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御つくりおき――京都のひととモノとのつきあいかた――

2019年6月26日 御つくりおき――京都のひととモノとのつきあいかた――

25 丹波の作陶家、前野直史くんにスリップウェアの八寸皿を焼いていただく

著者: 入江敦彦

 ツレがめでたく年金を総額受給され、すべての老人福祉サービスを受けられる65歳を迎えました。ちょっとお祝いしたい気分ではありましたが、もうパーティという歳でもないので、ささやかなランチをごく少人数で催すことに。前菜はわたしが担当。作るのは【八寸】。お客様、とりわけそれが非日本人だった場合、我が家のおもてなしはたいがいこれです。
 本来、茶懐石では一汁三菜、預け鉢、強肴(しいざかな)などのあとに酒肴として出す2~3種盛りの料理ですが、割烹や会席では先付けについで前菜としてお客様に供することも多い季節の味覚の盛り合わせ。それが八寸。茶懐石と区別して「前八寸」と呼んだりもします。
 わたしはこれこそが日本料理の華だと思ってるんですよね。たぶん「草喰なかひがし」さんで長年芸術品のような(いや「ような」はいらないな)前八寸をいただいてきたので、その影響もあるかもしれません。どんなときも、あれを目の前にするとすべての憂さが祓われます。和食の神髄を集めた一皿。
 もちろん大将と同じクオリティの八寸が調理できるわけもないのですが、それでいいのです。むしろイタリアンの(しょ)(ぱな)に登場して食卓のムードを一気に盛り上げる目にも綾なアンティパストの日本版くらいに考えてます。20代頭から交流のあった故・澤口知之シェフが「俺のはイタリア八寸だよ」とおっしゃってたのを思い出します。
 基本が冷菜のコンボだから前日に仕込んでおけるのも有難いですし、ひとつずつ味覚が異なるのでよしんばお客様の嗜好に添わないものがあっても全部食べられないなんてことはまずないわけでリスクマネージメントにもなる。一品だとお惣菜的になってしまう料理も他との組み合わせや盛り付け方で印象も変わりますしね。なんでもないものが豪華に見える。いいことずくめ。
 あとイギリスのジャパニーズレストランには知るかぎりまだちゃんとした八寸をコースに載せている店がないんです。和食の美学や哲学、歓びや驚きを伝える料理として最高であるにもかかわらず。大袈裟ですが喰いしんぼうの日本人としての義務感(笑)みたいな心意気もございますです。
 そんなわけで、もう何年もなんちゃって八寸をロンドンで作り続けているのですが回を重ねるごとに苛々も募ってきました。―― 皿がない!
 八寸を盛るのは、その名の通り8寸(約24㎝)四方の低い縁のある杉板盆が本式。ですが和製アンティパストでもあるようなわたしの八寸には似合いません。かといって洋皿ではキム・カーダシアンにキモノを着せたような塩梅になってしまう。ところがいざ探してみると八寸に使えるような皿の入手というのはなかなか困難なのです。英国はおろか日本、京都ですら。
 たとえばカレーにぴったりの器だったり、粉ソース焼きそばが映える皿ならば、どんなに欲しくても注文という手段はとらなかったと思うのね。カレーなら力餅食堂の丼でもステュアート朝期のピュータープレートでもマッチします。焼きそばならヘレンドの「ヴィクトリア」とか相性抜群だし、だいたい経木舟皿に()くはない。けれど八寸のための皿は〝見立て〟では如何ともし難いのが何度もトライしているうちにわかってきました。
 それでも御つくりおきで行こうと決めるのには時間がかかりました。焼きものを愛する人間にとって陶磁器を買うのは大きな幸福。出会いを求めていろんな店や市を巡るのは愉悦以外のナニモノでもない。器を御つくりおきしてもらうというのは、みすみすそれらの快事を手放す行為にほかならないのですから。
 しかしわたしにはご縁がありました。作陶家の前野直史くんとの素敵なご縁が。
 例によって切掛けは寺町二条の骨董「大吉」。例によって(笑)若主人の理くん。店内の作家コーナーにあったスリップウェアを指して「入江さん、お好きでしょ。若いけどちゃんとしたん焼いてはりますわ。イギリスもんのよさがしっかりある」とにっこり。
 もう、見た瞬間に鷲掴みでしたね。イギリスもんのよさ、それもスリップがメインストリームだった18世紀、産業革命以前の時代のよさがあったのですから。
 前野くんの個性は古典の焼き直しでもモダナイズでもありません。器用ではないが、そのぶんテクニックやセンスでごまかしていない。どこか自分を捨てている。スリップウェアの美しさに奉仕するみたいに。彼の手から生まれてくるそれらはまさしく民藝の器。驕らず、高ぶらず、骨太で、おおらか。

前野くん。と、飼い猫のハク。なんてかわいいんだ。作陶家として以前にスリップウェア愛好家として、その魅力を伝える仕事にも余念がない。兵庫県民芸協会に提言して実現した、藤井佐知作品集刊行委員会の代表も務める。巻末Webアドレスから出版協力者を募集中。

