2025年1月27日
平野紗季子×稲田俊輔「俺たちは「味」を通じて世界を知りたい」
平野紗季子『ショートケーキは背中から』刊行記念対談
俺たちは「味」を通じて世界を知りたい
衝撃のデビュー作『生まれた時からアルデンテ』から10年、平野紗季子さんのエッセイ集『ショートケーキは背中から』(新潮社)が2024年8月に発売されました。その刊行を記念し、青山ブックセンターで行われたトークイベントを記事化いたしました。ゲストに迎えるは、平野さんが「味のオーソリティ」と呼ぶ“食のパイセン”稲田俊輔さん。気心知れたふたりが、炊き合わせやちくわぶといった料理や食材から、「読書食べ」や「狭間のスパゲティ」といった新概念まで、食について縦横無尽に語ります。

炊き合わせはパフェである?
平野 平野紗季子と申します。今日はお集まりいただきありがとうございます。
私にとっての味のオーソリティである稲田俊輔さんに、ぜひ本書を紐解いていただきたくお招きしました。
稲田 デビュー作の『生まれた時からアルデンテ』(以下、『アルデンテ』)から10年ということで、御出版おめでとうございます。
1年ぐらい前に、もうすぐ出るという話をひそかに聞いたんですが、その後、なかなか出なかったですね。半年ぐらい前にも名古屋のイベントで「あれ、どうなったんですか」と聞いたら、まだ全力で原稿の手直しをされていました。永遠に出ないんじゃないかと思ったんですけど(笑)。
平野 何とか皆様のお手元に届いていますよね。
稲田 前に聞いて印象に残っていた春菊のすり流しのエピソードが、いきなり、冒頭のエッセイ「会社員の味」に登場しますね。僕にとってこのお話は、エッセイというより短編小説なんです。情景が浮かぶんです。
平野 本当ですか?
稲田 その感覚は、直接お話を伺ったときからありました。嘘ついているでしょうとか、そういうことじゃないですよ。僕の中ではある種の物語、フィクションとして完全に映像化されていたんです。その映像から始まったのが、なんだかうれしかったです。
平野 こちらこそうれしいです。
稲田 そして、かばんの中でシガール(洋菓子の老舗「ヨックモック」の主力商品)が粉々になっていると。
平野 なりますよね?
稲田 なります。
平野 なる方は手を挙げてみてください。あ、結構いる。
稲田 粉々になったシガールを龍角散みたいに、あーって飲む。分かる分かるっ、でも僕の場合はシガールじゃなくて、ロータスビスケット。カフェでカフェオレを頼むと、ロータスビスケットが一つ、義務のように付いてくるじゃないですか。開けるのが億劫で、気がつけば鞄に二つ三つ入っているんだけど、無事なやつなんか一個もない。そういうものなんですよね。
平野 そういうものです。
稲田 誤解してほしくないのが、僕はロータスビスケットそのものは、めっちゃ好きです。
新刊に登場する料理は、セレクトショップみたいに幅広いですよね。ジャンルだけでなく、階級ももちろん飛び越えて「平野紗季子ショップ」になっている。平野さんの活動はいつもそうですが。
平野 ありがとうございます。
稲田 「炊き合わせはパフェである」(「ごはん100点ノート①」)という表現も、非常に腑に落ちました。僕は「エリックサウス」という南インド料理店を営んでいますが、最近、和食の仕事も増えました。その中で、炊き合わせは軽んじられている、もっと光を当てなきゃ、と気づきました。「炊き合わせ」と聞いて絵が浮かぶ方って、結構少ないんじゃないかな。
平野 まず、煮物との違いがわからないかも。
稲田 そうそう。平野さんはその違いを「パフェである」というたった一言で表してくれました。この表現、僕も使っていいですか?
