2026年6月12日
『星野源論』(戸部田誠/つやちゃん:著、小田部仁:編)試し読み
はじめに――星野源とは何者なのか?
著者: 小田部仁
音楽家・俳優・文筆家として活躍する星野源さん。その創造の源泉や表現の神髄に、2人の気鋭の著者——戸部田誠(てれびのスキマ)さん&つやちゃんさんが迫る『星野源論』(新潮新書)が6月17日に発売されます。
刊行を記念して、星野源さんのアーカイブブック「YELLOW MAGAZINE」およびメンバーシップサイト「YELLOW MAGAZINE+」に携わり、『星野源論』の編集をつとめる小田部仁さんによる「はじめに――星野源とは何者なのか?」を公開いたします。
なぜ「星野源論」が必要なのか。その規格外の存在と彼の創造物をどのように捉え、語るべきなのか――。その問いに、戸部田誠さんとつやちゃんさんが出した“答え”とは。2人の真摯で自由な論考の全貌は、ぜひ本書でお確かめください。
今、この日本に「星野源」の存在を知らない人間は恐らくいないだろう。音楽家、俳優、文筆家として表現活動を行ってきた彼が、バンド時代も含めると二十数年にわたる活動期間の中でポップ・カルチャー史に残してきた足跡は、あまりにも大きい。『YELLOW DANCER』や『POP VIRUS』、あるいは2025年5月にリリースされたアルバム『Gen』が音楽シーンに多大な影響を与えた――という、今や近年のポップ・ミュージックを語る上で基礎教養的に流布している言説にピンとこなくても、「恋」や「うちで踊ろう」のような彼の楽曲が、『逃げるは恥だが役に立つ』や『MIU404』のような彼の出演作が、『そして生活はつづく』や『いのちの車窓から』のような彼のエッセイが、ブームや世界を巻き込む社会現象となった光景を目撃した人、心を動かされその狂騒の一部となった人たちは、この本を手に取っている読者の中にも少なくないはずだ。
幼い頃からコミュニケーションが苦手で、自らの楽曲「喜劇」に記したように〈生まれ落ちた日から よそ者〉であるという自覚があった星野源は、ローティーンの頃に音楽と演劇を同時に始める。そこで、表現を介して他者と繋がることができるという実感を覚えた。以降、彼は既存の規範には収まらない自分自身の“居場所”を、創作を通じて探し続けることになる。その苦闘と絶望、そして創造の喜びに満ちた(星野自身の言葉を借りれば、”ものづくり地獄”ともいえる)道のりには、様々な文化的コンテクストが幾重にも折り重なっている。
例えば、ジャズやパンク、フォークやソウル、R&B、ヒップ・ホップ、エキゾチカやモンドミュージックなど、古今東西の多種多様な音楽をルーツとし、インストゥルメンタルバンド・SAKEROCKのギター&リーダーとしてキャリアをスタートーー師と仰ぐ細野晴臣に見出され「歌」を歌い始めた自ら作詞・作曲&編曲を手がける音楽家であるということ。あるいは、劇団・大人計画の主宰であり、作家・映画監督としても知られる松尾スズキをはじめとしたゼロ年代の豊かな文化的土壌で切磋琢磨した俳優・文筆家であるということ。もしくは、星野が敬愛するタモリのように、テレビやラジオの場でも独自の美学を貫き通したアナーキーなポップ・アイコンであるということ。
これらのいかにも意味ありげな文脈の羅列は、星野源の表現を語る上で欠かせない要素ではある。しかし、それだけでは何かが取りこぼされる。「こんばんは、星野源です!」と、にこやかにステージに立ち、視聴者やリスナーの心を掴んだその隙に星野が喰らわせてくる、思わず息をのむほどに豊かなサウンドとリリックの楽曲――その表現に宿る“底知れぬ何か”は、先に挙げたような文脈の数々を追うだけでは捉えきれない。なぜならば星野源は彼を形作る、そうした膨大な文化的影響源を咀嚼した上で、「まだ見たことのない/聴いたことのない新しいもの」を自らのフィルターを通してつくり上げてきたからだ。
だからこそ、「星野源とは、一体何者なのか?」という問いが立ち上がってしかるべきだろう。我々は”星野源”という規格外の存在と彼の創造物をどのように捉え、語るべきなのか。本書は、その問いに対する答えを二つの側面から論じてみようとする試みである。
テレビ・芸能を専門とするライターとして『タモリ学』『芸能界誕生』など数多くの著作を持つ、戸部田誠(てれびのスキマ)による「源流――芸能史の中の星野源」は、星野源を日本の芸能という長い時間軸の中に置き直す。昭和の芸能史にまで視野を広げながら、『おげんさんといっしょ』や『星野源のオールナイトニッポン』『逃げるは恥だが役に立つ』など、テレビやラジオを舞台にこの多彩な表現者がいかなる系譜に連なり、何を継承し、何をあらたに切り拓いてきたのかを丁寧に辿る。
音楽を中心にさまざまなカルチャーの論考を執筆し、『わたしはラップをやることに決めた』などの著作を持つ文筆家・つやちゃんによる「意味に支配されない音楽」は、星野の音楽作品そのものに向き合う。SAKEROCK期からソロへの変遷を経て、ファーストアルバム『ばかのうた』から6枚目のアルバム『Gen』までの作品群の構造を精緻に読み解きながら、星野源の音楽がどのような論理と感覚によって成り立っているのかを明らかにする。
この本を読み終えたとき、きっと、あなたの中にも問いが残るはずだ。星野源はかつて、創作とは「自分と他者との間に流れる川に橋をかける行為」だと語った。ならば、彼の表現について語ることもまた、等しく“こちらがわ”から“あちらがわ”へと橋をかける試みだと言えるだろう。星野源の表現は、あなた自身にとってどのようなものであるのか。一人の芸術家について考え、言葉を探し、自分なりの答えを手繰り寄せようとする行為には、それ自体に豊かさがある。
〈何か創り出そうぜ〉――絶望の果てで幾度となく生まれ変わりながら、まだ見ぬ新しいものを追い続けてきた表現者・星野源について、今、語ろう。
(続きは、ぜひ本書にて)
【目次より】
はじめに 小田部仁
第一部 源流――芸能史の中の星野源 戸部田誠(てれびのスキマ)
序章 欲張りなエンターテイナー──「ばらばら」
「13の顔を持つ男」と「諦めない男」/ドロドロの向こう側にあるもの/SAKEROCKと大人計画/自分たちの時代のカルチャー/「欲張りエンターテイナー」
第一章 王道の継承と更新──『おげんさんといっしょ』
「ダラダラ」が生み出すマジック/日本の音楽バラエティの血脈/クレージーキャッツの遺伝子/ジャズメンの系譜/テレビの夢/にこやかに中指を/ちゃんと終わろう
第二章 くだらないの中に──『星野源のオールナイトニッポン』
やりきった10年/「くだらなさ」の英才教育/叩き上げのラジオリスナー/深夜ラジオの時代/誰がためのラジオか/ラジオの可能性を広げる/今日も生きられる/内村光良との共通点/ニセ明登場!/発酵と発光/「くだらないの中に」
第三章 アナーキーなポップスター ──『逃げるは恥だが役に立つ』『紅白歌合戦』
恥ずかしさを学べ/「サブカル」への違和感/一人を超えてゆけ/今、何が一番良い選択なのか/アナーキーなポップスター
終章 「どうでもいい」絶望の中の幸福論 ──『LIGHTHOUSE』『MAD HOPE』
飽きたんじゃないかな/絶望しても幸せ/〝どう〟あってもいい/地獄でなぜ悪い
第二部 意味に支配されない音楽 つやちゃん
序章 なぜ人は星野源について語りつつ、いつも語り得ないのか
それぞれの星野源論/分散するイメージ/「人格横断」する力/同時代を生きる不思議なアーティスト
第一章 名のない不安の時代──孤独がつくった原型
「間違って地球に来てしまった宇宙人」/「反復と変奏」の感覚/言葉になる前の違和感/”役”と”型”/表現者としての基礎構造/言葉より先にあるもの
第二章 歌の前に、型があった──声を持つための回路
表現を可能にするための足場/「歌=私」が問われる時代/染み込む音楽/「歌のない歌もの」/梱包材のような音楽/「君は歌ったほうがいい」
第三章 踊るための型──『YELLOW DANCER』と、黒人音楽を引き受ける身体 黒人音楽という巨大な型
”折り返し”の設計/抱えたまま踊る/黒人音楽をめぐる議論/音楽的達成とシーンの転換点/重さに耐えるための予行練習
第四章 ポップという型の臨界点──「恋」と『POP VIRUS』
呼吸の速度を変えながら進む音楽/曖昧なまま続く音と言葉/仕組まれた居心地の悪さ/静かな違和感/複雑な温度の「恋」/意味の速度を変えていく/「言葉を遅らせる」実験
第五章 言葉を急がない音楽──意味過剰時代のポップと『Gen』
ポップはどのように生き延びうるか/「意味を語らない」という選択/美しいが、説明できない/「語らせすぎない」アルバム/速度から空間へ──ポップの身体の更新/最後に残された誠実さ
終章 ポップがまだ生きているということ
意図的に設計された「語りえなさ」/意味とともに生きる
おわりに 小田部仁
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小田部仁
編集/文筆。音楽やカルチャーを中心に執筆、編集。星野源の「YELLOW MAGAZINE」に創刊から携わる。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥

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