
ちょっとイレギュラーである。
JR京浜東北線の鶴見駅で待ち合わせることにした。いつものようにサングラスのMさんが来る。メールで打ち合わせた。
「西口の改札で待ち合わせましょう」
そこまでは何も変わらない。だが続きがある。
「今回はKくんも来ます」
新キャラ登場なのであった。しかも
「私、ちょっと遅れるんですが、Kくんは予定通り到着します」
というのである。私は少々焦った。Kさん、変わっていないだろうかーー。
Mさんが「Kくん」と呼ぶのは、MさんがKさんの先輩だからだ。そして、私も、この会社に勤めていたことがありMさんと同期なので、Kさんの先輩にあたる。
さて、Kさんは、このWebマガジン『考える人』の編集長である。こう書くと、後輩が上司で部下が先輩という少々複雑な関係のようである。だが、実際は、Mさんは、この『ロビンソン酒場漂流記』の連載についてだけ『考える人』にかかわっていて、本籍のような部署は別にある。だから、彼らの関係は単純に先輩と後輩である。そして、Kさんからしたら、私とMさんは、昔から変わらぬ素敵な先輩二人、である、たぶん。
Kさんに会うのは久しぶりだった。おそらく10年近く会っていない。
この年になって、長らく会ってない人との再会はスリリングである。脂肪や頭髪など肉体的に劇的な変化を遂げることは珍しくない。
鶴見駅の西口の改札は乗降客が多い割にこぢんまりしている。昔とあまり変わっていなければ、すぐにわかるだろう。部分的に変わっておらず、しかしながら、全体には地滑り的変貌を遂げている場合は、すぐに気づくものの、呆然としてしまうかもしれない。私は丹田に力をいれて、改札口でKさんを待った。
「お久しぶりです」
「こちらこそご無沙汰してます」
「今日は、ちょっと、ある種の究極のロビンソン酒場へ参りますよ」
「楽しみです」
杞憂は嬉しい。Kさんは、それほど変化していなかった。しかも服の趣味もーー藍染めの服をよく着ていたので、私はかつて、心ひそかにKさんをインディゴ坊やと呼んでいたーー変わっていない。後輩の持続可能な姿に私はホッとした。
ほどなくして、Mさんが改札に姿を現した。Kさんが安堵の表情を浮かべた。
「ほんとにサングラスかけてるんですね」
そんなMさんは、いつもより、すこし髪が伸びて伊勢正三さん的な雰囲気をまとっていた。
JR鶴見駅には人間が乗れる電車は京浜東北線、鶴見線が通っている(ほかに貨物も通っている)。またJRの駅と隣接して京急鶴見という京浜急行の駅もある。利用客も少なくない駅なのだが、Mさんは
「鶴見駅、降りるの初めて」
だという。ただ
「鶴見線のなんだっけ、電車から降りられてもホームからは出られない駅ありますよね」
「ああ、海芝浦ですよ」
その、鶴見線の海芝浦駅で降りたことがあるという。私も、たしか大学生の頃に一度行ったことがある。缶ビールを忍ばせてホームで呑んだような気がする。同行した人の髪型はレゴのようだった。そして私の髪型は、横髪を伸ばしたヴォルク・ハンのようだった。
「すごい駅ですよねえ」
Mさんが懐かしそうにふりかえる。
「そうそう、工場関係の人しか駅から出られないんですよね」
海芝浦は、狭いホームに柵があって、その先はいきなり海である。こういう駅を私はほかに知らない。私が行ったのは、ずいぶん前のこと。寒い季節だったからか、乗り降りの極端に少ない午後の時間帯だったからか、海からの風が切なくて、お天道さまの高い時間だというのに、黄昏時のようだった気がする。
「ええ。電車を降りるといきなり海なんですよね。どんなにさっぱりした性格の人でも、あのホームに立ったら過去の恋愛に執着します」
「そうですねえ」
「すべての男を新海誠映画の登場人物に変える駅ですよ」
Mさんはそれには特に返答しなかった。おそらく、彼もあのホームで昔の恋愛を思い出したのだろう。そんな二人をKさんが見て、ぽろりとこぼした。
「ロビンソン酒場って、ほんとに、こういうことを言いながら歩いてるんですね」
感心とも呆然ともつかない顔をしていた。
