2022年4月20日
『犬は歌わないけれど』&『平成のヒット曲』刊行記念対談 ヒットは難しいけれど 前編
音楽ユニット「いきものがかり」の水野良樹さんが、コロナ禍の日常からメンバーの脱退、歌への想いを綴ったエッセイ集『犬は歌わないけれど』(新潮社)。音楽ジャーナリストの柴那典さんが平成30年間のヒット曲を分析した論考『平成のヒット曲』(新潮新書)。両書の刊行を記念して、旧知の二人がヒット曲の条件からコロナ後の音楽までを語ります。
*2021年12月収録
時代を超えた『世界に一つだけの花』
水野 柴さんの『平成のヒット曲』(新潮新書)では、1989年から2019年まで平成の30年間、それぞれの年にヒットした曲や話題になった曲を、当時の社会情勢などと照らし合わせながら論じていますね。僕の発言も引用していただいて(笑)。
柴 はい。平成22(2010)年のヒット曲として、水野さんがお作りになった『ありがとう』を選ばせていただきました。ちょうどこの頃から音楽を取り巻く環境が変わり始め、「ヒット曲」とは何かがよく分からなくなった時代になりつつありました。そんな中で、水野さんがご著書『いきものがたり』(小学館文庫)に「お弁当屋で隣にいた人たちが、何となくこの曲を口ずさんでいるのが、ヒットの実感だ」と書いていたのを読んで、「なるほど」と。数字や記録だけではヒットが見えにくくなった時代に、すごく実感のこもったエピソードですよね。
水野 「ヒットが見えにくくなる時代の中で孤軍奮闘していた」という趣旨のことを書いてくださったのが、素直に嬉しかったです(笑)。今、振り返ると、周りにすばらしいミュージシャンもいるし、自分たちなりに自信のあるものを作っているんだけれども、それが世の中にどう受け入れられていくのだろう、ということをすごく考えていた時期でしたね。
そもそも柴さんが『平成のヒット曲』という本を書こうと思われたきっかけは、どのようなものだったのですか?
柴 2016年に『ヒットの崩壊』(講談社現代新書)という本を出したのですが、そこではCDランキングだけではどんな曲が流行っているのか分からず、何がヒットしているのか見えづらい……という状況を、水野さんや小室哲哉さんなど音楽の現場に携わっている人への取材をベースにして書きました。でも、それはあくまで「状況論」であって、曲そのものについてはアプローチしていません。ならば次はきちんと曲について書こうと。そう考えたのが4年ぐらい前のことで、最初はサラッと「この曲はこんなところがいい」とか、ライトに書くつもりだったのですが。
水野 4年前というと、元号が平成から令和に変わる前ですね。
柴 はい。平成30年、つまり2018年です。政治や経済など、いろいろな分野の人が平成という時代を総括する本を出すと聞いて、「じゃあ僕はヒット曲でやろう」と。当初は令和元年中に出したいと思っていたのですが、書き始めたら大変で……。令和3年になって、ようやくまとまりました。
水野 ちょっと意地悪な質問ですけれども、どの年が書いていて一番難しかったですか?
柴 難関だったのは1999~2002年ですかね。それぞれ宇多田ヒカル、サザンオールスターズ、MONGOL800、SMAPの曲を取り上げたのですが、その中でも『世界に一つだけの花』が一番大変だったかもしれません。
水野 それこそSMAPにはいろいろ切り口がありますからね。
柴 平成の1年ごとに1曲取り上げるとなった時に、『世界に一つだけの花』を外すというのはあり得ないじゃないですか。とにかくまずはこの曲についての記事を国会図書館で集めて読みました。すると、今読むと的外れだなと思っちゃうものが多かったんですよ。例えば当時の週刊誌で、あの曲がどう受け止められていたか見てみると、賛否両論の「否」のほうが意外と多くて。
水野 へー、そうなんですか。
柴 「No.1にならなくてもいい」という歌詞について、「いやいや、そんなことないぞ。最初から諦めてどうする」という論調だったり、ストレートに「あの曲は好きじゃない」という意見だったり。でも、それをそのまま紹介してもなあ……と悩んでいた時に見つけたのが、水野さんと槇原敬之さんの対談記事だったんです(『文藝春秋』2019年2月号)。ともに音楽の作り手同士の対談で、一番信用できるなあと。ヒットから20年近く経ち、平成がもうすぐ終わりとなるタイミングで、「あの曲にはこういう意図があった」という貴重な発言を水野さんが槇原さんから聞き出しています。
水野 ご本人に直接伺う機会はなかなかありませんからね。あれだけのムーブメントを起こしたヒット曲なので、それを作られた槇原さん自身はどう思われているのかというのを知りたかったんです。槇原さんは「スッと曲が降りてきた」とか、天才的なエピソードが多くて、なかなか理解が及ばないところもあったのですが。
柴 対談で槇原さんが「お釈迦様の『天上天下唯我独尊』という言葉から着想を得た」と言っていて、「なるほど!」と、それが原稿のヒントになりました。
水野 あの曲の価値というのは、やっぱり年を追うごとに大きくなっていきましたよね。SMAPのみなさんがその後にどういうストーリーを辿ったのかも、すごく重要なことだと思います。結果的に「時代を代表した曲になったな」と人々が思い出す参照点になったというか。時間が経つごとに、あの曲が持つ意味合いも変化してきたように思います。
柴 そうですね。今だったら「『世界に一つだけの花』は多様性についての歌だ」とも言えると思うんです。それこそレインボーカラーの歌なんだと。でも、発表当時の雑誌記事や評論に、そういった指摘は一つもない。当たり前かもしれませんが、曲というのは時代によって受け取られ方が違ってくるんだなということをあらためて思いましたね。
水野 そうした多様性についての問題意識が、当時はまだ顕在化していなかったということなんですかね。もちろん当時も悩んでいらっしゃる方はいたと思うけど、まだそこまで広く共有されていなかったというか。
柴 確かに、まだ社会的な合意に至っていなかったということなのかもしれません。
水野 「多様性について歌う」ことは、正しいか正しくないかで言ったら僕は正しいと思うのですが、ただ、あまりに正しいことを歌っても、それがヒットするかどうかというのはまた別の問題でもあって。どうしても強度みたいなものが必要になると思います。
柴 そうですね。ガツンとくるかどうか。
水野 「何を当たり前のことを歌ってるの?」と受け止められたら、そこまでヒットしなかったと思うんです。それがまだあの時代は、「ナンバーワンを目指さないで、オンリーワンを目指す」というメッセージに、新奇性というか社会としての渇きがあったというか。
柴 だから波紋を呼んだんですよね。
「平成=コロナ前」のポピュラー音楽
水野 『平成のヒット曲』に登場する最初の曲が、平成元年に発売された美空ひばりさんの『川の流れのように』なのも印象的でした。美空さんには「昭和の大スター」というイメージがあるので、意外でもあって。
柴 そうですね。昭和の代表であり、象徴のような存在ですからね。
水野 その人が最後に世に出したヒット曲が、まさに平成の始まりとなったということが、すごいことだなと思いました。同じことが令和の始まりに起きているかといえば、そうでもないですよね。
柴 それは平成という時代を総括することの難しさだと思うんです。本のあとがきにも書いたのですが、平成が終わった直後、その30年がどういう時代だったのか、その総括はまだちょっとフワフワしていた気がするんですよね。特に我々が対象にしているポピュラー音楽/J-POPは。それは今も同じなのですが、ただひとつだけ、「平成=コロナ前」ということは言えるかと。
水野 ああ、なるほど。
柴 特に平成最後の10年におけるポピュラー音楽の流行は、「フェス・アイドル・EDM」だった。つまり、みんなで集まってはしゃいで楽しむものが流行しましたよね。
水野 そもそもAKBも「会いに行けるアイドル」ですからね。
柴 そうそう。アイドルと握手もできた時代。執筆中に『恋するフォーチュンクッキー』(2013年)のミュージックビデオをあらためて観て、「密だな」と思っちゃったぐらいで(笑)。この感覚の変化は、時代の大きな分水嶺になりましたよね。特にポピュラー音楽はコロナ禍以降、ビジネス的にも、ストリーミングが本格的に普及したという構造的な意味でも、何かルールがガラッと変わってしまった感じがある。当然、ヒット曲が生まれる場所やプロセスも変わってくるはずです。
水野 コロナ禍の前は、「みんなで集まって同じ時間を過ごす」みたいなことに重きがおかれていたとすると、それは「共時性」をすごく大事にしていたということですよね。アイドルにしても、テレビの中だけの存在ではなく握手もできて、同じ空間で同じ時間を過ごせる。フェスやライブでも「この体験と時間はコピーできない」とか「この瞬間と空間を共有する」とか、共時性を大事にしていた。コロナ後にそうした感覚をどう意識すればいいのかすごく難しいですよね。
柴 その通りですね。
水野 ただ、悲しいというか皮肉なことに、コロナによってこれほど同じ時代を生きているということを、みんなで共感し合える時代も少ないなと。例えば平成期には、震災やテロなど、いろいろな悲劇がありましたよね。その悲劇の当事者となってしまった人たちは大変な思いをされたと思うのですが、その一方で当事者ではない、つまり傍観者の立場の人も多くいたわけです。当事者と傍観者が分かれてしまったというのは、悲しいけど事実だと思うんです。だけどコロナは、全員を当事者にしてしまいました。この状況で「もしかしたら自分も感染してしまう」と思わなかった人はいないはずでしょう。まさに「死ぬかもしれない」「仕事を失うかもしれない」と、当事者としてみんなそう思っていた。
そうした状況の中で、音楽には何が求められるのか。「フェスができない」「ライブもできない」という中で、今ヒットしている音楽というのは、どういうふうに捉えられているんだろう、ということを考えざるを得ません。
柴 それは自分の中でまだ消化できていない問題ではあります。それで言うと、まさに今水野さんがおっしゃったように、「誰かのために作る」とか「苦しんでいる人たちのために音楽は何ができるんだろうか」を考える前に、「まず自分はどうしよう」という問題がありますよね。リリースや映画の公開が延期になったとかいろいろある中で、当事者として、誰かのために何かをするモードではなかった気はしますね。
水野 そうだと思います。僕の問題意識に照らし合わせると、今の世の中で自分の物語を立てるのは、結構難しいと思うんです。だけど、2020年4月に発表された星野源さんの『うちで踊ろう』という曲は、そうした状況の中でみんながそれぞれの物語を作るのを手助けしたのではないでしょうか。部屋にとどまっていなければいけないときに、どうやって自分の人生を生きればいいか、それぞれが考えたと思います。それに対してあの曲は、すごくプラスになったんじゃないかなと思っていて。
柴 おそらくコロナで変わったのは「外に出られるか、外に出られないか」というだけで、歌を使ってどう共に楽しむかということは変わっていない感じはしますよね。
水野 そうなんです。だから、今音楽に何が求められているかということを考えるにあたって、星野さんのあの曲が大事なヒントになるような気がしています。
(後編はこちら)
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水野良樹
1982(昭和57)年生まれ。神奈川県出身。1999年にいきものがかりを結成、2006年に「SAKURA」でメジャーデビュー。作詞作曲を担当した代表曲に「ありがとう」「YELL」「じょいふる」「風が吹いている」など。グループの活動に並行して、ソングライターとして国内外を問わず様々なアーティストに楽曲提供を行うほか、雑誌・新聞・ウェブメディアでの連載執筆など、幅広く活動している。2019年には実験的プロジェクト「HIROBA」を立ち上げ、様々な作品を発表している。
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柴那典
1976(昭和51)年神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立。音楽やビジネスを中心に幅広くインタビュー、記事執筆を手がける。著書に『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』『ヒットの崩壊』、共著に『渋谷音楽図鑑』がある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 水野良樹
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1982(昭和57)年生まれ。神奈川県出身。1999年にいきものがかりを結成、2006年に「SAKURA」でメジャーデビュー。作詞作曲を担当した代表曲に「ありがとう」「YELL」「じょいふる」「風が吹いている」など。グループの活動に並行して、ソングライターとして国内外を問わず様々なアーティストに楽曲提供を行うほか、雑誌・新聞・ウェブメディアでの連載執筆など、幅広く活動している。2019年には実験的プロジェクト「HIROBA」を立ち上げ、様々な作品を発表している。
- 柴那典
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1976(昭和51)年神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立。音楽やビジネスを中心に幅広くインタビュー、記事執筆を手がける。著書に『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』『ヒットの崩壊』、共著に『渋谷音楽図鑑』がある。
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