橋本治の本を買った店をすべて記憶している。――ことに気がついて驚いた。正直もの覚えの悪い人間で、ほかの作家、たとえば同じくらい大きな影響を受けた中井英夫についてもそうかといえばちっともそんなことはないので、やはりわたしにとって橋本治というひとは特別なもの書きだったといえよう。
 出会いはマンガを文学として読み解いた評論集『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』。京都の河原町御池バス停前にあった「ふたば書房」だった。映画館帰りのたそがれは逢魔の時間。あった場所まで記憶している。店内一番奥の書架、右から二枚目の棚の下から二段目、中央よりに前後篇の二冊が並んでいた。「ああ、橋本治かあ」と手に取った。漫画評論雑誌『ぱふ』(当時は『だっくす』)で不思議なパロディ漫画を描く人としてすでに認知してはいた。「へー、こんなのも書くんだ」。
 いわゆる少女漫画マニアだったわたしの琴線を大島弓子の表紙は激しくかき鳴らした。しかしまだ高校生で財力には限りがあったため二冊を見比べ後篇の絵を選んだ。その晩のうちに読了。最後の大島弓子論「ハッピィエンドの女王」はただただ胸を打ち、わたしは子どものように泣いた。「ああそうか。だからこんなに大島弓子が好きだったのか」とはじめて理解した。
 大島作品が愛を以て論じられると同時に、大島の愛読者心理までもが愛を以て論じられる一冊。いま思えば、あんなに泣けたのは自分のことをひっくるめて理解してもらえた気がしたからなんだろうな。橋本治って【愛の人】なんだな。そんなことを考えながら翌日学校帰りに前篇を購入しにいった。
 あれは79年だったから以来40年間、橋本治には世話になり続けた。健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬ってきた。あと10年くらいはより添う気満々だったのに……。

 


 単行本としては先に出ていた『桃尻娘』を購入したのはキンピラゴボウショックのあと。もしかしたら出ているのは知っていたかもしれない。けれど出版とほぼ同時にロマンポルノのにっかつで映画化されたため〝そういう〟作品だと勝手に解釈して買っていなかった可能性もある。セックスとは無縁のセーシュンを送っていたので、セックスするひとたちの物語も無縁だろうと無視していたのね。たぶん。
 実家の近所の行きつけだった「西陣書院」。それは新刊書架にあった。ヒット作にもかかわらず天辺近くにひっそりと挿してあったので、やはり店員さんも〝そういう〟作品だと勘違いしていたのかもしれない。ポップで派手な表紙に気圧されつつもレジに持って行った。のちにこのシリーズの表紙は、さべあのま(文庫は高野文子)が描くことになるので橋本本人も違和感があったのだろう。しかしページを開いてみれば表紙なんてどうでもよくなるくらいすごかった。
 これは後年、自分が文章を書くようになってから安堵にも似た感覚を覚えたことだけれど、出版されてからさほど時差なく本書を読めて本当によかった。というのも登場人物たちがわたしと同い年だったから。同時代人という言葉があるけれど、それを聞いてわたしが誰よりも先に思い浮かべるのが主人公の榊原玲奈であり、おかまのゲンちゃんこと木川田源一であり、温州蜜柑姫・醒井涼子であり、滝上センパァァァイなのだ。
 どうして人と上手くつきあえないんだろう、どうして人が好きというものが好きになれないんだろう、どうして自分の好きなものが好きだといってもらえないんだろうと悶々としていた受験生の前に、橋本治は造物主のように出現してわたしとおなじように悶々とする等身大の同世代人を与えてくれた。彼らの存在がどれほどわたしを救済してくれたか計り知れない。
 この世界に存在することを許された気さえした。
 以来、橋本治の著書は90年代半ばに渡英するまですべてをリアルタイムで読んでいるはずだ。唯一の例外が『男の編み物、橋本治の手トリ足トリ』で、赤バイエルを終えるのに3年かかった圧倒的に指先がぶきっちょなわたしには絶対に無理だろうとハナから諦めてしまった。けれど読む本はすべて読書の愉悦に満ちていた。刺激的で示唆に富んでいた。
 『蓮と刀――どうして男は“男”をこわがるのか』とか、スゲエと感動したな。大学時代の末期に「丸善」の丸の内本店で見つけた。わたしはとっくにカムアウトしていたし同性愛者であることに悩んだことがなかったが、あの時代にゲイ雑誌『男と男の抒情誌――さぶ』の出会い系通信欄をお笑いとしてではなく読解しようとする試みはちょっと例がなかった。
 章の結びにある投稿者の「なんでみんな理想の高いことばかり言ってるの? 俺なんか普通の人でいいよ!」という切実な叫びを引用した橋本。彼の元に走っていって握手を求めたい気持ちになった。ありがとうございますとお礼を述べたくて仕方がなかった。おそらくは現在でも本書以上にゲイの普遍性を端的に親切に物語った評論集は類書がない。
 【親切】はシンプルな表現ではあるけれど、橋本治の仕事を論評するうえで忘れてはならないファクターだろう。わたしはとうとう最後までご本人と会う機会がなかったし、積極的に会おうとしたこともない。それどころかセッティングをお断りしたことすらある。とにかく彼の書く時間を邪魔したくなかったのが最大の理由だ。著作を通じてこれだけ親身に親切にしていただいたら、もうそれよりは望むべくものはない。
 小説もふくめてあらゆる書籍において読者に対して真摯であり続けた橋本治の親切がもっとも凝縮されているのは『親子の世紀末人生相談』だろう。大学を卒業してアパレル会社に勤めて二年目、身も心もくたくた時代だった。東京出張が多くて、友人になっていた吉野朔実とごはんにいくのだけが楽しみ。待ち合わせは時間つぶしが利くという理由で新宿の紀伊國屋書店前が多かった。
 ありがちに早く着きすぎた日、エスカレータを昇ってすぐの左手にあった書架で平積みになっているのを発見した。しかもサイン本。買わない選択肢はなかった。
 吉野さんは30分ほど遅れて平身低頭でやってきたが、このときほど待つのが苦にならなかったことはない。というか、その夜はきっといつもに輪をかけてわたしは上の空だったろう。何を食べたとか、何を喋ったとか、何を着ていたとか、ひとつも覚えていないのに、平積みになっていた世紀末人生相談の風情だけがありありといまも瞼に思い浮かべられる。
 そうか。橋本治の本はあまりに読後の印象が強烈で、しかも間髪入れず読み始め、読了まで最短コースを選ぶのが常だから、少し時間を遡って本を買うところからシチュエーションが鷲掴みされてしまうのだな。
 かつて雑誌のリレーエッセイで「橋本治の10冊」(本の雑誌社『この作家この10冊』収録)を選んだことがあるけれど、もし「橋本治の1冊」を選ぶなら、わたしはこれを挙げる。悩みのエンサイクロペディアと銘打たれた本書は、もう、親切の波状攻撃! 現代社会にはびこる今日的コンテンポラリーな懊悩を余さず網羅して見事に解決の糸口を示すことに成功している。
 普通、人間はどんなにいい人でも、見ず知らずの、それもときには無礼極まりない他人にこんなには親切になれない。橋本は容赦なく斬って捨てるときも、怒りに任せてではなく、切って捨てることが解決の糸口になろうという場合にだけ鋭く刃を閃かせる。
 しばしば教師の暴力は是か非かなんて問題が世間を騒がせるけれど、この本を読むと解る。物理的な痛みなんかになにが解決できようか。知性だよ! 愛と親切に裏打ちされた知性だけが救済をもたらすのよ。
 知性というのは「自分で考える力」で、橋本は一貫して「自分で考えるようになりなさい」と回答している。「でないと悩みはなくなんないから」と。でも相談者は真っ暗闇だか五里霧中だかのなかにいて「自分で考える力」の在処がわからなくなっている。あるいは、それがどんなものであったかすら思い出せないでいる。そんなひとりひとりに噛んで含めるように詳しく、ときには手を取って向かうべき道を説いてくれるのが本書。
 悩みのNo3、作家志望の彼と結婚したい女性に示された回答にある「現代じゃそんな〝純粋な小説家〟は必要ではない」という一節や、No93 橋本治の秘書になりたいという女性へ向けての「こう見えても私は、仕事に命を賭けてる人間ですからね」という意思の表明など、わたしのもの書きとして生きてゆく作法のようなものを本当にたくさん教わった。
 なかんずくNo52 (医学的に)無責任な解答は慎むべきだという「ご意見」に対しての「こわいことに、私は、物書きであることに関しても専門家じゃないしね」「私の発言なんか、一切根拠がなく無責任で」「でも私はたった一つ、無責任であっても真実だという、そのことがほしい」という啖呵はそのまんまわたしの啖呵になっている。
「でも私は、自分が無責任であるっていう立場だけは崩したくないですね。だって俺は、どこにも属していないんだもん」
 わたしがどんなに茶を愛しても茶道を習おうとしないのも、もの書きとして以外の仕事のオファーがきてもそれを受けようとはしないのも、平気で右も左も敵に回しちゃう発言をしちゃうのも、宗教や思想のドグマを嫌うのも、どこかに属することを潔しとしないから。それはわたしが橋本治から教わったもの書きの矜恃。もの書きとしてあり得べき態度だ。
 遺書、というか遺言的な捉え方で語られることも多い『思いつきで世界は進む』は読みはじめてテクスチュアが『親子の世紀末人生相談』に似ている気がした。時事問題がおもに取り上げられているエッセイだけれど、いわば〝今を生きる〟――これも橋本治から貰ったわたしの人生の標題――まともな日本人みんなにとっての人生相談といえなくもない。人々が頭を抱えている事件や事故の真原因やわけのわからなさの核心を40年前からいささかも鈍らない知性の白刃でずばずば露呈させてゆく。
 何か引用しようと付箋をつけていったら、ほぼ毎ページに貼ることになって意味をなさなくなってしまった(笑)。最初のポストイットは頭から二番目にあるp6「『バカ』という抑止力」なる一文の上に。無知蒙昧にすぎないものを「おバカ」と呼んで表現を和らげてしまうせいで社会的に認知されたと勘違いした馬鹿がどんどん増殖してゆく状況への警鐘が書かれている。
 わたし自身はただ配慮のない不躾な連中を【天然】という呼び名で面白がる風潮について、ほぼ相似形の観察と分析をしていたので橋本治に教わってきたことは無駄ではなかったと嬉しくなった。『蓮と刀』のときみたいに走りよって握手を求めたい気分になったけれど、もうそれが叶うことはない。ならばやっぱり直に会えなくて正解だったのかも。辛くなるものね。
 わたしの好きな映画に「ドナウ川が青く見えるのは恋をしている人だけ」という台詞がでてくる。彼の訃報が届いたとき、ふと思い出した。「ドナウ川が青く見えるのは橋本治を読んだ人だけ」と呟いてみた。
 ハシモト先生さようなら。