いつだって、酒場へ行くまでの道中にかわす益体無い会話は旨い酒を呑むための前菜みたいなものである。
鶴見駅を出てから件の店までの道のりは、ほとんどずっと坂道である。この坂道がそれなりにきつい。私は革靴ばかりはいている。スニーカーならもっと楽にロビンソンウォークができるのだろうが、今更宗旨替えはできない。かつて高校でアメリカ人のJという同級生に
「レザーシューズが、いつも、いいね」
と、褒められたのが、その原点かもしれない。Jよ。靴ズレとかもしたけれど、私は元気です。
駅を出てすぐに坂道がはじまる。 初めは
「こっちの立派な木が塀からのぞいているのが總持寺です」
などとガイドをする余裕がある。聞かされた二人も元気だから
「(石原)裕次郎さんのお墓があるんですよね」
と答えることができた。
この總持寺は曹洞宗の大本山である。1911年に石川県から移ってきた(石川のほうは總持寺祖院という別院になっている)。裕次郎さんの話しになったので、西部警察の挿入歌『時間よ、お前は…』を小さな声で唄ってみた。なかにし礼さんの書いた、疲れた友への労いの歌にもかかわらず、二人はこれといって反応をしめさなかった。ついでに
「横綱、大錦のお墓もあるんですよ」
と説明したが、こちらにも反応がなかった。伝説の、2時間5分の取組について語りたかった私は、かるく唇をかんだ。
横浜はよく、坂道の街といわれる。ここ鶴見獅子ヶ谷通りも坂道である。途中に平らなところもあるが、鶴見駅からずっと上りがつづく。上り始めてしばらくは三人とも無駄に口をきいていた。ただ、徐々に笑いが増えていく。疲れるにつれ笑うのである。だから、なにについて笑っていたのかあまり記憶がない。
「獅子ヶ谷って言いますが別にライオンがいたわけじゃないのよ」
「あはははは」
私のどうでもいい発言にすら笑ってくれた。限界が近い証拠だった。
この道の「獅子」の由来は熊野権現の獅子舞を村でうけもったことに由来するらしい、と看板に書いてあった。去年の夏、実家を片付けていたら、バリ島で獅子舞のようなバロンダンスというのを見て号泣する2歳の頃の私を撮った8ミリフィルムを見つけた。その映像を子どもの頃は正月や父が写真の整理をするときに、よく見たものだった。その8ミリフィルムには音声がなかった。わずか数分のクリップだが、これに好きな音楽をあわせるのに凝ったことがあった。最終的には加古隆ならなんでもドキュメンタリーっぽくなって良い……という話しをしたかったが、二人ともすでにそれなりにヘロヘロの様子なのでひかえた。
ところが、道は突然平らになる。台地になっているのだ。台地LOVE。平らは正義である。だがそれも長くは続かない。また坂道になる。
そして、今度は橋を渡る。橋といっても陸橋である。一見、橋かどうかも見分けがつかない。渡りはじめて、下を見下ろすと大きな道路が走っている。国道1号線、通称第二京浜である。橋を渡りきったところで、私は二人を
「ちょっとちょっと」
と欄干の裏につづく細い道へと誘った。
「ここから橋が見えますから、めがね橋ですよ」
「おおお」
二人が歓声をあげた。
「めがねといってもモノクルですね」
「ほほお」
響橋という昭和16年にできたアーチ橋である。めがね橋は通称だがアーチは一つしかない。挿絵のアルセーヌ・ルパンがかけているような片眼鏡。つまりモノクルである。
「いい橋ですなあ」
「実にいいですなあ」
「めがねですなあ」
隙あらば休憩をとるのがロビンソン行である。休む口実に、三人とも橋をしばらくの間、愛で続けた。
響橋の欄干脇から戻った私たちは、再び歩き始めた。ほどなくして一軒の店が見えた。一列になって歩いてると、背後から、MさんがKさんと安堵したような声で話しているのが聞こえた。
「あれが、今日のロビンソン酒場ですね」
私は聞こえないフリをして何も言わなかった。そして、黙って私は店の前を通り過ぎた。
「あ、違ったんだ」
Mさんの声にすこし落胆の色がついていた。私はほくそ笑んだ。まだ修行が足りないよ。ロビンソン酒場はそんなに簡単には辿りつけないのだ。ただ、ぬか喜びして落ち込む二人があまりに気の毒で、すこし先にあるお菓子屋さんで甘いものを買って一つずつ二人にあげた。このお菓子屋さんが100年以上の歴史のある店で、その事実だけで、このあたりは昔から開けていたことがよくわかる。
