『Most Likely to Succeed』(新たな成功への道)という教育ドキュメンタリー映画についての続きである。
 ネタバレになってしまうので(DVDも出ていることだし)、詳しくは映画をご覧いただくとして、その教育の特色を簡単にまとめてみよう。それは、プロシア方式へのアンチテーゼである。対比してみよう。

プロシア方式 プロジェクト方式
終身雇用の専任講師 一年雇用(外部から毎年応募)
暗記型 探究型
教科書あり 教科書なし
科目別 科目融合
テストあり テストなし
成績表あり 成績表なし
プロジェクト発表なし プロジェクト発表あり

 

 これでは、なんのことやらわからないが、要は、ひたすら座学で教科書を暗記して、テストの成績だけで評価するのがプロシア方式で、その最たるものが、中国の「科挙」の要素をもミックスした日本式の教育システムなのだ。
 それに対して、ハイテックハイスクールや世界中の先進的な学校で採り入れられつつあるのが、プロジェクト学習だ。科目の境界はあいまいになり、個人ではなくチームでプロジェクトを遂行し、先生は「教える」ことをやめる(アドバイスはする)。例えば社会科の産業革命史のプロジェクトでは歯車装置で産業革命のなんたるかをプレゼンする。そうなると歴史だけでなく、物理学や数学やエンジニアリングの知識や技能を習得しないと発表日に間に合わなくなる。生徒は自発的に「探究」の旅を続けることになる。そして学習の評価は、年に一度(あるいは数度)の発表会で行われる。そこには、保護者だけでなく、地域の一般のお客さんが大勢来るのだ。
 実を言えば、これは、活気のある会社、特にベンチャー企業や社内ベンチャーで普通に実行されている仕事の形態だ。数名から10名くらいのプロジェクトチームがチームリーダーに統率され、専門家や顧問のアドバイスを受けながら長い時間をかけてプロジェクトを完成させ、顧客に発表して販売する。
 AIとロボットが人間の仕事の半分を代替するようになったら、学生時代から、実社会で必要とされる「ソフトスキル」を身につけていかなければ、生き残ることができない。第四次産業革命では、人間に「創造的」な発想と仕事が求められるのだ。
 これまでも有名大卒のガリ勉君が、会社に入ったとたんに「仕事のできないお荷物」になってしまう例は無数に目撃されてきた。彼ら、彼女らは、これまでは、陰口を叩かれながらもなんとか生き残ってきたが、これからは絶滅するしかない。彼ら、彼女らの一部は、社会に出てからようやく創造的スキルやチームでプロジェクトを遂行するスキルがないことに気づいて、進化することで生き残ってきたのだ。
 そうやって考えてみると、新しい教育は、創造的なソフトスキルを前倒しで身につけるだけのことだとも言える。
 私がやっているフリースクールでもそうだが、『Most Likely to Succeed』でも、保護者の心配の声が多く聞かれる(竹内節で脚色しましたが…)。

「先生は有名大卒だから、そんな悠長なことを言ってられるんじゃないの? 子どもたちに今必要なのは受験突破! それから創造性を身につけても遅くないじゃん」

「教科書もテストもなくて、子どもが無知なまま、訳の分からないプロジェクトに専念していて大丈夫なのかぁ? 心配、心配、心配!」

 このような懸念はもっともだ。しかし、ハイテックハイスクールの試みは、暫定的にではあるが、成功しつつあるように見える。この学校は抽選制なので、平均的な高校と同じような生徒の構成になっている。親が特に金持ちだったり、親の職業が弁護士や医者や大学教授に偏っているわけでもない。それなのに、卒業生の98%が大学に進学している。アメリカ全土の大学進学率は74%にとどまるというのにだ。
 一つのプロジェクトを深掘りする過程で、生徒たちは、「探究」を続け、多くの知識を身につける。その知識は、意味も分からず丸暗記した知識と違って、プロジェクト遂行の必要性から生まれた、有機的なつながりのある知識、いいかえると「知恵」なので、生徒たちは一生、忘れることがない。暗記型の知識が、テストや受験の後、ほとんど忘れられてしまうという統計があるが、プロジェクトで得た知恵は、血となり肉となる。
 よく、「三角関数の公式なんて社会に出たら役に立たなかった」というような台詞を耳にするが、それは、公式を丸暗記して、知恵にまで昇華しなかったからだと私は思う。プロジェクト学習で三角関数を必要とした生徒は、その後の人生で、何十回、何百回と三角関数の公式を駆使して生きていくことができる。それは、ゲームのプログラムを作成するとき、主人公を回転させるのに必要となるし、建築や設計にも使えるし、自分の子どもに勉強を教えていて、正多角形を描かせるときにも活躍する。
 プロジェクト学習は、知識を有機的なネットワークへと昇華させるための教育の枠組みなのだ。探究がバラバラな知識をつなげる「糊」であるならば、プロジェクトは一人では遂行できない仕事をチームで完成させるという意味で、人間と人間の絆を作り上げるための「糊」なのだ。
 AIで世界が変わりつつある。世界中の大企業が必死の形相でテクノロジーの波に乗り遅れまいとAI開発に鎬を削っている。そして、数年後に社会に出るハイテックハイスクールの生徒たちは、すでにAI社会で生き残り、活躍するための新しい教育を受けている。
 この新しい教育の流れは、やがて、世界中に波及するだろう。初等教育では、考える道具である「言語」の習得があるので、プロジェクト学習とのバランスが必要だが…。いつ、どのようにして、この流れに乗るべきか。答えはシンプルだ。「いますぐ」。お受験という名の100年前の教育システムの残滓に子どもを放り込むか、それとも、世界の趨勢を見極め、AI時代に最適な教育を子どもに授けるか。それが、あなたのお子さんやお孫さんの運命の分かれ目なのだ。