平野 ©をつけてもらえれば。冗談です(笑)。
稲田 これまでも僕は「これは東海林さだお先生がおっしゃっていました」とか、「伊丹十三さんがおっしゃっていました」という注は、必ずつけてきたので、この言葉でもそうしたいと思います。では今後、積極的にパクっていきますね。
平野 ぜひぜひ。ところで今年の夏、すっかりはまった食べものがありました。冷やし鉢なんですけど。
稲田 炊き合わせの親戚ですね。
平野 はい。炊き合わせの冷たいバージョンと言いますか。
稲田 冬瓜とか?
平野 そうそう。冬瓜を冷やしたら、それはもう、いいものですよね。
稲田 サラダ食っている場合じゃない。
平野 特に、にしんなすの冷やし鉢にハマりました。
稲田 にしんなすなんて、完全にチョコパフェです。
平野 我々に言わせればホットファッジサンデーか、にしんなすか、そんな感じです。
稲田 置いていかれちゃっている方がたくさんいそうな……。
平野 ごめんなさい(笑)。
稲田 炊き合わせでは、まずは野菜を下茹でします。ただ茹でるだけです。場合によってはちょっと甘辛く煮ます。にしんなすを、穴子と一緒に盛り付けるときなんかですね。そして煮汁と別に美味しいお出汁をひき、お吸い物より少し濃いくらいに味付けをします。そこに茹でた野菜を浸す。
出汁の味は、野菜によって変えます。ごぼうはちょっと濃いめ、にんじんは少し甘め。冬瓜は徹底して薄いけど、干し海老が入っている、とか。
平野 それぞれの野菜に、それぞれの仕事を施すんですね。
稲田 和食屋さんのキッチンにはよくジップロックコンテナが5、6個並んでいますよ。それらのコンテナから具材を取り出し、パフェのように、一つのお椀に集めていく。これでようやく、皆さんもイメージがつきましたよね。
「読書食べ」の喜び
平野 この本にもそれこそ炊き合わせのように、いろいろな味を詰め込みました。美味しい味、切ない味、編めば編むほどにいろいろな味が思い出され、全てが私を成す愛しい味だったんだと気づきました。
稲田さんも味のコレクターですよね。好きな味だけじゃなく、興味深い味、分からない味も。私よりずっと、膨大なコレクションをお持ちです。
稲田 平野さんの味世界と僕の味世界をベン図で表して、重なっていない僕の方に、割とゲスなものがいっぱい入っている。
平野 いや、そんなことないですよ。冷やし鉢の流れでお聞きしたいんですが、稲田さんはいつか、冷めている食べものが好きっておっしゃってましたよね。日本人が「熱々」「冷え冷え」な味を信仰する向きがある中で、なぜ冷めている食べものが好きなんですか。
稲田 まずは単純に、熱々だと味がよく分からないですよね。熱々の美味しさの大部分は肉体的な快感で、味覚じゃない。ある程度冷めているほうが、肉体的快感は少なく、味覚の快感が大きくなるのが一つです。
もう一つ、こちらが重要です。仮に、熱々であればあるほど美味しいとする。するとどうでしょう。目の前のそれは、刻一刻と不味くなっていくんです。数学における、背理法のような話。そんなの認めるわけにはいかない。
御飯はゆっくり、時間かけて楽しみたいじゃないですか。一瞬で楽しくなるのもあるけど、基本的には、楽しい楽しい御飯の時間をできるだけ長引かせたいじゃないですか。
平野 永遠を感じたいです。
稲田 だからこの仮定は、間違いです。
平野 めちゃめちゃ分かります。私、お弁当が好きだと書いているんですが、なぜって、お弁当が冷めているからなんだと、ある時気づきました。
普段は熱々が一番美味しいという考えに、従うときもありますよ。料理人の方がそれを求めることもあるじゃないですか。その想いに俺たちは応えたい。
ですがその場合、時間というものが料理側、お店側にある感覚です。最たるものがスフレ。だからちょっと苦手なんです、スフレ。
稲田 スフレはすぐ食べなきゃいけないでしょうね。本書にもありますが、ナポリピッツァも間違いなく、出てきたその瞬間にいかに食うか、って世界。追い立てられるのが苦手なんだね。
平野 そうそう。同じ理由でラーメンも苦手です。いつも周回遅れみたいになります。でも、お弁当って最初から冷めてるじゃないですか。
