第18回 世界は靴を脱ぎだした
著者: 井上章一
「玄関で靴を脱いでから室内に入る」。日本人にとってごく自然なこの行為が、欧米をはじめ海外ではそれほど一般的なことではない。建築史家であり『京都ぎらい』などのベストセラーで知られる井上章一さんが、このなにげない「われわれのこだわり」に潜む日本文化の隠された一面を、自らの体験と様々な事例をもとに考察する。
マテーラの日本人
『溺れる女』と邦題がそえられた映画を見た。2017年に公開された作品である。イタリアとスペインの合作ということになっている。
ヒロインのマルタは飛び込み、ダイビングの選手であった。オリンピックのスペイン代表もめざしていたという。だが、ケガでそちらはあきらめた。まだ若いのだが、アスリートとしては隠退している。
彼女の父は、成功した画家である。南イタリアのマテーラという街で城館を入手し、そこをアトリエにつかってきた。ただ、すでに当人は亡くなっている。りっぱな家も、空屋となっていた。マルタはそこへうつりすみ、父の遺産管理人めいたくらしを、おくりだす。
ある日、マルタは街で、ひとりの神秘的な女性とであう。ハルと名のる日本人である。その姿に魅了されたマルタは、自分がすむ亡父の城館へ彼女をさそいこむ。
やがて、ふたりは同居、そして同衾へといたる。いわゆる同性愛のカップルとなる。配給会社の宣伝は、両者のベッドシーンを、大きくとりあげた。はずかしながら、私もそれにひきよせられ、本編を見るにいたっている。
ハル役をつとめたのは、マヤ・ムロフシである。荒木経惟のモデルになることもあったという。そんな女性をヨーロッパの映画は、どうあつかうのかという点にも、興味をそそられた。
予想外の発見もある。マルタとハルは、城館のなかを裸足のまま、歩いていた。靴などはかずに、館内をゆききする。裸でいだきあう寝床の情景だけがそうだったと、言いたいわけではない。ふたりは、館内のありとあらゆる場所を、靴なしで歩行した。
城館には来客もある。マルタの姉がやってきた。飛び込みの競技をつづけているかつてのライバルも、マルタの様子をうかがいにくる。
そして、どちらもマルタの異変に、おどろいた。あの日本人に、あなたは魅入られている。気をつけろと、警告する。だが、マルタはしたがわない。私のことはほっといてと、やりかえす。
以後の展開については、記述をさける。けっこう意外なラストシーンが用意されている。しかし、その紹介は配給元がよろこぶまい。ここでは、言及をひかえよう。
じっさい、私がこの映画で感心したのも、意外なストーリーの展開にたいしてではない。靴のあつかいに新鮮な印象をいだいたせいで、披露をしておきたくなった。
さきほど、姉とライバルの訪問に言いおよんでいる。じつは、どちらも靴履きのまま城館にはいり、マルタとは対峙した。西洋人の来訪者は、靴をぬがない設定になっている。あの日本人と手をきれという側の人たちは、土足のまま家にあがりこんでいた。
ハルは、城中でも靴をはこうとしない。マルタもハルへあわせ、裸足のくらしをつづけている。同性愛のふたりは、どちらも日本とつうじあう生活にひたっていた。だが、両者の仲をさこうとする闖入者は、家のなかへ外履きのままはいっていく。
靴をぬいだくらしは、夢のような愛の生活を象徴する。いっぽう、土足でのそれは、西洋における現実をさししめす。映画の制作者は、はっきり意識して、そうえがきわけた。
さて、21世紀の今では、家のなかで靴をはかない人が西洋でもふえている。20世紀のおわりごろから、そういう生活様式が、都会地を中心にひろがりだした。
日本からの影響がこの変化をもたらした可能性は、否定しきれない。今、参照した『溺れる女』という映画は、そういう回路もありえたことをしのばせる。
とはいえ、私は欧米の人から日本による感化という話を、ほとんど聞かない。私と知遇のある西洋人は、家で靴をぬぐ近年の傾向について、たいていちがう話をする。では、どういうことが、この趨勢については語られやすいのか。つづいて、よく耳にする定型的な事情説明のあらましを、紹介しておこう。
