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ロビンソン酒場漂流記

2025年1月24日 ロビンソン酒場漂流記

第14夜 浅川の向こう岸の奇跡

JR中央線八王子駅 徒歩21分「味楽来」

著者: 加藤ジャンプ

 

イラスト+写真:加藤ジャンプ(特記した写真を除く)

 待ち合わせは八王子駅だった。

 八王子にはJR八王子駅と、そこからすこし離れた京王八王子駅がある。大学生の頃は、JR八王子駅で横浜線から中央線に乗り換えていた。定期を持っていたから、時々八王子駅でも降りてぶらぶらすることがあった。その頃は百貨店のそごうや西武があった。桑都(そうと)と呼ばれるほど養蚕業が盛んだった街で、多摩の商業の中心地だったから、いくつものデパートが八王子に出店していた。私が八王子を経由する頃には、とうに養蚕業など衰退し、デパートもすでに何軒も撤退していた。それでも西武とそごうは残っていて、そごうには、たしか洋菓子店のコロンバンの喫茶店があった。この店で、時々、一人でプリンと紅茶を楽しむのが密かな楽しみであった。マダムな大学生だった。酒場もその頃から方々巡りはじめたが、喫茶店もあちこちのぞいていた。目方は今より20キロくらいは軽量でだいぶ風貌も違ったから、あの頃、SNSがあったなら、『プリン王子』は絶対無理でも『プリンくん』くらいにはなれたのではなかろうか、と、変に想像がふくらんだ。疲れているのだろう。早く目的のロビンソン酒場に行って呑んだほうがいい。

 あの頃、デパートのなかのコロンバンでプリンを食べて、スイートなお腹をこなすために街をぶらつき、結局飲み屋で一杯やる、というのを何度かやった。ある夜、コロンバンから酒場というコースで、したたか呑んでしまい、駅に向かったはずが明後日のほうへ歩いてしまって、大きな川に出てしまったことがあった。浅川という一級河川で多摩川の支流の一つである。心細かった。頬をなでる風のおかげで正気を取り戻し無事に駅にもどって帰宅したのだが、今回行くのはその川をわたったところにあるロビンソン酒場なのであった。

 その日は、ちょうど八王子で別件の打ち合わせがあったので、Mさんよりも一足先にこの街に着いていた。古い喫茶店で本の打ち合わせをしてから、待ち合わせまでまだ時間があったので、すこし歩いて回った。道路の拡幅工事をしている。国道につながる道が立派になるらしい。傍でかつては何か建物があったであろうところに、ぽっかりと空き地というか空間ができている。空間の両側にはビルがあったりするから、4段のテトリスが、縦にストンとはまりそうなところが散見された。

 MさんとはJRの改札口で待ち合わせた。夕方の改札口は通勤通学の人の波がうねるように押し寄せてくるので、普通のおじさんではなかなか見つからない。雑踏のなかでスムーズにおじさん同士が落ち合えるかどうかは、互いに、いかにキャラ化できるかにかかっている。だが、いつもどおり、サングラスのMさんと張り込み中の昭和の刑事のような帽子の私は浮いているので、すぐに落ち合えた。

 八王子。養蚕が盛んで、織物の街として栄えたところだ。ここから横浜への道は、日本のシルクロードと呼ばれた。今でも大きな街で、ターミナル駅があって繁栄しているが、なかなか用事が無ければいくことはない街でもある。実際、Mさんが八王子駅で下車するのは、大瀧詠一のレコードを買うためにタワーレコードに行ったのが最後だという。2021年にレコードが再発されたときのことだろう。そう「A LONG VACATION」。聴いたことのない同世代がいるのだろうか。私たちは、しばらく、このアルバムの話をしながら八王子の街を歩いたのだが、気づくと、広いまっすぐな道に出てしまい、いきなり心細くなった。

 立派な高校や住宅街。アメリカのオートバイの店などの前を通りながら私たちはてくてくと歩を進めた。前に件の店に行ったとき、こんなものあったかな…。いろんな記憶がよみがえる。記憶がはっきりする一方で、日はどんどん暮れて、あたりはすっかり薄暮。そして、私たちは突然、川にでくわした。

