兎角に人の世は住みにくい――日本社会で暮らしていると、文豪ならずとも、こんな思いが頭をよぎることはありませんか。「もっと自由な社会になればいいのに」と思う人もいれば、傍若無人に振る舞う人々に悩まされ「自由の行き過ぎが問題だ」と考える人もいるでしょう。果たして、今の世は自由が足りないのか、過剰なのか?

 さて、この難問に挑んだのが、雑誌「考える人」(2013年冬号~2015年秋号)で「自由をめぐる八つの断章」を連載した経済学者の猪木武徳さんです。この度、連載をまとめた単行本『自由の思想史 市場とデモクラシーは擁護できるか』(新潮選書)が刊行されたのを記念して、政治学者の宇野重規さんと「自由」について対談していただきました。3回に分けて、お届けいたします。

「考える人」に連載されていた「自由をめぐる八つの断章」が、1冊の単行本にまとまった。
 

オーウェルが語る自由

宇野 「自由」はこれまでもさんざん議論されてきたテーマですが、猪木先生のご著書は教科書的な思想史の本と違って、哲学や思想だけでなく、旅行や映画、文学などの話がたくさん出てきて、とても面白く読めました。

猪木 ありがとうございます。

宇野 この本には三つの性格がありますね。まずはタイトル通り「自由論」という性格。もう一つは、リベラルアーツの意義を問い直す「教養論」。そして三つ目に、「知的自伝」としての性格。猪木先生の学問がどのように形成されてきたのかを垣間見ることができ、とても興味深かったです。

猪木 研究者の自伝なんて大抵面白くないので(笑)、自伝を書く気はまったくなかったのですが、これまで自分がどんな場所を訪れ、どんな本や映画に影響を受けてきたのかは、ちょっと書いておきたいという気持ちがありました。

宇野 印象的なのは、最初に登場するのがイギリス人の作家、ジョージ・オーウェルだったこと。自由論の教科書なら、バンジャマン・コンスタンがジャン=ジャック・ルソーを批判した「古代人の自由、近代人の自由」から入り、アイザイア・バーリンの「消極的自由、積極的自由」へ行くのが定石でしょうし、経済学者の猪木先生であれば、アダム・スミスなどの経済思想から入る手もあったと思います。

ジョージ・オーウェル(1903年-1950年)

猪木 私はオーウェルが好きなんです。『1984』『動物農場』より、むしろ短い文学評論が素晴らしい。たとえば「よい悪書」(Good Bad Books)など、なるほどと感心しますね。知性がつい軽んじてしまいそうな本に、ワクワクし、感動するのは、芸術が大脳機能とは同じではないことを教えてくれる。ヴァ―ジニア・ウルフの作品よりも『アンクル・トムの小屋』の方が後世に残る、と断言してますね。彼は意識の領域が拡大していくことを自由だと捉えていました。一人の独裁者による専制だろうと、「全体」が「全体」を抑圧する全体主義だろうと、人間の意識の広がりを阻むものは彼の敵でした。

宇野 オーウェルは『1984』のイメージが強いので「管理社会批判の作家」と捉えられがちですが、他の短編やエッセイを読んでみると、本当はもっと複雑で面白い人だと気づかされます。

猪木 ジャーナリストとしても、思い込みの机上の空論ではなく、常に言行一致している。観念論的な自由ではなく、まさに生きた思想として自由を語っている。とても魅力的な人間です。

宇野 パブリックスクールを出たエリートなのに、ビルマで植民地管理の小役人をしたり、フランスのホテルで皿洗いをしたり、スペイン内戦で社会主義者と共に戦ったり、常に帝国主義の負の側面と向き合ってきながら、なお祖国に対するアンビバレントな感情を語る……猪木先生はオーウェルのような、矛盾を抱えた、本書に出てくる言葉を使えば楕円構造的な思考を持つ人がお好きですよね。

猪木 矛盾を抱えていない人間は面白くない。影のない人間も面白くない。だからユートピア思想などにはあまり魅力を感じません(笑)。

フランス文学に現れた自由


宇野 本の中でも、ニコラ・ド・コンドルセのようなフランスの進歩主義者を、かなり否定的に書かれていましたね。

ニコラ・ド・コンドルセ(1743年-1794年)

