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カラスの悪だくみ

2020年5月28日 カラスの悪だくみ

またまた番外編 歌舞伎町、そこはカラスの庭

著者: 松原始

「カラス先生」の動物学者、松原始さんといえば、「カラスの悪だくみ」の連載が『カラスは飼えるか』として書籍化され、大好評だ。さまざまな鳥の特徴からカラスに出会える場所までを伝える一冊だが、そんな鳥たちは、人間が家に引きこもっているこの時期にどうしているのだろう? 最近のカラス事情のレポートをさらにお届け。

「誰もいねえ!」

新宿アルタ前の通りを見た時の第一印象がそれだった。日曜の朝6時45分といえば確かに人は少ないだろうが、それでも朝イチで仕事に向かう業者さん、日曜でも出勤のある人たち、夜の仕事を終えて帰宅する人たち、前日したたかに飲んで今から帰って寝る人たち、などが往き交い、道路にも車が並んでいるはずだ。

だが、本当に誰もいない。横断歩道上から伊勢丹方面を眺めたが、車も人もいない。ライオン広場の前を2羽のハシブトガラスだけが飛んで行く。朝の光に黒い翼がキラリと輝き、色のない街にそれだけが息づいて見える。


外出自粛の折、あまりフラフラと出歩くのは褒められたことではない。それでもここにいるのは、どうしても繁華街のカラスとゴミの様子を確認したかったからだ。

COVID-19による外出自粛要請、緊急事態宣言、酒場の営業時間短縮要請などが矢継ぎ早に出され、営業を取りやめる店も増えていることはニュースで知っていた。所用で出勤した時も、「当分の間休業します」という張り紙をいくつも見た。ということは繁華街のゴミは減っているはずだ。ならば、そのゴミを漁りに来るカラスは?


ゴミを漁るカラスの観察経験が豊富な、カラス仲間の森下さんと相談していたら、「経験的に、餌があるところには変わらず来ちゃうと思うけど」と言われた。確かに餌が減ったからと言って、そこをスパッと諦めるとは思えない。カラスはそんなに潔くない―「えー、ないの? ないの? ほんとにないの?」と首を傾げてウロウロしているタイプだ。とはいえ、本当に餌を食えなければどこかに探しに行くしかない。だから、全く変化がないということもないんじゃないかなー、とは思っていた。だが、見もしないでああだこうだ言っていても仕方ない。第一、ゴミが減ったのかどうかも知りはしないのだ。実際に見るしかない。

とはいえ、果たしてカラス調査で繁華街をうろついていいものか? これは不要不急案件ではないか? 4月7日に外出自粛要請が出てから2週間あまり、あれこれ考えた。そして、「いや、やっぱりこれは観察しなきゃいけない」と決断した。

ということで、4月26日の朝早く、私は新宿に出かけたのだった。


新宿と言っても広いが、場所は歌舞伎町に決めた。カラスを探して歩いたことが何度もあって、なんとなく様子がわかっているからだ。

まずは東口から伊勢丹の方に向かい、靴屋の前で曲がる。ここはいつもゴミが積み上げられているあたりだが

ない。まず、ゴミがない。少し下ると、路地から飛び出して来たカラスに出くわした。飛んで来た方を見ると、突き当りのビルの前にゴミ袋がいくつも見えた。ゴミが散乱し、ハシブトガラスが2羽地面にいる。双眼鏡を向けると、カラスは頭の羽毛をピタッと寝かせてこちらを見るなり、バッと翼を広げて飛び去った。カラスとはそんなものだ。人間がガン見しているとひどく警戒する。

このビルには飲食店はなさそうだが、なんだろう? 散らばったゴミを確認すると、ペットボトル、大きな紙コップ、ファストフードの紙袋などが入っている。出勤した人が食べたのだろうか。確かにランチ営業している店が減れば、自前で弁当かテイクアウトの食品を持ち込んで食べるしかない。

靖国通りに出ると、カラスが何羽か飛んでいるのが見えた。ふむ、やはりカラスは来ているのだ。どれくらいいるだろう? 餌はあるだろうか?

