シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

カレー物語

2026年6月5日 カレー物語

3.カレー専門店の衝撃

著者: 稲田俊輔

人気の南インド料理専門店「エリックサウス」総料理長にして、レシピ本から食文化にまつわるエッセイまで文筆家としても活躍中の稲田俊輔さんが、その原点である料理=「カレー」について考える連載です。おうちカレーから南インド料理の衝撃まで、私的な経験をベースにその進化や変遷を語っていきます。「もはやカレーは文化である」を合言葉に、国民的料理の真髄に迫る「活字カレー」の決定版!

鹿児島の「うっすらインド」

 今回は、昔のカレー専門店、いわゆる「カレースタンド」の話が中心になります。始めるにあたって、ひとつ約束事を作ります。それは、小規模な個人店の具体的な店名は出さない、というルールです。これはひとつには、僕自身が店名をいちいち覚えておらず、また大半の店はもう既に存在しないため今さら調べようもない、という理由があります。そしてもうひとつの理由は、現存する店は幸いどこも行列のできる人気店だからです。その行列が更に少し延びたところで、それはお店にとっても常連さんたちにとっても、さしたるメリットはなさそうです。

 とは言え、書かれている情報から推定することは頑張れば可能なはずです。そういう熱意のある方だけが、ひっそりと訪問してください。そうでなければ、自分の普段の行動範囲で似たような店を探し、今後の長きにわたって通い続けてください。

 さて、先にあえて総括から始めると、僕がこれまでの人生の前半で出会ったカレー専門店の多くに、ある種の共通項があります。それをひと言で言うならば「うっすらインド」です。決して本場っぽいわけではない、しかし「カレーの本場はインドである」という認識は共有されているようで、出てくるカレーも何かしらそれが意識されている。

 そしてこういうタイプのカレーは、ある時代からじわじわと数を減らしています(ただし東京だけは、少し例外的なところがあるかもしれません)。これは、「うっすら」ではなくはっきり本場「風」な店が増えたからということもあるでしょう。あと、もしかしたらそもそも商売っ気のあまりない仙人か自由人みたいなタイプの人々によって営まれていることが多く、支店を増やすとか誰かに跡を継がせるといった浮世のことにあまり興味がなかったのでは、なんてことも少し思います。

 僕が鹿児島で暮らしていた時代に、家族でカレー専門店を利用したことは多分ありません。どのカレー屋さんも、父親と二人で外出した際に立ち寄る店でした。高校生になるとひとりでも利用するようになりました。そこにはなんとなく「男の世界」みたいな雰囲気が漂っていた記憶があります。実際お客さんは男性がほとんどで、背の高いスツールに腰掛けてカレーライスを飲むように貪り、そそくさと出ていく、そんな雰囲気でした。

 味の点でも、当時の男性的な好みが反映されていたような気がします。固形ルーで作るお家カレーのような甘ったるさは皆無で、塩っけも強く、比較的サラッとしていました。今思えば「鹿児島のカレー屋さんの特徴」みたいな地域的な共通項があったような気もします。全体的にやや黒っぽく、玉ねぎの細片やスパイスなのか、明確にざらりとした食感がありました。

 前に僕は子どもの時からカレーの辛さは特に気にしたことはなかったと書きましたが、こういう店のカレーでは、そんな悠長なことは言っていられませんでした。ヒーヒー言いながらそれを食べ、たまらず水を飲もうとすると父親に「余計辛くなるぞ」と脅され、慌てて手を引っ込めました。店によっては、食べ終わるやいなやあたかもトロフィーのように一口分のアイスクリームが提供され、それでようやく口の中を落ち着かせる、なんてこともありました。

 僕はそんなカレースタンドのカレーが大好きで、正直、家で食べるカレーよりも遥かにうまいと思っていました。もちろん決して口には出しませんでしたが。

京都の「はっきりインド」

 家を出て一人暮らしが始まった京都には、あまりそういうカレースタンドがありませんでした。元々の地域性なのか、それとも僕が住み始めたのが個人店のカレースタンドが一気に数を減らした後の時期にあたったのか、それはちょっと調べきれませんでした。しかしここで僕は、生涯忘れ得ぬ2軒のカレー屋さんに出会いました。

 ひとつはまさに「うっすらインド」でした。玉ねぎがたっぷり使われているようで、その自然なとろみはあれど、ベタっとしたルーのとろみはありません。今の自分の言葉で言えば、鹿児島のカレーと同様「うま味控えめ」でソリッドな味わいとシャープな辛さは少し似ていましたが、こちらは若干塩気も控えめで、スパイシーではありつつどこか優しい味わいでした。

 印象的だったのは、水分少なめにパラッと炊かれた目にも鮮やかなターメリックライスで、これはその後エリックサウスの前身ともなるエリックカレーでのターメリックライスのお手本にもなりました。

 今では創業者の名物ママの跡を息子さんが継ぎ、毎日行列のできる人気店です。

 もうひとつの店は、極めて衝撃的でした。そこは「うっすらインド」ではなく「はっきりインド」だったのです。いや正確には「はっきりネパール」と言うべき店だったようですが、その時点で僕にそんな区別が付くはずもありません。元バックパッカーの女性がネパールで学んだレシピを元に始めた店とのことでした。

 初めてその店を訪れる前に、僕は既に訪問済みだったバイト先の先輩に散々脅されました。漢方薬みたいな味で、はっきり好き嫌いが分かれる、と。先輩自身はダメだったみたいです。そんなこともあって恐る恐る食べたそのカレーは、幸いなことに僕にとっては絶品でした。確かにある種の食べにくさはありました。しかしあまりにエキゾチックな味わいからもたらされる興奮は、それを軽々と凌駕したのです。

 その時、店内のお客さんの過半数は欧米人でした。ある意味日本人にはまだ早すぎるカレーだったのかもしれませんが、その後は時代の方が追いついたようで、今でも人気店として愛され続けています。

 

 

*次回は、6月19日金曜日更新の予定です。

稲田俊輔『お客さん物語

2023/09/19

レストランは物語の宝庫だ。そこには様々な人々が集い、日夜濃厚なドラマを繰り広げている―。

人気の南インド料理店「エリックサウス」総料理長が、楽しくも不思議なお客さんの生態や店の舞台裏を本音で綴り、サービスの本質を真摯に問う。また、レビューサイトの意外な活用術や「おひとり様」指南など、飲食店をより楽しむ方法も提案。食にまつわる心躍るエピソードが満載。人生の深遠さえも感じる「客商売」をめぐるドラマ!

amazonはこちら

公式HPはこちら

この記事をシェアする

ランキング

MAIL MAGAZINE

「考える人」から生まれた本

もっとみる

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき
  •  

考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
 「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
 どうして自分が「考える人」なんだろう―。
 手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
 それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

稲田俊輔

料理人・文筆家。南インド料理専門店「エリックサウス」総料理長。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、酒類メーカーを経て飲食業界へ。南インド料理ブームの火付け役 であり、近年はレシピ本やエッセイなど、旺盛な執筆活動で知られている。著書に『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』(柴田書店)『おいしいものでできている』(リトルモア)、『お客さん物語』(新潮新書)、『ミニマル料理』(柴田書店)、『異国の味』、『東西の味』(ともに集英社)、『稲田俊輔のおそうざい十二カ月 旬を味わう一汁三菜』(暮しの手帖社)など。

連載一覧

著者の本


ランキング

テーマ

  • くらし
  • たべる
  • ことば
  • 自然
  • まなぶ
  • 思い出すこと
  • からだ
  • こころ
  • 世の中のうごき

  • ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら