9.十年越しの問い
著者: ドミニク・チェン
情報技術には発酵の時間が足りていないのではないか――。代表作『未来をつくる言葉』(新潮文庫)で、ネット時代の「わかりあえなさ」をつなぐ新たな表現を模索したドミニク・チェンが、AIの時代にあるべき情報技術との付き合い方を問う。自身も主要なSNSを断ち、強い覚悟をもって新しい「情報技術の倫理」の可能性を探る。発酵と生成によって切り拓かれるけもの道。はたしてその先にはどんな風景が待ち受けているのか?
*バナーの画像は、人が発酵中の味噌と対話をするためのMisobot(「発酵文化芸術祭 金沢」の展示風景)
「思考の発酵」とは何だろう。それはAIによる情報処理のプロセスではなく、書き手自身の意識の中で起こる現象である。意識の中に常駐する「問い」が微生物のように、半ば自律的に動き回り、記憶に取り付いて、新しい意味をつくり出す。Picklesの開発とテストを振り返った前回までにそんなイメージが浮かんだところで、ひとつの記憶がむくりと頭をもたげた。
それは2008年の、夏の日の記憶だ。
わたしは当時、大切に育てていた糠床を、仕事場のベランダに一晩放置して腐らせてしまった。蓋を開けた瞬間の光景は、今でもはっきり浮かぶ。黒カビと赤カビが糠の奥深くまで根を張り、ひどい悪臭が漂っていた。そして、その光景を前に、まるで同居人を喪ったような悲しみに襲われた自分自身にも驚かされた。
この出来事については、本連載の一回目でもごく簡単に触れた。しかし、あの時は主にNukabotを紹介する文脈で書いたので、糠床を育てて喪った体験としての意味は十分に掘り下げなかった。ところがPicklesを半年間つくり、使い、そして「問いとは意識の中に棲みつく微生物のようなものだ」という考えに至った今、あの糠床喪失の記憶が、これまでとはまた異なる意味で蘇ってくる。
あの日から今日まで、およそ十八年。「なぜわたしは糠床を放置してしまったのか」、「微生物の気配に気づくことはできなかったのか」という自責の念にも似た問いは、わたしの意識の中で消えることなく生き続けてきた。そしてその問いは、Nukabotを生み、さらにはPicklesにまでつながった。十八年かけて一本の道がつながったわけだ。言い換えれば、これはわたし自身の体の中で、問いが十年以上をかけて「発酵」した過程そのものなのだ。
Picklesを通して「思考の発酵」のイメージを直観した今の目で、Nukabotの原点を辿り直すことで、二つのプロジェクトがどのように通底しているのかを探ってみようと思う。
糠床との出会い
まずは、糠床との出会いから話を始めよう。
2008年の4月に会社を創業した日のことだ。パートナーの遠藤拓己さんから、彼のお母さんが三十年ほど育てた糠床を百グラムほど、おすそわけしていただいた。糠床はおろか発酵食とは何かすらまるで知らなかったわたしは、慌てて大きな容器をネット通販で購入し、スーパーで生糠と塩と唐辛子を買い足して、いただいた熟成糠に混ぜて野菜を漬けはじめた。
一晩漬けたキュウリを食べて、これほど複雑で風味高い漬物ができるのかと、心の底から驚いた。当時は一人暮らしだったこともあり、野菜の糠漬けがあれば、あとは米と味噌汁に店で買った惣菜ひとつだけで満足できた。多めに漬けた分は友人や知人におすそわけしたりもした。それだけ自分の糠床の味が誇らしかったのを覚えている。
この糠床に対する愛着は、それまで抱いたことのないものだった。毎日手を突っ込んでかき混ぜ、野菜の漬かり具合を指で確かめ、匂いを嗅ぐ。その日々の接触のなかで、容器の奥底で息づいている何か――目に見えない存在とのやりとりが楽しみとなっていたのだ。
糠床の喪失と問いの生成
会社の仕事が忙しく、自宅になかなかいられない時期になると、仕事場に容器ごと糠床を持ち込んで作業の合間に手入れをするようになった。しかし、ある日なぜかオフィスのベランダに置いたことを忘れて、一晩放置してしまった。翌朝に気づいて急いで職場に戻り、蓋を開けてみると、ものの見事に腐っている。
このおぞましい光景は、発酵と腐敗が表裏一体の現象であることをはっきりと教えてくれるものだった。糠床の中で乳酸菌や酵母など、人間に有益な菌が支配的な状態は発酵と呼ばれるが、同じ環境は腐敗を招く有害な菌にとっても等しく豊富な栄養源になるのだ。
この時にわたしの中で後悔とともにいくつもの問いが連鎖的に生じた。なぜわたしは糠床を外に置きっぱなしにしてしまったのか。なぜ猛暑の屋外で糠床がさらされる危険に気づけなかったのか。容器の奥底で息づく微生物たちとコミュニケーションを取ることはできないのだろうか。
Picklesをつくった今、この問いの構造がよくわかる。糠床の中の微生物は目に見えない。だからつい、その存在を忘れてしまう。これは、自分の意識の中で揺蕩う問いの気配をとらえきれないことと、驚くほどよく似ている。Picklesが「無意識下に沈殿した記憶から意味を浮かびあがらせる」ことを助けるツールであるならば、Nukabotは「容器の奥底で生きている微生物の気配を人間に伝える」ことを目指す道具だ。どちらも、「人は不可視のプロセスにどう注意を向けられるのか」という同じ問題意識から出発している。ただ、Nukabotにつながる問いが先にあり、Picklesは十数年かけてその問いが生み出したものなのだ。
伴侶種としての糠床
糠床を腐らせた経験は、もうひとつ大きな気づきをもたらした。先にも書いたとおり、まるで同居人が突如いなくなってしまったような喪失感を覚え、自分が糠床を、便利な道具としてではなく、共に生きる存在とみなしていたことに、喪ってはじめて気づいたのだ。
アメリカの哲学者ダナ・ハラウェイは、愛犬カイエンヌとの暮らしの経験をもとに「伴侶種(Companion Species)」という概念を提唱した。人間が、共に生活する生物種を下等なものとしてではなく、同等かそれ以上の存在として捉え直すための言葉だ。ハラウェイの哲学には、「becoming-with」という思想が横たわっている。あらゆる存在は他者と切り離した個体としては存在できず、常に他者と共に別様の何かに変化しつづけるかたちで存在している、という意味だ。「伴侶種」とは、最も密接に変化しあう存在だといえる。
わたしは糠床を喪ってはじめて、その中で生きる数千億から数兆もの微生物たちの集合体を、伴侶種と捉えていることに気づいた。この感覚はどこから生じるのだろうか。
糠床の中に住んでいる目に見えない微生物たちは、昼夜を問わず発酵の手を止めない。かれらは人が眠っている間にも、ひそやかに、かつ着実に、野菜の糖質を食べて、乳酸やアルコール、旨味成分をつくり続ける。わたしは次の日になると漬かった野菜を取り出し、糠をかき混ぜて、新しい野菜を糠床に入れる。この時、わたしと微生物たちは野菜という「同じ釜の飯」、もとい、「同じ床の飯」を分かち合う関係になる。ある意味、人間とは別の物を食べる犬や猫などのペットよりも、糠床の微生物はずっと人間に近い世界で生きているのだ。
さらに、糠漬けを食べる時、微生物が生成した成分に加えて、微生物たちそのものも体に入ってくる。そして、糠をかき混ぜる時には、自分の皮膚上に常在する菌たちが糠床に入っていく。そのうちに、自分の体と糠床は微視的なスケールで、ひとつのシステムとして絡まりあうようになる。日常的に微生物たちに食料を与え、かつ、かれらの生成物とかれら自体を体内に摂り込むという反復を通して、糠床は徐々に自分から切り離せない存在になっていくのだ。
Picklesのテスターの一人は、Picklesから週に一度届くメールを読み、ジャーナルを書き続けることを通して、「問いが育っていく感覚」を得たと話してくれた。育つ、というのは、自分のコントロールを離れて、自律的に変化するということだ。誰にも読ませることのないジャーナルをAIに読ませて応答してもらうことで、問いに注意を向けて、思考することに割く時間が増える。そのうち、問いがかけがえのない他者になっていく。
わたしも過去に書いたさまざまな文章に、今に至るまで連綿と息づく問いを見つけることがある。そういう時、自分をかたちづくってきた問いの数々が、自分と共に変化してきた伴侶種のように感じられる。
「謎床」――問いを寝かせるということ
糠床を腐らせてから数年後、わたしの発酵にまつわる問いをさらに活性化させる出来事があった。編集者の松岡正剛さんとの出会いである。
二万冊の本が配架された編集工学研究所の「本楼」で、松岡さんと十数時間自由に対談をした。宗教観からテクノロジーの在り方に至るまで、古今東西の様々な事柄について語り合った末に、発酵の話題にたどり着いた。この対談は『謎床:思考が発酵する編集術』(晶文社、2017)という一冊にまとまっている。
対談の終盤では、情報技術はすぐに正解を教えようとするが、謎を謎として保持することこそが必要だ、という話になった。そして、問いをしばらく寝かせていると、問いが別様のかたちに変化して返ってくることがある、この感覚は糠床に似ている、とわたしが言ったら、松岡さんがすかさず「それは糠床ならぬ『謎床』だな」と応じた。
この時「謎床」という言葉が何を意味するのかは、具体的には話せずに終わった。けれど、Picklesを開発した今なら、生き生きとしたイメージが湧く。「思考の発酵」において、問いは微生物のように意識の中を動き回り、記憶という栄養源に取り付いて、新しい意味をつくり出す。だとすれば「謎床」とは、問いという微生物が棲みつき、発酵を繰り返すための場――つまり、わたしたちそのものではないだろうか。松岡さんの一言に対し、八年後にPicklesを通して自分なりの応答を得ることになるとは、対談した当時は想像もしなかった。
謎床のイメージは、伴侶種としての糠床との関係が基になっている。体が謎床の器であれば、記憶の総体こそ「謎」である。謎とは、糠床における米糠と同様に、微生物としての問いが定着し活動するための基質(ビタミンやミネラル、食物繊維などの基本的な栄養を含む苗床)である。謎床に生息する問いたちは、体の中に漬け込まれる情報(読んだ文字や抱いた感情など)に取り付き、そこから新しい意味をつくり出し、もともとの情報と紐づける。
長らくジャーナルを書きながら問いと向き合っていると、問いが勝手に様々な情報に反応しはじめるように感じられてくる。すると、たとえば特定の本を読む時に、体内の問いに栄養分としての情報を与えているような感覚が生じる。本を読むこと以外にも、気分転換に散歩に出かけたり、友人と語らったりして「体」の風通しを良くすることで、問いが思いがけない着想を生んだり、別の問いへと変異したりする。こうした行為は、糠をかき混ぜて、空気の流れを整える作業に似ている。
すると、Picklesのような情報技術は、自分の体という謎床に潜む問いの気配を増幅する道具の役割を果たしていく。
残念ながら、2024年の夏に逝去された松岡さんにPicklesをお見せして、ディスカッションすることは叶わなかった。けれど、情報技術を便利で効率的に正解に導くものとしては捉えない、というわたしの現在の考え方は、松岡さんとの会話を通して明確になったものだ。これからも研究を通して松岡さんとの対話は続いていくだろう。
自走する糠床
わたしの発酵的思考に大きな影響を与えた人がもうひとりいる。発酵デザイナーの小倉ヒラクさんだ。
きっかけは『謎床』と同時期に刊行された『発酵文化人類学』(木楽舎、2017)との合同出版記念の対談だった。科学やテクノロジーにも関心の高いヒラクさんとはすぐに意気投合し、発酵と情報技術をつなげるアイデアについてよく話を聞いてもらうようになった。
2017年の秋、フランスのリヨンで開催された人工生命(Artificial Life)国際学会に参加することになった。発酵の専門家であるヒラクさんが、生命性に関するアカデミックな議論にどう反応するか、好奇心を抱いて誘ってみたら二つ返事で来るという。
学会で、子ども用ロボットにニューラルネットワーク(人間の脳神経系を模したAI学習用の基盤技術)を搭載し、生命的な挙動を自律的に学習させるワークショップに一緒に参加した。終わった後に、会場の外で休憩していた時のことだ。思いがけず、小さな糠床が自走式ロボットの上に乗って自分で動き回るイメージが湧いてきた。
「糠床が自分で発酵しやすい環境を探して動きはじめたらどうだろう?」とヒラクさんに言ったら、「妖怪みたい!」と面白がってくれた。その瞬間が、Nukabotの構想が生まれた瞬間だった。
ここでお気づきの読者もいるかもしれないが、最初のNukabotのアイデアは「喋る糠床」ではなく「自走する糠床」だったのだ。わたしが喪った最初の糠床は、ベランダに放置されて腐ってしまったのだが、その糠床がもし自分で移動できたら助かっていたかもしれない。直射日光を避けて日陰に移動したり、高温多湿な場所からより涼しい場所を求めて、部屋の中を糠床がうろうろと動き回ったりする。ワークショップ会場の小さなロボットたちを思い出しながら、そんな光景を幻視したのだった。
「自走」から「対話」へ
Nukabotのアイデアを人に話すと、「そこまでするなら自動的に糠をかき混ぜる仕組みを容器に入れればいいのでは?」という意見をよくもらった。しかし、それは行わないと決めていた。
理由はふたつあった。ひとつは、このシステムを通して実現したいものが、人間が糠床により強く愛着を抱けるようになる環境だということだ。糠床に棲む微生物たちへのケアを人間に促したい。もうひとつは、糠をかき混ぜる人の皮膚に常在する菌が糠床に入ることで味が変化する、とヒラクさんに教えてもらったからだ。人が自分の手で糠をかき混ぜることで固有の味覚が生じるのだとすれば、人が直に糠に触れるプロセスは絶対に外せない。
いま振り返ると、この判断の中に、後のPicklesにも通じる設計思想の原型があったと思う。Picklesは、AIが勝手に思考の「正解」を導き出すツールではなく、あくまで人間が自分で書き、自分で考えるプロセスを促す媒介としてつくった。前回の記事で、「思考の発酵はAIの情報処理ではなく、書き手の意識の中で起こる」と結論づけたのは、実はNukabotの「自動かき混ぜ機能をつけない」という決断と同じ根っこから出ている。テクノロジーに全てを委ねるのではなく、人間の手が直に対象に触れる機会を保つ。制御するテクノロジーから離れた、「委ねるテクノロジー」とでも呼べる思想だ。
結果的にNukabotには自走機能は付けず、喋ることで人間の世話を促す媒介役のかたちに落ち着くことになる。しかし、それはもう少し先の話だ。
問いの醸成――十年のスケールで
こうして振り返ってみると、2008年に糠床を腐らせた日から2017年にリヨンでNukabotのアイデアが降りてくるまで、約十年の時間が流れている。この間、わたしは直接的に問いの答えを探していたわけではない。日本酒の杜氏や味噌醤油の蔵人たち、発酵醸造学の研究者や関係者たちに出会い、話を聞いているうちに、自分でも発酵の面白さについて人に話したり、文章を書いたりするようになった。問いが自ずと漂いはじめ、そこに別の関心が引き寄せられていくプロセスだった。
前回、「問いは半ば自律的に意識の中を動き回り、記憶に取り付いて、新しい意味をつくり出す」と書いた。まさにこの十年がそうだったのだ。「糠床の気配に気づけなかった」という悔いが、松岡さんとの対話で「謎床」という言葉に出会って変容し、ヒラクさんとの交流で発酵の科学的な知見が加わり、リヨンの学会場で人工生命のロボットたちを見た瞬間に、「自走する糠床」というイメージが結晶化して降りてきた。そして、そこからさらに十年近い時を経て、「思考の発酵」を助けるPicklesという別の新しいアイデアが生まれた。
発酵のメタファーを何度も反芻してきた今、この十年という時間はまさに思考の発酵そのものだったと思える。問いを意識的にコントロールしていたわけではなく、体の中に問いを棲まわせておいたら、十年かけて自ずと「新しい意味」が醸成されたのだ。
Nukabotのアイデアが生まれた後、仲間たちと試作に着手した。糠床の発酵状態をどのように計測するのか、そしてその情報をどうやって人間に届けるのか。そしてNukabotというテクノロジーそのものはいかにして「発酵」しうるのか。次回からは、これまでに行ってきた具体的な実験を通して、記憶と情報が発酵することについて更に考察を進めよう。
*次回は、2026年4月24日金曜日に更新の予定です。
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ドミニク・チェン
博士(学際情報学)。NTT InterCommunication Center研究員、株式会社ディヴィデュアル共同創業者を経て、現在は早稲田大学文学学術院教授。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)Design | Media Arts専攻を卒業後、NPOクリエイティブ・コモンズ・ジャパン(現・コモンスフィア)を仲間と立ち上げ、自由なインターネット文化の醸成に努めてきた。大学では発酵メディア研究ゼミを主宰し、「発酵」概念に基づいたテクノロジーデザインの研究を進めている。近年では21_21 DESIGN SIGHT『トランスレーションズ展―「わかりあえなさ」をわかりあおう』(2020〜2021)の展示ディレクター、『発酵文化芸術祭 金沢』(2024、金沢21世紀美術館と共催)の共同キュレーターを務めた他、人と微生物が会話できる糠床発酵ロボット『Nukabot』(Ferment Media Research)の研究開発や、不特定多数の遺言の執筆プロセスを集めたインスタレーション『Last Words / TypeTrace』(遠藤拓己とのdividual inc. 名義)の制作など、国内外で展示も行っている。著書に『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために』(新潮文庫)、など多数。(写真:荻原楽太郎)
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
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- ドミニク・チェン
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博士(学際情報学)。NTT InterCommunication Center研究員、株式会社ディヴィデュアル共同創業者を経て、現在は早稲田大学文学学術院教授。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)Design | Media Arts専攻を卒業後、NPOクリエイティブ・コモンズ・ジャパン(現・コモンスフィア)を仲間と立ち上げ、自由なインターネット文化の醸成に努めてきた。大学では発酵メディア研究ゼミを主宰し、「発酵」概念に基づいたテクノロジーデザインの研究を進めている。近年では21_21 DESIGN SIGHT『トランスレーションズ展―「わかりあえなさ」をわかりあおう』(2020〜2021)の展示ディレクター、『発酵文化芸術祭 金沢』(2024、金沢21世紀美術館と共催)の共同キュレーターを務めた他、人と微生物が会話できる糠床発酵ロボット『Nukabot』(Ferment Media Research)の研究開発や、不特定多数の遺言の執筆プロセスを集めたインスタレーション『Last Words / TypeTrace』(遠藤拓己とのdividual inc. 名義)の制作など、国内外で展示も行っている。著書に『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために』(新潮文庫)、など多数。(写真:荻原楽太郎)

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