第20夜 橋を渡れば南の島系ロビンソン
京浜急行線京急鶴見駅 徒歩15分「風車」
著者: 加藤ジャンプ
どの駅から歩いても遠く、「なぜこんな不便な場所に?」という立地に忽然と現われる、それが「ロビンソン酒場」だ! 絶海の孤島で知恵を振り絞って生き延びたロビンソン・クルーソーさながらに、コロナ禍を生き延びる赤提灯を目指して今夜も訪ね歩く。笑いと涙と好奇心が詰まった「ディスタンス」居酒屋漂流記。

久しぶりのロビンソン酒場行。お馴染みの連れ、Mさんとの約束の日、私は午後4時に京浜急行の京急鶴見駅で待ち合わせることにした。改札を出てしばらくの後、何本かの電車が過ぎていき、何人もの降車客を見送った。そのなかにMさんはいなかった。そして、私はふと恐ろしいことに気づいてしまった。約束の日は翌日なのであった。あわてんぼうのサンタクロースを歌いながら、私はMさんに誰もいない京急鶴見駅のプラットホームの写真をLINEで送った。寂寥感が滲み出る、いい写真だった。
迎えた翌日、京急鶴見駅改札には、前日の私を憐れんだのか、早々に到着していたMさんがいた。サングラスはかけていなかった。キャラクター変更なのだろうか。
「昨日も来たそうで」
「はい、来ちゃいました」
「おつかれさまです」
「いやはや」
味わい深い言葉のやりとりから、この日のロビンソン酒場行ははじまった。
今回のロビンソン酒場、最寄駅は京浜急行の京急鶴見駅である。乗降客は1日3万人を超える。京浜急行線とJR京浜東北線は、横浜駅から多摩川の手前くらいまでだいたい並行して走っていて、京急鶴見駅もJR鶴見駅と仲良く並んでいる。その、JRの鶴見駅は1日14万を超える乗降客があり、両駅をあわせたら17万を軽く超える人々が鶴見と名のつく駅を利用している。にぎやかな街だ。
で、ついに京急鶴見駅にやって来た。
わざわざ「ついに」と書いたのにはわけがある。京急、JR、両鶴見駅から東側には、すばらしいロビンソン酒場が何軒もあるロビンソン銀座なのである。しかも坂が多いことで知られる横浜市にありながら、埋立地が多いこともあってほとんどが平坦だ。好きで徘徊するロビンソン酒場行だが、あまりに急峻な土地では、寄る年波を意識せざるを得ない。息切れ上等の精神で歩いているけれど、やはりずっと登りはきつい。ところが、この京急鶴見駅東側は、坂道がほとんどなくて真っ平なのである。背の高い建物もほとんどないので見通しがよくて気持ちいい。しいて言えば代わり映えのしない景色がつづいているが、それも程度問題で、新旧大小さまざまな住宅や小さな工場、集合住宅もあれば一目で会社とわかるビルディングの類いも、それぞれが自前で建てたものが多いから個性的である。そういう街にポツポツとロビンソン酒場が点在している。愛好家にとっては天国である。
しかし、問題が一つある。界隈のロビンソン酒場の最寄駅がどれも同じなのである。仮にロビンソン酒場にA、B、Cと符号を順にあてていき、だいたいロビンソン酒場Hくらいまで京急鶴見駅が最寄駅なのであった。同じ駅からいくつかのロビンソン酒場に向かうことができるとき、人は迷う。それぞれの酒場に独特の美質があり、はじめはあの店のアレが食べたいだの、あの酒を飲みたいだの思っているが、やがてそれが属人的になっていき、あの女将元気かな、あそこの大将どうしてるかな、と店の人の顔が思い浮かび義理に厚いタイプなので非常に困る。
で、今回は迷いに迷い、行き先も決まらぬまま、いつもの相棒の編集Mさんに日程だけ問い合わせてみると、しばらくハワイに行くという。ついにロビンソン酒場ハワイ編の決行に先立っての下調べかと思ったら、ただの慰安旅行であった。だがこれを機に、行き先は即座に決まった。そっちがハワイなら、こっちも南の島だ、なのであった。南の島系ロビンソン酒場、それが今回のロビンソン酒場なのである。