マンマの力
なぜ、このごろは家の中で靴をぬぐようになったのか。いちばんよく聞くのは、家の床をよごさないためという言い分である。だが、この主張に、私は納得しきれない。
私は1970年代なかばのパリやローマを、この目で見ている。そして、当時、彼地の往来は、たいそうよごれていた。ペットの糞やゴミが、路面に散乱していたことを、おぼえている。そして、20世紀末以後、あちらの衛生当局は路上の清掃へ、本格的にとりくみだした。今は、ずいぶんきれいになっている。
家の中を清潔にしておきたいと、彼らの多くは言う。しかし、それなら道路がまだ不潔だった時代にこそ、土足をつつしむべきだったろう。街路が浄化されたこのごろになって、靴についた外の塵埃をいやがりだすのは、おかしい。道をきれいにしたから、土足で家へあがれるようになったというのなら、まだわかるが。
イタリアの女性から、こう言われたことがある。かつての専業主婦、マンマは家のなかで、よくはたらいた。一日に何度も掃除をしたから、ほこりはたまらない。靴がもちこむ屋外の塵埃も、すぐにとりのぞかれる。以前は、そんなはたらき者がいたから、家で外履きをはいても、あまり床はよごれなかった。
だけど、現代女性は外へはたらきにいっている。屋内の掃除につとめたマンマももういない。家のなかを土足ですごせば、すぐに床がきたなくなる。自分たちが家で靴をぬぎだしたのはそのためだ、と。
なるほど、そういう経緯はありえたろう。自宅での靴履きがへりだしたのは、女性の社会進出がすすんだ、そのあとだと思う。時期的なつじつまは、あっている。
しかし、私にはまだわだかまりがある。家では靴をはかないという欧米人も、たいていぬいだ靴を部屋へもちこんでいる。たとえば、寝室で、ベッドの下にならべたりする。リビングの壁際へというケースもある。
靴をおく場所は、家ごとにちがう。だが、とにかく、出入口からはなれた奥のほうへ、そろえやすい。
玄関の三和土に、日常づかいの靴はおいておく。それ以外の履き物は、出入口のそばにある下駄箱へ収納する。床の上には、ぜったいあげない。そういう日本人の習慣とくらべれば、ちがいははっきりしている。欧米人の住居は、外履きに付着したよごれを、日本人ほどきらっていない。まあ、日本人が清潔好きでありすぎるのかもしれないが。
西洋の人たちは、家のなかをよごさないために靴をぬぎだしたと、よく言う。しかし、清浄をもとめるのなら、もう少し靴のあつかいに気をつけそうな気もする。ベッドの下やリビングの壁際に、平均的な日本人はならべない。その点が、私にはひっかかる。
西洋の現代服飾史に、体をしめつけなくなっていく趨勢のあることは、よく知られる。コルセットからの解放、ノーブラ・ムーブメントなどが、女性の場合は、よく語られる。男性も、ノー・ネクタイをはじめ、束縛からぬけだす方向へ歩んできた。
この潮流が足先へおよんだ可能性もあると、私は想像する。踵や甲が圧迫される靴を、せめて家のなかではぬいでおきたい。裸足でリラックスをしよう。以上のような想いが、今日の靴にかかわる情勢をもたらしたのではないか、と。まあ、そういうふうに説明をしてくれる西洋の人たちは、あまりいないのだが。
今、中国は
『烈火澆秋』(2021年)というアニメがある。中国で制作されたアニメである。この作品は、中国の青年が靴履きのままベッドで横たわる場面を、えがいている。踵のみならず、靴の底もシーツの上へ、じかにのせていた。また、くだんの青年は靴をとらずに、そのままバスルームへはいっている。あいかわらず、こういう人たちもいるらしい。
伝統的に、中国の家屋は土足をうけいれてきた。ここに、中華民国時代の生活がうかがえるイラストを、二点紹介しておこう。図1は女性が料理をととのえる構図になっている。屋内の情景だが、彼女はヒールをはいていた。