稲田 心が安らぐ。
平野 読書みたいに、味わう時間が自分側にあるからですよね。熱々な食べものは言うなれば“映画”で、瞬きしていると良いシーンが過ぎちゃうから、集中して食らいつかなきゃいけない。対してお弁当は“読書”だから、一旦目を閉じて、この梅の甘露煮は美味しかったな……って、立ち止まることができます。
稲田 今、すごく、腑に落ちてます。拍手(一同拍手)。
映画は基本的に一時停止をしちゃいけないですよね。レストランで早く食えって言われているのに、それを無視するのと同じです。僕、映画は好きだけど、若干苦手意識があったのは、だからなんだ。
平野 「読書食べ」が好きなのは、食べものをじっくり解き明かしたいという欲望があるからかもしれません。
ところで皆さん、「チキン弁当」をご存知ないですか? 言葉を選ばずに言うと、おそらく、この世で最もなめられているお弁当の一つなんですが。
稲田 なめられています。唐揚げが確か4個入っていて、あとはケチャップライスだけのお弁当なんですよ。
平野 オレンジ色のパッケージでね。
稲田 そうそう、ピヨピヨちゃんのイラストが描いてあって。デザインのキッチュさも含めてなめられていますよね。僕も正直なめていたんですけど、食べたら「今まですみませんでした」ってなりました。
唐揚げって今では庶民的だけど、60〜70年前には、都会の超おしゃれな食べもので、ビアホールのような大人の社交場で特に愛されていました。ともすれば牛肉より鶏肉のほうが高かったんですよ。あのチキン弁当の唐揚げは、かつて、一番おしゃれだったころのそれなんです。
ちくわぶは世捨て人

平野 稲田さんが「美味しさ=味+ロマン」という方程式を開発されています。私の中では「美味しさ=味+物語+環境」なんですけど、ロマンは物語と隣接しているので、ほぼ同じ。ロマンというフィールドで味わっていく、そのモチベーションに共感しています。にしんなすも、ロマンじゃないですか?
稲田 ロマン要素、強いですね。
平野 強いですよ。“北前船”というロマンワードだけでごはんが食べられちゃいます。北前船によって、北国から京都へとニシンがもたらされ、やがて京都の郷土料理になって行ったという……。
ところでナスってめっちゃ美味しいですよね。私は、“ナスは油を食べるためのメディアだ”と書きましたが、一つ疑問があります。一番美味しいナスって、実は焼きナスではないでしょうか。
稲田 ああ……ナスは基本的には油との相性が抜群の食べものである。油を吸わせたナスは最高に美味しいし、これほど油を吸わせて美味しくなる野菜もそうない。だけどいきなりバグが起こるわけですね。焼きナスとの頂上決戦において。
平野 そうなんですよ。丸焦げにした焼きナスには、火の神様と水の神様と土の神様が全部宿っている。私、あれは神様の主食のような存在です。
稲田 何で四元素説になっているんですか(笑)。
平野 バグとおっしゃったのは、人は油を非常に美味しく感じる、というルールから逸脱しているからですよね。
稲田 何となく、バグが起きる理由を期待されているような気がするんだけど、実は全く答えがないです。なぜ焼きナスが美味しいのかは、僕にとって、100パーセントの謎。
平野 京都大学名誉教授の伏木亨先生によれば、美味しさは四つに分類できるそうです。一つ目は生理的な美味しさ。喉が渇いているときに飲む水は美味い。二つ目はやみつきの美味しさ。いわゆる油脂とか砂糖とか、うま味とかです。報酬系を刺激するから繰り返し食べたくなっちゃうんだそうです。三つ目が情報的な美味しさ。他人が美味しいと言ったものですね。「旬の食べものです」と言われた時の感覚を思い出してください。四つ目が文化的な美味しさで、その土地で生まれたからこそ美味しく感じるもの。
大多数は一つ目や二つ目に属するじゃないですか。だからナスも油と食べると美味しいというのは、絶対間違いないのに、焼きナスが凌駕してしまう。
考えてみれば、バグっている系で好きなものは結構あります。ちくわぶは、バグじゃないですか?
