――新刊『雑貨の終わり』は『すべての雑貨』(夏葉社)につづく二冊目の著作です。
私は東京の西荻窪で十五年前から雑貨店を営んでいますが、雑貨について考えはじめたのは、店で取り扱う品物の種類が年々増え、自分が売っている物が雑貨なのか何なのか、よくわからなくなってきたからです(笑)。
うちではギャラリーを併設し、工芸品や絵画などの展示をしつつ、常設の棚には石鹸や食料品、文房具、服、本などが並んでいます。それらはもともと専門店で扱われていた物でしたが、いまでは、すべてが雑貨屋に集まっている。こういった、いままで雑貨ではなかった物が雑貨として流通して消費されることを「雑貨化」と呼んで、三年前に『すべての雑貨』という本を出しました。この本では、人々があらゆる物を雑貨として捉えてしまう感覚を「雑貨感覚」と名づけています。
ただ、この三年間で雑貨化はますます進み、消費者の雑貨感覚も大きく変わりました。雑貨化を単純に指摘しても、もうだれも驚きません。だから、この本を読んだ編集者から「WEB『考える人』で連載しませんか」と声をかけられたとき、いま何が書けるのかとても悩みましたね。
――どうして雑貨化は進み、雑貨感覚は大きく変わったのでしょうか?
日本人はもともと雑貨好きで、江戸期の小間物を愛玩する文化にまで遡ることも可能ですが、なにより戦後しばらくして誕生したアメリカンファーマシーやソニープラザなどによる輸入雑貨のブームが雑貨史の始まりです。それらをマガジンハウスをはじめ雑誌メディアが「おしゃれ雑貨」として紹介し、日本独自の雑貨文化が育まれてきました。
しかしインターネットの登場と浸透によって、雑貨の世界はがらっと大きく変わったと思います。例えば、Amazonなどのサイトでは値段やジャンルにかかわりなく同一フォーマットで商品を並べ、あらゆる物を売っています。それぞれの物から固有の時間や物語は引き剥がされ、手軽にワンクリックで買えます。この「物の断片化」とも言える現象は世界中で起こっていて、それと雑貨化はパラレルな関係にあると思っています。
――前作よりも幅広い題材が選ばれていますね。
『雑貨の終わり』は主にWEBの連載と書下ろしをまとめたエッセイ集です。今回は無印良品やディズニーランド、村上春樹さんや村上隆さん、ポートランド、デュシャンやコーネルのレディメイド作品、シェーカーボックス、ほっこり系パン屋のチェーン店など、ミクロからマクロまで様々な事象を雑貨化というキーワードをもとに書きました。
雑貨について書きながら、ありとあらゆる生活用品を取りそろえ、いまや「国民的インフラ」と言えそうな無印良品や、世界のキャラクタービジネスの頂点に立つディズニーといった巨大企業について論じるのはナンセンスだと思うかもしれません。ですが私の小さな雑貨の商売と彼らの大きな商売もどこかでつながっていて、無関係ではないのだという感覚がベースにあります。雑貨屋なのであたりまえですが、傍観者ではいられないし、冷笑や批判的なことはなるべく書きたくなかった。自身も末席ながら資本主義経済の渦中にいて、毎日せっせと雑貨化に加担している。今作が俯瞰した分析ではなく、エッセイなのか私小説なのかわからない筆致にならざるをえなかったのも、そういうジレンマからかもしれません。
村上春樹さんについて書いたのは、出版社のHPに載っていた書斎の写真をみたとき、隅々までかわいい雑貨であふれていて、かなり高度な雑貨感覚の持ち主だと思ったからです。この国民的作家がまた『an・an』や『POPEYE』など日本の雑貨文化を牽引してきたマガジンハウスの雑誌に連載を持ち、強く結びついているのも気になる点でした。
また雑貨とは一見関係のなさそうな、祖父が彫っていた仏像や彼が所持していたライカがある人の救いとなった話も交えています。雑貨とは違う物のあり方を、少しだけでも書き留めておきたかったのです。物には本来、それぞれ固有の時間の堆積と物語があるのだ、という話を。
――『雑貨の終わり』という書名は自分の首を絞めるか、店仕舞いの宣言のようで刺激的です。
自分では頓智かギャグのつもりで、つけた書名なんですが(笑)。いま雑貨が物の世界を覆い尽くそうとしています。雑貨店を名乗っていなくても、雑貨店みたいな品ぞろえやディスプレイの本屋やアパレルショップ、飲食店などは無数に存在します。もはや実生活において雑貨と物はニアリーイコールになりつつある。であるならば、雑貨は「雑貨」と名乗らず「物」でいいじゃないかと。そういう意味で、雑貨の「終わり」なのです。雑貨界がいまどこまで広がり、どうなっているのか、私なりの地図をつくるような気持ちで本書を綴っていきました。
(「波」2020年9月号より転載)
三品輝起×島田潤一郎 「雑貨の地図と断片化する世界」
2020年9月16日(水)に、『雑貨の終わり』刊行記念オンライントークイベント開催!
お相手は、三品さんのデビュー作『すべての雑貨』を世に送り出した夏葉社の島田潤一郎さん。詳しくはこちらから。
この連載が本になりました
『雑貨の終わり』
三品輝起
2020/8/27
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MAIL MAGAZINE
とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