最高のバランス。モグモグやると、1、2、3で消え去っていき、すぐにも「もう一枚!」と、後を引く旨さ。薬味のネギのよき辛味の刺激と香りも良い働きをしていて、一緒に食べると、一層、肉と脂身のバランスが際立つ。
すでに何合いただいたかわからなくなり、ハッとしてMさんと
「こちらは御膳という定食がまたいいので、めいめいいきましょうか」
ともちかけたら、私が話終わらないうちに
「もちろん」
おかずは半分ずつわけることにして、私が鮭の南蛮漬け御膳、Mさんが麻婆豆腐御膳を注文した。
この御膳には、季節の惣菜盛り合わせというのがついてくる。これが「惣菜」と謳っているが、その実、おつまみセットであることを私は知っていた。その日の惣菜セットも、やはり期待を上回る、実力派の肴が盛られていたのであった。万華鏡のようなそれは、豆、にんじん、生でいけるかぼちゃ=コリンキー、きゅうり、だし巻き玉子……。鎌倉野菜を中心に色とりどりの肴で一杯のその皿は、迷い箸で竜巻がおこりそうなくらい充実している。それぞれの材料のいちばん旨いところ引きだそうという粋な味付けで、味噌や酢、塩に出汁と上手に使い分けている。結局、この惣菜のセットで二合空けてしまった。

そして、同時に出されるスリ流しの実力に脱帽した。薄茶色のポタージュには一口で唸った。焼き茄子をポタージュにしたもので、これは傑作。ほどよいフルイド感が喉に優しく、焼き茄子の汁気とほどよい塩味、そこに香ばしさが相まって、信じられないくらい旨い。
……この店を知ったのは、ひとみさんを介してだった。ひとみさんの夫は有高唯之さんという写真家で、私が初めて酒場の本を書いたとき、最高の写真を撮ってくれた人だった。(夫婦揃って)飲兵衛で、彼と初めて一緒になった現場、ムーンライダーズの鈴木慶一さんのインタビューだったのだが、その帰りには『9月の海はクラゲの海』なんて口ずさみながら、一緒に呑んでいたのであった。彼はいま、空の上から地上を見ている……

いよいよ、登場した麻婆豆腐と鮭の南蛮。Mさんと半分ずつにわけることにした。
まずは麻婆豆腐。色も麗しい茶褐色の美しい照りがたまらない。すくって一口。山椒の透き通った香りの奥からジリジリと来る辛さ。そしてひき肉の旨みとからみあう豆腐。中華屋さんが習いに来そうな出来栄えである。Mさんは辛いのを食べると汗がふきだすタイプなので顔を拭き拭き、
「これ、舌の根元にはこない、質のいい辛さですね」
と分析する。タン元が刺激されるといつまでもその味に染まってしまう、ということらしい。たしかにこの麻婆豆腐は抜けがいい。辛味もすうっと引いてくれる。レモンサワーを追加してこれに合わせたら最高だった。

そして鮭の南蛮漬け。私は近年南蛮漬け探求家も自称しているが、これは一口で快作であると膝を叩いた。薄い衣と馴染んだ鮭の身は、汁気をちゃんとたたえつつ、酸味、塩味、甘味を至妙の比率で仕上げた漬け汁にしっかりと浸かり、一体化している。漬け汁は鮭の元々の旨みをぎゅっと引き出し、衣のかすかな甘味と香ばしさがアクセントになり、まるで自然界に、こういう味の魚がいるかのように、自然に一塊になって味覚を満足させる。たまらない。
気がつくとびっくりするくらい腹はいっぱい。ここから歩いて帰ればきっと腹ごなしになるのだろうが、思わずバスの時刻表をチェックしてしまった。そしてMさんを見ると、やはりスマホを見ていた。画面にタクシーの絵が浮かんでいた。でも歩く。
「ロビンソン酒場漂流記」がテレビ番組に!
加藤ジャンプさん「ロビンソン酒場漂流記」が、2025年1月4日(土)からBS日テレのテレビ番組としてレギュラー放送されることが決定!
出演は、「考える人」の連載「土俗のグルメ」でもおなじみ、芸人・俳優のマキタスポーツさん。
駅から遠いが愛され続ける、孤高にたたずむ酒場を訪ねて、マキタスポーツが街を“さま酔う”?
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加藤ジャンプ
かとう・じゃんぷ 文筆家、イラストレーター。コの字酒場探検家、ポテトサラダ探求家、南蛮漬け愛好家。割烹着研究家。1971年東京生まれ、横浜と東南アジア育ち。一橋大学法学部卒業。出版社勤務をへて独立。酒や食はじめ、スポーツ、社会問題まで幅広くエッセーやルポを執筆している。またイラストレーションは、企業のイメージキャラクターなどになっている。著書に『コの字酒場はワンダーランド』(六耀社)など。テレビ東京系『二軒目どうする?』にも出演中。また、原作を書いた漫画『今夜はコの字で』(集英社インターナショナル)はドラマ化された。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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