稲田 ちくわぶの話になると、ちょっとドキドキする。なぜなら、ちくわぶを愛する人たちのちくわぶ愛はすごくて、ちょっとでもディスると炎上するんですよ。ちくわぶは炎上案件(笑)。
平野 ロイヤルホストのパンケーキくらいの。私、九州出身なのでちくわぶに入ったのが遅かったんです。東京のおでん屋さんで出会ったときに「何これ?」と。一口食べて、すぐ美味しいと思いました。
稲田 ああ。もしかするとバグではなくて、「美味しい」の概念を逸脱しているけど美味しい、逸脱しているから美味しい、的なことでしょうか。
平野 そうですね。空洞の美味しさ、みたいな。空洞を「はっ!」と感じて、浮世を離れる。
稲田 確かにどこか、俗世間を捨てたようなところがあるかもしれない。ちくわぶには。
平野 そうなんです。さっきから焼きナスが神とかちくわぶが浮世離れ、とか言ってるのは、そういうゾーンに、彼らが暮らしているからなんです。
稲田 納得しました。
平野 うれしい。こんな話を分かってくれるなんて。
稲田 めちゃくちゃ分かるけど、じゃあ焼きナスとちくわぶ以外に何があるかと言われると、今パッと出てこない。きっと地味なんですよね、そいつらは。これから生活していく中で、あ、しまった、これだったと気づくんでしょう。
「狭間のスパゲティ」時代
平野 一方で私たち、バリバリ俗世の味も愛していますよね。この本への感想で、洋麺屋五右衛門には結界を張られている(「ごはん100点ノート①」)という表現への共感を想像以上にいただきました。
稲田 結界と表現されていた五右衛門の絶妙な入りづらさ、あれは試練です。
平野 まず入り口に、五右衛門さんのただならぬ表情のご尊顔が。
稲田 その先はメニューも味も五右衛門の世界。バチカン市国みたいな独立国家だから、俗世の法律は通用しませんぜって、あの五右衛門さんが言っている。
平野 稲田さんは「狭間のスパゲティ」という説を提唱されていますね。
稲田 「狭間のスパゲティ」、はい。多くの人の中にあるスパゲティの歴史観というのはこうです。昭和はナポリタン一強で他はちらほらミートソースがあるくらい、そして現在はイタリアンと呼ばれるものが主流。このように二つの時代に区別されていると思います。でも実は、この二つの時代の間に「狭間のスパゲティ」時代がありました。
スパゲティ屋さんで、ソース別のメニューにしているお店がありますよね。まず、たらこ・明太子軍があって、トマトソース軍はベーコン、ナス、ツナ、ベーコン・ナス、ベーコン・ナス・ツナ、ベーコン・キノコみたいな順列組み合わせで、メニュー数が計算で割り出せるようなスタイルの。どこにも属しようがないカルボナーラみたいなのが、「当店オリジナル」となっていて。
平野 「カルボ」みたいな名前でね。ちょっと高いんですよね。
稲田 炒り卵でね。たらこ・明太子軍は当然、たらこ・イカ、たらこ・イカ・ウニ、とこれまた組み合わせになっていて……。
平野 シソはプラス100円。
稲田 全国的には、そういうスタイルは滅びつつあるんだけど、東京では「壁の穴」とか、「ハシヤ」さん及びハシヤ系とか、結構残っているんです。五右衛門は確実に「狭間のスパゲティ」に分類できるお店の一つです。
そういう意味では、僕は五右衛門を愛している。だけど何だろうな、他の「狭間のスパゲティ」たちと、ちょっと違うというか、自分が愛する狭間の……歯切れが悪いな。
平野 いいんです。素直な言葉でおっしゃっていただいて。
稲田 「狭間のスパゲティ」を縮小生産している感じがあるんですよね。
平野 なるほど。「壁の穴」の登場が先だからでしょうか。
稲田 それはあるかもしれない。「狭間のスパゲティ」時代を作ってきたお店には、より本場に近い美味しさを食べてほしい、しかしガチな本場をやるのは時期尚早だから、かみ砕こう、みたいな葛藤が見え隠れするんだけど、五右衛門は五右衛門で完結している。「これより先に行く必要ないよ。これで十分美味しいもん」というような。