さくら通り入り口を過ぎ、ドンキの前へ。この通りもゴミ(とカラス)の多いところだ。

最初は「誰もいねえ!」と思ったが、この辺りまで来ると、さすがに人はいた。街灯に設置されたフラワーポットに水をやる人(これもそういう管理業務なのだ)、ビル前を清掃している人、駅に向かうカップル、ご機嫌な様子の数人のグループ、道端にしゃがんでスマホをいじっている女の子。なるほど、決して無人なんかではない。だが、普段の賑わいにはほど遠い。

松原始「カラスは飼えるか」考える人
こんな隙間に入ってしまった

ゴミ収集車が走ってゆくのが見える。しまった、この辺りはすでに収集済みだ。さっきまでゴミがあったらしいところにハトとスズメが来ている。彼らはゴミ袋がなくなった後も、カラスが漁らないような小さな餌を拾い集めるのだ。街灯の上や看板にハシブトガラスが止まっているのは、収集されるまでそこで食べていたからだろう。時折、他の餌場に向かうのか、カラスが1羽、2羽と頭上を飛んで行く。それをノートに記入しながら先へ進む。

ゴジラヘッドの前で右に曲がり、路地を覗き込んで驚いた。細い道の奥が、カラスだらけだ。道路をふさぐほどにゴミが散乱し、カラスが10羽ほど集まっている。近づくとてんでに逃げるが、決して飛び去りはしない。すぐ頭上の看板や軒先に止まって、素知らぬ顔をしながら、首を伸ばしてはこちらをじっと見て、またヒョイとよそ見をする… いや、鳥の目は横向きに付いているから、よそ見ではない。片目ずつ視野の中心にこちらを捉えて観察しているのだ。餌を諦めてなるものか、というカラスの意思が透けて見えるようだ。

こちらのゴミもテイクアウトが中心のようだ。ペットボトルも多い。割り箸や紙ナプキンが多いのも、テイクアウト、あるいは客に出したのを窺わせる。中華料理っぽいものも混じっている。ビルを見ると飲食店の他、パブやスナックがいくつも入っているようだ。飲み屋が同じビルの中華料理屋から出前をとったのだろうか?


その先でちょっと大きな通りに出る。ここから奥は歌舞伎町の中でもディープなエリア、ホストクラブ、オカマバー、ラブホテルなんぞがひしめく区画だが、経験的に、あまりカラスはいない。道端に大きな看板があり、デカデカとNo.1ホストが微笑んでいる。路上には暇そうな客引きやキャッチの人たち。仲間同士で立ち話しているのも見える。苦笑しているところを見ると、「客いないっすね」「絶対無理だよー」みたいな話をしているのだろうか。そういえばベンチコートを着込んだ女の子が二人、看板を持って店の前に立っていた。この早朝まで大変なことである。

その傍ら、悪質な客引きに注意を喚起する区役所からのアナウンスが流れている。警察からの「君たちによる被害が、かなり多く発生している! ただちに客引き行為をやめなさい!」というアナウンスも(聞くたびに「かなり多く」ってどれくらい多くだ、と思うが、この、ちょっと遠慮した感じが正直とも言える)。だが、客を引き寄せる猥雑なまでの熱気が歌舞伎町にある限り、客引きはなくなりはしない。餌がある限りカラスが来るのと変わらない。人もカラスも同じ生物であり、その行動原理は別にかけ離れたものではないのだ。


区役所通りを駅の方に向かい、再び裏路地に入る。と、カラスが路上にいた。何か食べている。近づくと飛び立ったが、やはり諦めきれないのか、軒先で待機だ。つついていたのはテイクアウトのハンバーガーが入っていたらしい紙袋。誰かが(袋の数からして数人だ)近くの店で買って、この角で食べたあとポイして行ったのだろう。褒められた話ではないが、繁華街ではよくあることだ。

さらに先に進むと、すぐ目の前にカラスがいた。店の入り口のすぐ上に止まり、下を見ている。特に何かあるようには思えないが、何か餌を見つけているのか。目を合わせると、カラスは丸い、黒い目をキラッと光らせ、首を傾げた。そしてソワソワと足を踏み変えるなり飛び立ったが、急旋回して戻り、軒のすぐ下の狭い空間に飛び込んだ。顔を隠しているが、片目だけこっそり覗かせてこっちを窺っている。カラス的にはこれで隠れたつもりなのだ。写真を撮っていると、カラスがまた飛び立った。だが、またも急旋回して、今度はビルの間の狭い路地に飛び込んで配電ボックスに止まる。おいおい… そんな、翼も広げられないような路地に入ってどうする。逃げられる方向は道路側しかなく、そっちには私がいる。自分から缶詰になるとは、よほど何か諦められないものがあるらしい。かわいそうなので少し離れると、すぐに飛び立って道路の向かい側の看板に止まった。

そこから少し歩き、ラーメン屋の前でもとのルートに戻る。これでざっと1キロ、ラインセンサスは終了だ。


ついでに少し歩いて西武新宿駅の方も見て来ることにした。途中の建物の間の狭い隙間に押し込むようにゴミ袋が積み上げてある。そのゴミ袋が、もそもそと動いた。なんだ?