京急鶴見駅を出るとすぐに線路にそって商店街がある。鶴見銀座である。飲み屋も多いし、早い時間から開けているうちもある。で、今回は、目的地まで2キロとか3キロだとか途方もない歩行を伴わない、だいたい徒歩15分くらいの、いわば、微ロビンソン酒場なので、気が緩んでいた。
そういうわけで駅からほどなくして、朝からやっているという店を見つけてしまい、ほいほいと、そこに吸い込まれてしまったのであった。あろうことか、そこで私たちは至近距離で女将さんが歌う、桂銀淑のナンバーに酔いしれ、瓶ビールと冷やを1合ずつやってしまい、女将さん自慢のサバカレーを汁だけ頼んでツマミにしてしまった。聞けば、7月に閉めるという。いきなり、しみじみとしたスタートになった。
カレーと一緒に注文した煮物も旨くてついつい長居しそうになったものの、なんとか店を後にした私たちは、すぐに気になる看板にきづいた。
『町ベト』
と書いてある。ベトナム料理の店なのである。町中華という言葉がすっかり浸透したけれど、ついに町ベトの時代がやって来たらしい。ただ、こういう時、略すなら『町ナム』のほうが自然ではないだろうかと思った。見回すと、いろんな国と関係の深そうな店がいっぱいある。ぜんぶ旨そうで立ち寄りたくなるが、さすがに、汁だけカレーと煮物も食べた後なので自重した。
駅を背にしてまっすぐ歩いていくと、土手に向かってすこしだけ登り坂になる。鶴見川が現れる。もう河口と言っていいくらい下流で、川幅が広い。私たちは橋のたもとで立ちどまり、しばし川を眺めた。向かって左から右、舞台なら下手から上手に流れているはずなのだが、これが、全然わからないのである。波は立っているものの、それがどちらに向かっているのか判別できない。海で遭難したら、きっとこういう具合に方向なんかわからなくなるのだろう……長い間、ロビンソン酒場漂流を続けてきて、はじめて、本当の漂流の光景を鶴見の地で目撃した気がした。
さて橋を渡るとここからは、街はほとんど真っ平になる。横浜市鶴見区のうち3分の1は埋立地で、橋の向こうの潮田地区も、新田の開発や埋立事業でできた場所である。この先に臨海部の工業地帯が広がり(首都高の横羽線を走っていると見える、工場の粋な夜景はまさに、このあたり)、工業地帯と鉄道の駅との間にある、この地域一帯は、工場ワーカーたちの暮らす街として発展していった。ここに、今回の目的地もある……駅からだいたい15分、青いテント地のヒサシが見えてきた。
『風車』
と白い文字で書いてある。これは「かざぐるま」ではなく「かじまやー」と読む。「風車」で「ロビンソン」では、欧州最強の男、人間風車のビル・ロビンソンになってしまうが、ここは、あくまで「かじまやー」。沖縄の言葉だ。このあたりには戦前から、京浜工業地帯で働くために沖縄から出てきた人びとが多く住んでいて、いまも多くの沖縄出身の人やルーツを持つ人が大勢いる。
店は引き戸を開けると、いきなりカウンターが現れる。ほんとうに、ほぼ余白無しで、いきなりカウンターである。こういう凝縮感、好きである。
迎えてくれるのは大将の大里均さんと女将さん宮里波ツエさんである。夫婦別姓ではなく、二人は仕事のパートナーである。波ツエさんが基本的にお料理を担当しているが、均さんも時々拵える。
まずは最初にビールで乾杯が恒例だけれど、この日は、すでに駅前で瓶ビールを空けてしまったので、いきなり泡盛をお願いした。
「はい、どうぞ」
均さんがすうっと差し出したグラスは琉球ガラスの素朴な一品。これで泡盛を飲めば、いきなり血中沖縄度が上昇する。気分良し。
さっそくスーチカーを注文する。スーチカーとは、沖縄の塩漬けにした豚肉の料理である。あっという間に出てきたそれはほどよく炙ってあって、脂身の角の焼き目が美しい。矢も盾もたまらずかぶりつく。
「昔は、冷蔵庫が無いから本気で長期間、塩辛く漬けてたんですけど、いまはそんなに漬け込まないから、あっさりしてますよ」
均さんは、声が澄んでいるのに渋みがあって、ただ話していても、ちょっと歌っているようで聞いているだけで心地良くなってくる。
さて、件のスーチカーはといえば、ほんのり甘みのある脂身の角が焼けてホロホロになっていて、豚の角煮の一番旨いところを焼いたみたいにコク深い。これは飲める。今時は塩分も控えめという話だったけれど、塩梅が実によくて、すこし野趣が強めの上等のベーコンといった具合である。当然、泡盛はすぐに蒸発する。
「今日、乾燥してますねえ」
「うふふ、そうですねえ」
こういう会話がスムーズに進み出したら、その夜の酒は徹頭徹尾旨い。
つづいて山羊刺しとゴーヤチャンプルーをお願いする。
「はーい」
と、女将さんの波ツエさんがこたえてくれて、ささっと調理が始まる。この身のこなしが実に華麗で、なんというか「こんな体幹になりたい」と思わせるのである。聞いてみたら、実は沖縄の伝統舞踊の師匠なのであった。すぐに紅型を纏った波ツエさんの姿が思い浮かぶ。踊る波ツエさんの傍、大将の均さんも、なにかあるなあ、と思わせるのだが、実は彼もまた音楽関係。沖縄の伝統芸能の地謡の師匠で、この店の奥の小上がりで週二回は弟子たちに稽古をつける三線(奄美や本土に一部では三味線と呼んだり、呼称は様々)のプロなのであった。
「もともと二人でライブやったりしてた仲間なんです」
なるほど、息があってるわけである……と、しきりに頷いていると、眼前に山羊刺しが登場。これは酢に生姜かニンニクをといて頂く。この酢が鹿児島あたりの、ものすごく酸味の強い品で、酸っぱいもの好きの私としては実に嬉しい。酢というのは、酸っぱさがはじめに来てやがて出汁感というかコクが後からついてくる。この後からやってくるコクに薬味の刺激が加わると、一層コクが濃くなる、と思っている。
で、スライスした山羊はルイベの状態で、すこし霜がおりたようになっている。凍っていささか白っぽい表面を酢につけるとスッと肉らしい色味に変わる。これを躊躇うことなく口に運ぶとどうだろう。山羊肉は、最初ちょっと木の実のような味わいがあって、そこに酢の酸味がくわわると、キノコのように旨みがじわじわとあふれてくる。これは旨い。泡盛おかわり。
さらにゴーヤチャンプルーが出てきた。
「近頃ゴーヤも高いよー」
常連さんに均さんが言うと、常連さんも頷く。そのテンポというか、話し言葉がペンタトニック、なんとなくDとAのない琉球音階っぽくて、どこに居るのかわからなくなってきた。
ゴーヤチャンプルーは、ゴーヤの炒め具合がちょうどよくて(たまにヤワヤワになっているのがあって、あれはちょっと苦い茄子みたいで勿体ない感じがする)、すこしシャキッとしつつ、むっちりとした歯触りがよかった。卵とランチョンミートのボリュームも丁度良くて、一皿独り占めしたくなったが、Mさんの顔を見て諦めた。
だいぶお腹も落ち着いてきたが、やはりもう一品くらいはいきたい。シメるなら、やっぱり、ここは沖縄そばだろうと、二つ注文した。絶対に分けられない料理がある。これが、それ。
「お好みで、紅生姜、のせてください」
澄んだスープの沖縄そば。ランチョンミートと沖縄のかまぼこが浮かんでいて、その景色だけで泡盛水割り2杯は軽い。塩気もちょうどよいスープをレンゲで2すくいしてから、しっかりとした麺をたぐる。ああ、旨い。麺の独特の香りと昆布出汁の相性の良さは抜群。じんわりと心があたたまる旨さ。
「定休日の水曜日。それに日曜日、店を開けるまでの間、教室をやってるんですよ」
おかわりの泡盛を出しながら均さんが教えてくれた。
均さんは、かつて勝連と呼ばれていた、現在のうるま市の出身。高校を卒業すると、地元の青年会という組織(伝統芸能のエイサーなどの普及活動をしている組織)に入り、そこで三線をおぼえた。20代の半ばにこちらに出てきて、トラックドライバーを生業にしていたところ、この店の以前の店主に、ここで店をやらないかと誘われ、波ツエさんと一緒に『風車』を始めた。
「かじまやーっていうのは、沖縄で数えで97歳になったときにやる行事なんです。97で子どもに還るから、かざぐるまを一杯飾ったりして盛大にお祝いするんですよ」
