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2017年10月22日(日)「うさぎ飲み! 特別公開対談」(於A Day In The Life・新宿2丁目)にて

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中村 もう一つお伺いしたかったのは、近親姦についてです。ヨーロッパ貴族などは近親婚に近親婚を重ねていますよね。ハプスブルク家などは、我々は選ばれた一族で、青い血が流れてると言う。そんなわけはないのですが、ともあれその血を汚さないように血族結婚を繰り返すうちに、遺伝的に問題のある子どもが産まれるようになった。財産を分散させず、血筋を受け継がせるためには、近親婚に走りがちですが、遺伝的な面から血が濃すぎる婚姻は、現代ではタブーとされています。昔はどうだったんでしょうか。

大塚 日本書紀の時代でも、同母きょうだい婚はダメですね。同母妹と通じたことで、皇太子だった兄は廃太子となったという伝承が残っています。けれども同父でも異母姉妹なら大丈夫です。仁徳天皇は異母姉妹を複数、妻にしていまね。

中村 「腹」が違えば大丈夫なんですね。

大塚 まさに「腹」が大事なんです。

中村 叔父姪、いとこ婚は大丈夫なんでしょうか。

大塚 叔父、伯父と姪の婚姻は全然よかったんです。いとこ婚は昔も大丈夫ですし、今も許されているのではないかと。

中村 そういえば菅直人さんも、夫人はいとこなんだそうで、法的にはOKなんですね。ただ、近親婚が、現代に近づくにつれて、より厳しい視線を浴びるようになったのは、一つは遺伝的な問題もあるでしょうけど…。

大塚 「家族」に対する意識が変わってきたというのもあるでしょうね。

中村 この本でもう一つ印象的だったのは「家族ほどエロいものはない」という一文です。貴族が近親姦だらけの系図を示した章ですが、しかし私自身は家族、たとえば父親に対してそんな気持ちを抱いたことは一分たりともなく、家族ってエロい? とちょっと疑問で。

大塚 家族ほどエロくてグロいものはないと思います。尼崎の角田美代子事件も、本当に怖い事件でしたけど、あれは全部相手を「家族」にしちゃうことで「民事不介入」にもっていってるんですよね。

中村 家族はグロい、とは思いますけどね。大塚さんにとってはエロいものでもあるんですね。

大塚 人によっては家族はエロいものであると。光源氏も養女に手を出しますよね。

中村 若紫ですね。幼女の時に誘拐してきて、育ったら襲って、今ならすごい事件だ(笑)。

大塚 ええ、それだけではなく玉鬘も養女に迎えた後、ものすごいセクハラ三昧されていますし、六条御息所の娘も、養女にしてから口説いてる。源氏にとって、家族はそういう相手なんですね。

中村 娘とやる親父。

大塚 最愛の人の藤壺も継母です。若紫は、10歳で光源氏に拉致されて、14歳でやられてますから、今なら立派な虐待です。それまでにも下着一枚にされて…といったセクハラは受けていますが。

中村 そんなシーンが!?

大塚 あったんですよ(笑)。平安朝って、そういう事件が割合多かったんじゃないかと思います。

中村 でも若紫も、やられた後で、蒲団をかぶって朝なかなか起きてこなくて「まさかこんなことをされるとは思わなかった」と言ったりしますよね。でも結局、妻になって、光源氏を愛しているようにも見受けられる。今なら「拉致、監禁されて養女にされた挙げ句にレイプされた、絶対に許さない」となるのに、当時としては珍しくもないからなのか、何回かやってるうちに情が移ったのか。

大塚 若紫、長じて紫の上は「さいわい人」と呼ばれるんですね。外腹(正妻以外の女から生まれること)の娘である上、母も死に、継母と同居する父に引き取られる寸前、天下人の光源氏に救われ愛された幸運な人だと。でも、紫式部はそれを「幸い」だとは思っていなかったのではないか。当初、そんなふうに書いたことを、後悔していたのではないか。だからこそ宇治十帖で、浮舟という女性を描いたのではないかと私は思っています。『源氏物語』の特徴は、似たようなタイプの人や、同じようなシチュエーションを繰り返し書きながら、テーマが深まっていくところにあります。若紫と同じく浮舟も、高貴な人にさらわれるようにして、愛玩されるものの、最後は薫(光源氏の息子。実父は柏木)からの手紙にも「人違いでは」と、すげなくしている。

中村 当時としては、高貴な人に身分が下の人間がさらわれても、文句がいえるような状況ではなかった、むしろ「有り難がれ」的な空気があった?

大塚 おそらくは。でも紫式部はそういうことや、身分にまつわる理不尽なあれこれを、よしとしたくはなかったのでしょう。紫式部は「人数ひとかず にも入らぬ身」という言葉を随分使っています。ようは人間扱いされてない、中流階級の恨みです。それに非常に自覚的でした。
 紫の上も、光源氏の正妻として扱われるまでに「出世」したものの、ずーっと何かを抱えたまま生きてきた。それが高貴な出自の女三宮の登場で、彼女に正妻格を奪われることになってしまい、自分の人生は何だったんだろうと思うようになった。むしろ紫の上に、そう思わせるために、紫式部は女三宮を登場させたんでしょう。紫式部は中流貴族としてプライドが高いけれども、一方で道長の「召人めしうど 」、女房として仕えながらセックスの相手もする存在だったことが、最近の研究では分かってきています。

中村 愛人、ですらないわけですね。セフレだと対等な感じになるから、それも違う。

大塚 はい、召使いですから。人数ひとかず にも入らぬ身、それが辛いというのが紫式部日記にもよく出てきます。紫式部は当時、女性でありながら、いろんな漢籍の素養を身につけ、かつ父親の赴任について行くことで、地方生活も経験しています。複眼的な視野を持っていたからでしょう。

中村 視野の広い人だったのか。紫式部の視点は、当時としては新しかったんでしょうね。

大塚 ラディカルですよね。

中村 清少納言はどうだったんでしょう。

大塚 清少納言はくせ者ですからねえ…『枕草子』にしても、既に定子は亡くなって、没落していく中で書かれているのに、いいことしか書いていないでしょう。それから、清少納言の方が、紫式部よりも身分が低かったですから、わりと素直に「定子さまはこんなに素晴らしかった」という視点を持ち続けていられた気がします。紫式部の先祖は、かなりの上流階級ですから、雇い主に対して、そう素直な目ではいられなかったんでしょうね。

中村 『枕草子』って自慢ばっかりじゃないですか。私はこんな気の利いた歌を詠んだわ、みたいな。

大塚 紫式部も自慢してますよ。『紫式部日記』には「自分は漢字のいちすら人前では書かないようにして、御屏風の文章さえ読めないふりをしている」などと書かれています。

中村 何それ! 嫌な女ですね!

大塚 清少納言に対しても「清少納言こそ したり顔にいみじうはべりける人 さばかりさかしだち 真名書き散らしてはべるほども よく見れば まだいと足らぬこと多かり」と、漢字を書き散らしてエラそーにしてるけど、私から見れば未熟よ、と言っています。道長から誘われたけど、断ってやったわよという自慢も日記にはみられます。実は最後まで断り通してはいなかったのでしょうが。
当時の女房は、丁々発止のやりとりを交わすのが当たり前でしたが、それは個々の男女の関係のみならず、雇い主の、いわば代理戦争をしていた面があります。
 天皇を惹きつけたお洒落サロンの亡き女主人・定子を喧伝するために清少納言は『枕草子』を書き、一方で紫式部は、藤原道長の娘である彰子のサロンにスカウトされて、藤原公任も私を「若紫」と呼ぶわと自慢しながら、天皇や当代一の貴公子も『源氏物語』を読んでいることをアピールするわけです。

中村 「どや!」と。そうやって女御のサロンで競い合う女房たちが、女流作家となっていったわけですが、それが時代を追うごとになぜか消滅してしまいますよね。

大塚 そうなんです。鎌倉時代は『十六夜日記』の阿仏尼が、かろうじているぐらいで、以降はとんと女流作家は姿を現さなくなります。

書籍紹介

女系図でみる驚きの日本史

大塚ひかり/著

2017/9/15発売

大塚ひかり

1961年生まれ。早稲田大学第一文学部日本史学専攻卒。個人全訳『源氏物語』、『ブス論』『本当はひどかった昔の日本』『昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか』『本当はエロかった昔の日本』『日本の古典はエロが9割』等、著書多数。

中村うさぎ

1958年、福岡県生まれ。同志社大学卒業。OLやコピーライターなどを経て小説家デビュー。壮絶な買い物依存症の日々を赤裸々に描いた週刊誌の連載コラム「ショッピングの女王」がブレイクする。『女という病』『私という病』『愛という病』『セックス放浪記』『狂人失格』(以上単著)『うさぎとマツコの往復書簡』(マツコ・デラックス氏との共著)『死を笑う うさぎとまさると生と死と』(佐藤優氏との共著)、『エッチなお仕事 なぜいけないの?』など著書多数。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

大塚ひかり

1961年生まれ。早稲田大学第一文学部日本史学専攻卒。個人全訳『源氏物語』、『ブス論』『本当はひどかった昔の日本』『昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか』『本当はエロかった昔の日本』『日本の古典はエロが9割』等、著書多数。

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中村うさぎ

1958年、福岡県生まれ。同志社大学卒業。OLやコピーライターなどを経て小説家デビュー。壮絶な買い物依存症の日々を赤裸々に描いた週刊誌の連載コラム「ショッピングの女王」がブレイクする。『女という病』『私という病』『愛という病』『セックス放浪記』『狂人失格』(以上単著)『うさぎとマツコの往復書簡』(マツコ・デラックス氏との共著)『死を笑う うさぎとまさると生と死と』(佐藤優氏との共著)、『エッチなお仕事 なぜいけないの?』など著書多数。

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