加藤 先ほど上岡さんがおっしゃった「どうして南部を憎んでいるんだ? いや、憎んでない!」という葛藤ですが、今回『敗者の想像力』で取りあげた大江健三郎の『水死』は、ひとすじ、そこに通じるテーマを扱っているといえるかもしれません。こういうと少し我田引水的かもしれないのですが、僕はひそかにかつて自分が『敗戦後論』に書いたような主題を、大江さんは『水死』という小説で正面から扱ったのではないかと思っているのです。
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大江 健三郎/著
2012/12/14発売
この小説には大黄さんという不思議な、西郷さん、つまり西郷南洲を卑小にカリカチュアライズしたような登場人物が出てくるのですが、この人物は、先の『取り替え子』という作品で、誰一人抵抗しないで日本の戦後に米国による占領が終了するなどということはあってならないという考えで、占領の最後の日に米軍基地を襲撃する計画を立てています。ところがそのための勉強会で、何と丸山眞男さんの著作を教材に、幕末の尊皇攘夷の思想のレクチャーを主人公たちに行うのです。どうして丸山眞男かというと、丸山自身が戦後、高度成長以降は、「反逆と忠誠」ということをずっと言ってきた。「反逆と忠誠」のモチーフは、僕の言い方でいうと「ねじれ」です。日本の戦後には「反逆と忠誠」のあいだに「ねじれ」が生きる大きなフィールドがなくなってしまった。昔は忠臣は、主君が愚行を犯そうとすると、「諫言」し、「諫争」し、これが叶わなければ「諫死」する。そういうグラデーションがあった。葛藤のフィールドがあったのです。「反逆」もまた、その「忠誠」との葛藤のフィールドから生まれてきた。しかしいまの日本はやせ細ってしまい、「べったり忠誠」と「のっぺり反逆」しかなくなってしまった。これは丸山の造語ですが、両極に二分されて、一番大事なものが消えてしまった。これが丸山の理解なのです。
僕は最近になって丸山さんのこのモチーフと自分の『敗戦後論』の「ねじれ」の問題というのは同じ系譜のうちにあったなあ、と思うようになっているのですが、その「忠誠と反逆」のねじれの問題が、再び、大江さんの作品に取りあげられた、という感じがした。そのことの象徴ともいえるのが、一度死んだとされるこの大黄さんが、生き返って、この作品に再登場していることではないかと思ったりしたのです。
これは、フォークナーが南部の町にアンビバレント、葛藤のフィールドを仮託して文学を書き上げたことにも通じています。そこに通底しているものをも、「敗者の想像力」と言えないわけではないように思いますね(笑)。
上岡 『敗者の想像力』では、大江さんのその辺りの葛藤を『水死』から読み解いています。大江さんは、1945年の8月15日、自分が10歳のときをもって戦後民主主義の少年になったのではない。皇国少年からの変節には、二年間のグレーゾーンを要していると。
加藤 1945年8月まで、大江さんは皇国的な子どもとして「自分は天皇のために死んでもいい」って思っていたわけです。沖縄の渡嘉敷島の住民たちと同じように、強制されることに対しての抵抗はあったにしても、天皇陛下のために死ねと言われればそうしただろう、そう『水死』を書き上げる直前に台湾で行った講演で述べています。では、その皇国少年が、いつ「戦後民主主義はやっぱりすばらしい」という戦後民主主義の申し子に変貌したのか。一日で変わったわけじゃない。誰でもそうは思うのですが、大江さんはそのことをはっきりは言ってこなかった。でも実は二年間、葛藤があったということがその講演での発言からわかります。そしてそのことの自覚、つまり自分にも起点に戻ればグレーゾーンがあったという自覚が、『水死』をこれまでよりもダイナミックな作品にさせている、と僕には思えたのです。
上岡 父親の死が、その葛藤でありグレーゾーンを読み解くひとつの鍵になっているわけですよね。
加藤 親の死とそれへの自分の関わりが沖縄での集団自決を巡る大江自身の裁判と密接に関係があったのではないか。そう考えさせられるきっかけのひとつが、今回の僕の『水死』論では、短艇、カッターボートの描写だとなっています。『水死』で、父親は短艇に乗って命を落とします。でも、そんな死に方をする必要は、実はまったくないですよね。では、なぜそういうことになるのか。僕の論ではそこでこの小説が沖縄の集団強制死をめぐる裁判と結びつくとなっています。島尾敏雄が終戦の直前、派遣された奄美大島の加計呂麻島の守備隊、特攻隊の隊長としてそれに乗って特攻死するはずだった「震洋」という特攻艇がありますね。ところで、この島尾と沖縄集団強制死裁判で大江さんを訴えた側の名誉を毀損されたという守備隊長の人物は、この島尾さんとほぼ同じ境遇の軍人なんですね。やはり特攻の短艇で米軍に向かうことを目的にしていた。「島尾隊長」のほうは島民に限りなく優しかったので加計呂麻の島民によってある種の神格化をされたほどだったのですが、一方、25歳で渡嘉敷島に渡り住民たちに強権的に対し、集団強制死に追いやったといわれているこの人物は、島尾よりも若く、人間性も彼とはだいぶ違っていた。それで数百人の島民が集団死する一方、この人物は、そういう状況に自ら加担しつつ、自分は生きて、軍の命令に従うかたちで、米軍に降伏している。そして25年後、現地を再訪し、島民に出ていけ、と言われるわけです。
