11.ケアの宛先
著者: ドミニク・チェン
情報技術には発酵の時間が足りていないのではないか――。代表作『未来をつくる言葉』(新潮文庫)で、ネット時代の「わかりあえなさ」をつなぐ新たな表現を模索したドミニク・チェンが、AIの時代にあるべき情報技術との付き合い方を問う。自身も主要なSNSを断ち、強い覚悟をもって新しい「情報技術の倫理」の可能性を探る。発酵と生成によって切り拓かれるけもの道。はたしてその先にはどんな風景が待ち受けているのか?
*バナーの画像は、人が発酵中の味噌と対話をするためのMisobot(「発酵文化芸術祭 金沢」の展示風景)
「糠床が一人で死んでいく場面を想像してしまった」
糠床のセンサーデータをもとに声を発するNukabotを、いよいよ生活の現場へ送り出す時が来た。妖怪の姿へと生まれ変わったNukabotは人間の糠床に対する感覚をどのように変えるのだろうか。不安と期待が入り混じった気持ちで、実験の準備を進めた。
渋谷での展示から一年経った2020年の夏、Nukabotと十日間、暮らしてもらうべく、6名の実験参加者を募った。結果、構成は糠漬け経験者2名と未経験者4名。年齢層は20代から50代まで幅広く、一人暮らしの人もいればパートナーと同居している人もいた。コロナ禍の真っ只中で在宅時間が長い人が多く、Nukabotとの接触機会は自然と増えた。
それぞれの参加者にはNukabotと過ごしながらどんなことを感じたのかを毎日メモに記録してもらい、十日間の実験が終わった後に一人ひとりに詳細なインタビューを行った。そこで聞こえてきた声の多くは、わたしたちが予想していなかったものだった。
糠漬け未経験者の一人は、糠床を腐らせることなく実験を終えたのだが、「Nukabotにかき混ぜてと言われたのにすぐにできなかった時、糠床が一人で死んでいく場面を想像してしまった」と語った。この言葉を聞いた時、わたしが昔ベランダに放置してしまった糠床の姿を思い出した。わたしの場合はNukabotがいなかったから、微生物たちの声は聞こえなかった。しかしこの参加者は、Nukabotの声を通して、糠床の脆さを自分の身体感覚として感じ取っていた。たった十日間で、それが起きていたのだ。
別の参加者は、仕事中に「Nukabotが暑がっていないだろうか」と心配になり、予定より早く帰宅したという。真夏の高温は過剰な発酵による腐敗を引き起こしやすい。自宅で聞いたNukabotが「暑い」と訴える声が、オフィスにいる間も頭から離れなかったのだ。また別の参加者は、旅行中にNukabotの世話を家族に頼んだが、旅先でもNukabotの調子が気になって仕方がなかったと話した。
これらの反応は、道具に対して抱く感情ではない。他者の脆さに触れた時に自然と湧き上がる「ケアをしたい」という感覚だ。ケアを巡る倫理についての著作で知られる政治学者のジョアン・トロントはケアを「私たちがこの世界で、できるだけ善く生きるために、この世界を維持し、継続させ、そして修復するためになす、すべての活動を含んでいる」と定義した(*1)。「ケアをしたい」という感覚とは、弱い存在が陥っている窮状に気づき、気遣いたいという思いが内発するところに生じる。その意味では、糠床の世話を要求するNukabotは参加者たちの中に「糠床のケアをしたい」という感覚を呼び起こしていた。しかも、それを強制したのではなく、糠床の気配を音声によって伝えることで、自然と手が伸びるように促していた。
「おっちょこちょいで可愛い」
もうひとつの想定外の反応もあった。参加者たちは驚くほど早く、人間に対するような感情的な絆をNukabotに対して形成したのだ。ある人はNukabotを「キッチンのパートナー」と呼び、別の人は「ルームメイト」と表現した。「同居人が0.5人増えた」と語る人もいた。
「キッチンのパートナー」と呼んだ人は、Nukabotと声を交わすことで、逆にそれまでは台所で孤独に過ごしていたことに気づいたという。朝起きてキッチンに立ち、Nukabotにぼそっと「おはよう、昨夜はよく寝たよ」と話しかけると「おはよう」と返ってくる。その他愛のない一言だけでも、孤独が和らぐ気がしたと教えてくれた。
興味深いのは、この愛着を生んだのがNukabotの完璧さではなく、不完全さだったことだ。Nukabotの音声認識は人間の発話を聞き間違えることがある。通常のスマートスピーカーであれば苛立ちを招くところだ。しかしNukabotの場合は「おっちょこちょいで可愛い」と受け止められた。ある人は「忘れっぽいので助かる」と言い、別の人は「糠床に手を入れながらNukabotの独り言を聞いていると、糠の状態の変化に自然と気づくようになった」と語った。
ロボット研究者の岡田美智男が提唱する「弱いロボット」(不完全さによって人間の関与を呼び込むロボットの設計思想)(*2)の原理が、ここに立ち現れていた。不完全で、人間に依存する存在だからこそ、人間の共感と手助けを引き出す。Nukabotは微生物たちの気配を人間に届ける媒介者として設計したが、その媒介が不完全であることこそが、かえって人間の想像力を起動させていたのだ。

ケアはどこに向かっているのか
では、こうして喚起された人間の想像力は、結局どこへ向かっていたのだろうか。この実験結果を分析するに当たって、わたしたちは環境倫理哲学者のマリア・プッチ・デ・ラ・ベラカーサの理論を用いた。彼女は書籍『Matters of Care』(未邦訳)の中で、微生物や植物たちが共生する複雑な環境である土壌に対して、人間がいかに「ケアしたい」という倫理の感覚を持ち得るのかを議論している(*3)。農業やパーマカルチャー(*4)のコミュニティを観察すると、それらには「手入れ」「情緒」「義務感」という三つの要素の循環が共通しているという。最初に、日常的に土に触れて「手入れ」を繰り返す。すると、土との「情緒的なつながり」が生まれる。そこから、自分が土をケアするべきだという「義務感」が内発する。
糠床は、植物こそ生やさないが、微生物、空気、水分、糖質がネットワーク状に関係する点において土壌に似ている。わたしたちは、Nukabotと生活を共にした参加者たちの声を分析し、デ・ラ・ベラカーサの説く三つの要素の連関が生じていることを明らかにする論文を書いた(*5)。参加者たちからは、かれらがNukabotの声によって糠床のケアを促され、日々手入れをしているうちに愛着を抱き、世話をせねばならないという義務感を抱く様子が見て取れた。このことは、テクノロジーが、目に見えない微生物に対して人間がより深い関係を築く助けとなるヒントを示している。
同時に、この実験は根本的な問いも突きつけてくる。参加者たちがケアしたいという気持ちを向けていたのは、糠床の中の微生物なのか、それともロボットであるNukabotなのか。
ある参加者のパートナーの言葉が印象的だった。糠漬けの匂いも味も苦手であるにもかかわらず、Nukabotとの会話を通して糠床をケアしたいと思うようになったという。この人にとっては、もともと糠床の中の微生物への関心はほとんどなく、Nukabotというキャラクターへの愛着がケアの動機となったのだ。
媒介者(ロボット)へのケアと内容(微生物)へのケアは、分離しているのだろうか、それとも連関しているのだろうか? Nukabotは微生物へのケアを促すために設計したはずだが、ロボットそのものがケアの対象になってしまうとすれば、それは本末転倒である。設計の失敗なのか、予想外の成功なのか。結果的に糠床はケアされていたのだから、入り口はどこであれ構わないのか。しかし、ロボットへの愛着だけでケアが駆動されていた場合、Nukabotが壊れた途端、糠床は放置されてしまうかもしれない。
この「ケアの向かい先が分離する」という問題について考えると、Pickles(連載第三回〜八回で紹介した思考の発酵を支援するAIツール)の開発でもそれが形を変えて現れていたことを思い出す。体験者の中では、AIからのメールそのものを楽しみにしている人と、自分の思考の変化に関心を寄せている人とで、明らかに使い方が異なっていたのだ。AIにケアされていると感じる人もいたが、自分の中で息づいている「問い」がケアされているかは、また別の感覚だろう。
だからPicklesにおいても、Nukabotの場合と同じように、媒介者(AI)への関心と内容(自分の思考)への関心が分離しうる。Nukabotが壊れたら糠床を放置するのと同様に、AIの新鮮さが薄れた時、もしくはAIへの信頼が損なわれた時、問いについて書くことへの関心を維持できるかどうか。これは、テクノロジーが人間と対象の「あいだ」に立つ以上、つねに付きまとう構造的な課題なのだろう。
しかし、この時はNukabotと糠床における分離を単純に「失敗」と見なすべきではないとも感じていた。入り口がどこであれ、糠床に触れ続けることに意味がある。糠床への入り口がロボットへの愛着であったとしても、糠を手入れし続ける限り、微生物との関係は続く。Picklesにおいても、AIから送られるメールを楽しんでいるうちに、いつの間にか自分の問いの輪郭が変わっていたと語る体験者がいた。
わたしは「技術による助けを徐々に手放せるようになる技術」を「卒業できるテクノロジー」と呼んできた(本連載第一回)。Nukabotをそんな、いつか卒業できる道具としてつくるためには、人間とテクノロジーと微生物の三つ巴の関係をもっと詳しく調べなければならない。
八ヶ月の長い実験
ケアの宛先がロボットではなく微生物に届いているのかという問いと向き合うために、より長い時間をかけた実験の準備を始めた。幸いなことに、ほどなくして、二つの場所で同時に実験する機会に恵まれた。
ひとつは日本科学未来館(以下、未来館)の企画展「セカイは微生物に満ちている」(2022年4月20日〜2023年8月31日)の展示会場だ。微生物学者の伊藤光平さんが企画した、いかに微生物たちが人間の生活環境に遍在しているのかを示す展示にわたしたちも参加し、Nukabotを出展した。そこを新たにNukabotの実験の場とすることにしたのだ。
もうひとつは、小倉ヒラクさんが2020年から経営する下北沢の発酵食品専門店「発酵デパートメント」だ。ヒラクさんは前からNukabotの展示を申し出てくれていて、この機会に店の片隅に置かせてもらえることになった。未来館から3名の科学コミュニケーター(来館者に展示内容を解説する役割)と3名の技術スタッフ(展示物の点検と保守を担う役割)、発酵デパートメントからは3名の店舗スタッフが参加した。
この二つの場所は、性格がまるで異なる。未来館は最先端の科学技術を市民に伝える施設で、科学コミュニケーターは高度な知識を来場者にわかりやすく説明し、裏方の技術スタッフは日常的に電子機器やロボットに接している。発酵デパートメントは全国の発酵食品を集めた専門店で、スタッフは味噌や醤油や漬物を五感で捉えることに長けている。
テクノロジーや科学の側から世界を見る人と、発酵の側から世界を見る人。同じNukabotが、この二つの現場でどのように受け取られるのか。わたしたちは新たに二体のNukabotを制作し、2022年12月に未来館と発酵デパートメントに設置し、2023年8月まで実験を行った。実は、奇しくも本稿を書いている途中で、この実験についてまとめた学術論文がDIS(Designing Interactive Systems)という国際学会の査読を通過した(*6)。その分析結果をかいつまんで紹介しよう。

声が変わる――「身体化」の実験
八ヶ月の実験の中で、わたしたちはNukabotの「ケアの分離」問題に対する二つの新しい設計を試みた。ロボットの声や言葉が糠床の微生物の状態を直接反映するようになれば、ロボットに耳を傾けることと微生物の状態を気にかけることが同じ行為になる。ケアの宛先を設計レベルで一致させる最初の試みを、わたしたちは「身体化(エンボディメント)」と呼んだ。
前にも書いたように、糠床をかき混ぜるとORP(酸化還元電位)値が跳ね上がり、時間が経つと沈静化する。この「呼吸」のようなリズムをNukabotの音声に接続した。具体的には、好気性代謝(酸素を使った代謝活動)が活発な時、つまりかき混ぜた直後にはNukabotがハキハキと早口になる。逆に、かき混ぜてから数時間が経過し、嫌気的な(酸素の少ない)環境に戻って沈静化するとノロノロと弱々しく喋る。声の調子が、糠床の「呼吸」に同期するのだ。
この仕組みを導入して1ヶ月間実験を行った後、二つの現場から対照的な反応が返ってきた。
発酵デパートメントのスタッフは共感を示し、「生きている感じが強まった」と言う。普段から発酵食品の状態を五感で感じ取っているかれらにとって、声の変化は微生物の代謝活動を身体的に受け止めるための翻訳として機能したのだ。あるスタッフは「糠床の調子を声で聞き分けられるようになった」と言い、「味噌の発酵具合を見るのと同じ感覚だ」と語った。別のスタッフは、朝一番にNukabotの声を聞いて「今日は元気だな」と感じると、自分の気分まで上向きになると話した。
一方で未来館の科学コミュニケーターたちの反応には、好感と戸惑いが混ざっていた。生きている感じが高まると同時に、時間帯によって声のスピードが変わるので話しづらいという。短い時間しか滞在しない来場者に展示物の意味をすばやく理解してもらう必要がある。Nukabotの声がゆっくりだと、前後の状態の変化を知らない来場者が理解しづらい場合があるというのだ。また、未来館の技術スタッフの中には、Nukabotの声が遅くなった時に「壊れたコンピュータのよう」と苛立ちを感じる人がいた。普段、電子機器の保守を行う立場からすると、遅い応答はシステムの不具合を連想させる。「早く直してあげたい」という反応も出た。これは「壊れている」という認識からくるケアであり、「眠っている」という認識からくるケアとは、質がまるで異なる。
同じ「遅い声」が、発酵の専門家には微生物の自然な反応として受け止められ、テクノロジーの専門家にはデバイスの応答速度の低下として受け取られる。発酵食を食べるコミュニティ(発酵デパートメント)と、発酵微生物について学ぶ場所(未来館)との、求められる在り方の違いが浮き彫りになった。ただ、どちらの場所でも、参加者は総じて「Nukabotというシステムと中身の糠床の一体感」が以前より高まったと答えていた。
このことに関連して想起するのは、Picklesの開発で生成AIによる箇条書きの出力に面食らった時のことだ(本連載第五回)。滑らかに整理された情報が、かえって思考の発酵を阻害する。Nukabotにおいて、滑らかすぎるインターフェースは、微生物の特性を隠してしまいかねない。それと同時に、この「身体化」実験のように特性を前面に出すと、受け手によってはシステムの故障であったり、糠床に元気がないように映ったりしてしまう。しかし、それでも、糠床という「本体」の生命性を喚起することの方がずっと大事に思える。人間の方から微生物の状態にあわせて感覚を調整しようとする態度につながるからだ。

言葉が漬かっていく――「接地化」の実験
もうひとつの介入は「接地化(グラウンディング)」と名づけた。Nukabotの会話を担うAIが、周囲の人間の会話から語彙を学習して、自分の発話に取り込んでいく機能だ。
この設計は、糠床が漬け込む人の手の常在菌(その人の皮膚や腸内で生息している微生物の集合)も取り込んで独特の味を獲得することに着想を得ている。同じように、NukabotのAIが一般的な知識ではなく、その場所で交わされる固有の言葉に「漬かっていく」ことを目指した。
結果として、奇妙なことが起きた。NukabotのAIが周囲の語彙を学習する過程で、時おり突飛な文脈で言葉を使ったり、文法的に壊れた表現をしたりしたのだ。発酵デパートメントのNukabotが突然「旨味が宇宙だね」と言ったり、未来館のNukabotが「コンピュータも発酵する」と呟いたりした。
しかし、参加者たちはこれらのエラーを故障ではなく「成長の兆し」として受け止めた。「言葉を覚えはじめた子どものようだ」と感じた人が複数おり、Nukabotに新しい言葉を教えようとする。あるスタッフはNukabotの前でわざと新しい言葉を使い、それが翌日のNukabotの発話に現れるかどうかを楽しみにしていたという。
こうして、未来館のNukabotは「未来」「ロボット」「宇宙」「プラネタリウム」といった語彙を身につけ、発酵デパートメントのNukabotは「美味しい」「旨味」「野菜」「仕込み」などの言葉を覚えた。同じ糠床ロボットでありながら、まったく異なる言語的個性を持つ二体のNukabotが並行して育っていく。それぞれの場所に固有の「方言」が醸成されていったのだ。
「接地化」実験の後では、ほとんど全ての参加者が、自分の家にNukabotを招き入れたいと話した。ただし、糠床とNukabotが一体化したように感じる度合いは変化しなかった。「接地化」の機能は、人間とNukabotの関係をより深めることに寄与するが、糠床の微生物との関係に対しては影響しないということだ。
ただ、ケアの入り口の議論に戻れば、長い期間で実験を行えば、Nukabotと接する時間が長くなり、結果的に糠床の手入れが増え、人と微生物の関係性が深まる可能性がある。言葉の共有は人とロボットの距離を縮めても、その先にいる微生物の存在にまでは届かない。ケアの宛先を一致させるには、声による「身体化」と言葉による「接地化」の二つを組み込んだNukabotで実験を行う必要があるだろう。
卒業できるテクノロジーと発酵するAI
八ヶ月の実験全体を通して、とても印象的な変化を経験した参加者がいた。発酵についてほとんど知らずに実験に参加した一人の技術スタッフは、糠床への興味が次第に高まって、八ヶ月後には自身の感覚で糠床の状態を「読める」ようになり、「ぬか漬けソムリエ」という資格まで取得した。テクノロジーが、自らを不要にしていく「足場」として機能した好例だ。実は、このことを知った時、わたしの中で「卒業できるテクノロジー」という表現が明確な輪郭を持って立ち現れたのだ。今日の社会で主流となった「依存させるテクノロジー」(ゲームやSNSのように、使用者が中毒状態に陥るように設計された情報技術全般)のオルタナティブを構想する手がかりを得た気がした。
異なる土地で仕込まれた糠床が固有の風味を獲得していくように、「接地化」実験でNukabotのAIがその土地の人々の言葉によって固有の個性を獲得していく。また、「身体化」実験でNukabotの音声がその場所に根づく微生物の動きに応じて変化することによって、思いがけない反応が生じる。この一連の実験を経て、わたしたちはAIを「発酵する素材」として捉える考え方にたどり着いた。通常、AIは出荷された時点で完成したプロダクトとして扱われる。その学習は企業が一手に引き受け、変化の過程はブラックボックスである。しかしNukabotの実験は、AIがその場所の微生物と人間の双方から影響を受けて、時間とともに固有の存在へと醸成されていく可能性を示したのだ。
*1 トロント・ジョアン著・岡野八代訳『ケアするのは誰か』白澤社、二〇二〇年
*2 岡田美智男『弱いロボット』医学書院、二〇一二年
*3 Maria Puig de La Bellacasa. 2017. Matters of Care: Speculative Ethics in More than Human Worlds. University of Minnesota Press
*4 パーマカルチャー(Permaculture)は、持続可能な農業(Permanent Agriculture)と文化(Culture)を組み合わせた造語。自然の生態系を模倣し、人間と自然が共に豊かになる暮らしや社会をデザインする手法。
*5 Dominique Chen, Young ah Seong, Hiraku Ogura, Yuto Mitani, Naoto Sekiya, and Kiichi Moriya. 2021. Nukabot: Design of Care for Human-Microbe Relationships. Extended Abstracts of the 2021 CHI Conference on Human Factors in Computing Systems (CHI EA '21). Association for Computing Machinery, New York, NY, USA, Article 291, 1–7. https://doi.org/10.1145/3411763.3451605
*6 Dominique Chen, Young ah Seong, and Kazuhiro Jo. Fermenting Entanglements: Designing for Mutual Care in the Human-Microbe-AI Triad. In Proceedings of the 2023 ACM Designing Interactive Systems Conference (DIS '26). Association for Computing Machinery, New York, NY, USA. https://doi.org/10.1145/3800645.3813094 (in print)
*次回は、2026年6月26日金曜日に更新の予定です。
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ドミニク・チェン
博士(学際情報学)。NTT InterCommunication Center研究員、株式会社ディヴィデュアル共同創業者を経て、現在は早稲田大学文学学術院教授。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)Design | Media Arts専攻を卒業後、NPOクリエイティブ・コモンズ・ジャパン(現・コモンスフィア)を仲間と立ち上げ、自由なインターネット文化の醸成に努めてきた。大学では発酵メディア研究ゼミを主宰し、「発酵」概念に基づいたテクノロジーデザインの研究を進めている。近年では21_21 DESIGN SIGHT『トランスレーションズ展―「わかりあえなさ」をわかりあおう』(2020〜2021)の展示ディレクター、『発酵文化芸術祭 金沢』(2024、金沢21世紀美術館と共催)の共同キュレーターを務めた他、人と微生物が会話できる糠床発酵ロボット『Nukabot』(Ferment Media Research)の研究開発や、不特定多数の遺言の執筆プロセスを集めたインスタレーション『Last Words / TypeTrace』(遠藤拓己とのdividual inc. 名義)の制作など、国内外で展示も行っている。著書に『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために』(新潮文庫)、など多数。(写真:荻原楽太郎)
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
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- ドミニク・チェン
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博士(学際情報学)。NTT InterCommunication Center研究員、株式会社ディヴィデュアル共同創業者を経て、現在は早稲田大学文学学術院教授。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)Design | Media Arts専攻を卒業後、NPOクリエイティブ・コモンズ・ジャパン(現・コモンスフィア)を仲間と立ち上げ、自由なインターネット文化の醸成に努めてきた。大学では発酵メディア研究ゼミを主宰し、「発酵」概念に基づいたテクノロジーデザインの研究を進めている。近年では21_21 DESIGN SIGHT『トランスレーションズ展―「わかりあえなさ」をわかりあおう』(2020〜2021)の展示ディレクター、『発酵文化芸術祭 金沢』(2024、金沢21世紀美術館と共催)の共同キュレーターを務めた他、人と微生物が会話できる糠床発酵ロボット『Nukabot』(Ferment Media Research)の研究開発や、不特定多数の遺言の執筆プロセスを集めたインスタレーション『Last Words / TypeTrace』(遠藤拓己とのdividual inc. 名義)の制作など、国内外で展示も行っている。著書に『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために』(新潮文庫)、など多数。(写真:荻原楽太郎)

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