図2はソファの上で読書にふける少女の絵である。さすがに、ソファへ脚をあげた彼女は、靴をはいていない。床へそろえ、おいていた。つまり、屋内の床では靴履きのまますごしていたことが、よくわかる。

図3は旧満州でだされた絵葉書である。満州建国(1932年)以後の一枚であろう。図柄で日中親善の気配をかもしだすことに、つとめている。和服の日本女性と中国服の中国女性を、同じソファの上でよりそわせた。背後のクッションには満州国国旗のパターンを、あしらっている。

注目しておきたいのは、ふたりの履き物である。中国人は靴、ヒールの高いそれをはいている。いっぽう、日本人は足先をスリッパにとおしていた。絵葉書の画面は、日中のあいだに生活習慣の溝があることを、いちおうしめす。かたほうは、家のなかだと靴をぬぎ、もういっぽうははくことも明示した。そして、そのうえで共存が可能であることを、うたいあげたのである。
そんな中国でも、近年は様子がかわりだした。20世紀の末ごろから、家では靴をぬぐ人がふえている。この新生活は、大都市でくらす一部のマンション住民からはじまった。そして、都市部に関するかぎり、今ではそちらのほうが多くなっている。むろん、『烈火澆秋』にでてくるような人びとも、のこってはいるのだろうけど。
状況は、欧米ともつうじあう。これは、欧米のみならず、中国をもふくむグローバルな現象なのである。
こういう趨勢を、たとえばイタリア的な事情だけで説明することは、できない。中国固有の要因で語っても、事態を読みあやまる。私の手にはあまるが、洋の東西でつうじる読みときを、ほどこさねばならないようである
こんどは、図4を見てほしい。「5月のある日」と題された、現代の中国絵画である。えがいたのは李貴君。香港に拠点をおく、リアリズムの画家である。だが、象徴的な表現をおもしろがる一面もそなえている。たとえば、この絵は右側の少女がしめすぎこちなさで、思春期の不安をあらわそうとする。

私としてはふたりの足先に、目をむけたい。左の女性は、室内履きとおぼしいサンダルをはいている。右の少女は裸足である。この絵は1999年に作画された。20世紀末から、家のなかでは靴をはかない中国人がふえだしたという。そんな状況を、比較的はやくからとらえた一枚だと考える。
あと一点、中国の現代絵画を紹介しておこう。図5は朱涛の手になる「新しい住まい 昔の思い出」(2014年)である。都会での新生活を、鳥瞰的に上からとらえ、えがいている。しかし、そのくらしぶりには郷里、田舎の残像も見てとれるという。

どこが都会的で、どこが郷土的なのかはわからない。いずれにしろ、この住居で住人は靴をぬぎながら、くらしている。ただ、それらを玄関の三和土や下駄箱へあつめるようには、していない。床の上へおいている。ぬぎちらかしているように見えるところも、なくはない。
画面の左下側には、靴の収納棚めいたしつらいも、あらわされている。しかし、所持する履き物は、そこへおさめきれていない。また靴用の棚も、住居の出入口からはなれた場所に、もうけられている。日本家屋とちがい、土足を峻拒するようにはなっていない。
これらの点も、欧米の現状とつうじあう。グローバリズムは、中国にもとどいている。日本的な土足のあつかいに、世界は近づいてきた。しかし、やはり溝は、まだうめきれないようである。
*次回は、9月8日月曜日に更新の予定です。
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井上章一
1955(昭和30)年、京都府生れ。京都大学大学院修士課程修了。国際日本文化研究センター所長。『つくられた桂離宮神話』でサントリー学芸賞、『南蛮幻想―ユリシーズ伝説と安土城』で芸術選奨文部大臣賞を受賞。著書に『京都ぎらい』『学問をしばるもの』『美人論』『関西人の正体』『ヤマトタケルの日本史 : 女になった英雄たち』などがある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
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- 井上章一
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1955(昭和30)年、京都府生れ。京都大学大学院修士課程修了。国際日本文化研究センター所長。『つくられた桂離宮神話』でサントリー学芸賞、『南蛮幻想―ユリシーズ伝説と安土城』で芸術選奨文部大臣賞を受賞。著書に『京都ぎらい』『学問をしばるもの』『美人論』『関西人の正体』『ヤマトタケルの日本史 : 女になった英雄たち』などがある。
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