2.魅惑のハンバーグカレー
著者: 稲田俊輔
人気の南インド料理専門店「エリックサウス」総料理長にして、レシピ本から食文化にまつわるエッセイまで文筆家としても活躍中の稲田俊輔さんが、その原点である料理=「カレー」について考える連載です。おうちカレーから南インド料理の衝撃まで、私的な経験をベースにその進化や変遷を語っていきます。「もはやカレーは文化である」を合言葉に、国民的料理の真髄に迫る「活字カレー」の決定版!
幼少期の外食の頂点
幼児の頃は食事自体が苦痛だった僕ですが、小学校に上がってからは、それもだいぶ解消されつつありました。相変わらず好き嫌いは多かったのですが、ようやく食べることの喜びを素直に感じ取れるようになってきたようです。そんな当時の我が家は、外食の頻度が比較的高かったと思います。妙な造りの激狭古アパートに住んでいた割に、今思えば食生活だけは決して慎ましやかではありませんでした。僕の今の食い意地の張りっぷりは、どう考えても両親譲りです。
小学生だった僕にとって、外食の頂点は間違いなく〔ロイヤルホスト〕でした。時にはもっと値の張る店や専門的な店にも連れて行ってもらったことはあったと思いますが、そういう店にはどこか「夜の匂い」みたいなものも感じて、子ども心にも「本当は子どもはこんなところに来ちゃいけないんじゃないだろうか」という、ある種の居心地の悪さのようなものもうっすら感じていた記憶があります。
その点ロイヤルホストは、レストランという圧倒的な非日常であったにもかかわらず、何の遠慮もなく伸び伸びできる場でした。まさにそれが「ファミリー」レストランたる所以だったのではないかと思います。現代におけるファミリーレストランは、ファミレスという略称も獲得し、誰もがますます伸び伸びできる場になっています。しかしレストランとしての特別な非日常感は、だいぶ薄れてしまいました。もっとも、ことロイヤルホストに限って言えば、現代のファミレスとしてはやや例外的に、当時のそんな非日常感を今でもどこかで堅持している印象もあります。
忘れじの「欧風カレー」
そんなロイヤルホストでは、メニュー選びから既にワクワクが止まりませんでした。僕が特に心躍らせたのはハンバーグ。メニューには普通のシンプルなハンバーグだけでなく、いくつかのバリエーションもありましたが、僕が特に気に入っていたのは「フランス風ハンバーグ」です。ハンバーグの全面をマッシュルーム入りのホワイトソースが覆っていました。僕はそこに、ある種の高貴さみたいなものを感じていた記憶があります。それこそが非日常のレストランにふさわしい要素でした。
しかし僕はある時、メニューの中にとんでもない料理を発見しました。それが「カルカッタ風ハンバーグカレー」です。前回も書いたように、子どもが好きなメニューランキングにおいて、ハンバーグとカレーは常にトップランク。もちろん僕も例外ではありませんでした。
まさに盆と正月がいっぺんに来たような料理です。しかし、当時の僕はそれを注文することにいささかの躊躇いがありました。なぜだか分かりますか? 僕はそれを「もしかしたらこれは子ども騙しなのではないか」と邪推したのです。つまりハンバーグ&カレーという、いかにも子どもが好きそうな組み合わせで安易に子どもの歓心を買おうという、大人の悪巧みなのではないかと疑ったんですね。
僕はいわゆる「お子様ランチ」の対象年齢だった頃から、お子様ランチを断固拒否していました。その心の動きは、今となっては分かるような分からないようなですが、僕は当時このハンバーグカレーを「お子様ランチの延長のようなもの」と見ていたのだと思います。
我ながら凄まじいまでの解像度だったと思いますが、こんなにひねくれた嫌な子どもがいるだろうか、という話でもあります。ともかくこのメニューを発見して最初の内は、あえてスルーしていました。しかし盆と正月クラスの吸引力にはさすがに抗い難く、ある時僕はついにそれをオーダーしました。
結果は予想を遥かに超えるものでした。ハンバーグ部分は十分期待通りのものでありましたが、それはあくまで予想の範囲を超えるものではありませんでした。超えてきたのはカレー部分です。メニュー写真から既に予想はついていましたが、そこには邪魔者のジャガイモはおろか、その他の具材も一切存在せず、ひたすらに滑らかだったのです。見た目のシンプルさに反して味わいは複雑で、当時「いったい何と何を混ぜたらこんな食べたことのないような味になるのか?」と疑問を抱き、それを親に質問した記憶があります。その質問に関しては、チャツネではないか、という答えが返ってきました。おそらくこれは、カレーソース単独でもおいしさがフルカウントする「欧風カレー」との、最初期の出会いのひとつだったのではないかと思います。
「カルカッタ風」というところには、ちょっと引っかかっていました。当時は料理名にやたら「〇〇風」を付けて、何かと勿体ぶる風潮がありました。カルカッタがインドの地名であることは知っており、カレーにそれが冠されるのは納得が行きます。しかし問題はハンバーグの部分。ハンバーグはインドとは関係ないだろう、と僕は訝しみました。そこにも大人の悪巧みを疑ったのです。
ところがそれから30年以上経ってから、僕は驚愕の知識を得ました。かつてイギリス植民地時代のカルカッタ(コルカタ)では、コフタ、即ち肉団子のカレーが名物だったのだとか! あの時は疑ってすみませんでした、と僕は心の中で謝りました。
ちなみに残念ながら、この「カルカッタ風ハンバーグカレー」は、現在のロイヤルホストのメニューにはありません。しかしグループ店である〔シズラー〕のサラダバーで提供されているビーフカレーには、どこかその面影があるようにも感じています。現代の感覚では少しまろやかすぎるカレーかもしれませんが、そこには間違いなく上質な複雑さがあります。シズラーのメンディッシュの選択肢にはハンバーグもありますから、あれに近いものを卓上で再現することは、ある程度可能と言ってもいいかもしれません。
もしそれを試したときは、ぜひいにしえのカルカッタにも思いを馳せてみてください。
*次回は、6月5日金曜日更新の予定です。
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稲田俊輔
料理人・文筆家。南インド料理専門店「エリックサウス」総料理長。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、酒類メーカーを経て飲食業界へ。南インド料理ブームの火付け役 であり、近年はレシピ本やエッセイなど、旺盛な執筆活動で知られている。著書に『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』(柴田書店)『おいしいものでできている』(リトルモア)、『お客さん物語』(新潮新書)、『ミニマル料理』(柴田書店)、『異国の味』、『東西の味』(ともに集英社)、『稲田俊輔のおそうざい十二カ月 旬を味わう一汁三菜』(暮しの手帖社)など。
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とは
はじめまして。2026年7月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、松本太郎と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
2002年7月4日、季刊誌「考える人」が創刊されました。
目次には当代随一の執筆陣がずらりと並び、B5判240ページの誌面の隅々から知の香りが立ちのぼってくるかのようでした。
当時、入社3か月の営業部員だった私は、見上げるような思いで手に取り、発売日には編集長の松家仁之さんと創刊のご挨拶のために書店にうかがいました。
まだ書店訪問にも慣れておらず、編集長ともほぼ初対面の中、次のお店の約束の時間に間に合うだろうかと時計ばかりが気になって、終始、そわそわしていました。そんな私に松家さんがやわらかな笑顔で接してくれたこと、そして、新雑誌の門出を祝うようなすっきりと晴れた一日だったことを覚えています。
あれから四半世紀が過ぎ、ウェブマガジンとして衣替えした今でも、創刊時に掲げられた「Plain living, high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という言葉は古びていません。AIに尋ねれば瞬時に答えが返ってくる時代だからこそ、それらしい言葉に飛びつくのではなく、自分の頭で考え、心の声に耳を澄ませることの大切さは増しているように感じます。
創刊号には、養老孟司さんのロングインタビューが掲載されています。養老さんはその中で、恩師である中井準之助先生の口癖だった「人の心がわかる心を教養という」という言葉を紹介しています。
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著者プロフィール
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- 稲田俊輔
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料理人・文筆家。南インド料理専門店「エリックサウス」総料理長。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、酒類メーカーを経て飲食業界へ。南インド料理ブームの火付け役 であり、近年はレシピ本やエッセイなど、旺盛な執筆活動で知られている。著書に『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』(柴田書店)『おいしいものでできている』(リトルモア)、『お客さん物語』(新潮新書)、『ミニマル料理』(柴田書店)、『異国の味』、『東西の味』(ともに集英社)、『稲田俊輔のおそうざい十二カ月 旬を味わう一汁三菜』(暮しの手帖社)など。
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