平野 理解しました。開き直っちゃってるなあということか。
稲田 そうだ、そういうことだ。フォークが難しいんだったら箸でって(笑)。
平野 麺はあらかじめ短く切っておくから、巻かなくて食べられるよ、ってね。炒め物みたいになっちゃっていますけどね。
東京・飯倉の「キャンティ」の名物・バジリコは、フレッシュバジルが手に入りづらかったから仕方なくシソも使ったわけですが、それとはまた違うシソ使いですよね。
稲田 理想の世界があるんだけど、まだ到達できないから、今はこの地点でしのぐ。本当はこんなものじゃないぜ、って、先を見ている感じがありますよね。
平野 すごいですね。稲田さんって、ヨーダみたいですよ。
稲田 皆さんは、今僕が何を言われているか分からないのではないでしょうか。
平野 食の世界にもさまざまな戦いがあるんですね。ローカルなものを愛し続けようという考えの人と、グローバルなものを愛する考えの人とがいて、両者の間には結構な溝があります。その両者、みんなが納得できるように、マスターとしての“イナダ”がいる。
稲田 ありがたいです。断絶した世界をつなぐことには使命感があります。
平野 どちらも理解できるし、どちらにも軸足を置けるけど、置く時もあれば置かない時もある。柔軟です。
稲田 あざっす。みんなに好かれたいから、敵はつくりたくないんです。

飲食店のフェイクとリアル
稲田 いろいろなジャンル、クラスの食について書かれている中で、ファインダイニング、あるいはシェフの個人名を出した、ガストロノミーに関するようなお話もありますね。それを読むと真顔になっちゃうんです。それまでにやにやしながら読んでいたのに。
なぜかというと、絶対自分に書けないから。ファインダイニングとかガストロノミックな世界って、先ほども話したような、物語と味、みたいなロマンの部分がありますね。その物語の中には、実はフェイクが混ざっていることもある。
平野 ああー、面白い。
稲田 僕も安くはない料理を出すことがあります。そういうとき、しばしば果物を使うんです。イチゴにはたくさんの品種があるじゃないですか。いろいろ試した結果、一番使いたい美味しいイチゴは、輸入の冷凍イチゴだということが判明しました。それも南米産。北米にも結構あるんだけど、チリとかあの辺りのイチゴが一番美味しい。でももしファインダイニングだったら、それって物語として成立しないじゃないですか。
例えば「山梨と長野の県境のこの辺りで戦前から作られていたけど、今は誰も栽培していないイチゴを使っています。小粒で形は揃わないし、熟れても赤くならないんですけど、美味しいんです」なら物語になるんだけど。
ちょっと熱く一方的に語っちゃいますけれども、現在のレストランレビューでは一般的に、提示されたロマンとフェイクを含む世界を、ただ事実として、アンプのように拡声しているだけです。
ところが平野さんは、ロマンとフェイクが入り混じった物語に、さらに自分の物語をぶつけるんですよ。
もし僕が書いたら、ついフェイクとリアルを分けちゃうんですよ。ここまではフェイクである、ここからはロマンであると。イチゴの話で言うと、「ここのシェフは山梨と長野の県境の変なイチゴを使っている」に続けて余計なことを書いちゃうんですね。「味的には輸入の冷凍イチゴで十分なのだが、やはりそういう物語を大事にしているのであろう」なんて。とんだ営業妨害です(笑)。
平野 いやー、面白い。何だろうな、私は味を通して世界を理解したい、そういうモチベーションなんですね。虚でも実でも、思い込みでもいいから、とにかく自分の中で分かった、と手応えを得られることが大切。
その話をしていたら知り合いのアカデミアの方に、「この本を読んで、食は一方的に消費するのではなく、創造的に食べることができるのだとわかった」と言われました。だから自分の物語をぶつけているんでしょうね、私は。
稲田 なるほどね。後出しみたいだけど、食を通じて世界を理解したいというのは、僕も全く同じです。
平野 やったー!
