2025年9月26日
岡ノ谷一夫『人間の心が分からなかった俺が、動物心理学者になるまで』試し読み
まえがき&第一章「少年時代」
著者: 岡ノ谷一夫
岡ノ谷一夫さんの連載「おかぽん先生青春記」が、『人間の心が分からなかった俺が、動物心理学者になるまで』として9月18日に発売されました。
小学生のとき、ある日突然人間がロボットに見えた。それはいつの間にか治ったが、以来、人との距離の取り方が下手なままだ。大学を卒業後、研究への想い止まず日本を飛び出し、アメリカの大学院に留学したものの、苦労の連続。日本に帰って来てもそれは変わらず、ポスドク地獄の果て、わらしべ長者のごとく、俺は少しずつ研究者への道を歩み始めた――。
「人間がロボットに見えた」という幼少期が分かる、まえがきと第一章「少年時代」を公開!
まえがき
青春とはいつからいつまでか。よくわからない。たとえば思春期から結婚するまでを青春とすると、僕は四七歳で結婚したので、小学校高学年から四七歳までが青春であり、三五年くらい青春がある。いつまで青春であろうと人に迷惑をかけなければかまわない気がする。しかし青春を小学校高学年からと何気なく定義してしまったが、これについても異論はあろう。よく考えてみると、小学一、二年生のころも十分青春だった気がする。そのころから好きな子いたし。
すると他人を意識し、あわよくば仲良くなり、共に時間を過ごしたいと願う時期が青春なのか。なんだか新明解国語辞典みたいだぞ。じゃ妻は僕と結婚した時には青春が終わり、倦怠の日々を過ごしているのか。それも間違っているぞ、たぶん。では、いつでも新たな恋を迎える準備状態にある限り、青春であろうか。新たな恋を実際に迎えてしまうといろいろと社会的な不都合もあろうが、その準備状態にあることは個人の内的世界なので罪には問われないであろう。しかしそれでも往生際が悪いという批判は可能だ。
さて、混乱を収拾せねばならぬ。婚姻状態や恋愛可能性で青春を定義してはいけないのではないだろうか。そうであれば、その他の要因で青春を定義しようではないか。突然まじめになると、一部の脳科学者は、青春を「前頭前野の成長が、大脳辺縁系の成長に追いつかない時期」と定義する。要するに、自己制御の能力が、欲望に負ける時期のことを言う。しかし、いちいち脳構造の体積をMRI(磁気共鳴画像法)によって計測して、僕は青春、君は青春終わりなどと言うのも味気ないし、経費がかかるのでこれは却下。それに、人はいつでも欲望に負けるのだから、この定義では青春は死ぬまで続いてしまうのでは。やっぱり却下だな、脳科学的定義は。
先が思いやられるので、青春の定義は止めよう。だいいち、何かを論ずるのに定義をしてから論ぜよという風潮は僕は好きではない。学問の、そして人生の重要問題は、定義ができた時点で実は解けてしまっていると言える。たとえば「心」だ。心って何? これを定義しているうちに、心の研究は完了するだろう。同じことは「言葉」にも言える。これらの用語は、定義しないで使い始め、用法を通して理解してゆくしかない。そう、青春も同じなんじゃないかな。このあたり、自分の議論の横暴さにあきれるが。
せっかくだから、定義問題をきっかけとして、僕自身の研究の概略を説明しておこう。僕は物心つくころから動物が好きで、動物も自分と同じような「心」を持っているのかどうか知りたかった。同じように、動物の鳴き声も人間の「言葉」のように心の表現なのかどうか知りたかった。もちろん、問題をこのように定式化したのはずっと後のことだが、子供なりにこのようなことを考えていたのは確かだ。
こうした疑問は、自分自身の生と死を見つめることにつながった。死がすべての終わりであることは、自意識の芽生えと共に知っていた。幼稚園生のころ、通園バスの運転手さんが何かの病気で亡くなった。先生たちは「運転手さんはお空にいっちゃったの」と言ったが、僕は運転手さんが存在しなくなったことを知っていた。いやなガキだ。縁日のひよこから学校前で売られていたヤドカリ、その他いろいろな動物を僕は飼い、それらが死んでしまうたび、版画板で作った墓標を立てて裏庭に埋めていた。父母はそれを発見して「こんな縁起悪いことはやめろ」と言った。後に「禁じられた遊び」という映画を観て、自分がまさにその映画の主人公たる子供たち、ミシェルとポーレットと同じことをやっていたことに気づいた。
しかし太平洋戦争が終わってから一四年しかたっていない一九五九年に生まれた僕にとって、動物の心や鳴き声、ヒトの言葉の研究が生業になりえるなど、とうてい考えられなかった。「心」や「言葉」について考えるために本を読みながら、本を読む時間とお金を作るためにそれなりの職業につこう。そう漠然と考えながら右往左往し、現実的な夢を持てないことに劣等感を持っていた少年が、それなりにもがきながら青春期を経て、結果的には心と言葉について考えることを生業にすることができた。僕はこの過程で、小鳥やネズミやサルや人間を対象に、いろいろな研究を重ねてきた。読者は本書で多くの右往左往を経て現在に至る僕の姿を読むであろう。
そして今でも、僕は「心」や「言葉」を定義することができていない。自分の研究対象さえ定義できない僕が、青春を定義できるはずがないのだ。
というわけで、青春を定義しないでこの本を始めることにしよう。しかしそれでは、逆に何を書いてよいのかわからなくなってしまう。なので大まかに在籍した教育機関をタグとして使用し、自分自身が教育機関に職を得て研究室を運営し始めるまでをこの青春記の守備範囲としようと思う。
僕自身がもういい年なので、いろいろな思い出がぐちゃぐちゃに混ざっている。時々は日記を書いていたけど、ずっと書いているわけじゃない。いちおう手帳はつけているので、大きな出来事はだいたいわかる。それでも記憶は勝手に美化されているだろう。美化とは、必ずしも良い方向への改竄とは限らず、ネタとして盛っているだけの自虐的美化であることもあろう。つまり、自分の都合のよいように改変されているだろうと思うが、これはどんな青春記だって多少なりとも同じなので仕方あるまい。関係者はそのあたり、黙殺することをお願いします。また、本書で出てくるお名前は、公人の場合はそのまま、私人の場合はちょっとだけ変えております。
今僕が危惧しているのは、青春記を出版することで僕自身の青春が終わるような気がしていることなんです。でもきっと杞憂に終わるよね。君の瞳に乾杯。
二〇二五.八.一 岡ノ谷一夫
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岡ノ谷一夫
帝京大学先端総合研究機構教授。1959年生まれ。東京大学大学院教授を経て、2022年より現職。著書に『「つながり」の進化生物学』『さえずり言語起源論』などがある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥

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