2025年7月17日
はじめに――ロビンソン酒場は「個性の塊」である
著者: 加藤ジャンプ
「考える人」で連載中の加藤ジャンプさんの『ロビンソン酒場漂流記』が、7月17日に新潮新書より発売されました!
こんなところになぜ居酒屋が!? どの駅からも歩いて遠く、およそ商売に不向きな地にポツンと一軒建っているのに、暖簾をくぐればなぜか毎晩大繁盛。そんな奇跡のお店を、孤島で逞しく生き延びた男になぞらえて「ロビンソン酒場」と勝手に命名。美味い酒と肴を求めて東へ西へと訪ね歩きます。
本書発売を記念して、「はじめに――ロビンソン酒場は「個性の塊」である」を公開いたします。巷のグルメサイトでは知り得ない、酔狂にして至高の酒場めぐりルポをお楽しみください。
どうして、ここに飲食店があるのだろう……
そんな疑問がむくむくわきあがる店に出会ったことはないだろうか。
散歩しているときでもいい。営業で住宅街を歩いているときでもいい。出張中の特急の車窓を眺めているときでもいい。ゴルフ帰りの車のなかでもいい。
「ん?」
と奇妙な違和感を放つ存在に気づく。駅からも繁華街からも遠い。およそ商売向きでない場所に粋な赤提灯を軒先にぶらさげた酒場がある……そこからは、こんな塩梅だ。
おそるおそる近づいてみると、もうお客さんがいる。テレビの相撲中継を見ているらしく、店内はそこそこ盛り上がっているようだ。
なかを覗き込んでいた格子戸の隙間からは、良いにおいがもれてくる。何か焼いているな。そういえばお腹が空いている。しかも喉はカラカラだ。ええい、ままよ、空腹にホームもアウェイもない。暖簾をくぐってしまおうじゃないか。
「いらっしゃい」
アウェイの洗礼なんて一切なく、気持ちのいい挨拶に迎えられてカウンターに陣取る。まずはビールに焼き鳥を何本か……
そんな具合に、住宅街や、時には田園風景のなかにポツンと営まれている飲食店がある。そうした、おおよそ商売向きとは言えない場所でしたたかに生きのびている酒場をロビンソン酒場と称して訪ね回ってきた。ロビンソン酒場のロビンソンとは、もちろん、あのダニエル・デフォーの名作『ロビンソン・クルーソー』の主人公の名前をもじったものだ。孤島にたった一人流れつき、知恵と勇気で生きのびたロビンソン・クルーソーよろしく、不利な立地ながら、たくましく長らえてきた酒場には、ロビンソンのごとき知恵と勇気があるからだ。そうした店の有りようは、この厳しい「失われた」と言われ続けている時代に生きる人びとにとっても示唆に富んでいる、ハズだ。
広範なデータにもとづいてリスクを可及的に避けて無個性でも安定したサービスを提供するのがチェーン店である。だから、ロビンソン酒場のような立地にチェーン店は見当たらない。翻って個人営業の店、ひいてはロビンソン酒場は個性の塊だ。そもそも立地がリスクの結晶みたいなものだから、マニュアルなんて成立しない。すべての局面でワンオフで考え抜いてやっていかないといけないから、店はそのまま店主の人格と一体化していく。その、ある種、非効率にも見える営みに人は惹かれ、常連客がつく。
人が集まれば物語が生まれる。ロビンソン酒場の物語には、店主と客たちの日々のエピソードにくわえ、当然、知恵と人情と生きるヒントもいっぱいにつまっている。このロビンソン酒場の記録にも、もしかしたら、そんな生きるヒントがどこかに潜んでいるかもしれない。
「目を背けるために呑むんじゃないの。しっかり見るために呑むの」
あるロビンソン酒場の女将さんが、国会のニュースを見ながら言っていた。そういう知恵の断片を、この漂流記にも見つけることができたなら、ちょっと、うれしい。
(続きは本書でお楽しみください)
*「考える人」にて連載は継続中です。最新回はこちらへ

【目次より】
はじめに
第1夜 やっぱり、そこは胸のエンジンに火をつける店だった
――都営大江戸線練馬春日町駅徒歩15分『居酒屋 とも』
第2夜 そこはロビンソン酒場界の待庵である
――東京メトロ日比谷線広尾駅徒歩18分『今尽』
第3夜 緊急事態宣言、歩いていけるロビンソン酒場へ
――JR駅徒歩20分『阿部商店』
第4夜 絶対に囲みたい場所がある
――小田急小田原線鶴川駅徒歩35分『炭火焼 暖炉』
第5夜 そうだ、亀有は交番だけじゃない
――JR常磐線亀有駅徒歩15分『鳥よし』
第6夜 霊園の山のあなたの空遠く
――JR南武線津田山駅徒歩25分『割烹高根』
第7夜 ロマンとともに三十年
――相模鉄道相鉄本線さがみ野駅徒歩25分『津和野』
第8夜 L字には過去がある
――小田急小田原線狛江駅徒歩20分『伊炉里』
第9夜 街も酒場もちょっと控えめがいい
――JR中央線阿佐ケ谷駅徒歩14分『丸山』
第10夜 二本松のひとつ屋根の下で
――JR横浜線相原駅徒歩30分『さつき』
第11夜 お大師さまの街の手練酒場
――京浜急行大師線川崎大師駅徒歩14分『多つ美』
第12夜 フラれても好きな店
――横浜市営地下鉄新羽駅徒歩21分『仁屋』
第13夜 浅川の向こう岸の奇跡
――JR中央線八王子駅徒歩21分『味楽来』
第14夜 鶴見の究極ロビンソン
――JR京浜東北線鶴見駅徒歩28分『やきとり居酒屋 醍醐 馬場店』
第15夜 温泉街の闇の奥を照らす提灯
――JR中央本線甲府駅徒歩50分『鳥秀』
第16夜 ミレー好きが長じてロビンソン酒場拾い
――JR中央本線竜王駅徒歩13分『うな竹』
おわりに
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加藤ジャンプ
かとう・じゃんぷ 文筆家、イラストレーター。コの字酒場探検家、ポテトサラダ探求家、南蛮漬け愛好家。割烹着研究家。1971年東京生まれ、横浜と東南アジア育ち。一橋大学法学部卒業。出版社勤務をへて独立。酒や食はじめ、スポーツ、社会問題まで幅広くエッセーやルポを執筆している。またイラストレーションは、企業のイメージキャラクターなどになっている。著書に『コの字酒場はワンダーランド』(六耀社)など。テレビ東京系『二軒目どうする?』にも出演中。また、原作を書いた漫画『今夜はコの字で』(集英社インターナショナル)はドラマ化された。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥

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