5.タイカレーという文化
著者: 稲田俊輔
人気の南インド料理専門店「エリックサウス」総料理長にして、レシピ本から食文化にまつわるエッセイまで文筆家としても活躍中の稲田俊輔さんが、その原点である料理=「カレー」について考える連載です。おうちカレーから南インド料理の衝撃まで、私的な経験をベースにその進化や変遷を語っていきます。「もはやカレーは文化である」を合言葉に、国民的料理の真髄に迫る「活字カレー」の決定版!
バブル期文化に対するカウンター
学生時代に出会ったカレーとしては、もうひとつ重要なものがありました。後に自分の人生を変えたとも言っていい、それは「タイカレー」です。
タイ料理との出会いは、年下の友人Mくんによってもたらされました。Mくんは同じ京大生だったのですが、京大生としてはかなり変わったタイプでした。ざっくり言うと、飛び抜けてオシャレだったのです。小顔・細身の長身でアニエスbを着こなし、古着屋でバイトし、モデルのようなこともちょっとやって、クラブに通ってDJもやり、みたいな感じです。まさに90年代オシャレ系サブカルチャーの申し子といったところですが、その彼に誘われて行ったのがタイ料理店でした。
あれから30年以上が経った今ではなかなかイメージが湧きにくいかもしれませんが、当時タイ料理とは極めてオシャレかつ文化的なものだったのです。だから僕は食べる前からタイ料理に対して圧倒的好印象を――いやむしろ「これを理解できねばオシャレでも文化的でもないぞ」という強迫観念すら感じていました。
なかなかカレーの話にならないではないか、と思われるかもしれませんが、ここで一旦、現在の僕の視点で当時の空気感を説明しておこうと思います。昭和の日本は、常に欧米に追いつき追い越さんと邁進してきました。それが(一見)遂に実を結んだ(ように見えた)のがバブル期です。しかし我々は、そのバブルに乗り損った世代でした。
食の世界でいうと、高度経済成長期の洋食崇拝から始まって、バブル期には本格イタリアン・フレンチが上陸、みたいな感じです。そこに対するカウンターが当時のエスニックブームでした。「ブランド物のジャケットを着て高級イタリアンとディスコなんてもうダサいよ」とばかりに、普段着(に見せかけた精一杯のオシャレ着)でタイ料理やクラブに行き始めたのが我々の世代です。
カレーの世界でも同じことが起きたと言えます。カレーは洋食というジャンルの一コンテンツとして進化してきました。つまり欧風カレーです。それは家庭に降りてきて、固形ルーを使うお家カレーになりましたし、より本格的なイメージを求めて「うっすらインド」的な専門店のカレーにも発展しました。つまり結局はほぼ全て欧米経由だったのです。
しかしタイ料理・タイカレーは違いました。言うなればアジア直輸入です。そこに大きな価値を感じるということは、本連載でもいずれ語ることになる南インド料理においても重要なファクターとなるので、このイメージはなんとなく掴んでおいてください。
なぜ「タイ風グリーンカレー」と呼ばれたのか
さて話を当時に戻しますが、当時のタイ料理店において、カレー、特に「タイ風グリーンカレー」は、間違いなくメインコンテンツのひとつでした。この辺りも少し今と感覚が違いますが、そこに引っ掛かっているとまた話が止まるので、そういうものだったということでこのまま続けます。
このカレー、すなわち「ゲーンキョワーン」が「タイ風グリーンカレー」と言い換えられていたのはなぜか。理由はもちろん、そのくらい噛み砕かねば、日本人には何のことやらさっぱりわからないからです。しかし問題は「タイ風」の部分です。普通にタイ料理屋なんだから「グリーンカレー」だけでいいではないかと思いませんか?
しかしそれには確固たる理由がありました。当時、グリーンカレーと言えば、インド式のほうれん草ペーストを使ったカレーを主に指していたのです。今はサグカレーと呼ばれることが多いですね。当時もちろんインド料理は今ほど一般的ではありませんでしたが、少なくとも日本での歴史はタイ料理よりはずっと長かったのです。
さてまた話を戻します。初めて出会った「タイ風グリーンカレー」は、僕がそれまでに出会ったどんなカレーよりも驚きに満ちた物でした。なぜならばそれはちっとも「カレー味」ではなかったからです。おそらく日本人のほとんど――いや全員がそういう戸惑いを感じたのではないでしょうか。そうなる理由は簡単で、それは欧風カレーを経由していないからですね。この「カレー味か否か」というのもまた、南インドカレーを語る際の重要なファクターになりますので、これまたうっすら覚えておいてください。
驚きはもうひとつありました。それは、完全に初めて体験する味のはずなのに、ひと口目からはっきり分かりやすくおいしい、何ならどこか懐かしさすら感じさせるものだったということです。もっともこの点にはかなり個人差もあったのではないかと思います。
ただ、ココナツミルクの味を受け付けない、という人は少なからずいました。「お菓子ならいいけどカレーはちょっと……」という戸惑いもあれば「コパトーン(日焼けオイル)の味じゃないか」という全否定もありました。
辛さを乗り越えられない人々もいました。今より辛さ耐性が低かった当時の人々にとって、それは最高レベルと言ってもいい辛さだったのです。
しかし僕はその全てを愛しました。愛さなければオシャレとも文化的とも言えない、という強迫観念がそれを後押しした部分が有ったのか無かったのか……今となっては遠い記憶の彼方ですし、そもそもそこまで自分を客観視するのは、たぶん不可能ですね。
*次回は、7月17日金曜日更新の予定です。
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稲田俊輔
料理人・文筆家。南インド料理専門店「エリックサウス」総料理長。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、酒類メーカーを経て飲食業界へ。南インド料理ブームの火付け役 であり、近年はレシピ本やエッセイなど、旺盛な執筆活動で知られている。著書に『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』(柴田書店)『おいしいものでできている』(リトルモア)、『お客さん物語』(新潮新書)、『ミニマル料理』(柴田書店)、『異国の味』、『東西の味』(ともに集英社)、『稲田俊輔のおそうざい十二カ月 旬を味わう一汁三菜』(暮しの手帖社)など。
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とは
はじめまして。2026年7月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、松本太郎と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
2002年7月4日、季刊誌「考える人」が創刊されました。
目次には当代随一の執筆陣がずらりと並び、B5判240ページの誌面の隅々から知の香りが立ちのぼってくるかのようでした。
当時、入社3か月の営業部員だった私は、見上げるような思いで手に取り、発売日には編集長の松家仁之さんと創刊のご挨拶のために書店にうかがいました。
まだ書店訪問にも慣れておらず、編集長ともほぼ初対面の中、次のお店の約束の時間に間に合うだろうかと時計ばかりが気になって、終始、そわそわしていました。そんな私に松家さんがやわらかな笑顔で接してくれたこと、そして、新雑誌の門出を祝うようなすっきりと晴れた一日だったことを覚えています。
あれから四半世紀が過ぎ、ウェブマガジンとして衣替えした今でも、創刊時に掲げられた「Plain living, high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という言葉は古びていません。AIに尋ねれば瞬時に答えが返ってくる時代だからこそ、それらしい言葉に飛びつくのではなく、自分の頭で考え、心の声に耳を澄ませることの大切さは増しているように感じます。
創刊号には、養老孟司さんのロングインタビューが掲載されています。養老さんはその中で、恩師である中井準之助先生の口癖だった「人の心がわかる心を教養という」という言葉を紹介しています。
読んだ瞬間に立ち止まり、さまざまな思いが湧き上がってくるような文章に、楽しみながら出会える場であり続けたいと思っています。
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著者プロフィール
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- 稲田俊輔
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料理人・文筆家。南インド料理専門店「エリックサウス」総料理長。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、酒類メーカーを経て飲食業界へ。南インド料理ブームの火付け役 であり、近年はレシピ本やエッセイなど、旺盛な執筆活動で知られている。著書に『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』(柴田書店)『おいしいものでできている』(リトルモア)、『お客さん物語』(新潮新書)、『ミニマル料理』(柴田書店)、『異国の味』、『東西の味』(ともに集英社)、『稲田俊輔のおそうざい十二カ月 旬を味わう一汁三菜』(暮しの手帖社)など。
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