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たいせつな本 ―とっておきの10冊―

2026年3月25日 たいせつな本 ―とっておきの10冊―

(22)ライター・中溝康隆の10冊

「村上龍の黄金時代」を知るための10冊

著者: 中溝康隆

【A面】

村上龍『限りなく透明に近いブルー』(講談社)
村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』(講談社)
村上龍『69 sixty nine』(集英社)
村上龍『五分後の世界』(幻冬舎)
村上龍『半島を出よ』(幻冬舎)

【B面】

村上龍『走れ!タカハシ』(講談社)
村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社)
村上龍『村上龍映画小説集』(講談社)
村上龍『イン ザ・ミソスープ』(読売新聞社)
村上龍『すべての男は消耗品である。 最終巻』(幻冬舎)

*以下、基本的に出版社名や刊行年月は単行本刊行時のもの

 1990年代中盤の話だ。高校時代、部活や受験勉強から早々にドロップアウトした私は、もちろん金もなく、放課後はどこにも行くところはなかったが、タダで時間が潰せるからという理由で、街の図書館に入り浸った。まずは好きだった野球本の棚を中心に読むことにしたが、その中の一冊に『走れ!タカハシ』という本があった。確か単行本の表紙デザインは、野球の要素が皆無で何の本か分からないまま開いた記憶がある。内容は広島カープの高橋慶彦に魅せられた人々を描く短編小説集だったが、「おまえ、いいな巨人戦も観れるんだろ?」という台詞から始まるビールの売り子が主人公の第一章を読んだ直後、世の中にこんな文章が存在するのかと時間が止まったかのような感覚に襲われた。衝撃的な面白さだったからだ。作者を確認すると、「村上龍」だった。その日以降、図書館の村上龍の棚を片っ端から読み漁り、新刊が出れば少ない小遣いから買うようになった。

 そして、15歳の私は、夏休みに生まれて初めて原稿用紙300枚分の小説(のようなもの)を書いた。“龍文体”をコピーして、手書きで書いた。将来は作家になろうと思った。15歳の夏、村上龍に出会ったことで、その後の私の人生は決まってしまったのだ。

 今の若い人にとって村上龍はテレビで『カンブリア宮殿』(テレビ東京)のMCをやっている不機嫌そうな男性…というイメージが強いかもしれない。だが、確かに村上龍が若者たちの生き方に強い影響を与える、ロックスターのように輝いていた時代があった。今回は、そんな村上龍作品をメジャーな代表作のA面と、コアなファンに根強い人気を誇るB面とに分けて10作品を紹介していきたい。もちろんこの10冊は、私の青春のすベてである。

【A面】

1.村上龍『限りなく透明に近いブルー』(講談社、1976年7月)

 1975年11月24日から29日にかけて、23歳の美大生が1本の小説を書いた。6日間で仕上げた原稿は簡易書留で群像新人文学賞へ送った。第一稿のタイトルが『クリトリスにバターを』だったその作品は、応募時に『限りなく透明に近いブルー』と改題され、翌76年5月に第19回群像新人賞を受賞。7月には第75回芥川賞も受賞する。

 米軍基地に近い街で麻薬と乱行に溺れる若者たちを描いた新進作家の誕生は話題となり、62日間で100万部突破という日本新記録を樹立した。デビュー作が大ベストセラーになったことにより、月末に5万円の仕送りが届いたらカツ丼を食べたいという、ささやかな希望を抱いて生きていた貧乏学生の日常は一変する。後年出版された『案外、買い物好き』(幻冬舎)の中で、村上龍は人生初めての印税が振り込まれると、まず100万円を銀行で引き出し、その札束が入った封筒を綿パンのポケットに入れて秋葉原へ向かったことを告白している。ステレオセットを買うためだ。「予算は100万円です」と告げると、店員はスピーカーとアンプ、レコードプレーヤーやオープンリールテープデッキ等のあらゆる組み合わせを考えてくれたという。大金が振り込まれて、24歳の新人小説家は「これで自由になった」と強く実感する。村上龍にとって、小説とは自由に生きるためのライセンスだったのである。

2.村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』(講談社、1980年10月)

 村上龍初めての長編小説の第一行目は、群馬県草津町にある講談社の山荘の電気ゴタツの上で書かれた。デビュー作がベストセラーとなった後、村上龍は映画監督の長谷川和彦らとチームを組んで、何本かの脚本を執筆する。企画はボツになったが、その5本の脚本が『コインロッカー・ベイビーズ』の世界観へとつながっていく。27歳から28歳にかけて、生まれてすぐにコインロッカーに置き去りにされたキクとハシの物語を、10カ月かけて原稿用紙880枚で書ききった。横浜の自宅で執筆する際は、近所の公園で愛犬のシェパード相手に雨の日も雪の日もサッカーボールを蹴り続け、学生時代よりキック力がついたという。

 小説のあとがきでは、作家としての決意表明とも受け取れる一文を書き記している。「瞬間を連ねること。それしかなかった。全力疾走を何百回と繰り返して42・195キロを走破するマラソンランナーのように書こうと思った」。作家デビュー後、映画監督やラジオDJといった文化人的な活動も目立ち、ロックとファックの旗手と言われたこともあったが、本作の執筆により、「小説家」として村上龍黄金の80年代が幕を開ける。龍の時代だ。なお、文庫新装版の解説は、『カンブリア宮殿』新MCの金原ひとみが担当している。

3.村上龍『69 sixty nine』(集英社、1987年8月)

 1987年夏、村上龍は3冊もの著書を出版して、そのすべてがベストセラーとなった。35万部を突破したエッセイ集の『すべての男は消耗品である。』(ベストセラーズ)、新世紀エヴァンゲリオンを作った庵野秀明にも多大な影響を与えた上下巻の長編政治経済小説『愛と幻想のファシズム』(講談社)、そして高校時代のバリケード封鎖やロックフェスティバルを書く青春小説『69 sixty nine』である。そのあとがきで村上龍は、高校時代に自分を傷つけた教師たちに向かって、高々とこう宣言している。「唯一の復しゅうの方法は、彼らよりも楽しく生きることだと思う。楽しく生きるためにはエネルギーがいる。戦いである。わたしはその戦いを今も続けている」と。

 その言葉通り、この年の10月にはホスト役を務めるテレビ番組『Ryu's Bar 気ままにいい夜』も始まり、翌年には、雑誌『Hot-Dog PRESS』で、世界中のスポーツイベントを現地取材する「ビッグ・イベント」も連載開始。好景気へと突き進む日本で、村上龍ほどバブルを体現した表現者は他にいない。ちなみに、『69 sixty nine』で校長室に忍び込みウンコをしたナカムラのその後の物語は、『長崎オランダ村』(講談社)で読むことができる。「ウンコのナカムラです」と自己紹介すると、仕事の初対面の相手も安心するのだという。

4.村上龍『五分後の世界』(幻冬舎、1994年3月)

 これほど集中して書いたのは『コインロッカー・ベイビーズ』以来だ――。村上龍自身が最高傑作と断言する本作は、盟友の見城徹が興した出版社・幻冬舎の第一陣の刊行作品として書き下ろされた。五分時空のずれた世界へ紛れ込んだ小田桐は、地下に潜りアメリカを中心とした連合国と戦争を続ける、人口26万人のもうひとつの日本を見ることになる。

 箱根で執筆中、物語の中心を担う戦闘シーンを書き終えて興奮した村上は温泉に浸かり、酒を飲んで一人でビートルズの歌を口ずさんだという。作中の天才音楽家のワカマツと小田桐の何気ない会話のやり取りは、当時42歳の村上龍と坂本龍一の関係性を想起させる。2020年に刊行された文庫版『すべての男は消耗品である。最終巻』(幻冬舎)巻末には坂本による特別寄稿が掲載されている。「ぼくらは少しは成長したのか、あるいはただ老いただけなのか。でも80年代から考えると、とても遠くまで来たものだというのが正直なところ」と同い年の小説家に対して、同時代を生きた感謝の気持ちを綴っている。

 なお、1994年の村上龍は、『五分後の世界』、オタク青年とおばさんグループが戦闘する『昭和歌謡大全集』(集英社)、殺人願望を抱える男が風俗嬢の殺害を計画する『ピアッシング』(幻冬舎)という破壊衝動やサバイバルがテーマの作品を続けて刊行するが、翌95年に日本列島を阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件が襲う。村上龍作品が、時代を先取りしていると話題になったのもこの頃である。

5.村上龍『半島を出よ』(幻冬舎、2005年3月)

 福岡市の衛星写真の上に原色のヤドクガエルが張り付いている、鈴木成一が手がけた装幀が印象的な原稿用紙1650枚の長編小説。執筆はすべて箱根の別荘で行われた。最後の300枚は、2004年の冬から2005年の正月明けまで40日間、箱根にこもって書き続けたという。北朝鮮の武装コマンドが、プロ野球を開催中の福岡ドームを占拠し、特殊部隊が市内を制圧する。北朝鮮のテロ部隊に翻弄される日本政府だったが、ある集団が決死の抵抗を開始する。『昭和歌謡大全集』の主要登場人物でもあるイシハラやノブエの元に、社会に適応できない少年たちが集まり、生活していたのだ。

 物語のクライマックスで、高麗遠征軍が接収しているシーホークホテルへの潜入に成功した少年は、ある作業に没頭しながら「大事なのは、今のヒノやタケグチみたいに、やらなければならない何かを見つけることだ」と気付く。何もすることがなければ、腐ったものを見続け、腐った大人たちの言うことを聞き続けることになるのだと。

 本書は発売当時、サッカー日本代表の移動バス車内で、中田英寿が読んでいたことでも話題となった。セリエAで活躍していた中田は好きな龍作品に『愛と幻想のファシズム』を挙げているが、サッカー小説『悪魔のパス 天使のゴール』(幻冬舎)でヒデをモデルにした主人公の名は、夜羽冬次。そう『愛と幻想のファシズム』の主人公・鈴原冬二と同じ「トウジ」である。村上龍は中田の試合を見に行ったペルージャで買ったグッチのカシミアのセーターを着て、『半島を出よ』執筆時に箱根のスーパーへ食料の買い出しに行ったが、書くことに集中するあまり無精ひげが伸び、セーターには穴が空いて、怪しい奴がいると男性店員からあとをつけられたこともあったという。渾身の一作は、2000年代の龍の代表作となった。

【B面】

6.村上龍『走れ!タカハシ』(講談社、1986年5月)

 「ファーストベースにヘッドスライディングしてもそれが様になる日本でも珍しいプロ野球選手」と村上龍自身がファンを公言する、広島カープの高橋慶彦に魅せられた人々を描く短編小説集である。ガールフレンドの父親に告訴されそうになる男子高校生は、高橋が盗塁を決めたら許してやると条件を出され、ビールの売り子として働く球場のスタンドから「走れ!タカハシ」と力の限り叫ぶ――。本作は球場の声援の裏側に宿るドラマを描いた傑作プロ野球小説である。

 この小説が発売される10年前、1975年の秋、『限りなく透明に近いブルー』を執筆しようとしていた時期に23歳の村上龍は広島カープの初優勝をテレビで見たという。それ以来、強豪チームへと変貌していくカープと、瞬く間にベストセラー作家へと成り上がる自分の軌跡が重なり、ファンになっていく。私はF1や欧州サッカーと出会う前のプロ野球を軽快に書く村上龍が何よりも好きだ。なお読書家で知られるスタイリストの伊賀大介氏と初めて会った夜、龍の最高傑作は『走れ!タカハシ』だと盛り上がった。1980年代から90年代にかけての村上龍作品は、初対面の男同士の共通言語でもあった。

7.村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、1985年3月)

 「だから、シャンペンのようにこうキラキラ輝いている時ばっかりじゃないわけだろう?」とテニスボーイは若い愛人に向かって問いかける。主人公の青木重久は地主の一人息子で、横浜の新興住宅地の地元で二軒のステーキハウスを経営している30歳だ。この小説は1982年、作者自身が30歳の時に雑誌『ブルータス』で連載が始まった。

「キラキラと輝いていなければ、その人は死人だ。キラキラと輝くか、輝かないか、その二つしかない」と青木は日々のテニスと刹那的な女遊びを繰り返す一方で、海外出張から戻ると真っ先に会いたいのは愛人ではなく、一人息子のヨシヒコだと自問自答する。シャンペンの輝ける泡もやがて弾けて消えるのだ。それはまさにこの数年後、日本が未曾有の好景気に突き進み、やがて崩壊していく様を予兆していた。バブル前夜、文壇の誰よりもキラキラと輝いていた1980年代の村上龍を象徴する一冊である。

8.村上龍『村上龍映画小説集』(講談社、1995年6月)

 『69 sixty nine』の続編とも言える短編小説集。主人公のヤザキワタルが九州から特急寝台列車で20時間かけて上京して美大予備校に通い、バンドを組む仲間たちと喧嘩別れし、エキセントリックな女たちと出会い、横田基地の近くで退廃的な日々を送り、2年の浪人時代を経て美術大学に潜り込むまでを描いている。

 本書に収録された「ワイルド・エンジェル」の中で、忘れられない描写がある。自分の元を久しぶりに訪ねてきたヤザキに向かって、年上の女は言うのだ。「あんたに才能があるかどうかなんて知ったこっちゃないけど、あんたは用事のない生き方をする人だな、と思ったのよ。それをやってれば、どこにも行かなくて済むっていうものを見つけなさい、それができなかったら、あんたは結局、行きたくもないところへ行かなくてはいけない羽目になるわよ」と。そして、ヤザキは部屋を出ていく。移動し続ける小説家・村上龍の原点を想像させるラストシーンだ。

 なお、主人公のヤザキが作家となり、中学生時代の初恋の女性と再会する恋愛小説『はじめての夜 二度目の夜 最後の夜』(集英社)も併せて読むと、高校生活を描いた『69 sixty nine』前後の世界が完結する。

9.村上龍『イン ザ・ミソスープ』(読売新聞社、1997年9月)

 東京で外国人観光客のアテンドを生業にするケンジは、アメリカ人のフランクのガイドを請け負う。一見普通のアメリカ人だがどこか奇妙な違和感のあるフランクが、ランパブの会計で出した血のついた一万円札に、ケンジは胸騒ぎを覚える。この男が新宿の歌舞伎町で発生した猟奇殺人事件の犯人ではないかという疑いが頭をよぎるのだ―。

 1997年に読売新聞で本作品を連載中、神戸区・須磨区の連続児童殺傷事件が起き、14歳の少年が逮捕された。村上は執筆時の心境を「想像力と現実がわたしの中で戦った。現実は想像力を侵食しようとしたし、そういうようなことは、二十二年間小説を書いてきて初めてだった」(「読売新聞」97年8月12日夕刊)と振り返っている。

 なお、村上龍は97年1月のエッセイで本格的に仕事にパソコンを導入し始めたことを報告している。本連載時にパソコンのキーボードで小説を書き、紙面で使用するイラストもフォトショップで自ら制作したという。ファンが開設したWebサイト『龍声感冒』内の掲示板に本人が現れ、雑誌発表前のエッセイを公開して交流を図るなど、村上龍はインターネットの可能性にも魅せられていく。前年の96年に発表した援助交際をする女子高生を描いた『ラブ&ポップ トパーズII』(幻冬舎)に続き、『イン ザ・ミソスープ』は、世紀末の混沌と希望が詰まった一作である。

10.村上龍『すべての男は消耗品である。 最終巻』(幻冬舎、2018年9月)

 1984年から2018年まで、媒体を変えながらも34年間連載が続いた小説家・村上龍のライフワークとも言えるエッセイ集。当初は男女間の恋愛をめぐるテーマが多く、単行本化すると九州のクラブのママが20冊買って若いホステスに勧めていた、なんてこともあったという。やがてテーマが映画撮影やキューバ音楽や欧州サッカーへと変わり、次第に著者の日本社会への違和感や近況報告的な色合いを強めていく。

 ある日、世界中で美食の限りを尽くした57歳の男が、「カンブリア宮殿」の取材でサイゼリヤへ行った際、その安さとおいしさに驚く。399円のパルマ産の生ハムが、紛れもない本場の味で、同じランクの生ハムが成城石井や紀ノ国屋では2000円近くで売られているとサイゼリヤの企業努力を認めるのだ。その上で、近くの席の幼稚園児が成長してイタリアへ行っても、食で感動することはないだろうとも書く。この快適さと引き換えに、何が失われたのか―。今も私は、サイゼリヤで生ハムをオーダーする度に、10数年前の村上龍の問いかけを考え続けている。

【参考資料】

村上龍全エッセイ 1976-1981』(講談社文庫)
すべての男は消耗品である。VOL.1~VOL.13: 1984年8月~2013年9月 連載30周年記念・完全版』(村上龍電子本製作所)
すべての男は消耗品である。最終巻』(幻冬舎)
案外、買い物好き』(幻冬舎)

 

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
 「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
 どうして自分が「考える人」なんだろう―。
 手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
 それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

中溝康隆

1979年埼玉県生まれ。ライター。2010年開設のブログ「プロ野球死亡遊戯」が話題に。著書に『プロ野球死亡遊戯』『令和の巨人軍』『現役引退 プロ野球名選手「最後の1年」』『起死回生 逆転プロ野球人生』『巨人軍vs.落合博満』 など。最新刊は、『プロ野球1年目の分岐点 25歳の落合、18歳の大谷』。X:@shibouyuugi


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