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下妻みどり『すごい長崎』試し読み

2025年2月5日

下妻みどり『すごい長崎』試し読み

はじめに――『すごい長崎』試し読み

著者: 下妻みどり

 下妻みどりさんの連載「長崎ふかよみ巡礼」が、新潮社から単行本『すごい長崎 日本を創った「辺境」の秘密』として刊行されました。

 日本の西端、アジアの東端。世界と日本をつないできた縁側のような “はじっこ”の町は、とてつもなく奥が深かった。実は忠臣蔵の元祖? 踏み絵と「くんち」の意外な関係とは? 知られざる「日本初」の数々――在住半世紀の地元作家が地理と歴史を掘り分け、教科書ではわからない独特の魅力へと誘う。

長崎はどこにある?

 世界地図を広げると、ユーラシア大陸東岸の極東と呼ばれるエリアに、細長い島国の日本が見える。北東から南西にかけて、北海道、本州、四国、九州の四つの大きな島と、その他の多くの島々が連なっている。長崎は九州にあるが、世界地図だと名前までは載っていないかもしれない。

 アジアに近づいてみよう。西から東へ、インド、東南アジア、そして北へ中国、台湾。続く南西諸島の先に九州があり、その北西岸が長崎だ。江戸時代初期には長崎からの船が東南アジア各地に渡っていた。中国、上海までの距離は約八百キロ。大正から昭和にかけては上海航路が一昼夜で結んでいた。

 日本地図を見てみれば、現在の長崎県は、九州の西側に浮かぶ大小の島々と半島の集合体である。定義上は日本海に面しつつ、水平線のすぐ向こうは東シナ海だ。毎日の天気予報では「済州(チェジュ)島西海上」の状況が伝えられる。島の数は一千四百七十九、四十七都道府県で最も多く、海岸線は北海道(島の数は全国二番目)に次いで長い。黒潮から分かれた対馬海流と海底の地形が好漁場を作り、魚種、漁獲量とも全国トップクラスを誇る。対して陸地は少なく、その多くは森林と斜面地だ。魚は取れるが米はあまり取れない。

 長崎県には十三の市と八つの町があり、県庁所在地は長崎市だ。平成の大合併では周辺の七つの町が「長崎市」となった。昭和から明治にさかのぼれば範囲はもっと狭くなり、さらに地元の感覚では、長崎市の中心部、江戸時代からの旧市街地とその周辺地域が「長崎」と呼ばれ、本書での「長崎」もそれを指している。

 長崎から上海までが約八百キロなのに対し、東京までの距離は約千二百キロ。江戸時代以前は〝一衣帯水(いちいたいすい)〟の上海までが船で約一週間、徒歩で行く江戸への道のりは一ヶ月ほどかかった。現在は東京まで飛行機で一時間半ほど、高速道路だと走りっぱなしで十四時間半、鉄道では七時間といったところだ。二〇二二年には西九州新幹線が開通したが、福岡〜長崎間は直接つながっておらず、佐賀の武雄(たけお)温泉駅で在来線に乗り継がなくてはならない。鉄道の線路は長崎駅のホームで折れ曲がって終わり、高速道路も終点だ。長崎は昔もいまも、日本の西の果ての町である。

 日本地図をひっくり返してみれば、長崎とおなじくらい〝はじっこ〟なのは、北海道なら網走(あばしり)、本州であれば青森の恐山(おそれざん)あたりだろうか。重い罪の囚人が流された土地と、あの世の人が降りてくると信じられる場所だ。かたや長崎は、とりわけ「鎖国時代の海外への窓口」だった現在の長崎市中心部には、地球の裏側の人々がやってきた。明治時代にコレラが上陸すると、町ごと焼き払う計画が持ち上がったとさえ聞く。日本が国を閉ざしていた時代に海外への窓口だったことは、いまでいう〝国際都市〟とは、いささか違う意味合いだったのかもしれない。言うなれば、日本の「辺境」だろうか。

 異国の人々が暮らした町には、独特の歴史と空気が(つちか)われた。長崎一の繁華街で幼少期を過ごした歌手・俳優の美輪明宏は「そう、ちょうど、東洋と西洋の神様の間に生まれた気分屋の女神のような市でした」と回想する(『紫の履歴書』水書坊)。コレラでは焼かれなかったが、原爆は落ちた。「七十年は草木も生えぬ」と言われた町はよみがえって観光地となり、修学旅行先としても人気が高い。今日も多くの人が訪れては、眼鏡橋(めがねばし)出島(でじま)、グラバー園、平和公園、稲佐山(いなさやま)軍艦島(ぐんかんじま)、さまざまな時代のスポットを回り、ちゃんぽんやトルコライスを食べ、カステラを手にして帰っていく。

 私は長崎に五十年以上暮らし、そのうち三十年近くは本やテレビなどの仕事を通じて、町の歴史や生活を伝えてきた。異国情緒あふれる祭りや食文化など〝絵になる〟テーマはいくらでもある。しかしいつのころからか、華やかで賑やかな町の奥に、まだ見ぬ大切なもの、語られていないものが潜んでいるような気がしてきた。長年住んでいながら、ずっと観光客のままだったのかもしれない。世界と日本をつないできた縁側のような「辺境」の町をめぐり歩いてみれば、〝気分屋の女神〟は、なにか話を聞かせてくれるだろうか。

本書25頁より。著者によるイラストや地図も満載の一冊だ

(続きは本書でお楽しみください)

 下妻みどり『すごい長崎 日本を創った「辺境」の秘密』(新潮社)

2025/1/29

公式HPはこちら

下妻みどり

1970年生まれ。熊本大学文学部(民俗学)卒。ライター。長崎についてのエッセイやイラスト、雑誌・書籍・広告記事などを手がける。編著書に『長崎迷宮旅暦』『長崎おいしい歳時記』(共に書肆侃侃房)、『川原慶賀の「日本」画帳 シーボルトの絵師が描く歳時記』(弦書房)、『ながさき開港450年めぐり 田川憲の版画と歩く長崎の町と歴史』(長崎文献社)。テレビディレクターとして長崎くんちのコッコデショを取材した「太鼓山の夏~コッコデショの131日」(NBC長崎放送/2004年)は日本民間放送連盟賞優秀賞を受賞した。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
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「考える人」編集長
金寿煥


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