先週、妻と二人で渋谷のグローカルカフェ三修社という語学出版社がやっているカフェで、物凄い数の辞書が置いてあったりする)を訪れた。アメリカで製作された『Most Likely to Succeed』(新たな成功への道)という教育ドキュメンタリー映画の上映会があったのだ。その映画がかなり衝撃的だったので、その感想を書こうと思う。
 私はYES International Schoolという、AI時代を見据えた先進グローバル教育を実践するフリースクールをやっている。だが、これまで、保護者のみなさんや専任講師に、「なぜ、既存の学校の教育ではダメなのか」を説明し、納得してもらうのに四苦八苦してきた。
 ほとんどの人は、過去も未来も見ていない。今を生きるのに精一杯で、100年前のことや、15年先のことなど考える暇などない。だから、いくら私が「会社に入るのがあたりまえになったのは、この100年ちょっとだけ。江戸時代には、ほんの一部の武士階級を除いて、宮仕えしている人なんてほとんどいなかった」とか、「座学で板書をする授業も、産業革命以降のこと。それは、第四次産業革命の到来とともに無意味になる」などと、口を酸っぱくして力説しても、99.9%の人は、聞く耳を持たない。馬耳東風。暖簾に腕押し。私は、まるで自分が、「空が墜ちてくるぞ!」と叫び続けている「杞憂」の主人公になったような気分だったのだ。

 夜19時から始まった上映会は、映画本編の上映が90分。15分の休憩を挟んで、グループディスカッションと総括が60分。上映会当日は、仕事の疲れもあり、少々、気乗りしなかったのだが、すでに一回、上映会に参加していた妻から「この映画の説得力は並大抵のものじゃないわよ。一度は見ないとダメ!」と叱咤激励され、しぶしぶ会場のカフェに足を運んだのだった。
 妻の意見は全く正しかった。
 90分の映画は、時速500キロくらいの体感速度で、あっという間に終わった。これまで、無数の映画を観てきたし、教育を扱ったものにも多数触れてきたが、これほど(良い意味で)危機感を煽り、客観的にエビデンスを紹介し、説得力に満ちた映画を観たことがない。
 正直、活字で危機感や未来展望を語っている自分の「伝達力」の限界を痛感しましたよ(ま、竹内薫の文章が拙いというだけなんですけどね〜)。

 映画の冒頭で、主に二つのメッセージが伝えられる。
 まず第一に、せっかく受験を突破して大学を卒業したのに、低賃金しかもらえない中産階級の人々が激増しつつある事実。アメリカ全体の富は増え続けているにもかかわらず、まじめな中産階級の収入の下落傾向に歯止めがかからない。これは、第四次産業革命が原因で、暗記型・パターン思考で訓練された人々が、社会から必要とされなくなりつつある兆候だ。読み書き算盤(=パソコン)のスキルを身につけ、膨大な知識を暗記し、過去問のパターンを習得して受験を突破した人々の「血のにじむような努力の行く末」としては、あまりにも悲惨ではあるまいか。だが、それが、紛れもない現実なのだ。
 念のため言っておくと、日本はアメリカより10年遅れで社会変革が起きる傾向があると私は考えている。その「法則」からすると、受験地獄を突破して大学の卒業証書を手にした人々が日本社会から脱落し始めるのは、東京オリンピック後になると予測される。だから、アメリカの中産階級はすでに尻に火が付いているが、日本の大多数の人々は迫り来る破局にまだ気づいていない。
 もう一つのメッセージは、「古い教育の起源」だ。現在、あたりまえと思われている教育形式は、およそ200年前にプロシア(プロイセン)で発明された。命令を忠実に実行できる、平均的な理解力のある兵士を大量生産し、屈強な軍隊を作るのが目的だった。結果的にプロシアはドイツを統一し、その後の世界史は、みなさんご存じのとおりだ。この教育メソッドの「利点」に気づいた資本家たちは、第一次・第二次産業革命で必要とされる「工場の従業員」と、ミスのない事務作業を実行する「会社員」を大量に養成するためにプロシア方式を採用することにした。それが、ここ120年ちょっとの世界の標準的な教育というわけだ。
 この教育の特徴をまとめてみよう。まず、均一な「教え方」を習得した教師を大量生産する。そして、効率よく何十人もの生徒が机を並べて学習できる教室のある校舎を建てる。それから、学年別、科目別の均一な教科書を作り、教師がそれを使って教えるための「あんちょこ」も整備する。教室には大きな黒板とチョークを置き、教師は教科書の内容を板書し、生徒は黙々とそれを写してドリルをやって暗記する。定期的に学力テストがおこなわれ、教科書の内容が暗記されているかどうかをチェックする。中学、高校、大学の入試システムを整備し、教科書に書いてあった「パターン」を一番忠実に再現できる能力を持った生徒だけが高い学歴を得て、一生、資本家の「番頭」として命令指揮をする…。
 要は、暗記を基本とした、長大なパターン学習であり、習得すべきスキルは全て国家が決めるのだ。
 だが、この教育システムの「成功者」たちは、エレクトロニクスとコンピュータに代表される第三次産業革命の中頃から、徐々に没落し始める。それが、受験を突破して有名大学を出ても、賃金が減り続けるというパラドックスなのだ。
 パラドックスといっても、その原因は明白だ。第三次から第四次産業革命の進行とともに、単純なパターンの仕事は高性能なソフトウェア、さらにはAIが代替するようになってゆく。ポンコツ自動機械と化した有名大卒の中産階級が習得したスキルは、もはや社会から必要とされなくなりつつある。
 では、AI時代に必要とされるスキルはなんなのか。生き残れるスキルを身につけるための新しい教育とはなんなのか。それを実践しているのが、『Most Likely to Succeed』で紹介されるアメリカのハイテックハイスクールだ。(続く)