 浅川だ。中央線に乗っていると豊田・八王子間に見ることができる。

 橋をわたるとき、変な感じがした。音がしないのだ。川をのぞきこむと、水嵩が減っている。静かなのはそのせいだ。

 川沿いにはマンションなどはあるものの、灯りがすくない。空にはまだ明るさが残っていても、橋から見下ろす河原はほとんど真っ暗に見える。ススキの原が揺れているのがかすかに見えた。

 河原の、鬱蒼とした茂みを見ると、なにかがあるのではないか、と想像しがちだ。子どものときはそれがもっとひどくて、眺めのいいレストランで食事をしていると、自分だけ、窓外で「まさか」という場面を見てしまうのではないか、と考えてしまうタイプだった。要するに、いつか自分はヒッチコックの『裏窓』の主人公みたいに、偶然、裏窓から事件を目撃してしまうのではないか、そんな感覚である。だから、河原の茂みなんかを見ると、一人だけ、どえらいものを目撃してしまうのではないか、と、ちょっと心配になるので、なるべく、そういう場所を一人では見ないようにしている。

 でも見たい。だから、人を誘って見る。それで今回も、

 「あのなか、なにか、ありそうですね」

 と、Mさんを誘った。Mさんは即答した。

 「ありますよ」

 なにがあるのかは、二人とも追求しなかった。

 橋をちょうど半分ほど渡ったところで足をとめたのは、眺めを見るためではなく疲れたからである。もう30分は歩いている。こんなに遠かっただろうか…。だいぶ間違えた気がするが、Mさんには言わないことにした。ロビンソン迷子なんて茶飯事である。

 橋をおりてから、車通りの多い道を行く。途中、学習塾や建設業者、映画の舞台になりそうな感じのいい、昭和竣工の集合住宅があったりするが、ほとんどは一軒家である。道路の反対側の奥は林だ。朝の光のなか、こんな木立を見ながら通勤するのは気持ちがいいだろう。

 大通りから一本路地を入る。立派な神社があって、パラパラと店らしき建物があるが、定休日なのか開いていない。そのなかに、件の店はあった。

 『味楽来』

 ミラクル、と読む。私は、英語やフランス語に漢字をあてた店名が大好きだ。『来夢来人(らいむらいと)』とか『姿麗人(しゃれいど)』なんて身悶えするほど魅力的。そして『味楽来』。ここで、この店名の酒場に会えることが、すでにミラクルだ。

 格子戸を開けてお辞儀をして、

「二人、いいですか?」

 と、聞く。ほぼ口開け、つまり店の開店の時間だったから、まだお客は他に誰もいない。初めて、あるいは久方ぶりに伺ううちは、口開けのタイミングでお邪魔するにかぎる。開店の時につけたストーブもあったまり、客もアルコールでめきめき体温をあげて店中に熱を発散しはじめる時、店中のメートルがあがった、それも常連の皆さんでいっぱいで一体感も最高潮の時に、新参者が邪魔しては申し訳ない。うまく馴染めればいいけれど、そうでなくても先客には気を使わせるし、水入らずはそのままにしておくのが粋というものだ。これが「初顔口開けの鉄則」。そういうわけで、ロビンソン酒場をもとめて漂流するときも、暖簾がかかる時刻から逆算して駅から歩き出している、だいたい。すべて漠然のようでいて意外に緻密なんです。

 店のなかには、女性の店主が一人。綺麗に茶色に染められた髪をすこし直しながら椅子から立ちあがりエプロンを身につけた。格子戸と桟の隙間からのぞく、いささか年季ものの風来坊的外見の中年を見つめ、にこりと笑顔を見せて、

「いらっしゃい」

 と、気持ちよく迎えてくれた。

 長いカウンターとテーブル席がある。灯りは蛍光灯めいた昼白色。カウンターにMさんと二人並んで陣取る。こざっぱりと片付けられていて、気持ちがいい。料理をする手元は見えないけれど、視線はちょうど良い高さで交差する、いいカウンターだ。

 カウンターの一段あがったところに一升瓶が2本立っていて、一本は剣菱だった。

 剣菱。

 剣菱があれば必ず『傷だらけの天使』のテーマを口ずさんでしまうのは、私たちの世代以上なら当たり前の衝動だろう。そして萩原健一さんファンが高じて、大学生の頃、傷だらけの天使へのオマージュが満載のドラマ、『豆腐屋直次郎の裏の顔』 に登場するショーケンの相棒役の佐藤B作さんのセリフをほとんど(そらん)じていたことは、いまだにMさんに告白したことがない。そして、妻役だった、渡辺えりさんのモノマネが得意なことも。

 最初に注文した生ビールとお通しがあらわれた。煮込みを小さな鉢に入れたものだった。あっさりめの味つけにネギがぴりっときく。くたびれた体にはこういうのがいい。そして、よく冷えた、太くて短めのジョッキにいっぱいの黄色いのをぐっとあおる。

 喉を黄金色の清流が流れていく。

 生きている。私たちは、生きている!

 そして、だしぬけに実感する。腹がへっていることを。多摩の、浅川の川面から吹き上げた冷たい風に冷え切った体は飢えていた。もう、頼もう。壁だ、メニューを見ろ、ヘッド・アップ・ハイ。

 厨房のダクトの上にはられたメニュー札のほかに、白板に書かれたメニューがまた魅力的だ。刺身盛、あん肝ポンズ、金目開きのような、いかにも居酒屋な肴はもちろん、カルビ、牛ステーキなんてヘビーなものもある。

「しっかりしたメニューも多いんですねえ」

 誰に話すでもなくつぶやいたら、店主さんが、手をとめてふりかえった。

 「お昼もやってるのね。ランチはけっこうしっかりしたものを出したいから、ちょっとなんていうのかな、しっかりした料理も増えるのよね」

 ランチ営業をやっている酒場で、昼はオカズとして出しているものにハズレなし。

 長い呑兵衛生活から得た知恵の一つだ。こうなれば、なにも迷うことはない。あん肝ポンズ、刺身盛合せ、トマトサラダ、チヂミ、エビフライ…。好きなものを好きなだけ好きな時に食べる。これが本当の健康法である。

 もう一つくらい行きたいという心持ちで、再度、壁のメニュー類を見回すと、白板に気になるものがあった。

 「ゲタカルビってなんですか」

 「おいしいわよ」

 これ以上の説明なんていらない。もとめるほうが野暮だ。

 「じゃあ、それもお願いします」

 ほどなくして、まずはあん肝ポンズが登場した。小ネギを散らし紅葉おろしの下に、いかにもむっちりした、薄いオレンジ色とピンク色のマーブル状の美しいあん肝が見える。小鉢に一杯に盛られていて、プリン体好きなら矢も盾もたまらない。パクリといったら、口中に磯という名のコクが広がる。ポンズもたっぷり、サッパリとしてキリッとした後味がいい。お通しからのこの流れ、いいぞ。

 あん肝で口中がコクの海になったところに、刺身盛合せ。鰹、ブリ、イカ、マグロ、マグロの中おち、鯛。6種類盛りとは贅沢。キャンディーズとザ・ポリスを同時に拝むような心持ちになる。

 きらきらとした断面の美しさからその鮮度は折り紙つき。鰹はサッパリしながら食べ応えがあり、ブリは品のいい脂がニクい。イカのねっちり加減にうなれば、マグロは中おちとともに良いコクと後味。八王子にいながら、海辺の民宿に居るかのようだ。

 「こんばんは」

 お客さんが来た。レディーが一人。常連さんらしい。杖はついているものの、カクシャクなんて言葉が失礼なくらいスマートだ。つづいて、カウンターに夕飯をもとめて来た男性のお客さんに、一人飲みの女性のお客さんが一人ずつ。この勢いだと満員になるのも時間の問題だ。口開けの鉄則を守ってよかった。

 手伝うスタッフの方もくわわり、カウンターの内側は忙しい。されど、慌ただしくはない。店主さんとスタッフの方の息も合っていて、見ていて清々しい。

 トマトサラダが来て、これがツナたっぷりで、ツナ好きの私にはたまらない一品だった。さらし玉ねぎのさらし加減もよく、みずみずしいトマトとレタスと一緒にほおばると清涼感がたまらない。

 「はい、お待ちどおさま」

 そこへドーンとゲタカルビである。コッテリした肉厚のカルビをいい焦げ目をつけて焼いてある。ニンニクたっぷりのタレにまみれたそれは、一口で、細胞が訴えていた肉への渇望を一気に満たしてくれる。旨い。見るからにヘビーだけれど、これが不思議に後味爽快。それでバリバリ食べてしまう。

