昨年末2018年12月3日に黒川創さんの『鶴見俊輔伝』の刊行記念トークイベントとして、京都・恵文社一乗寺店のコテージで行われた、黒川創さんと国際日本文化研究センター教授・井上章一さんの対談「鶴見俊輔『外伝』の試み」を掲載します。

雑誌「思想の科学」を中心に鶴見さんと関わった黒川創さんと、「現代風俗研究会」を中心に鶴見さんと関わった井上章一さん。2人が「知られざる鶴見さん」の姿をはじめ、桑原武夫さんや多田道太郎さんといった京都を代表する学者や、日文研(国際日本文化研究センター)が1987年に京都に設立された時の秘話など貴重な話の数々を縦横無尽に語りました。

現風研の鶴見さん

黒川 このたび『鶴見俊輔伝』という本を書きまして、京都でこの本についてどなたかとお話をしませんか、ということになり、僕から、では井上章一さんと、とお願いしました。
 僕は京都生まれで、大学を卒業するまで京都に住んでおりました。鶴見さんたちが出しておられた「思想の科学」という雑誌のまわりでうろうろしながら、おのずと京都在住の鶴見さんとのおつきあいも生じました。鶴見さんはいろんな活動をしていらして、それぞれ、一緒に動く相手が違いました。そのひとつに、京都の「現代風俗研究会」(以下、現風研)という集まりがあります。桑原武夫さんが初代会長、ほかに橋本峰雄さん(法然院の貫首でもあった思想史家・哲学者)、多田道太郎さん、井上俊さんら、関西方面で柔軟なスタイルで学問をしておられる学者たちが中心になって、1976年にはじまった。井上章一さんも、早い時期、お若いころからそこに加わられて、鶴見さんと交流される機会が多かったと思うんです。現風研は、若手研究者たちが、そうやって鶴見さんや多田さん、桑原さんをいじりながら運営しているような趣きもあって、その中心人物の一人が井上さん(笑)。つまり、そこでの鶴見さんには、僕の加わっていた集まりとはまた違うつきあいがあったでしょう。今回、僕は僕なりの「鶴見伝」を書きましたが、その外側にはいろんな外伝があるはず。まず、そこのあたりを井上さんにうかがえたらな、と思います。

井上 『鶴見俊輔伝』は、すごく面白かったです。分厚い本ですが、一気に読みました。
 現風研を作る際は、鶴見さんも肝いり役のお一人でした。ただ、いまは一時の勢いがなく、会員も減っています。鶴見さんが、会を潰さないようにと、現風研を京都府の社団法人にする手を思いつかれ、その手続きを取りました。恨み言ですが、それで、やめられなくなったんですよ!(笑) いろいろなグループが浮いたり沈んだりするのを直にご覧になってこられて、究極の手を思いつかれたんだな、と思っています。いきなり「迷惑してます」というのもなんですが(笑)、現風研の集まりで、続けるのが難儀やなあという話が出るたびに、鶴見さんの「あっはっは!」という高笑いが脳裏をよぎったりしますね。
 『鶴見俊輔伝』のなかに、鶴見さんにおけるジキルとハイド、というところがありました。たしかに鶴見さんには、そういうところがおありだったと思いました。通常のジキルとハイドとは違うんですよね。

黒川 ジキルのときの方が狂気をはらんでいる(笑)。

井上 本当に自虐的でいらしたのか、私にはわかりませんが、自罰的な言動をなさるとき、すごく幸せそうだったという印象があります(笑)。「おれは腐っているんだ、ひどいんだ!」というとき、すごく楽しそうだった。あれで精神衛生を保っていらっしゃったんでしょうか?

黒川 現風研に会場を提供している徳正寺の住職夫人にきくと、「鶴見さんは、井上章一さんから愉快そうにいじられたはる」と(笑)。そういうのは、「思想の科学」とはまた違う風土だと思う。井上さんと鶴見さんって、いったい何をしゃべっていたんですか?(笑)

井上 たとえば、鶴見さんはよくこういうことをおっしゃった。自分は女性にだらしない、とんでもない不良だった、と。でも、私は思うわけですよ、「たいした不良ちゃうやろ」と。「不良って、なにをやったんですか、そこらのジゴロになられたことがあるんですか」と。不良ぶりたい自分を諫めることがお好きでしたね。

黒川 ははは! 「不良ぶりたい」のを自分で「諫める」? 同時に2役をやっていたということ?

井上 そうなるんやろうね。鶴見さんご自身が言っておられたんだけど、桑原武夫に連れられて祇園の芸妓さんがいるような店に行く。だけど、あまりにこわばった鶴見俊輔の表情をみて、芸妓さんが誰も近づこうとしない。自分には「インさわられビリティー」があるんだ、という自慢をしていらっしゃった。だから「女にだらしないはずの鶴見さんは、いつ、なぜそうなられたんですか?」とお尋ねすると、「ふっふっふ、それだけは言えないね」(笑)。……だから、たいした話をしていないんですよ。

黒川 僕も、その辺のところは書かんとあかんと思って、いくらか書きました。そのあたりは、井上さんの観察と違いがありますか?

井上 私は、鶴見さんのお家がらということを、そんなに考えたことはありませんでした。鶴見祐輔のジュニア、後藤新平のお孫さん、というのは、何かものを書こうとしたり、取材に行こうとする上でも、圧倒的に条件は恵まれていますよね。自罰的になられる背景には、その恵まれた上に自分があるということを、どこかすごくいやがっていらっしゃったんだろうな、と、ご本を読んでいて、思いました。お姉さんの和子さんは、堂々と鶴見祐輔の娘でいられたのに、俊輔にはそれができなかった。それはなるほどなと思いました。和子は堂々と鶴見祐輔の娘だったというのは、俊輔さんがそうおっしゃったのか、和子さんがおっしゃったのか、どちらですかね?

黒川 どっちもそうじゃないかな。和子さん自身、父が好きであるとはっきり書いていらっしゃる。

井上 『鶴見俊輔伝』に出てくるエピソードですが、ウィンストン・チャーチルの伝記を、鶴見祐輔が書く。息子の俊輔さんが、私にも話してくださったことがあります。「オヤジは、あの本を最後まで書けなかった。だから、最後のところは、自分が代筆したんだ。でも、オヤジの文章って、パスティーシュするのも簡単なんだ。夕日が輝いたらそれでおしまいなんだ」と。あれは、オヤジを表面的にはバカにしていらっしゃるんですが、それも楽しそうにおっしゃっていた。

 
 

自分のなかの〈老い〉という異郷

黒川 現風研は、年報のような形で本を出していて、ある年は、「異文化老人の探検」という特集を組んでおられる(『異文化老人の探検 現代風俗'88〜'89』)。これは井上さんと鶴見さんの掛け合いのおもしろさが、よく出ている号なのじゃないか、と思います。序文を書かれている井上さんは、当時30代前半。老いを異文化としてとらえる、つまり、おもしろい老人が街にはたくさんいる。日本人のなかにもいろんな異質さがあって、老人と若者の違いというふうに見ていったら、文化人類学に立つ日本人論とは別の文化論が現れてくるのではないか、というアプローチですね。
 次に多田道太郎さんの「オルテガの挨拶論」という、刮目すべき、力の入ったオルテガ論がある。そのあとのページで、公開編集会議みたいなのをやっている。名前が出ていないけど、明らかに鶴見さんだとわかる人、井上さんらしい人、もっと若い人らの発言がいろいろ出てくる。井上さんは、まだ30過ぎですから、「老人」というのは自分と違う存在。他者性をもった異文化なんですね。でも、鶴見さんらしき人は、あるとき、自分のなかから老人が出てくる、と。つまり、自分のなかに老人という異郷が現われる。絶えず新しい異郷としての老い、という話をしているくだりがある。鶴見さんが言うには、「老人はちょっと違う」というのは、いまにはじまった感覚ではなくて、どうやら昔から老人はちょっと違うと感じる人がいたみたいだ、という話をしている。
 子母澤寛に『味覚極楽』というエッセイ集があって、「なにが究極のおいしいものですか?」っていろんな人に訊いてまわっている。鶴見さんがその本について話しているのを僕も聞いたことがあります。増上寺の大僧正が「凍ったような冷や飯に冷たい水をかけて、沢庵でゆっくりゆっくりと食べるのが一番うまいな」と言っていて、そのことに子母澤寛は、昔の人はちがうなって書いているエッセイ。鶴見さんより年長の人が、さらに年長の老人に驚いている、という話ですね。
 鶴見さんにとって、老いの特性の一つは、にぶくなるということ。すると、恐怖に対してもにぶくなる。太平洋戦争下の1944年(昭和19)、老アナキストの石川三四郎が、近藤憲二というアナキスト仲間に、「カーペンター翁の命日を祝ってどこどこで会おう」と書いてハガキを出している。昭和19年なんて、憲兵が目を光らせているなかで、ハガキは、当然、誰かに見られている。だから、当時の若い鶴見さんには、そんな行動を取ることなど思いもつかない。つまり、老境は、恐怖への毒消しにもなるようだという。だから、まだ自分のなかから老境を見出す年齢ではない井上さんらとの、ある種の共同研究というかな、そういうものがうかがえました。

井上 ちょっと自慢たらしく言えば、赤瀬川原平さんらが「老人力」ということを言いだす、その先駆けをなしていたかもしれないなとは思います。でも、誘い水をくれたのは、鶴見さんだったかもしれません。もうろくの力とか老いることの可能性を煽ってくださったと思います。「老いることの可能性をご自身がエンジョイされるのはいいんですが、周りは大変ですよ」と言っても「いいんだ、いいんだ、そんなこと!」といって乗り切っていらっしゃったのが印象的でした(笑)。
 言論人たちが、老いて世間体の歯止めがなくなったときに、その人の抱えている本性が出てくる──これは、怖いんですよ。私はいま抑えているけれども(笑)、ひょっとしたら、この歯止めが切れたときに……たとえば、とんでもない色ボケになるかもしれない。なりたくないな、と思うんですが、鶴見さんは教えてくれるんです。「いいんだ、いいんだ、それで!」って(笑)。……いいんでしょうか? ま、あなたに聞いてもしょうがないけど。でも、いいんだ、と言い切ることで見えてくる何かはあったんでしょうし、そこに付きあわせていただいたような気がします。

黒川 「いいんだ、いいんだ」って、井上さんみたいな相手だから言いやすいんですかね?

井上 私のことを親しげには思ってくださらなかったと思いますが……そうやね、そういうやりとりに終始しましたね。どちらかというと、笑い話。

黒川 冷やかしてくれるから、「いいんだ、いいんだ」って押せるわけでしょう。

井上 そのことをね、嫌がる人もいらっしゃる。茶化されるのをね。鶴見さんは茶化されれば茶化されるほど、ものすごうれしそうにされるんです。多田道太郎さんに対しては、K点を越えたら、ああ、もうやめようと思うんですけど(笑)、鶴見さんは「かかってこい!」という感じでした。

黒川 はりきるわけやね。

井上 あ、あれははりきったはったのかなあ。

第2回につづく

鶴見俊輔伝
黒川 創 /著