猪木 経済学説史で、マルサスがコンドルセを痛烈に批判していたのが印象に残っていたもので……。コンドルセは「投票のパラドックス」で知られる数理の天才ですが、一方で合理的な教育を施せば誰でも同じように立派で優秀な人間に育つと信じ込んでいました。マルサスは、そのように人間の善性や可鍛性を単純に信じてしまうユートピア思想は危険だと批判したのです。そもそも善と悪は単純な二元論ではなく、ミルトンが言うように「喰いついて離れぬ双生児」と考えた方がいいと思います。ルソーのような積極的自由に拘ると、最後は「自由であることを強制する」という自己矛盾と倒錯に陥ってしまいます。

宇野 たしかにコンドルセの進歩論はあまりに単純で楽観的ですが、でも彼は確率論の研究をしていただけに、本当は世の中の偶然と不確実性についても理解していたはずなんですけど……。フランス人って、白と黒のはっきりした二元論を好むと思われがちですが、じつはなかなか複雑で面白いと思うんです。そもそもカトリックは、プロテスタントと比べると、人間悪に対してもかなり大らか。欲望や嫉妬に駆られる人間は愚かで罪深い存在だけど、でも一方でそういう人間って面白いよね、神様もきっと見捨てないはずだ、という楽観的な感覚があります。

猪木 たしかにカトリックの神父さんは、割りと呑気な人が多い(笑)。

宇野 信仰と自由の関係を論じる章では、スタンダールの『赤と黒』を傑作だと評されていましたね。

スタンダール『赤と黒』(上・下)(小林正訳/新潮文庫)

猪木 子供の頃は、恋愛の三角関係を面白がって読んでいただけですが、その後、当時のフランスの上流階級の欺瞞や、国家権力と教会権力の微妙なパワーバランスが巧みに描かれていることを知り、ますます感心しました。ジュリアン・ソレルに代表されるように、自由をめぐる新しい人間像を描き出したのは、やはりフランス文学だったような気がします。アベ・プレヴォの『マノン・レスコー』もそうですね。宇野先生は、コンスタンの恋愛小説『アドルフ』とかはお好きですか?

宇野 大好きです。コンスタンのルソー批判は非常に真っ当なんですけど、彼の本当の面白さはむしろ『アドルフ』にあると思います。この主人公は本当にひどい男で(笑)、相手の女性を振り向かせるまでは燃え上がるけど、いざ相手が自分を好きになると逃げ出したくなる。そして、浮気や不倫に走る。恋愛は成就した途端に拘束に変わる。制約がないと恋愛は楽しめない。まさに猪木先生の自由論の核心部分と重なりますね。

コンスタン『アドルフ』(大塚幸男訳/岩波文庫)
 

猪木 「自由は不自由の際に生ず」――自由という概念は、法などの制約があるからこそ意味を持つことができるんです。

宇野 制度や秩序などの「枠」の中で、はじめて人間は自由を享受できる。でも、アナーキストの人たちはこれを嫌う。「俺たちが求めているのは、無制約の自由なんだ」って。たしかに惹かれるところもありますが、ある意味で「若い」自由観でしょう。

猪木 それでは自由は守れないし、必ず侵されてしまう。善と悪、自由と不自由といった二元論は、たしかに分かりやすく魅力的ですが、二つの概念の立体的な構造を考えないと、一種の思考停止を招いてしまうようなところがあります。

宇野 その点に関連づけて言えば、面白いことにフランスの自然科学者や数学者には、聖職者が目立つ。アメリカでは、進化論に代表される自然科学と、キリスト教信仰は二項対立的に捉えられますが、フランスではノーベル賞を取った神父も何人かいます。神の作った秩序には一定の合理性があるはず。ならば、限られた知しか持たない人間でも、その合理性の一部を解明することができるだろうと考える。必ずしも科学と宗教は対立しないのです。

猪木 本の後書きにも書きましたが、私は友人に誘われてユダヤ教の「過越し祭」の典礼に参加したことがあります。数理的、合理的な思考を徹底するユダヤ人が、このような「非合理」な典礼に何時間も没入できるということはどういうことなのか不思議に思いました。

宇野 合理主義を徹底すると同時に、合理性を超越した世界に信を置く。この二つを焦点として、思考に楕円的な構造を持たせることにより、人間は文明を発達させてきた。合理主義だけでも、逆に非合理なものだけでも、人間の精神は失速してしまう。このことは本書の非常に大きなテーマの一つになっていますね。
第2回へつづく

※この対談は、月刊誌「波」(2016年6月号)に掲載された「自由と不自由のあいだ」に加筆修正をしたものです。