 グループのお客さんも来て、気づけばテーブルも満席になっている。駅からは遠いし決して賑やかなところではない。それで、これだけ繁盛している。そのわけは、すでに十分にわかる。

 店主さんは出雲の出身。縁あって八王子に出てきて40年以上になる。40年あれば、いろいろあったのだろうが、商才があって、駅前でブティックやスナックをやっていたこともあった。この店は四軒目だ。三軒目のスナックも流行っていたけれど、

 「だんだん歳とってくるとスナックも大変じゃない。それで居酒屋やりたいなあ、って思ってたら、この物件と出会ってね」

 気づけば20年。

 「居酒屋なら、ばあさんになってもできるかな、って思ってね」

 なんて謙遜するが、たぶんあと30年はばあさんになることはないと自信をもって言えるくらい若い。昼食の時間も夜の時間も、常連はじめ、最近は遠方からもお客が来る。良い店だもの、当たり前だ。

 ちょっと炭水化物が欲しいなと思ったところへチヂミが来た。これがまた旨い。ちなみに、チヂミは方言で、いきなり韓国でチヂミ食べたいと言っても「?」なことになるよ、と、昔、この店のあたりを一緒に歩いた人が言っていた。あの人は元気だろうか。

 お腹も満たされ、ロビンソン酒場の温かみに、温泉につかるようにひたっていると、背後から声がかかった。杖のレディーだ。

 「テレビに出てるんでしょ」

 レディーが私に話しかけてくれた。

 「私が楽しんでいるところを写真に撮ってメールすると、息子が安心して喜ぶのよ」

 とのことで、一緒に記念撮影。実は、レディーは、この店の大家さんなのであった。

 ふと見上げると、カウンターに焼酎の甕がある。そのうえに、2匹のピンク色のプードルのぬいぐるみが仲良く座っている。

 「お客さんがくださったの」

 店主さんが教えてくれた。そのプードルの1匹と目があってしまった。

 「ネエ」

 「なんだい、ピンキー」

 「モウ少シ居テヨ」

 「仕方ないな、ピンキーは甘えん坊だな」

 そんな話をプードル(左)と交わして、もう少し居ようと決めた。となれば、追加だ。このタイミングで? と、Mさんはちょっとたじろいでいたが、私は迷わずステーキと焼きそばをお願いしていた。

 「はい、どうぞ」

 湯気をもうもうと立てて、目の前に鉄板に盛られたステーキがある。いい香りだ。お腹はいっぱいのはずなのに、食欲がみるみるわいてくる。

 そして、中年は牛肉に齧りついた。じわりとした肉汁。脂っこすぎない、ほどよい肉質とサシ。こういうものを食べていれば、人は元気でいられる。

 最後には焼きそば。このタイミングにこそピッタリな、控えめなたたずまいの、さりとてパンチはある、ソースのしっかりした焼きそばだった。ここはシャングリラだ。

 会計をすませ、まだまだボルテージが高いなか、席をたった。 

 「昔は、大和田銀座って呼ばれていて、けっこう賑やかだったみたいですよ」

 スタッフの方が教えてくれた。神社の参道ぞいに、ちょっとした繁華街があったのだろう。そのなかに、昼も夜もこんなに愛され続けている酒場がある。

 「こんなお店が、ここにある、って、ちょっと奇跡(ミラクル)ですね」

 本心から言っていたけれど、

 「うまい!」

 と、言われた。こういうところが、なにより、最高なのであった。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

加藤ジャンプ

かとう・じゃんぷ 文筆家、イラストレーター。コの字酒場探検家、ポテトサラダ探求家、南蛮漬け愛好家。割烹着研究家。1971年東京生まれ、横浜と東南アジア育ち。一橋大学法学部卒業。出版社勤務をへて独立。酒や食はじめ、スポーツ、社会問題まで幅広くエッセーやルポを執筆している。またイラストレーションは、企業のイメージキャラクターなどになっている。著書に『コの字酒場はワンダーランド』(六耀社)など。テレビ東京系『二軒目どうする?』にも出演中。また、原作を書いた漫画『今夜はコの字で』(集英社インターナショナル)はドラマ化された。

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