立ち止まって見ていると、ゴミ袋の内側に何かがいて動いているのがわかった。やがてひょっこり顔を出したのは、1匹のドブネズミだった。見ているとゴミ袋の後ろにもう1匹いる。いや、その下の排水溝からも1匹顔を覗かせた。その1匹が逃げてゆくと、もう1匹が出てくる。4、5匹いるようだ。さらに1匹は私の目の前をタタタッと駆け抜け、ビルの隙間に飛び込んで行った。実に大胆である。

繁華街でドブネズミを見かけるのは珍しいことではない。新宿でも渋谷でもよく出会う。だが、こんなに何匹も、しかも目の前にいる人間を恐れずに餌を漁っていることは滅多にない。

通りの先に目をやると、路地のど真ん中に1羽のハシブトガラスが下りているのが見えた。首が太く、いかつい。恐らくオスだ。足で何かを踏んで、嘴を突き立てては引きちぎって食べている。踏んでいるのはうすい灰色の何かだ。あ、あれは、と思って双眼鏡で確認すると、間違いない、やはりドブネズミだった。カラスが死んだネズミをつついている。

近づくとカラスはすぐに逃げた。ネズミは首の後ろに傷があるが、あとはきれいだ。虫がたかったりした形跡もなく、死んで間もないように見える。死骸を拾った可能性もあるが、これは自分で仕留めたかもしれない。カラスはいざとなればドブネズミくらいなら狩ることもある。食えるものなら何でも食う、それがカラスの生き方だが、この大都会においても時折、その野性を垣間見せる。いや、新宿の路地裏には、その緊張感がむしろ似合っているようにさえ思える。


さて。集計してみると、この日発見したハシブトガラスは44羽だった。無論、これは私が歩いた範囲、前方左右50メートル圏内に出現した数というだけで、実際の個体数ではない。見かけなかった個体もいるだろうし、逆に同じ個体を複数回目撃した例も含まれる。この調査で見ているのは絶対数ではなく、自粛解除以後にカウントした数との比較だ。

それにしても思ったよりもいる、というのが正直な感想だ。森下さんの言うように、餌場だったところにはカラスは「いつもの癖で」来てしまう。そして、そこに多少なりとも餌がある限り、カラスはそれを食べようとする。

もちろん、来てみたものの餌が少なくて手に入らないなら、足りないぶんは何とかしなくてはならない。それが行動圏を変えて他所に行くことなのか、普段食べない餌をも利用することなのか、それでも餌が足りずに死ぬ個体が増えるのか、それについてはこの調査からは言うことができない。

また、カラスが普段の数より多いか少ないかも、自粛解除後、あるいは来年の同じ時期の結果と見比べなければはっきりとは言えない。ただ、印象として言えば、「カラスのいるところが限定されたかな?」という感じはある。営業している店が減った結果、おそらくゴミの分布が局在化しているのだ。そして、ゴミのある場所にはカラスが集中する。なければ無視して飛びすぎるだけだ。ドブネズミが何匹も集まっていたのも、同じ理由だろう。

この調査は4月下旬から週一回のペースで実施している。すると、調査のたびにカラスの数が増える印象があった(本当に増えているかどうかは数学的に検証がいるので、印象だけだ)。現時点で最新の結果は69羽だ。今の所、カラスの数とゴミの量が直接関係しているということはできないが、体感的には「人もゴミも増えて来てないか? それに呼応するようにカラスも増えてないか?」という印象はある。先の見えない自粛が続き、しかし感染のピークを過ぎたように感じられる中で、街の活動は静かに再開されつつあるのかもしれない。

これを批判することはやめておこう。何があろうと毎日は続き、生き物はその日を生き延びることを決してやめはしない。引き寄せるものがあればそこに向かい、欲しいものがあればそれを得る。そのしたたかな、しかし考えてみれば当たり前な生き様には、人もカラスも違いはない。

歌舞伎町は言ってみれば人間の欲望や生活が生々しく露出している場所だ。そして、その活動の跡に惹かれて、カラスもまた食欲むき出しで集まる。ヒトもカラスもタフ、それが、この調査で歌舞伎町を歩くたびに感じることである。

(おわり)

カラスは飼えるか』(新潮社)

松原始 著

2020/03/23発売

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

松原始

まつばら・はじめ 1969年奈良県生まれ。京都大学理学部卒業、同大学院理学研究科博士課程修了。専門は動物行動学。東京大学総合研究博物館の特任助教。研究テーマはカラスの行動と進化。著書に『カラスの教科書』ほか。もちろん悪だくみなどしていない。心に浮かぶ由無し事を考えているだけである。ククク

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