ところで、これも奇妙なご縁ですが、実は上岡さんのお父さんが「震洋」と同じ特攻隊の要員として訓練を受けておられるんですね。
上岡 広島で訓練を受けたときの話を、父が書き残しているんです。この父についてのエッセイを『新潮』10月号に寄稿しましたが、父も、何カ月かの訓練を経て、最後は特攻へ行くことになる。そのときに、そんな状況下でも強制はやっぱりできないんですね。そこで、父を含む訓練兵に自ら希望させるんです。四択から選ぶ。血書志願する、もう血判を押して志願するというのが、一。衷心より熱望する、が二番目(笑)。そして三番目が熱望するなんですよ(笑)。だから一、二、三は、全部「熱望」なんです。で、四が否。
父は、気持ちとしては四の「否」だけれども、仕方なく三の「熱望する」を選んだんです。そうしたら、提出したその日の夜に何人かが呼び出されて、激しい叫び声と、殴るような音が何時間も続いた。
加藤 前回、今回の対談のための顔合わせを兼ねてお会いしたとき、見せていただいたのですが、そのお父上の書かれた手記に、こう書いてありますね。
「私たちは、みな、ハンモックに横たわりながら、暗闇の中で息を潜めて、この凄まじい、恐ろしい時間を過ごしたのであった。翌朝、集合のときに、私は目を見張った。昨夜、制裁を受けた連中は、まったく明白にその無残な姿をさらしていた。目は潰れ、口は切れて歪み、顏は正常のときの五倍くらいに腫れ上がっていた。人間の顔があんなに変形してしまうのを見たのは、もちろん初めてであって、背筋が寒く、心も凍るような恐怖と脅威を感じた」。
――つまり、あのとき特攻隊の要員の「熱望」の真実はこういうことだった。軍の上層は強制したのではない、というでしょうね。それは形式上、当人の意志によるかたちになっているわけだ、しかし……。
上岡 これを、強制と呼べるのか。
加藤 でも実質的には強制です。大江さんの沖縄集団強制死裁判とまったく同じ構造が、ここにはあるように思います。『水死』でいう、ウナイコと伯父の性交渉は強姦だったのか、和姦だったか、という問題。それは和姦なんじゃないか、とそういうふうに繋がっていく。
そして、そういう問題は、むろん今日のわれわれとも無縁ではないわけです。
上岡 この『水死』論、大江さんは高く評価されているそうですね。
加藤 そこまで言ってよいかどうかはわかりませんが、ご本人は喜んではくださったみたいです。
書籍紹介
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加藤 典洋/著
2017/5/17発売
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上岡 伸雄/著
2016/1/15発売
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加藤典洋
かとうのりひろ 1948年、山形県生まれ。文芸評論家。東京大学文学部卒業。著書に『アメリカの影―戦後再見―』、『言語表現法講義』(新潮学芸賞)、『敗戦後論』(伊藤整文学賞)、『テクストから遠く離れて』『小説の未来』(桑原武夫学芸賞)、『村上春樹の短編を英語で読む1979~2011』『3.11死に神に突き飛ばされる』『小さな天体―全サバティカル日記―』『人類が永遠に続くのではないとしたら』ほか多数。共著に鶴見俊輔・黒川創との『日米交換船』、高橋源一郎との『吉本隆明がぼくたちに遺したもの』ほか。
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上岡伸雄
かみおかのぶお 1958年、東京生まれ。学習院大学文学部教授。訳書にドン・デリーロ『墜ちてゆく男』、フィル・クレイ『一時帰還』、ハーパー・リー『さあ、見張りを立てよ』、ジョン・ル・カレ『われらが背きし者』(共訳)、グレアム・グリーン『情事の終り』など多数。著書に『テロと文学 9・11後のアメリカと世界』など。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 加藤典洋
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かとうのりひろ 1948年、山形県生まれ。文芸評論家。東京大学文学部卒業。著書に『アメリカの影―戦後再見―』、『言語表現法講義』(新潮学芸賞)、『敗戦後論』(伊藤整文学賞)、『テクストから遠く離れて』『小説の未来』(桑原武夫学芸賞)、『村上春樹の短編を英語で読む1979~2011』『3.11死に神に突き飛ばされる』『小さな天体―全サバティカル日記―』『人類が永遠に続くのではないとしたら』ほか多数。共著に鶴見俊輔・黒川創との『日米交換船』、高橋源一郎との『吉本隆明がぼくたちに遺したもの』ほか。
著者の本
- 上岡伸雄
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かみおかのぶお 1958年、東京生まれ。学習院大学文学部教授。訳書にドン・デリーロ『墜ちてゆく男』、フィル・クレイ『一時帰還』、ハーパー・リー『さあ、見張りを立てよ』、ジョン・ル・カレ『われらが背きし者』(共訳)、グレアム・グリーン『情事の終り』など多数。著書に『テロと文学 9・11後のアメリカと世界』など。
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