2026年6月18日
なぜ、あえて「日本の小学校」? クリエイティブ視点から語る、日本の教育再発見
「日本人らしさのピーク」はどう作られる? 700時間の密着で見えた公立小学校の本当の姿
「大きな事件もなく。ナレーションもつけず、ただ、淡々と。でも、なぜか、これが、面白い。共感と発見、確認。そして沁みる。日本の小学校、あらためてすごいな。ありがとうと言いたくなる。」
放送作家を引退し、新たな歩みをはじめた鈴木おさむさんが、自身のX(旧Twitter)でそう絶賛したドキュメンタリー作品がある。日本の公立小学校の1年間を描き出した映画『小学校~それは小さな社会~』(監督:山崎エマ)。
稀代のヒットメーカーとして大衆の心を掴み続けてきた鈴木さんと、初の著書『それでも息子を日本の小学校に通わせたい』(新潮新書)を上梓するなどドキュメンタリー映画の枠を超えた活躍を見せる山崎監督。同じく男児を育てる親でもある二人の対話から、クリエイターの視線で紐解く「日本の教育」の再発見がはじまります。
構成=山野井春絵
給食当番と掃除――世界が驚く「日本人のベース」の再発見
鈴木 僕が山崎さんの映画を観たのは、同じく映画監督の呉美保監督から聞いたのがきっかけだったんです。僕、呉美保さんと本当に近所に住んでるんですよ。「とにかくこの映画がすごいから」って言うんで、それで家族でシネスイッチ銀座へ行ったんです。すごかったですよ、観客がいっぱいで。
山崎 そうだったんですか、そういうご縁で。ありがとうございます。
鈴木 それで僕はXで感想を書いたんです。いや、本当に観てよかったな。でね、息子は去年(2025年)、僕と一緒に映画館で22本も映画を観ているんですけど、山崎さんの映画を観ている間、彼はぶっちゃけすごい退屈そうだったんです。なぜなら、彼にとっては、毎日学校で見ている「当たり前の光景」だから。
山崎 あはは、正直ですね(笑)。
鈴木 僕は作り手だからわかるんですけど、あの光景を撮るのって、めちゃくちゃ難しいじゃないですか。その中で見えてくる日本の教育は素晴らしいと思えるし、一方で、ある意味異常である、という事実もあぶり出している。それがすごいなって思ったんですよ。丸1年かけて撮られたんですよね?
山崎 そうですね。春から、春まで。
鈴木 小学校での日常の風景。たとえば、当番が給食を配るじゃないですか。それはやっぱり、海外であれば考えられないことだよなって改めて思う。息子も小1から給食当番をやっていますけど、これが成立している日本の教育って、冷静に考えるとすごい。それだけじゃなくて、みんな規律を守るじゃないですか。自然と規律を守るように教育されている日本の教育に素晴らしさを感じる一方で、同時に「怖いな」とも思いました。裏を返せば、教育と言いながら、やろうと思えば簡単に「洗脳」もできてしまうような気がして。そういう、すごさと怖さの同居。これ、海外にはないよなって強烈に感じたんですよね。
山崎 私自身、地元の大阪で公立小学校に通っていましたが、当時は日本の小学校のすごさには全然気づいていなかったんです。小学校卒業後に進んだインターナショナルスクールの中高や、アメリカの大学で出会った友達と小学校の話をする中で、「日本の小学校では掃除をこうやってやったんだよ」とか「給食は当番が配るんだよ」、「運動会でこんなピラミッド作ってさ」って言うと、まず「え、やりたくない子はどうしてたの?」って聞かれるんです。日本にはそんな選択肢ないんですけど、みたいな(笑)。その質問からして、ズレがある。その時に、当然だと思っていた日本のやり方が世界的には珍しくて、よくも悪くも異常なのかもしれないって気づき始めた。それが、この作品を作るきっかけの一つでした。
700時間の密着で見えた「日本人らしさ」の作られ方
鈴木 取材対象となった小学校を、どうやって口説いたんですか? だって、1年間撮影させてくれって、なかなか今の小学校、しかも公立では難しいですよね。運動会とか特定の行事ならまだしも。
山崎 5年をかけて、30校回りました。「学校を丸ごと撮りたい、1年間全部撮りたい」というのが私のこだわりだったんです。1年生と6年生にメインフォーカスするけど、基本どこでもいつでも撮りたい、みたいな。……まあ無茶ですよね(笑)。
鈴木 1年間で、どのくらいの期間カメラが入ってたんですか?
山崎 150日間です。学校がだいたい200日あるので、ほぼ毎日と言ってもいいぐらいで。私たちがいないほうが珍しいというほど、現場には馴染んでいましたね。700時間の映像を撮って、最終的に100分弱の映画になりました。
鈴木 700時間! それはすごい。この映画、海外のリアクションはどうだったんですか?
山崎 日本の人は自分の小学校時代と重ねるからこそ、「学校」に対する思いも違って、反応は様々でしたが、海外では基本的に「日本の学校、すごい!」という意見が多数派でした。欧米、特にフィンランドでこの映画がとても流行ったんですけど、「まずコミュニティの中でどう生きていくかの練習になっている」という好意的な見方がされました。先生たちとの距離が近くてウェットだね、という意見もありましたね。彼らの国で学校は「ただ勉強するための場所」ですから。
鈴木 運動会とか合唱コンクールとか、あんなこと海外ではやれないでしょう。日本独特ですよね。
山崎 そう、そういう行事って、本当に日本的だと思います。係活動も掃除も、子どもが自分たちでやるということが欧米ではあまりない。「子どもは子どもであるべき」という考えだから、掃除を子どもにやらせるのは、大人の仕事を奪うことだ、とすら思われている。掃除を「自分たちのことは自分たちでやる」ということを学ぶ場にするか、「職として大人がやるもの」とするか、考え方の違いですね
鈴木 僕、あの作品を観てから、気になって海外の映画とかハイスクールものを観直しましたけど、確かに掃除シーンなんて一回も見たことないな、って気づきました(笑)。
山崎 ないない。海外では、いわゆる「良い学校」であればあるほど、親は「勉強させているんだから、掃除なんてさせたいと思わない」って言うんです。でも私は、日本の子どもは小さい頃から自分たちのことを自分たちでやる習慣があるから、社会に出てもゴミを集められるし、ポイ捨てもしないんだと思っている。日本でも、最近はしばしば「子どもに掃除をさせることの是非」について論争になることがありますが、その教育的価値を理解せずに、ただ「負担だから」という理由で掃除の機会が減るのは、一体どうなんだろうって。社会でちゃんと議論しましょう、と思いますね。
鈴木 注目すべきは、それが教育としてシステム化されていることのすごさですよね。自分たちが当たり前にやってきた日直、給食、掃除、合唱コンクールも、卒業式の言葉も……。「俺、嫌だ」って誰も言わないし、みんな当たり前のようにやる。
山崎 ちょうど今卒業シーズンですけど(取材時)、どの学校でも6年生代表の卒業スピーチって、ほぼ同じような内容が語られるんですよ。みんな、お世話になった先生や友達、両親への感謝を述べることを忘れず、とても立派で、「理想の12歳だな」といつも思います。自分もそうですけど、「日本人らしさのピーク」って12歳だと思うんですよね。それほどまでに、小学校教育のシステムが統一されていて安定しているということです。でもその分、今の時代に求められる「個別最適化」みたいな部分は、まだ公立の学校では弱いなと感じます。
「2000人の前でコケろ!」鈴木家と運動会
鈴木 うちの息子は今10歳で、公立の小学校に通っているんですけど、僕、去年の運動会の1週間くらい前に、「お前、運動会でコケろよ」って息子に本気で言ったんですよ。「最高の思い出になるから、2000人の前で派手にコケろ」って。
山崎 ええっ(笑)。
鈴木 マンモス校だから親も含めて2000人くらい観客がいるんです。4年生の運動会なんて別にそんなに目立つわけでもないし、普通に走って1位取ったところで何も記憶に残らない。「でもお前が2000人の前で派手にコケたら、絶対思い出になるぞ。コケたら欲しいゲーム買ってやる」って。そしたら息子は「やばいよ、先生に怒られる」ってマジで悩んで。ママ(森三中・大島美幸さん)にも相談したら「スタートでは危ないから、ゴール手前でコケろ」ってアドバイスされて(笑)。
山崎 あはは、大島さんらしい!