「寺尾っていうんですね、このへんは」
お菓子を食べながらMさんが電柱や交差点に寺尾と書かれたプレートがあるのに気づいた。
「そう寺尾。淀川長治さんの家がこのへんにあったそうですよ。で、この近くに寺尾中学校という学校があるんですけど、そこは猪木さんが通ってたんですよ」
緒形直人さんも卒業生だと、近くの店で仄聞した。ただ、私はどうしてもアントニオ猪木さんのことを言いたかった。
Mさんが、へええと驚く。
「ブラジルじゃないんですか」
「寺尾中の途中から家族でブラジルに行かれたんです」
自然に50代二人と40代一人はそろって猪木さんのテーマを口ずさんでいた。ボンバイエ。
猪木さんのテーマはカンフル剤のようなところがあって、唄った三人はまた元気を取り戻し、再び会話が弾みだした。
「ときに、今回、ある種の究極のロビンソン酒場、ってどういう意味なんですか」
「その煽り、私も気になってましたよ」
「いや、それはですね…」
そして、唐突に、その店は現れる。
『やきとり居酒屋 醍醐 馬場店』だ。
このロビンソン酒場、たしかに、ある意味で、究極のロビンソン酒場なのである。
店はカウンターとテーブル。広くはないけれど窮屈でもない。大将の目が隅々まで行き届く、ちょうどいいサイズだ。暖簾をくぐったとき、五時の開店時間をすこし過ぎたくらいだったが、すでに、カウンターとテーブル席に先客がいた。私たちは、三人組の隣りのテーブルに案内された。お隣はすでに、ほろ酔いのようである。私たちよりもおそらく20年ほど早くお生まれになったご婦人グループである。
30分以上は歩いた。かなり喉が渇いてる。若いアルバイトの男性が注文をとりにくると、三人とも申し合わせたように生ビールを注文した。乾杯。
長い坂を上ってきた中年三人。ゴクゴクという喉を鳴らす音が共鳴する。黄金色の大河が体をかけめぐる。萎れていた全身の細胞が、水を吸ったジェリコのバラのようにむくむくと生気をとりもどす。ビバ、ロビンソン。
と、なれば、あとは食欲の塊なのであった。しかも、その日は、いつもよりプレーヤーが一人多い。注文も強気になる。まずは串。
ハツ
皮
かしら
ベーコン巻き(チーズ)
すきみ
鶏チーズ
プチトマト巻き
長ネギ
ぎんなん
これらを3本ずつお願いした。
カウンターの奥の厨房にいる大将とちらっと目があった。テーブルから遠いから、軽く会釈。こういうやり取り、たまらない。
焼き加減はどれも実に丁寧だった。たとえば、皮。しつこい余分な脂は落としてある。部分的にカリッとさせつつ、むにゅっとした食感を残し、たっぷりとたくわえた小脂と汁気はきらきらと輝く。理想的な皮だ。一噛みで口中にじゅわっと旨いスープがあふれだし、いきなり多幸感に満たされる。
鶏チーズという変わり種は、ピザソースとチーズをのせて焼いた鶏。タレと塩じゃない第三の焼き鳥は、その夜の献立全体に良いアクセントを生む。粒の大きいしっかりした鶏だから、焼き鳥としての存在感はしっかりしているのに、味付けがカジュアルで、軽くいけるのがいい。移動遊園地で食べるホットドッグ(そんな映画に出てくるニューヨーク郊外みたいなシーンに遭遇したことはないけれど)のようで、この串一本で、ビールはジョッキ一杯あっさりと空になる。
かしらは脂たっぷり。元々質が良いのをじっくり丹念に、ここが最高!というギリギリの焼き加減で仕上げてある。
「ここ、旨いですね」
Mさんが嬉しそうに綺麗に具が取れた串を3本ほど皿に並べ、なぜか一度外したサングラスを再びかけた。
ぎんなんは、串に刺さった翡翠のように深い緑色に輝き、塩加減も至妙。ねっちりとしながら、歯切れよく、この旨さなら100粒くらいは軽い。ネギもしかり。添えられたミソとの相性も良く、2、3本食べればこの冬は風邪をひかないような気さえした。
ここからは、お酒。日本酒。
串でかなりお腹は一杯のはずなのに、三人ともまだまだアペタイザーがすんだくらいの顔のままだった。だから、少し重めのものをいただこうと、長芋ステーキに揚げワンタンをオーダー。
長芋ステーキは長芋を鉄の皿にしきつめおかかと海苔をたっぷりのせて焼いてある。ざくっと大きめに鉄板からすくいあげると、じっくり焼かれたそれは、焦げ目もこんがり、すっかりカリカリに仕上がっている。ところが表面はふわっとしていて、この歯触りのギャップがまた、また愉快。一見、グラタンみたいに見えるけれど、これは日本酒にいい。
揚げワンタンは三角のワンタンと違って、大きめの具を棒状に包んで揚げてある。皮が厚めの小さい春巻きのような出来で、パリパリの皮とたっぷりの具のバランスが実にいい。しかも、脂っこさがちっともなくて、すこし時間がたっても、皮がずっとパリっとしている。巧い。腕がいい。ちょっとビールに戻りたくなったが、もちろん日本酒にもぴったりなのであった。
「今日は健康麻雀だったの」
お隣のご婦人たちが教えてくれた。全員、健康麻雀(賭けない麻雀のこと)の会のメンバーで、会場近くのこの店に、いつも麻雀帰りに皆で寄るのだそうだ。みなさんお若く見えるのだが、一等先輩の方はなんと90代だという。健啖っぷりも素敵だし、なにより楽しそうである。
私は麻雀素人で、友人に「麻雀放浪記を見て勉強します」と伝えたところ、あれを見ても勉強になりませんと、言われるようなタイプだが、今度こそは麻雀をものにしようと、その場で入門書をネットで購入してしまった。
いつの間にかカウンターも埋まっている。顔馴染みも多いようで時々言葉をかわして笑う。されど常連みんなで盛り上がるというよりは、それぞれがそれぞれのペースを大事にしながら呑んでいる。こういうの、良い。
牛もつ煮込みと、だし巻き玉子、それに鶏皮おろし、というのも注文した。
煮込みは、あっさりとした仕上がりで、純粋に汁物として楽しめる。汁まで一滴残らず平らげたくなる逸品。
後から来た女性二人組がだし巻き玉子を食べていて、その食べっぷりがあまりにかっこうよく
「同じのください」
と頼んだそれは、「ふんわり」の臨界点を感じさせる傑作であった。時々、度を越してふわふわしたものに出くわすことがあって、あれはちょっと面食らったりする。ここのは、ふわっとしつつ、箸で切って口を運ぼうとすると、すこし持ち重りする。このバランスがいい。じゅわっと出汁があふれつつ、ほのかに玉子そのものの甘さを感じさせる。
鶏皮おろしは、細かく刻んだ皮をポン酢とおろしでいただくもの。私は鶏皮ポン酢が大好きで、お品書きのなかに発見すれば、自動的にオーダーするタイプである。歯応えがありつつ、ぶにゃぶにゃしたりせず、一噛みでさくりと噛み切れる。その断面から、いい出汁があふれる。清涼感のあるおろしと一緒に食べれば、コラーゲンのマントをまとった高峰譲吉が口中に降臨する。
「花月園ありましたねえ」
店主の石川英孝さんとあらためて挨拶をした。
以前、ここに来たとき、まだ鶴見に花月園という競輪場があった。はじめは競輪場に行ってみるつもりが、なんとなく気が変わって友人が卒業した高校を見にいくことにした。それが間違いで、私は完全に迷子になった。そのとき、偶然にも見つけたのが、この店だった。
「遠いところまでありがとうございました。だから、こういうこともやってるんですよね」
この店がある種、究極のロビンソン酒場なのだと、 MさんとKさんに謎かけをしたのは、この店がタクシー代の一部をサービスしているからなのであった。飲食代5000円以上のお客で領収書を持っていれば、最大800円のタクシー代を割引してくれる。誕生日のサービスというのもやっていて2000円も引いてくれるという。こんな酒場そうそうない。
「Kくん、誕生日じゃないの?」
急に先輩風を吹かす Mさんだったが、残念ながら3名とも誕生日ではなかった。
そんな会話を見ながら石川さんが微笑む。このサービスにも端的に現れているけれど、ここは、石川さんのホスピタリティーの結晶のような店だ。元々違う仕事についていたが、叔父叔母の営んでいた店の跡地をそのまま受け継いだ。
「万博の年にここに叔父が家を建てて、それから中華料理を12年くらい、その後定食屋兼カラオケスナックを17年ほどやっていたんです」
きっとその店も愛される店だったのだろう。叔父叔母が店をたたみ、同じ場所に醍醐を開きすでに四半世紀以上になる。
「店は私よりも2つ若いんですが、私と一緒に70歳くらいまではいっしょに頑張ろうと思ってます」
頼もしい。
最後に11月~3月の冬季限定の特製鶏団子鍋でしめることにした。
「いけますよね?」
相当食べていたから、心配して二人に確認した。
「ええ、大丈夫です」
二人とも二つ返事。ここの料理はちっとももたれないから、少々腹がふくれていても、まったく問題なくいけそうな確信があった。
満を持して現れた鍋。すこし香ばしく深みのある汁の香りがふわふわと漂い、テーブルに置かれる前から、体が反応してしまう。オーソドックスにネギやエノキ、椎茸、にんじんなど寄せ鍋っぽい具がみっちりとおさめられた土鍋のなかに、いかにも旨そうな鶏団子が汁につかっている。テーブル上で沸騰し、熱々をいただく。
嗚呼、このスープ! 冷たい日本酒ばかりためこんだ肉体に、熱々のスープがすうっと染み透る。旨い。野菜の味も団子から出る出汁も一緒になって、きらきらした透明なスープに仕上がっている。その汁をうまく吸い込んだ団子がまた良い。思い切りよく噛むとほろりと崩れ旨みがすうっと、押し付けがましくなく、ほどよく、あふれてくる。そして具は完食し、結局シメの雑炊まで平らげた。この雑炊がまた旨かった。結局、これをアテにして、もう一杯やってしまった。
また、来ます!と約束して店をあとにした。意気揚々としていたのは、帰りは坂を降りればいいからだ。だが、満腹以上にふくれた腹は重く、そして、膝には下りのほうがきつい、ということを私たちは忘れていた。されど、どういうわけか、足取りは軽かった。道すがら自販機でカの付く乳酸飲料を買って飲んで歩いた。そういえば、店の名「醍醐」は五味の一つ「甘味」のことだ。牛乳を加工した甘い汁、のことらしい。
「なんだか、トントンとうまいこといきますね」
「原稿もそんな、トントン拍子でお願いします」
そんな会話をかさねながら、坂道をテクテクと中年三人で降りていった。
行きも帰りも益体もない会話。これがロビンソン酒場の醍醐味なのである。
「ロビンソン酒場漂流記」がテレビ番組に!
加藤ジャンプさん「ロビンソン酒場漂流記」が、2025年1月4日(土)からBS日テレのテレビ番組としてレギュラー放送されることが決定!
出演は、「考える人」の連載「土俗のグルメ」でもおなじみ、芸人・俳優のマキタスポーツさん。
駅から遠いが愛され続ける、孤高にたたずむ酒場を訪ねて、マキタスポーツが街を“さま酔う”?
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加藤ジャンプ
かとう・じゃんぷ 文筆家、イラストレーター。コの字酒場探検家、ポテトサラダ探求家、南蛮漬け愛好家。割烹着研究家。1971年東京生まれ、横浜と東南アジア育ち。一橋大学法学部卒業。出版社勤務をへて独立。酒や食はじめ、スポーツ、社会問題まで幅広くエッセーやルポを執筆している。またイラストレーションは、企業のイメージキャラクターなどになっている。著書に『コの字酒場はワンダーランド』(六耀社)など。テレビ東京系『二軒目どうする?』にも出演中。また、原作を書いた漫画『今夜はコの字で』(集英社インターナショナル)はドラマ化された。
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MAIL MAGAZINE
とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
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- 加藤ジャンプ
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