 このタイプの器はオーブンで直火調理に使われるので経年変化が色濃く表れます。またその味わいこそが醍醐味。前野くんのスリップウェアは、はるか未来の健やかに育った姿を想像させてくれる使って使って使い倒したくなるような器です。
 けれど、このときわたしは一目惚れしておきながら購入を踏みとどまりました。なぜって当時わたしにはまだ「スリップを買うならば英国産がいい」という気持ちが残っていたからです。せっかくあっちに住んでるんだから、でなきゃ悔しいじゃん、きぃー!的な。
 そのかわりに買ったのは須恵器。古墳時代から平安時代に焼かれていた陶質土器(炻器)ですが近年再発見(ディスカバー)されて取り扱う作家も増えてきました。灰色の濃淡でありながら豊かな色彩を感じさせる前野くんの須恵は、もはやうちの食卓風景の基本になっています。
 とはいえ恋愛については諦めの悪い粘着タイプ。一目惚れのスリップたちは常に頭の隅に重なっておりました。クライヴ・ボウエンやアンドリュー・マクガルヴァといった英国作家のスリップと浮名を流しつつも前野くんの器への想いはついぞ消えはしませんでしたね。あたかも源氏にとっての藤壺のごとき存在。
 だから八寸皿を御つくりおきしてもらおうと決めたとき、なんとか前野くんに「うん」といってもらえないかと考えたのはしごく自然な成り行きだったと申せましょう。まーあ、こっからがなかなか長かったんですが。前野くんとのチャットログを見返したら最初の「お願い」は2014年の6月7日。我ながら気色悪い猫なで声めいた口調でメッセージを送ってました。
 御つくりおきをお願いしてあらためて気づいたのですが、そもそも日本人である私が英国と日本の素材を用いて英国で作る八寸を載せるための皿としてスリップウェアほどそぐわしいものはありません。ただ見た目だけの話ではなく、この陶器の背景にある歴史が語りかけてくる言葉が大切なのです。
 ベースとなる器にスリップ――水と粘土を混ぜた泥漿(でいしょう)あるいは化粧土(エンゴーベ)とも呼ばれる――を被せ、その表面を(けず)ったりスポイトで筒描きして柄を表現した器は先史時代から世界中で製作されてきました。が、現在スリップウェアといってみなが思い浮かべる釉薬をかけたタイプの中心地は質・量ともに英国です。ところがこれは廃れるのも早かった。国が獲得した豊かさが泥臭い過去を駆逐してしまったのです。

スリップウェアのある種”呪術的”な美しさは様々な制限や不自由ゆえに生まれる。だがこの器には同時に陶工たちの創意工夫を飲み込んで魅力とする貪欲な性質を秘めている。人がスリップに惹かれるのはそんな「矛盾の共存」が理由ではないか。

 そんな失われつつあった時代遅れの器に再び光を当てたのはやはり英国人のバーナード・リーチではあったのですが、その契機は彼が東京の丸善で発見したチャールズ・ロマックスの「古風な英国陶器」という書籍だったというのですから面白い。しかもリーチはそれまでスリップウェアの存在を認知していなかったというのです。
 やがて濱田庄司とともに英国に戻り、スリップの収集を始め、それらは日本に持ち帰られ柳宗悦や河井寛次郎(※「寛」は正しくは点ツキ)にも強い影響を与えます。民藝は英国と日本の嫡子ですが、とりわけスリップウェアはふたつの国の文化がバランスよく一体化しているといえます。まるで陶器に載せられた泥漿みたいに融合している。
 もっともスリップウェアが広く知られるようになったのは近年です。リーチ窯では1930年代までには技法も検証され古典的スリップが再現されました。が、日用品として復権することはなかった。日本でも武内晴二郎や舩木道忠などの作陶家が素晴らしい仕事を残しています。しかしそもそもオーブン料理文化のない国ではマニアックな世界でした。
 その魅力が多くの好事家の目を捉えたのは丹波の陶芸家、柴田雅章らによる芸術新潮(2004年4月号)の英国スリップウェア研究。そして彼らが企画して全国の民藝(芸)館で催された巡回展が広くメディアに取り上げられて以降のこと。つまりここにきてスリップは実用耐熱食器から陶芸作品にゲシュタルトチェンジしたのです。
 ……と、かくのごとき歴史の堆積がなかったらわたしもここまで「スリップで八寸」にこだわらなかったでしょう。しかも前野直史なるわたしが理想とするスリップウェアの体現者が目の前にいてくれてるんですから。
 けれど前野くんは大変だったみたい。前述したように衝動や勘でやっつける芸術家(アーティスト)タイプではないので新しいものを作るときはそれを作る意味を必要とします。実感がないと手が動かない。だから今回も八寸とは何か? というところからスタートです。そしてわたしの想像をはるかに超えた皿を焼いてくれました。

前野くんと相談して、この八寸は「留め」とせず沢山の人に見ていただこうと決めました。八寸以外にも使い出のある度量の深い器です。そして軽い!