鈴木 前日まで「コケろよ」って追い込んだんですけど、結局コケなかった。「無理だよ!」って。でも、その後「2分の1成人式」で司会をやることになった時、「普通にやるのは面白くない。もっとアレンジしろ」とまた言ったら、自分なりにアレンジを加えて特大の声を出して、それがウケたらしいんです。満足そうに帰ってきましたけど、それでも「運動会で2000人の前で失敗するのはやばい」と感じてしまうことは、まさに日本の教育だな、と。
山崎 今回、著書にも書きましたが、私は小6の時の組体操が強烈に印象に残っています。その前の年、5年生の時に一つ上の先輩がピラミッドを崩してしまったのを見て、「しくじったら恥だ」みたいな空気を感じてしまったんです。「絶対失敗しちゃいけない」という極限のプレッシャー。でも、その中でやりとげて2000人の拍手を浴びた瞬間の達成感は、その後の人生で「頑張るベース」にもなりました。今の時代、小学校でもいろいろな行事が簡略化されていますけど、あの「頑張った先に見える景色」を体験させてくれる魔力は残ってほしい。
鈴木 まだまだ暑い9月に、全校生徒で練習する感じは忘れられませんよね。本当にあんなに練習が必要なのかな? とか思ったりもしますけど、あのシステム化はあらためて考えても強烈です。子どもだけじゃなく、行事に対する親の意識も高いですよね。前日から席取りに気合が入ったりして、一大事じゃないですか。
山崎 私自身も、小学校時代を振り返ると行事のことしか覚えていない(笑)。最近は運動会も半日になったりと見直されていますが、その分、当日の午後にさっそく「振り返り」を発表し合う学校も多いんです。経験に対して、すぐに意味付けをする。行事そのものはスマートになりながらも、記憶に刻む工夫は進化しているんです。だから、単に「負担だから行事はやめる」のではなく、形を変えて残してほしいなと思います。社会側に、その価値がまだ伝わりきっていないのがもどかしいんですけど。
鼻くそを付けられ、好きな人を言わされる
鈴木 僕が小学校のときのことで強烈に覚えているのが、小2の時の担任の先生。ちょっと小太りの男の先生なんですけど、宿題を忘れると「この野郎!」って鼻くそを付けてくるんですよ(笑)。今だったら新聞の一面ですよ。
山崎 うわあ(笑)。
鈴木 でも、ある時僕が「ヘチマって食べられるの?」って聞いたら、その先生は「わかった、みんなで見に行こう」って言って、クラス全員でヘチマを採りに行って、煮て食べる実験をしたんです。息子にこの話をしたら、「えっ、そんな勝手なことして校長先生に怒られないの?」って言った。今の子どもは「先生に問題があれば校長に言う」というシステムが頭に入ってる。昔は校長なんて神様みたいな別世界の存在だったのに(笑)。
山崎 それぞれの先生のオリジナリティが入り込む隙間がなくなっているんですね。
鈴木 小5の時の担任だった先生も、めちゃくちゃファンキーでした。4月の最初の授業でクラス全員を立たせて「好きな人を告白しろ」って言うんです。「いない」と言うと「そんなわけないだろう、面白くねえな」って怒られる。で、仕方なく誰が好きかを言うと、放課後に先生が隣のクラスまで行って「あの子がお前のことどう思ってるか聞いてきたぞ」とかってリサーチしてくるんですよ(笑)。
山崎 まるでプロデューサーですね!
鈴木 そんな無茶なことをやらされたんですけど、やっぱりそのクラス、その後めちゃくちゃ一致団結したんですよ。最初に恥ずかしいことを共有するから。でも、今はそういう「先生のプロデュース」が、マニュアル化や多忙化、コンプライアンスで消えてしまっている気がして。
山崎 映画に出てくる先生も、楽器のオーディションを開催して、その後の練習でもかなり厳しく指導します。でも、今の現場ではああいう先生は本当に希少。優しくて友達のような先生が増えていますが、私は「厳しい先生」も「優しい先生」も両方いて、その中で揉まれることが学校という「小さな社会」の価値だと思っているんです。
鈴木 教員になりたい人が減っているっていうのは、社会の大きな損失ですよね。山崎さんもご家族が先生でしたっけ?
山崎 親も祖父母も全員が先生なんです。だから現場の苦労もわかる。映画では、先生たちが葛藤しながらも子どもの成長を喜んでいる、その「人間的な姿」を撮りたかった。「しんどい」という場面だけじゃなく、先生が人間として子どもたちと向き合っている姿をもっと見せていきたいと思いました。
甲子園という「聖域」の違和感と魅力
鈴木 山崎さんは『甲子園:フィールド・オブ・ドリームス』も撮られていますよね。実は僕は、高校野球には強烈な違和感を持っているんです。高野連の厳しさもそうですし、ものすごい努力と犠牲を払って甲子園まで行った子が社会に出たとき、履歴書に書いても「だから何?」と言われる現実。人生のピークをあそこに合わせてしまうことの危うさを感じるんです。
山崎 そこが、甲子園の光と影ですよね。私は逆にアメリカから戻った時、甲子園や高校野球が持つ「日本的」な部分に惹かれました。
鈴木 「日本的」というのは本当にそうですね。それで言うと、あのサイレンの音、全員坊主……どこか「戦争の香り」がするように感じてしまう。それが怖くて、僕は感情移入できない。高野連って本当に厳しいですからね。バラエティで野球部を扱っただけで、大問題にされたこともありました。
山崎 坊主については、私が撮り始めた2018年はまだ坊主率が8割近くでしたけど、今は30%くらいまで減っています。こんなふうに、高校野球がゆっくりでも変わっていくことは、日本社会が変わっていくことの象徴になると思っているんです。大谷翔平選手の母校、花巻東高校の佐々木(洋)監督のように、坊主をやめ、新しい道を示す指導者も出てきています。
鈴木 佐々木監督の息子さんである(佐々木)麟太郎くんがスタンフォード大学へ行ったのも、素晴らしい選択ですよね。野球好きのおじさんたちからは批判されたけど、将来のことを考えれば正しい。これまでの「甲子園がすべて」という価値観とは違う、新しい日本人の姿ですよね。
山崎 全部を否定して変えるのではなく、どこを残して、どこを変えるか。佐々木監督のような方が最前線で考えています。甲子園も小学校も、日本の良さと課題が凝縮されている場所。避けるのではなく、そこから日本をどう見るか。私は映画を通して、その「人間的なところ」を知ってもらいたかった。
鈴木 でもドキュメンタリーって、日本ではまだ「暗い」とか「真面目すぎる」イメージに縛られてますよね。本当はもっと自由でいいはずなのに。
山崎 本当にそう! NHKの方からも「ナレーションがないのに泣けるなんて」と驚かれたりしました(笑)。私は、ドキュメンタリーをもっと文化の中心に持っていきたい。日本はドキュメンタリー大国になれるポテンシャルがあるはずなんです。日常的にドキュメンタリーを見ている人は少ないですが、テレビでバラエティ番組を見る人は多いですよね。テレビが強すぎたからこそあった「バラエティとドキュメンタリーの壁」を壊して、もっと広い概念で映像を楽しめるようになればいいなと思っています。
(後編に続く)
-
-
山崎エマ
1989年大阪生まれ。イギリス人の父と日本人の母を持つ。ドキュメンタリー監督。ニューヨーク大学映画制作学部卒。最新作の『小学校~それは小さな社会~』(2024年)は「テレビ界のアカデミー賞」と言われる米エミー賞に、同作から生まれた短編『Instruments of a Beating Heart』は米アカデミー賞短編ドキュメンタリー部門にそれぞれノミネート。
-
-
鈴木おさむ
スタートアップファクトリー代表。千葉県千倉町 (現・南房総市)生まれ。19歳の時に放送作家になり、それから32年間、様々なコンテンツを生み出す。2024年3月31日をもち放送作家・脚本業を引退し、現在は、toC向けファンド「スタートアップファクトリー」を立ち上げ、その代表を務める。
この記事をシェアする
「なぜ、あえて「日本の小学校」? クリエイティブ視点から語る、日本の教育再発見」の最新記事
ランキング
MAIL MAGAZINE
とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
-
- 山崎エマ
-
1989年大阪生まれ。イギリス人の父と日本人の母を持つ。ドキュメンタリー監督。ニューヨーク大学映画制作学部卒。最新作の『小学校~それは小さな社会~』(2024年)は「テレビ界のアカデミー賞」と言われる米エミー賞に、同作から生まれた短編『Instruments of a Beating Heart』は米アカデミー賞短編ドキュメンタリー部門にそれぞれノミネート。
-
- 鈴木おさむ
-
スタートアップファクトリー代表。千葉県千倉町 (現・南房総市)生まれ。19歳の時に放送作家になり、それから32年間、様々なコンテンツを生み出す。2024年3月31日をもち放送作家・脚本業を引退し、現在は、toC向けファンド「スタートアップファクトリー」を立ち上げ、その代表を務める。

ランキング





ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら




