(前回の続き)
役に立ちたいという気持ちは私も持っています。それは大切なことだから。一方で、「役立ちたい」だけでは片付かないところも出てきます。そういうとき、友達だから、隣人だから、と思えば自然に手はでてくると思います。
では、どういうときに「助ける」「助けられる」の立場ができるかというと、基本は優位な立場にある人、大人と子供、健常者と障害者、高齢者と若者といった関係性の中で、優位にある人が進んで手をさしのべる。男女平等なのに、どうして男が席を譲らなきゃいけないんだ、という人がいます。もちろん、か弱い草食系男子と筋肉もりもり女子レスラーがいたとしたら、女子が立ってもいいけれど、ふつうは男性の方が体力的に優っていることが多いわけだから、現実の対応として譲っていいと思います。ジェントルマンだからというより、それが成熟した思いやりだから。ですから、私が松葉杖の方に席を譲ることもあれば、外国人に道を聞かれたら答える。そういうことなんですね。
最後に、私たちが暮らすうえで、幸せの基準、暖かさの基準についてお話ししたいと思います。よく、健康で五体満足がありがたいといいます。たしかに健康の方がいいでしょう。五体満足がいいでしょうし、ありがたいことだというのは間違いではないと思います。ただ、それを幸福の基準にしてしまうと、そうじゃない人、たとえば私は生まれない方が良かったのか、ということになります。そうではないと私は思います。どんな状況にあっても、楽しく生きて、楽しく働けて、楽しく遊べること、それが本当にありがたいことではないかと思うのです。
たとえば私の例でいうなら、見えないことで失ったことはたくさんあるし、損だなと思うことはいっぱいあるし、悔しいと思うことも毎日あります。でもそのなかでも、会社に行けば毎日の体調も含めてみんなが見守り、一緒に働いてくれる。歩数計つけて、ちょっと散歩に行こうよ、と連れ出してくれる友達がいる。パソコンで困ったら言ってね、と声をかけてくれる友達がいる。そういうことがありがたい。私は見えなくて、すごく悔しくて嫌だと思ったことはあるけれど、不幸だと思ったことはない。幸福だと思っています。目が見えても同じくらい幸福だったでしょう。幸福度は障害の有無では変わらないのです。
みなさんがこれから誰かを助けようと思ったときのヒントをふたつお話しさせてください。キリストの言葉です。何をして欲しいのか、自分がして欲しいことをしなさい。これは、見えない人の目を見えるようにしたときの話です。訊くまでもなく、見える方がいいに決まってるじゃないと思うかもしれませんが、イエスはあえて「あなたは何をして欲しいか」と聞きました。もしかしたら、見えることよりも座頭市並みの能力を希望するかもしれない。つまり相手の求めを全面的に尊重するということです。
もう一つは自分がして欲しいようにする。何をして欲しいかは人によって違うので、コミュニケーションが必要ですが、一方的に良かれと思うことを決めないで、相手がして欲しいことを考える。聖書は2000年読まれるだけのことはあるなあと思うので、ご紹介しました。駆け足でしたが、今日はありがとうございました。これからも一緒にすてきな社会を築いていけたらと思います。
最後に質疑応答を行いました。
――信号はどうですか? 怖いだろうなと思いながら私もなかなか声をかけられない一人なんですが。
(三宮さん)信号は駅のホームと並んで怖いところです。赤青の判断は十字路であればある程度できる。ただ、いまスクランブルとか三叉路、五叉路、あるいは時差信号とかいろんな種類があって、音だけでは誰がどこに向っているのか判断できないんですね。母校・上智大学の前もそうなんですけど、信号が赤でも車が来ないと人が渡るので、人が渡っているから青かなと思うと真っ赤だったりします。声をかけていただけるのがありがたいです。「一緒に行きましょう」でも、「いま、青になりましたよ」でも十分です。ぜひ声かけをお願いします。
――介助を必要としているのかしていないのか、状況をどう見極めたらいいですか?
(三宮さん)基本的には常に必要としていると考えてください。できないから必要というより、できればさらに安全ということも含めて介助は絶対にあった方がいいと思います。声をかけるのを躊躇しないでください、というのはそういうことです。ただし、タイミングと状況によっては、自分で歩いた方がいいという場合だけお断りすることがあります。そのときは必要がないということなのですが、その見極めは私たちにさせて欲しいのです。お節介かしら? お節介かどうかもこちらが判断するので任せていただきたいです(笑)。
――好きな音と嫌いな音を教えてください。
(三宮さん)好きな音は鳥のさえずりです。本を読まれた方はご存じかもしれませんが、私は250種類の小鳥の声を記憶していて、ライブで聞いているのは130種類くらいです。最新では、ヤンバルクイナをライブで聞いて感動しました。しかもレンジャーさんより先に聞き取って感動しました。ちょっとここでウグイスの鳴きわけを。ホーホケキョは何種類あると思いますか? 高音、中音、下げ音。ウグイスの三つ音といいます。やってみますね。江戸家小鳥です(笑)。もうひとつ、黒ツグミという私の好きな鳥がいます。5月くらいに聞かれます。ヒバリの真似は息が苦しいです。こういうことをやりながら私は新緑を楽しんでいます。
嫌いな音はいっぱいあるんですけど、電車のブレーキ。ゴキブリの音。危険とつながるので嫌いな音の方が多いです。ビニール袋の音が嫌いです。まわりの音をマスキングしてしまうんです。
――(編集部)三宮さん、ありがとうございました。
(終わり)
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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