世界難民の日でもあった6月20日夜、『君とまた、あの場所へ シリア難民の明日』(新潮社刊)を発表したばかりのフォトジャーナリスト・安田菜津紀さんをお招きして、トークイベントを行いました。30人強のお客様の前で、安田さんはシリアおよびイラクで撮影してきた最新の写真の数々をスクリーンに映しながら、「あの場所」へ通いつづける意味、伝える仕事の醍醐味と、一方でそれに伴う悩みなどを率直に語ってくださいました。

撮影・考える人編集部

 あるきっかけから、シリアに避難していたイラク人の少年アリと知り合い、内戦前のシリアを訪れた安田さんは、その濃密な人間関係に魅了されます。見ず知らずの日本人女性に手をさしのべる親切はまるで「迫ってくるようなやさしさ」だと。だからこそ、人口の半数近くが国外に逃れ、多くがその途上で命を落としていった内戦の悲劇が、安田さんには具体的に顔を知る人々の痛みとなって突き刺さります。内戦前の光溢れる美しい首都ダマスカスの町並みを記憶しているだけに、いっそう痛みは鋭いものとなるのです。

 シリアの人々が逃れた隣国ヨルダンの難民キャンプや、IS(過激派組織「イスラム国」)の恐怖から逃れイラクのクルド人地域に身を寄せる国内避難民を取材した様子を語りながら、安田さんはIS兵士に連れ去られ暴力を受けた少女の後ろ姿を撮影したときの苦しい胸のうちを語ってくれました。医療従事者のように直接彼女を助けられるわけではない。写真を撮ることで何ができるのか? 自問するなかで、人道援助活動をする人からかけられた「役割分担なのだから、安田さんは伝える仕事をすればいい」という言葉。これに支えられながら、それでもなお拭いきることのできない「うしろめたい」と思う気持ちから逃げてはいけない。安田さんはそんな覚悟を語ってくれました。「あの場所」へ通い続けるのは、自分に多くのものを与えてくれる難民や避難民の人たちへの「お返し」なのだ、とも。

 去年の夏、宮城県の小学生にシリアの写真を見せて話をした際、低学年の子供から「どうしてこんなきれいなところを壊したの?」と聞かれて答えに詰まったという安田さん。「どうしてだろうね。一緒に考えようね。考えつづけることを止めずにいようね」と語りかけたといいます。争いや憎しみの応酬に終止符を打つのは容易ではありません。でも、あきらめてはいけない。安田さんはそう力強く語ってくれました。