 というか、あまりに超えすぎてて最初は正直戸惑ったのも事実です。しかし造形のヒントとなったという木瓜型の螺鈿欅小盆(黒田辰秋のお弟子さんだった小島雄四郎のお作)や河井寛次郎の陶板皿(川勝コレクション)を見せてもらったりするうちに、前野くんが見事にスリップウェアの歴史に新たな泥漿を重ねて焼いてくれたのだということが(ひし)と伝わってきました。
 ならば、このこれまでにスリップウェアの形としてはかつて見たことのない、それでいてアルカイックな美を湛えた皿に拙くとも自分の料理を盛って八寸を友人たちに振舞ってゆくのがわたしの代え難い悦びになるだろう。そんな予感にぞくぞくしました。
 だからというかスリップ八寸に盛る初メニューをあれこれ思案するのはいつになく楽しかった。

日本料理の「季節感」は再現できないけれど、こちらにはシーズン限定素材ならかなりある。ほんの2週間ほど出回るそれらを見逃さないようにすれば立派な旬の味になると私は考える。すなわち和食の外見ではなく哲学の実践。【見立て】であって物真似ではない。

鰤と桃のタルタル(鰤、蟠桃、葱、(にんにく)、生姜、エシャロットをたたき柚子ポン酢のジュレを載せる)
とろとろ塩温玉(温泉卵の昆布出汁塩水漬け)
菊菜と焼き冬菇(どんこ)椎茸の胡麻豆腐和え
トルコ梅の甘煮(酸味のない青梅みたいなくだもの)
蓮根のオリーブ油チップス
自家製タラコと里芋のタラモサラータ

 入江にしてはという但し書き付きながらそこそこ上手くいきました。ツレの好みは知っているので心配なかったのですが、下町生まれで和食はおろか普段は緑の野菜をほとんど口にしないという客がぺろりと平らげてくれたのは実に嬉しかったなあ。生っぽい卵が苦手な英国人に温玉は不安だったけど、タルタルを浸したりして完食。吟醸酒をきゅっ。粋なもんでした。
 ところで……。わたしは八寸を盛るといつも同じ過ちを犯してしまいます。それは出し忘れ。せっかく作った料理を必ず一品冷蔵庫に置いてけぼりにしてしまうのです。メニューを紙に書きだしときゃいいのに、なぜかそれをしない。たぶん忘却してることそのものを忘れ去っているのでしょう。学習しようよ。
 此度の出し忘れはタラモサラータでした。上出来だったのに。地中海ヨーグルトとクリームチーズ半々にほぐしたタラコを混ぜブレンダーにかけ、賽に切った里芋の蒸し焼きを合わせて潰しながら和えるだけなんですが酒を盗むったらない。ごはんのおかずにもなります。
 でもね、翌日こいつで晩酌しながらわたしはしみじみ思ったことですよ。なんだか御つくりおきに似ているなあって。どんなに万全を期して注文しても、いつも結果はなにか足りない。では欠損を補えばより完璧に近づくかといえばそんな単純なもんでもない。忘却がいいように働くことだってある。御つくりおきとは甲ではなく乙の愉しみなのかもしれません。

前野くんのHPは面白い。ブログコラム「うつくしいものさがします」は彼の人となりや美学が滲む。やきものへの広範な知識も素晴らしい。

関連サイト

前野直史HP

http://www.cans.zaq.ne.jp/kihatasarayama/

南丹市工芸家協会の会員紹介

http://kyoto-nantan-kougei.com/kaiin27.html

藤井佐知作品集刊行会

https://www.fujiisachi.com/

イケズの構造

2007/08/01発売

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何かについて考え、それが「わかる」とはどういうことでしょうか。

「わかる」のが当然だった時代は終わり、平成も終わり、現在は「わからない」が当然な時代です。わからないことを前提として、自分なりの考え方を模索するしかありません。

わかるとは、いわば自分の外側にあるものを、自分の尺度に照らして新しく再構成していくこと。

“Plain living, high thinking”(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)*を編集理念に、Webメディア「考える人」は、わかりたい読者に向けて、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

*産業革命後に急速な都市化が進むロンドンで、イギリスの詩人ワーズワースが書き遺した言葉。

 

 

「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

入江敦彦

いりえあつひこ 1961年京都市西陣生まれ。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。作家、エッセイスト。主な著書に、生粋の京都人の視点で都の深層を描く『京都人だけが知っている』、『イケズの構造』『怖いこわい京都』『イケズ花咲く古典文学』や小説『京都松原 テ・鉄輪』など。『秘密のロンドン』『英国のOFF』など、英国の文化に関する著作も多数。最新刊は『読む京都』。(Photo by James Beresford)

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