稲田 僕は料理人でもあるから、作ることで、自分も理解してもらいたいというモチベーションがあります。
平野 本書には、馴染みのない味を理解する喜びについて書いたエッセイがあります(「味のホーム&アウェイ」)。その喜びは、すさまじいです。私、お寿司が子供の頃から苦手だったんですけど、ある時こはだを食べたら、五咀嚼目くらいでいきなり『GANTZ』!(奥浩哉の漫画作品)ってなったんです。
稲田 何で『GANTZ』なんだという話ですよね(笑)。
平野 完璧な球体がぼん。と口の中にできて「この球体を作っていたんだ、寿司の人は」と。それが寿司の美味しさの基準になりました。
稲田さんも、アウェイの味がホームの味になるように願いながら、知らない味に果敢にトライする勇者ですね。
稲田 「自分が分からない美味しさがある=世界のある部分を理解していない」、ということになるので、悔しいんですよね。
平野 そうそう。
稲田 平野さんは嫉妬ってあります? 自分が分からない領域のものを楽しんでいる人が確実にいるのに、と。
平野 あります。それで私、「(NO) RAISIN SANDWICH」ってお菓子屋さんまで作っちゃった、うっかり(笑)。嫉妬が初期衝動ですよ。
稲田 時を重ねるにつれ嫌いなものが減っていくってサラッと書かれてましたね。世界をより理解したという証で、素晴らしいんだけど、そのことを、100パーセント、ポジティブには書いてなかったですよね。
平野 はい、おっしゃる通りです。自分が自分じゃなくなるみたいで悲しいんです。でもその感覚は、20代のほうが顕著だったんですよ。なんというか、尖っていましたし。
『アルデンテ』を出したころは特に、「嫌い」って堂々と言い切ることで自分を形成していました。若い人間ならではの残酷さかもしれないです。今はむしろ、好きなものが増えるたびに開かれていく、という方に、少しずつ変わっている途中です。
稲田 「アイデンティティとは他者との相違の総和である」という名言があるんですけれど、この名言はフェイクの可能性があって、幾ら調べてもソースが出てこない。
平野 俺ですかね? (笑)
稲田 もしかしたら僕が夢で思いついた可能性もある。だから安易に使わないけど、いい言葉ですよね。それで、思い出したんですが、作家の森茉莉さんっているじゃないですか。
平野 『貧乏サヴァラン』、名著です。
稲田 『貧乏サヴァラン』は、平野さんの御本が好きな方だったら、絶対に面白く読めますよ。
平野 とても影響受けています。
稲田 やっぱそうですか。森茉莉さんって、あれを書いた頃すでに結構ベテランでしたが、最後まで、好き嫌いがはっきりしていましたね。
平野 そうなんですよ。格好いいですよねえ。
稲田 嫌いなものをボロカスに言うんですよ。現在だったら100パーセント炎上して、「老害」とか言われちゃう。でもそれが読んでいて気持ちいい。なぜかというと、好きと嫌いで作られる結界が、森茉莉という作家を形作っていたからではないかと。