波ツエさんが身振りをまじえて話す。きっと、そのお祝いのときの踊りが思い浮かんでいるのだろうーー鶴見の沖縄コミュニティでも最近は、かじまやーのお祝いを街をあげて行うのだそうだ。亡母は数えの96で亡くなったので、あと一年踏ん張っていたら、かじまやーみたいな事でも催してやってもよかったな、と思いつつ泡盛をまた一杯飲み干した。
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加藤ジャンプ
かとう・じゃんぷ 文筆家、イラストレーター。コの字酒場探検家、ポテトサラダ探求家、南蛮漬け愛好家。割烹着研究家。1971年東京生まれ、横浜と東南アジア育ち。一橋大学法学部卒業。出版社勤務をへて独立。酒や食はじめ、スポーツ、社会問題まで幅広くエッセーやルポを執筆している。またイラストレーションは、企業のイメージキャラクターなどになっている。著書に『コの字酒場はワンダーランド』(六耀社)など。テレビ東京系『二軒目どうする?』にも出演中。また、原作を書いた漫画『今夜はコの字で』(集英社インターナショナル)はドラマ化された。
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はじめまして。2026年7月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、松本太郎と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
2002年7月4日、季刊誌「考える人」が創刊されました。
目次には当代随一の執筆陣がずらりと並び、B5判240ページの誌面の隅々から知の香りが立ちのぼってくるかのようでした。
当時、入社3か月の営業部員だった私は、見上げるような思いで手に取り、発売日には編集長の松家仁之さんと創刊のご挨拶のために書店にうかがいました。
まだ書店訪問にも慣れておらず、編集長ともほぼ初対面の中、次のお店の約束の時間に間に合うだろうかと時計ばかりが気になって、終始、そわそわしていました。そんな私に松家さんがやわらかな笑顔で接してくれたこと、そして、新雑誌の門出を祝うようなすっきりと晴れた一日だったことを覚えています。
あれから四半世紀が過ぎ、ウェブマガジンとして衣替えした今でも、創刊時に掲げられた「Plain living, high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という言葉は古びていません。AIに尋ねれば瞬時に答えが返ってくる時代だからこそ、それらしい言葉に飛びつくのではなく、自分の頭で考え、心の声に耳を澄ませることの大切さは増しているように感じます。
創刊号には、養老孟司さんのロングインタビューが掲載されています。養老さんはその中で、恩師である中井準之助先生の口癖だった「人の心がわかる心を教養という」という言葉を紹介しています。
読んだ瞬間に立ち止まり、さまざまな思いが湧き上がってくるような文章に、楽しみながら出会える場であり続けたいと思っています。
「考える人」編集長
松本太郎
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かとう・じゃんぷ 文筆家、イラストレーター。コの字酒場探検家、ポテトサラダ探求家、南蛮漬け愛好家。割烹着研究家。1971年東京生まれ、横浜と東南アジア育ち。一橋大学法学部卒業。出版社勤務をへて独立。酒や食はじめ、スポーツ、社会問題まで幅広くエッセーやルポを執筆している。またイラストレーションは、企業のイメージキャラクターなどになっている。著書に『コの字酒場はワンダーランド』(六耀社)など。テレビ東京系『二軒目どうする?』にも出演中。また、原作を書いた漫画『今夜はコの字で』(集英社インターナショナル)はドラマ化された。
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