『アルデンテ』を引き合いに出されるのは抵抗があるかもしれないけれど、あの頃との心境の変化を伺いたいです。
平野 あの頃は、食の乱反射がまぶしすぎてどこが前かも分からない、みたいな感じでした。いろいろな味を経ていくうちに、美味しくて感動したものよりも意外と、不味くてショックだった味のほうが残っていることに気づきまして。光だけじゃなく、闇があるから味わい深くなるのだ、と。大人になりました(笑)。
稲田 僕が感じたのは『アルデンテ』のときは、どこかで本心を悟られたくなさそうにシールドを張っていたのが、今回は無くなったような。でも基本フォーマットはブレてなくて、あの時、既に仕上がっていたんだなと。
平野 いやいや未熟でしたよ。お菓子を作って売る立場を経験したこともあって、飲食店のドアの先に広がっているものは、軽々しく消費していい物語ではなく、お店の方たちの人生そのものなんだと気づかされちゃったんです。すると「評価」みたいなジャッジメンタルが綺麗さっぱり消えてしまいました。全てが愛おしく思える、Jポップ的世界に突入した(笑)。
稲田 平和ですね。食べものの世界は、それでいいですよね。
私を成した不味い味
平野 これは今日、ぜひ聞いてみたかったんですけれども、食いしん坊の方って、「死ぬまでにあと何万回しか食事の時間がないから、一食たりとも無駄にしたくない」って、めっちゃ言いませんか? あれって共感しますか。
稲田 いや、僕はしない。
平野 やはり。
稲田 いろいろなものを食べたいし、いろいろなお店に行きたいですよ。それは何のためかというと、今後、食べ続けたいものを増やすためです。
だからスタンプラリーみたいに、これ経験したからオーケー、ではなくて、経験したそれを繰り返し食べる、気に入ったお店に繰り返し行く。普通に考えて、人生限りがあるので、どこかで開拓をやめなきゃいけないですよね。でもそこからは別に繰り返しでいいんです。「無駄にしたくない」というのは、そういうあり方を否定している気がして。
平野 分かります。そもそもなんですけど、無駄にしてもよくないですか?
稲田 もう大賛成。
平野 疲れ果てて深夜にUber Eatsで頼んだ、よく分からないしょっぱい焼き鳥にも良さがある。何じゃこりゃってなったとしても、その時のしんどい味はその時だけの特別なものです。美味しくなかったとか、SNSにアップするネタにならなかったとかで、無駄か有益かという線引きをする理由が何一つない。
稲田 焼き鳥一本とってもその焼き鳥、その時間、それを食べている自分、有益と無益とは分かち難く結びついているから、「この焼き鳥は失敗だった」ってなぜ言えるんだろうと。その感覚、セレクトショップの品ぞろえに如実に表れていますね。
平野 美味しくてきらきらしいものだけが並んでいるんでしょうって、お読みになっていない方には思われるかもしれません。むしろ冒頭の「会社員の味」をはじめ、しんどい味についても書いています。実際、そういう味の方が心に刻まれませんか?
稲田 僕、忘れちゃう。残念ですよね。
平野 コレクターとしてはね。
稲田 「これまで食べた不味いものは」ってよく聞かれるんですよ。そういう話って面白いじゃないですか。すっと出てこないのが悔しいんですよね。これは次回の宿題にさせてください。僕はちゃんと、冷静に記憶をたどって、心底不味かったものを思い出すので。
平野 僕を成した不味い味。
稲田 無意識の底に封印されているのを引き出して、メモっておきます。
平野 私はもう書いちゃったんですけど、留学先の泥水のようなシチューが、忘れられないくらい衝撃だったんですよ(「ニューヨーク、味の新世界」)。アメリカって、うま味の感覚がないのかな?と、当時は思ってしまいました。
稲田 ないというか、極めて薄い。
平野 そうですよね。うま味がなくて、塩味だけぎりぎりに効いている硬い肉のシチューが、一発でぶっ壊してきたんです。私の味覚世界を。日本へ帰って来たときに母親が作ってくれたほんだしの味噌汁で号泣したのは、落差があったからでした。コンビニで買ったバナナにも今だに突然「うまっ!」って感動できるのは、あの時、信じられないくらい不味いものに出会ったからなんじゃないかと思います。あれに出会う人生をまた選ぶかというと、選びますよ。
稲田 すっごい分かる。
平野 私は今、その先の味世界を探求している途中なんですけど、稲田さんはすでに先を生きているじゃないですか。今の稲田さんの味世界は、どういう広がりを見せているんでしょう。予告編的な感じで知りたいです。
稲田 どうでしょうねえ。僕は正直、回収期に向かっている。地味に開拓もしつつですが。
平野 味の地図の完成にかかっているということですか。
稲田 そうですね。各県の県境をきれいにして……と。
平野 すごい! かなり出来ているんですね。
稲田 諦めるところは諦めたんです。例えば、白カビ系のドライサラミとか、油のついた肉を干した系の食べものは、未踏でいいなって。
平野 油のついた肉を干した系の食べもの(笑)。そこは誰かに任せるよと。よく学者の方が、「この先にはもう何もないと印を立てるのも自分の仕事」と言うじゃないですか。それを思い出しました。
稲田 和菓子は何年かけても探索できない北海道みたいな状態。
平野 和菓子の原生林。
稲田 そうそう。でも、そこはどうしても諦めたくない。僕、4、5年ぐらい言っていますよね、和菓子好きになりたいって。
平野 言っています。
稲田 全然進捗ない。才能ないのかもしれない。
平野 和菓子は険しく眩しい山ですよね。私もどら焼きのあんこをこそげ取るような和菓子の不良だったのですが、最近完璧などら焼きに出会いまして……。稲田さんに今度お贈りさせてください。
(了)

*2024年9月8日、青山ブックセンター本店において
撮影:青木登(新潮社)
-
平野紗季子 /著
2024/8/29発売
公式HPはこちら
-
-
平野紗季子
1991年生まれ、福岡県出身。フードエッセイスト、フードディレクター。小学生の頃から食日記をつけ続け、大学在学中に日々の食生活を綴ったブログが話題となり文筆活動をスタート。現在は執筆に加え、ラジオ/Podcast番組「味な副音声」のパーソナリティ、菓子ブランド「(NO) RAISIN SANDWICH」の代表を務めるなど、活動は多岐にわたる。著書に『生まれた時からアルデンテ』(文春文庫)、『私は散歩とごはんが好き(犬かよ)。』『味な店 完全版』(いずれもマガジンハウス)など。2024年8月に待望の新刊『ショートケーキは背中から』(新潮社)を刊行。
-
-
稲田俊輔
料理人。南インド料理専門店「エリックサウス」総料理長。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、酒類メーカーを経て飲食業界へ。南インド料理ブームの火付け人であり、近年はレシピ本をはじめ、旺盛な執筆活動で知られている。著書に『おいしいものでできている』(リトルモア)、『お客さん物語』(新潮新書)、『異国の味』(集英社)、『料理人という仕事』(ちくまプリマ―新書)、『現代調理道具論』(講談社)など。最新刊は『ミニマル料理「和」』(柴田書店)。
この記事をシェアする
「平野紗季子×稲田俊輔「俺たちは「味」を通じて世界を知りたい」」の最新記事
ランキング
MAIL MAGAZINE
とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
-
- 平野紗季子
-
1991年生まれ、福岡県出身。フードエッセイスト、フードディレクター。小学生の頃から食日記をつけ続け、大学在学中に日々の食生活を綴ったブログが話題となり文筆活動をスタート。現在は執筆に加え、ラジオ/Podcast番組「味な副音声」のパーソナリティ、菓子ブランド「(NO) RAISIN SANDWICH」の代表を務めるなど、活動は多岐にわたる。著書に『生まれた時からアルデンテ』(文春文庫)、『私は散歩とごはんが好き(犬かよ)。』『味な店 完全版』(いずれもマガジンハウス)など。2024年8月に待望の新刊『ショートケーキは背中から』(新潮社)を刊行。

ランキング
ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら